総額20兆円が眠っている!? 令和版「徳川埋蔵金」を探せ!! [フォーエバー★]
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1/20(金) 6:10配信
週プレNEWS
江戸城を明け渡した15代将軍、徳川慶喜。御用金の行方を知るひとりかもしれない
江戸城開城時にこつぜんと消えた徳川幕府の御用金400万両(約20兆円)。当初、群馬県赤城山に隠されていると思われていたが、そこにはなかった......。壮大なプロジェクトから約30年。新たに浮かんだ場所はふたつ。どうする?
【写真】埋蔵金のありかが記されている古文書の写しほか
* * *
■徳川埋蔵金は赤城山にあるのか?
NHK大河ドラマ『どうする家康』が注目され、今年は徳川家康ブーム≠ェ起こりそうだが、実は今から約30年前にも徳川ブームがあったのだ。
それは徳川埋蔵金探し≠ニいう大プロジェクトだった。簡単に説明すると『ギミア・ぶれいく』というTBSのバラエティ番組で、1990年から約2年半にわたって徳川埋蔵金の発掘作業が行なわれた。
数々の証拠や証言などをもとに群馬県赤城山を隠し場所と考え、大規模な発掘調査を行なった。そして、正体不明の空洞などを発見するのだが、最終的に埋蔵金は見つからず、そのプロジェクトは終了した。
そもそも徳川埋蔵金とはなんなのか? 考古学者で『いっきに学び直す日本史』(東洋経済新報社)の監修を務めた山岸良二氏が解説する。
「徳川幕府には毎年、平均して400万両(現在の価値で約20兆円)の御用金(税金)が納められていたといいます。
しかし、1868年に江戸城が開城され新政府軍が入城したときには蔵の中は空っぽでした。一銭もなかったんです。じゃあ、その400万両はどこに行ったのか?『開城までの間に誰かが運び出したのではないか?』と推測することができます。
では、御用金を運び出したのは誰か? 江戸城が開城される約3ヵ月前まで勘定奉行をやっていた小栗忠順(おぐり・ただまさ)という人物がいます。
彼は横須賀に製鉄所(後の造船所)を造るなど幕府の中でも特に頭の切れる存在でした。そのため、小栗が新政府軍と最後まで戦うための資金として御用金をひそかに運び出し、隠したのではないかと考えられているのです。
では、その隠し場所はどこか? 彼が江戸城を出た後に向かったのが、自分の領地に近い赤城山でした。そこで、赤城山に隠したのではないかということになっているわけです」
この話をもとに、徳川埋蔵金探しは約30年前に大ブームになった。しかし、埋蔵金は見つからないまま、そのプロジェクトは終了した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/70f4d3209fd52421cf44fdb236a1440393a10909
https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2023/images/01.jpg 徳川幕府の埋蔵金
山下将軍の埋蔵金
M資金
大金失った人もいるからな 徳川埋蔵金
M資金
山下財宝
この3つはいまだに騙されて事件になってたりするなあ ギミアブレイクは笑うセールスマンもやってて良かったな
また埋蔵金を探して山をボコボコにしてほしいね >>10
日光東照宮だっけ?
んなもんより第七工区や五浦海岸だろ 1年の税収400万両が丸々埋蔵なんかされていだろ?
残っていた金を、どうせ皆で奪って逃げただけだろうな 泥棒なら山に埋めるかもしれないが、普通に考えると日光東照宮の地下だろう 仮に現在の価値で20兆円の資産あったなら徳川幕府倒れるわけないでしょ 埋蔵金?
仁藤と村木の関係者あたりに数兆円あるだろ そんな金あったらもっと武器買って余裕で勝ってただろ 一時的に隠したとしても現代まで残ってるわけないだろ 見つかった時点で番組より先にニュース報道があるはずだから
毎度冷めた目で見てたな 帳簿上あるって事にしてただけだと思ってる
金なんか無いけど、埋蔵しましたって処理したんだろう >>27
西郷のバカがいたからな
西南戦争でバカども粛清できたから少しはましかと 見つからないのはみんなわかってるから見せ方なんだよなぁ 昔の金が見つかったとして何なの?
今は使えないしゴミじゃん
骨董品としてマニアが買うぐらい? 徳川家が滅びたわけでもなし
主要な関係者全員生き残って
徳川宗家も存続してるのに
何で隠したままなんだよ >>9
前年はともかく、江戸開場の年はまともに納税されてないだろ
ドンパチしてるから浪費も凄いだろうし YouTuberこそこうゆう企画やれよ
ドッキリとか馬鹿みたいだよ >>27
「横須賀製鉄所作ったけど何の役にも立ちませんでした」
典型的な駄目役人の仕事だろ 長州征伐の幕府側の書簡で軍資金に困ってる 埋蔵金なんかないよ 徳川慶喜だからカメラとレンズ沼にはまってモデルにも散財したんじゃねえ? ┐(゚〜゚)┌ 勘定奉行一人が何で御用金全額動かせると
思ってんだよ
そんな超権力ねーよ
幕府を馬鹿にしすぎ >>1
総力を上げれば見つかるんだろうけど見つけようとしないだけだろ
エジプトのピラミッドの地下と同じ 小栗が隠居した村に行ったけど寂しい場所だった、金はないと思う あの赤城の山?の洞窟群というか洞穴郡は結局何だったん
明らかに人の手で掘られたっぽいけど… まあ夢はあったよな
今考えるとただ山を掘るだけで視聴率稼げるとか上手いこと考えたよ 視聴率っていう埋蔵金はゲットできた、って話やったな
「穴が見つかった!」「紐のようなものが出てきた!」で引っ張るw あの頃は番組も予算あったな
テレビが面白かった時代 なんだかんだで糸井重里は
時代の寵児だったな
手帳売ってる爺さんではない 最後はショベルカー何台も投入して露天掘りしてたのは凄かった
露天掘りってチュキカマタ銅山かよ、と思ってみてたw >>1
まーた、
続きはソースで
すら書かない記者がスレたててる 埋めてないんだよ
巨大な穴なんて掘ったら多くの人が関わるわけで
必ず情報は漏れるからな そもそも埋蔵金無かった説が一番有力だけどな
あったら軍備増強に使ってるはずだし
幕末は財政が火の車だったらしいし 皆さんの笑顔の価値こそが
誰もが忘れがちな令和の埋蔵金だと思いますよ
苦笑 続きの方が面白い
>実は、日本埋蔵金研究の権威であり、私の師匠でもある畠山清行(はたけやま・せいこう)氏は、
昭和の初めまで生きていた元江戸城の御金蔵番(ごきんぞうばん)だったふたりの人物から証言を得ていました。
その内容は『慶応3年(1867年)の10月頃から、夜中に千両箱を2、3個ずつ隅田川沿いの御竹蔵(幕府の倉庫)にひそかに運んだことがある。
その合計は数十箱に及んだ』というものです。 >昭和30年代、坑口がまだある頃、私は仲間とふたりで金山跡の坑道に入り、
左奥の立て坑の底に徳川埋蔵金の一部と思われる16個の千両箱を見つけました。
そして、金貨の入った千両箱をひとつ回収することに成功したのですが、そのとき、
仲間が誤って穴の底に落ちてしまい、どうしても助けることができませんでした。
その仲間の供養をお願いしたいのと、残り15個の千両箱を取り出して世の中の役に立ててほしいのです』という衝撃の内容でした。 当時は鼻息荒くしながら見てた
茶碗の欠片が出てきたのは覚えてる
面白かったな まだやってんのかよ。当時の江戸幕府って、フランスから武器買う金も無くて、それでイギリスから最新鋭の武器買えた薩長軍にボロ負けしたんだぞ。
んな金持ってた訳ねーだろ(失笑 有れば超能力者とやらが既に掘り起こしてるだろ
埋蔵金も超能力者も本物があるならばな >>1
重機使ってさんざん掘り尽くしてたよなwww
あきらめろ。 御用金は本当にあったのか?
運んだルートの文献は正しいのか?
オグリなる人物は本当に埋蔵金移送に関わっていたのか? ゴミンスの連中が事ある毎に「埋蔵金はあるニダ!!」とか言って情弱ジジババを騙してたのをなんとなく思い出したw 自民党本部や連合本部掘ったほうが現実的
同じくらいの金額出てくると思う >>67
「明らかに周りと色が違う土が出てきた」
「おーい!! 作業止めろ!!」
「どーしましたー?」
「なんか出てきたぞ」
↓
CM
ワクワクするね >>1
あの埋蔵金番組、再放送すべきだな
昔のTVは予算も夢もあったなあw >>88
だから無いって。仮に有ったら、もう少し薩長軍と互角に戦えてたわ。 遺跡や遺物が無限に出てくる奈良掘ってたほうがマシだろ >>1
リンク先に出てる有名な埋蔵金専門家の八重野充弘氏はギミアぶれいく放送当時から「場所が違う」と言ってたな
赤城山にあるのは確かだが本当は片品村だと
以下の記事部分も、八重野氏の本でこれまでも触れられてること
↓
「それから十数年がたった2006年のことです。私はHさんの訃報を聞きました。そして、私たち宛てのメッセージがあることを知ったのです。
そのメッセージは『昭和30年代、坑口がまだある頃、私は仲間とふたりで金山跡の坑道に入り、左奥の立て坑の底に徳川埋蔵金の一部と思われる16個の千両箱を見つけました。
そして、金貨の入った千両箱をひとつ回収することに成功したのですが、そのとき、仲間が誤って穴の底に落ちてしまい、どうしても助けることができませんでした。その仲間の供養をお願いしたいのと、残り15個の千両箱を取り出して世の中の役に立ててほしいのです』という衝撃の内容でした。
それで、2009年から金山の坑口を開ける作業を再開しました。多いときは十数名がかりで、土嚢(どのう)や木枠で上から落ちてくる土砂を止め、坑口のある場所まで掘っていきます。そして、ついに坑口が見つかりました。
人がひとりやっと入れるようなスペースを開け、亡くなったHさんの仲間のためにお線香を持って中に入ると、Hさんから聞いたとおりの坑道がありました。
そして、左奥の立て坑をのぞくと中に水がたまっていて、腐った木のようなものも見えました。日を改めて立て坑の水を抜き、底に下りていくと......そこには、仲間の遺骨も千両箱もありませんでした。
Hさんが、こんな手の込んだ嘘をつくはずがありません。結局、私たちの出した結論は、『死んだと思っていた仲間は死んでいなかった。そして、千両箱を運び出し、坑道の別の場所に隠した』というものでした。
『村まで持って帰ったんじゃないか』という意見もありましたが、小さな村なので持って帰れば噂が立ちますし、15個の千両箱をひとりで運べるような帰り道ではありません。ですから、一番可能性があるのは『徳川埋蔵金は、まだ坑道の中に隠されている』です。
実は後になってから坑道内に1ヵ所だけまだ探していない場所が残っていたことに気づいたのです。現在、この金山跡の調査を再開すべく準備中です」 話のネタとしては面白いけど
あるとは誰も思ってないw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています