【芸能】欽ちゃん「テレビが良かった時代にうまくいった」…今はユーチューバー [フォーエバー★]
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欽ちゃん「テレビが良かった時代にうまくいった、素晴らしい人生をありがとうですよ」…今はユーチューバー
6/28(火) 6:03配信
ユーチューブを始めた萩本欽一さん(6月10日、東京都世田谷区で)=高橋美帆撮影
欽ちゃんこと萩本欽一さん(81)がユーチューブで「欽ちゃん、80歳の挑戦!」の配信に取り組んでいる。かつてテレビの冠番組の視聴率の合計から「視聴率100%男」と呼ばれたコメディアンはなぜ、活躍の場をインターネットに見いだしたのだろう。インタビューを申し込むと、喜んで受けてくれた。(文化部 辻本芳孝)
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きっかけはコロナ…「人生哲学として自然には逆らわない」
――昨年2月、名前を冠した名物番組「全日本仮装大賞」で、突然、降板を口にしましたね。
新型コロナの急増中で、出演者とスタッフで200人もいるから感染者が出ると思ったの。「番組が終わるな」と思うくらい恐怖心がある時でした。長いことお世話になったテレビをそのことで終わるってのは、ちょっと悲しいなと思って。それで責任取っとこうと、アドリブでやめることをぶっぱなしちゃった。
――コロナ禍がなかったら続けていましたか?
やってます。番組が嫌だったわけではないですから。「やめる」も「退く」も何か嫌だったので「どく」ことにした。テレビを離れるきっかけは完全にコロナですけど、自分の人生の哲学として、自然には逆らわない。全て運だから。
土屋敏男プロデューサー(左)、勝俣州和(右)と語り合う欽ちゃん(「欽ちゃん、80歳の挑戦!」より)
――なぜユーチューブに?
浅草の軽演劇が私を助け、楽しい思いをさせてくれた。一番最後の仕事って何だろうと考え、動いて、腹を抱えて笑わせる軽演劇で全うしようと思った。第二の坂上二郎さんを見っけて「コント五十何号」にしようってね、それで発車した。でも、コロナで全部中止になっちゃって。
もうやるところもないと家でじっと座っていたら、「大将らしくないね」って、土屋敏男さん(日本テレビ「電波少年」などのプロデューサー)が「クラブハウス(音声SNS)をのぞいたら、また何か考えてやりたくなるんじゃない? 家で『声出して』って言われたら出すだけだから」と言われた。断るのは友達がいがないと思って始めたんだけど、だんだん不満が出てきて、もう一歩前へ進みたいねと。それでユーチューブに移ることにしたんです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a008e1cce67174902d3b3e60e384e4e49e7d082 まあでも数字で時代作って
数字取れなくなって去っていった
わかりやすくはあったのでは?
今の数字も取れないのに人気者なんです!
よりはわかりやすかった YouTubeみたら全く呂律が回っていなくて驚愕した >>194
テレ朝の欽どこはテレ朝系列無い地方でも結構クロスネットされてたな >>201
今のテレビって視聴率とれなくなって算出方法変えてコアガ-
とか言い出しても結局駄目ってこんどは何言い出すんだろなマスゴミは 欽ちゃんの田舎者いじりが揶揄されるが
当時田舎の子供だった自分は番組でいじられてる田舎の素人がうらやましかった
他のキー局の番組は素人でも東京の人ばかり出てくるから 投稿ハガキネタもジャンプ放送局みたいな内容だからな このスレ見るまでYouTubeやってるの知らなかった。
チラッと見てみたがすっごい痩せてて驚いたよ。 >>179
清六さんがR-1グランプリ出たらぶっちぎり優勝だろな
ポンコツ芸人歌下手芸人の始祖 >>34
全盛期はドリフより後だな
重なっていたけど
「ドリフを倒したひょうきん族」史観で無視されることが多いよな
1985年に欽ちゃんが休養宣言して一時代終わった同じ年に
ドリフの全員集合も終わって
あの年に時代に何か一本境界線が引かれたってのはある
翌年からバブル景気スタートだし >>80
1980年代はドリフのこともめちゃくちゃ叩いてたよ >>80
萩本さんは最初汚い芸風だったのにいつの間にか善人みたいな芸風になっちゃったなあどうしたんだろってビートたけしが言ってたな 仮装大賞の人ってイメージしかないな
レス見てる感じヒカキンみたいなポジションの人なんかね
子供ウケ全振りみたいな 爆笑問題の太田は本当は欽ちゃん好きなのにたけしが欽ちゃん攻撃したから自分も嫌いになろうって思ったけど後年たけしが「やっぱり萩本さんなんだよ」とか言い出したからズッコケたらしい 初期の24時間テレビの司会をやったり
チャリティーパーソナリティーの顔するようになったから
当時のたけしからすればツッコミ放題だったんだろう
ガキだよなw でも気持ちはわかる >>199
1982〜3年辺りがピークだろうな。
ゆうつべに1983年のベストテン豪華板が
上がってるが、前年北酒場(欽どこプッシュで大ヒット)で大賞取って、甦らせた細川たかしが矢切の渡しで
2連覇。2位もめだかの兄弟が入って、萩本や見栄晴
がお祝いに駆けつけて、細川たかしも巻き込んで
大団円。わらべはその年、高部知子の致命的なスキャンダルが有ったにも関わらず、萩本のパワーでほぼ
ノーダメージだった。ベストテンの前日には
萩本の冠3番組集めての、「年忘れ欽ちゃんまつり」ってな番組放送してたし、ほぼ萩本の天下だったな >笑わせる時代から楽しませる時代になった
確かにこれを感じる >>80風雲たけし城も欽ちゃんの影響無かったら実現しなかっただろうし。 おっくんとか清六とか今思うと何が面白かったのか理解できん 俺が生涯でいちばん笑ったコントがやまびこ屋
見たことない人は見てほしい >>173
大病すると、心折れるけど
そういうの無い人は、男でも80越えても野心的でいられるんだね >>215
大田は欽ちゃんと共演したことあるのかな
ダチョウのリーダーは欽ちゃんの弟子になろうとしたんでしょ >>224
志村けんも欽ちゃんに弟子入りしようとしてた >>220
オックン、欽ドン卒業後一時期、岩手のテレビ局
でカメラマンやってたんだよな。一度、欽ちゃんが
こっそり会いに行くって企画で、欽ちゃんが仕事場尋ねたら、
欽「アイツ、喋りトロい癖にカメラワークはめちゃくちゃ素早いんだよ(笑)」 >>119
ギバちゃんをブレイクさせたのは欽ちゃん
でもリーダーが好きだったんだけどなあ
サンドイッチマンの冨澤に似てる。 欽ちゃん司会で日曜日の夜にやってて毎週ドリフターズの誰かがゲストで出てた番組のタイトルが思い出せん。 とんねるずダウタウンやウンナンあたりが師匠を持たないお笑い第一世代。
それより一回り下の世代の有吉が巨人師匠に弟子入りして逃げ出して今一番売れてるのは皮肉。
タモリは少し特殊なのでカウントしない。 >>119
アイドル系のコント番組をほのぼのしてるから、と見る人いるだろ、今でも
そんな感じだね、親子で見れる番組だから笑いのハードルは低かった 欽ちゃんは駒沢中退して幻滅したな
なんで放り出したんだろ
駒沢なんて講義受けとけば単位もらえるだろうに >>234
大学は学びに行く場だから
別に卒業資格が欲しいわけでもないし
学ぶだけ学んで満足したら辞めていいだろ ヒカキンも今の子供達にとって数十年後には志村みたいな存在になってそう コント55号も、今だと二郎さんイジメで炎上する内容やなw >>116
おっさんの俺でさえその頃は知らん
俺のイメージは欽ドンや欽どこのお茶の間の人気者のイメージ
二郎さんの「飛びます、飛びます」ってギャグは何故か知ってる >>236
たけし・タモリ・さんまが一気に吹き飛ばした感じだな(´・ω・`) >>234
欽ちゃんの大学に対する憧れって、たけしタモリの台頭以来。「あいつらが(お笑いで)使ってる言葉は俺と違う。大学に行かせろ!」って周囲を困らせたらしい。
時が経って大学に行ってみたら大学も大学生も対した事無いってわかったんじゃないw >>116
二郎さんって誰だよ
ジジイしかいないのかここは >>20
あれを見てた今の芸人は休むのを怖がってるという話
「欽ちゃんですら半年休んだだけで駄目になったんだぞ」 素人いじったり意外な人のお笑い要素を引き出したりってのは
明石家さんまが後継者になってるんだよな
さんま本人は欽ちゃんを踏襲してる自覚ないだろうけど >>239
演芸場における客席いじりはもっと前から普通にあったので特筆すべきことでもない
ロケとかの平場で素人をいじり始めたのは萩本欽一が最初 1970年から映画からテレビがスターへ
視聴者が最も多い土8で高視聴率を稼いだコント55号が一気にスターへ、対抗したドリフターズもスター
お笑いがスターになった年、お笑い第一世代の始まり >>20
欽ちゃんはもともと時代遅れだった
お茶の間の親しみで何とかなってただけで、若者にはしつこくてつまんないから嫌われてた 昔の90年10月ぐらいのEXテレビで視聴率ズラーっと並べたのがあって
とんねるずがみなさんのおかげですが半年休んで復活してウンナンのやるやらが土曜8時で始めた回が
とんねるず22%ウンナン14ぐらいだったな
90年頃だとカトケンも人気あったよな 今更動画サイト?何もかもが遅い
85年に自ら休養した時点で負け下の世代に枠を獲られて終わり >>19
この人の笑いは貧乏でもいいじゃないか的なところがベースなんだけど
日本が豊かになってしまって
欽ちゃんの笑いはケチ臭いというかしみったれた感じになって行ったんだよ
おそらく本人が気付いて身を引いたんだと思う >>75
それをいうなら所ジョージも
初期は出川みたいな抱かれくないタレントにランクインしてたような 半年間の休養時に欽ドンの穴埋め番組として宇崎竜童と所ジョージがやってた「夜はタマタマ男だけ」が好評で、欽ちゃんの復帰で終わるのを惜しまれてた記憶がある。後に所のコーナーだけ独立して「所さんのただものではない」になってたけど。 「ぼかぁ男の人にしゃぶってもらってエクスタシーを感じるまでは生きていたいよね」 マジカル頭脳パワーも最初土曜8時だったよね
カトケンvsウンナンvsマジカルだった
木曜日時代の方が視聴率はいいんだろうけど土曜日時代の方が知的で好きだった >>136
それはすべらない話での、よゐこ濱口の話じゃなかったかな? 素人いじりの元祖になるのかな
気仙沼ちゃんに対する田舎者いじり
小柳みゆきに対するブスいじり
オックンに対する不器用な子いじり
なんかもあった
本人の面白さはよくわからないが芸人以外のタレントの面白さを引き出す能力があった
坂上二郎だってコント55号結成前はパッとせずトラック運転手に転職する寸前だったし
真屋順子や中原理恵や松居直美や生田悦子など真面目そうな女性タレントをブレイクさせるなど プロユーチューバーって金ちゃんの全盛期よりも金稼いでるもんなぁ…
時代は変わったね >>91
とんねるずに憧れてる、タカトシ、ダイノジ、ナイナイ応援してあげてね たしか、テレビの挿し絵で
見たと記憶してるけど
55号は「キツネとタヌキ」なのよ。
狡猾なキツネはどっちかは
言わずもがな。
ただ、誰も意見できない、
お山の「大将」らしく
常に岐路を作って、周りに大声で知らせる、という生き方は
やはり怪物的とは思う。 一時代築いたから立派なレジェンド
でもこいつのとこいた連中みんな
性格悪そうだよな
飼い主に似るのかな >>129
え?
そうか?
なんでそうなるのをつべで初めて見てめっちゃ面白くてびっくりしたけどな
欽ちゃんが写真撮ろうとするのを二郎さんがひたすら邪魔するやつとか、時計屋のやつとか 田舎のヤンキーみたいな奴が欽ちゃんに食ってかかるんだよなw 「ぼかぁアナルを開発されてからが人生のスタートだと思ってる」 多くの人に後に語られる番組や場面を作れただけでも
運もあるとはいえ大したもんよ
今なんて低視聴率だらけで
後にあの番組のあの場面なんて振り返りようもないぞ
そんな番組あった?で終わり >>234
駒沢だろうがどこだろうが文系なら単位取得のハードルなんて皆同じ >>272
二郎さんの時は、まだ対等だっただろ
コント55号はダブルボケの元祖
それを踏襲してるのが何故か
関西吉本の「笑い飯」 欽ちゃんは緊張しいでタレントと共演すると緊張してしまうので自身が緊張しない方法として素人を大量に起用する手法を取った。
だから後年関根や小堺が売れたあとの共演は緊張すると言ってた。 >>271
欽ちゃんのツッコミは叩かないで押すツッコミ
精神的に追い込んだりはするけど、暴力とシモネタは嫌いらしいな 欽ちゃん劇団なんて今のユーチューバーみたいなもんだもんね >>284
リハのイジメは壮絶だったのは有名
まあドリフもリハ厳しかったし、そういう時代なのかもね >>234
文春で連載してる時に事細かに理由書いてたよ
衰えから授業が頭に入ってこなくて単位が取れないと この人目が笑ってないよな怖い。
あと、何が面白いのかわからない。 >>158
大将は別に浅草芸人と括らなくても良い人でしょうよ。それこそ浅草だった東さん辺りとも上手いこと付き合ってたんだし。そもそも東京の城東に長く住んでる人間はそんな狭量じゃねぇよ? >>243
81のジジイの話題で、ジジイしかいないのは当たり前だろ。
何でイキってんの? >>289
この人は芸人になりたかった人ではなくて、父親がカメラ事業に失敗して
一家離散して、芸人にたどり着いた人
たけしもそれでいい感情もってなかったみたいね >>295
ありがとう
今の時代にもアルバイト代わり&就職活動の一貫でテレビ局に入社した元芸人も居るし
生きてく上で見つけたのがそれならさもありなんって話だし
嫌われるほどのことじゃないよう気もするけど
芸に命かけてた人はいい気はしなかったのか >>296
俺も同感
でも決定的に嫌われるような発言があったのかもね >>295
芸人になった経緯なんか人それぞれなのにそんなことでいい感情持たないなんてことあるかよ
あるとしたら浅草に育ててもらったのに浅草を捨てたとかだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています