【音楽】吉田拓郎「リタイアしたい」76歳 日本フォークの旗手、芸能活動年内終了へ 来月フジ特番が最後のテレビ [フォーエバー★]
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年内で芸能活動を終了する意向を表明した吉田拓郎
シンガー・ソングライターの吉田拓郎(76)が年内で芸能活動を終了する意向であることが24日、分かった。来月21日放送のフジテレビ特番「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」を最後にテレビ出演から退くと発表。これ以降はコンサートなどは行わず、レギュラーのラジオ番組は年内で終了する。同特番が拓郎の見納めとなる方向で、本人は「有終の美を飾れそう」と局を通じてコメントしている。
【写真】75年8月、伝説とされる「つま恋コンサート」に出演した吉田拓郎。5万人以上が詰めかけた
活動52年の“終活”だ。フジテレビは24日、拓郎がKinKi Kidsとの共演で人気を博した「LOVE LOVE あいしてる」の特番の放送が決まったことを発表した。拓郎は局を通じ「いろいろなことをリタイアしたいなと考えていまして。そういう意味で言うと、テレビとのお付き合いも『LOVE LOVE~』で最後にしたいな、という決心がずいぶん前からありました」と説明。「とてもすてきな有終の美を飾れそうで、とても幸せ」と心境を吐露した。
拓郎はブログなどで、29日発売のアルバム「ah―面白かった」を最後に第一線を退く意向を示していたが、まだ活動を続けるのではとの期待があった。だが、今回の最後のテレビ出演の発表で、芸能活動終了が一気に現実的になった。
関係者によると、拓郎は今後、コンサートは行わず、音楽祭やイベントなどへの出演もしない。そのため、姿を公の場で見る機会は今回の特番が最後となる。パーソナリティーを務めるニッポン放送「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」も年内で終了する予定。CDなどの音楽作品も「ah…」を最後とする。
関係者は「拓郎さんは周囲に“年内で公の活動からは全て退く”と言っています。将来的にはあくまで本人次第ですが」と明かした。03年に肺がん、14年に喉にがんを患ったが、病気はリタイアの理由ではなく「若い頃のような歌声が出せなくなったことだそうです」(関係者)。
1970年に「よしだたくろう」名義で「イメージの詩(うた)」でデビュー。72年の「結婚しようよ」で当時、若者の反戦・反体制の象徴だった連帯ソングのフォークを大衆音楽へと引き上げた。森進一(74)に提供した「襟裳岬」は74年の日本レコード大賞を受賞した。
75年には井上陽水(73)泉谷しげる(74)小室等(78)とともに、アーティストによる初のレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立。これを機に芸名を現在の「吉田拓郎」とした。同年8月、かぐや姫とともに静岡県掛川市のヤマハつま恋リゾートで開催したオールナイトの「つま恋コンサート」は5万人以上を集め「夏フェスの元祖」として伝説化している。
戦後の音楽史に残る功績を残してきた拓郎。ともに歴史を築いてきた音楽仲間も高齢に差し掛かっている中、その決断は大きな波紋を呼びそうだ。
◇吉田 拓郎(よしだ・たくろう)1946年(昭21)4月5日生まれ、鹿児島県大口市出身の76歳。広島商科大在学中に、ベンチャーズスタイルのバンドでコンテスト優勝。70年、自主制作盤「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」が注目を浴び、同年6月「イメージの詩/マーク2」でプロデビュー。私生活では77年に女優の浅田美代子(66)と結婚したが、84年に離婚。86年に女優の森下愛子(64)と再婚した。
《フォーライフ・レコードを陽水らと設立、長髪切って営業》拓郎はフォーライフ・レコード発足から約2年後の77年6月、初代の小室等(78)に代わって社長に就任。トレードマークの長髪を切り、背広で営業する姿にファンは衝撃を受けた。あれから45年。設立メンバーの井上陽水(73)は40年以上務めた個人事務所の社長を辞任。小室は今もシンガー・ソングライターとして活動中。泉谷しげる(74)は俳優としても活躍している。
6/25(土) 5:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b45034a5d61b84b306f14c92ebdf232aa2551b3e
https://i.imgur.com/m5kP3tI.jpg
https://i.imgur.com/tk7C3mP.jpg >>160
そういえば、みうらじゅんというひらがなネームは「よしだたくろう」を真似たのだった。 >>489
ほう。
当時はひらがなの芸名が多いのかな?他には、かまやつひろしぐらいしか思い浮かばんが。 >>453
ジャニというだけでバカにするのもどうかも思うぞ
LOVELOVE観てたらこの番組で終わらせる気持ち分かる
老若男女が夢中になって観れた番組だから
拓郎とKinKi Kidsの関係性は普通中々築けるものじゃないし、観てる側としても微笑ましかった そろそろラストアルバム発売だっけ?
ビルボードチャートで1位にならないかなー >>453
ジャニとはいえKinKi Kidsはジャニらしくない実力ある美少年だったからな
若くしてドラマで高い数字とれてたし演技も一目置かれてた(特に剛だけど)
この番組はジャニ番組という枠に留まってなくて、深夜なのに国民的音楽番組と言えるほど世代超えて楽しめた奇跡的な番組だったから 本当に引退するんかいな
若い頃はテレビには出ない!(キリッ
と言ってたのに、ある時を境に
テレビ出倒した人だからなぁ むしろ活動してたんだ
なんか病気してから一切表にでてないイメージだった
ツアーやってないのなら
引退といったら華々しい場を整えてくれるからいんじゃね?
それでやりたくなってまたやったとしても誰も文句はいわない
引退するはずだった小室哲哉がなかったかのように活動してるじゃん >>498
おいおいジャニばーさん流石にメクラ過ぎ
白髪とやんわり言ってくれたことに感謝しとけよ
ヅラ白髪みたいとみんな思ってるのにw なんかもう20年もしないうちに芸能人らしい芸能人は居なくなりそうだね >>487
死んだじいちゃんにそっくりだ
若い時は親父に瓜二つだった >>502
その思考がもう古い
芸能人らしい芸能人ってあなたの思い込み >>210
実名で言ってたのか?
ふつうは実名は出さないよな つま恋を群馬県のことだと思ってた
リアル世代だったら間抜けな俺は拓郎見に行くぞーと息巻いて群馬県行きそうだ オールナイト屋外ライブは拓郎以外にもやった人はいるけどオールナイト屋外離島ライブは拓郎だけかな?
篠島って愛知だっけ、三重だっけ? >>26
キンキキッズの老け具合にびびったわ
そうだよなもう40すぎてんだよなー >>510
そっちのつまごいでイスラエル人がやってたラリラリ・レイブ祭りはもうやってないのかねぇ >>26>>515
キンキが若々しくて驚いたわ
もう42〜3歳とかだろ?この年齢だと一般の半数はハゲてるだろ >>26
俺はキンキキッズの変わらなさ具合に驚いた
光一はヅラっぽいし剛は少々太ったけど、他の同年代ジャニなんて目もあてれないほど老けてたしキンキ保ってるなぁ 橋幸夫(79) 80歳で歌手活動引退
加山雄三(85) 年内でコンサート活動引退
吉田拓郎(76) 年内で芸能活動終了
普通の歌手ならこんな年齢まで仕事がない人が多いんだよね。 夢グループが昔の歌手をいっぱい集めてコンサートしてるけどな スターズ★オン23吉田拓郎 BEAT BOYS(アルフィー)
ttps://www.youtube.com/watch?v=GRw9FHnqyGY ギター教室開いて女とやりまくった大学時代、うらやましい 最後のライブがコロナで無くなった
それが悔やまれる 吉田拓郎がキンキキッズと番組やってなかったら存在自体忘れ去られてたかも この人は持ち歌以外にも昭和歌謡全盛期に楽曲提供してけっこうヒットしてるから
ずいぶん前からラオケ印税等で食うにはまったく困ってないんだよな
ライブ続けてないと厳しかった同世代の他の歌手とはかなり状況が違う >>529
この人は自分が唄った曲より
他人に提供した曲の方がヒット曲が多い
稀有な方
森進一 梓みちよ キャンディーズ 石野真子 太田裕美 西城秀樹 近藤真彦
KinKi Kids まあ実質「元気です」がピークであとは下る一方
オンステージともだちの頃は神だった >>353
山田パンダの風の街のレコーディングでバックコーラスの達郎にダメだししたのが拓郎 拓郎は全盛時につま恋とフォーライフ設立して
もう引退してもいいや、みたいなこと言っていた。燃え尽きた感じ
レコード大賞は取るし、歌謡界にも勝って完全制覇。
しかしクリエイターとしては脂がのっていて、その頃から歌謡界に楽曲提供が増えて
結果として本人のヒット曲より他人のヒット曲のほうが多くなってしまう
もしあの全盛時に社長とか作曲業とかじゃなく
自作に力入れてたらもっとすごいのを残したかもしれないし、それはわからない >>453
KinKi Kidsはそこらのアホジャニーズと違って拓郎を慕いバンド活動も頑張っていたと思う
拓郎もKinKi Kidsじゃなかったらあそこまで可愛がっていない »522
あそこは単独でコンサートが出来ないベテラン歌手の集まり
ベテラン歌手で単独でコンサートが出来るんだから幸せなんだよ スパイダースの三人に曲を提供したのは拓郎だけ
・ムッシュ 我がよき友よ
・堺 明日の前に
・井上 風の中
これにあやかったか、ショーケンの曲も作ることになったが
飲み屋で大げんかし曲は拓郎側、詞はショーケン側に残った
結局拓郎の曲に詞を後付けして清水健太郎が歌うことに >>536
年取ると体力続かないから
互助会みたいなもんでOKや
ツアー中に死んで伝説を作りたいのなら
それでもいいが 拓郎のオールナイトニッポンは色々面白いことがあったが
一番覚えてるのは深夜1:30あたりから
曲を流して(拓郎の曲でもない他人のどーでもいい曲)曲が終わるとCM、
CM明けに長いジングルを流し、それが終わるとまた曲が流れ、終わるとまたCM、
これを延々繰り返し2:30くらいにようやく拓郎が出てきて
「どうだ!お前ら寝ただろ!ガーハッハッハ!」って回。
翌週リスナーのハガキで「拓郎さん、さすがにあれはないっス」ってのを読みながらまた爆笑していた >>532
それを自分の番組でボロクソ貶していたのに拓郎と坂崎のANNで和解?したのは
竹内まりやがアマチュア時代拓郎の大ファンだったのと共にkinkiの曲を書いていた&エレックレコード出身で和解した方が得策だと計算したからと推測してみるw 桑田ら世代が集まってチャリティーソングを発表したタイミングで拓郎陽水世代がリタイア表明とか
かつてニューミュージックのお葬式と云われた1985年のイベント「オールトゥギザーナウ」の世代交代再び、だな デビュー50周年とか言ってけど最初の10年くらいでほぼ出しつくして
80年代からもう過去の人扱いだったろ?セーするは置いてい常に存在感出した陽水とは
全く反対の道を歩いた人だったよ中島みゆきが提供した曲とキンキがカヴァーしたのは良かったけど >>542
まあ80年代には音楽誌がいろいろ創刊されたが吉田拓郎をバーンともってくるような音楽誌はなかったからな
あいも変わらず吉田拓郎を表紙にバーンともってくるのは70年代からあった邦楽誌の新譜ジャーナル改めシンプジャーナルぐらいなもんでw 拓郎って実際は凄いミーハーだけど男っぽい泥臭い歌が凄い合うんだよねえ。 75年のつま恋は達郎もコーラスで呼ばれたけど
その件があったんで断固拒否したみたいだな
結局コーラスはハイファイセット。2006年つま恋のコーラスにはBBクイーンズの人がいた
ALL TOGETHER NOWはどうも拓郎が世話になった人への恩返しが発端らしいが
それが一部出演見合わせのミュージシャンがいた理由かもと推測
打ち上げでフミヤがベロベロの拓郎を自宅まで届けたらしい >>548
中島みゆきがオールナイトニッポンの放送で謝罪していたよね 巨泉さんみたいにセミリタイアして
たまに帰ってきて紳助とたけしの番組一周りして…
ってのが一番幸せな感じだね >>544
家に人が遊びに来ると、自分が出演してる映像を延々と見せるんだってね
泉谷があれは辛いとこぼしてた 映画太陽を盗んだ男の、ローリングストーンズ公演の武道館ロケは拓郎の武道館ライブ 巨泉で思い出したが拓郎は巨泉とドラマ共演している
水曜劇場で巨泉主演。拓郎は天地真理の兄役 >>557 全く知らない
そもそも巨泉は俳優業を実は軽蔑してたのでは・・・などと思ってたのでね
嘘だろうとは言わないが、そんなのあったのか! >>484 拓郎はナベプロに取ってもらおうとして実際にアプローチしたのに入れなかったと、悔やみ事を言ってたよ
沢田研二ゲストかでのラジオ音源があって当人がそう言ってるから、まあ本当だろう
その悔やみがあるのか、ジュリー相手に一緒にツアーなどを誘ってたが沢田はつれない感じだったね >>487 素通しメガネ珍しいね
目にコンプレックスあるだろうと、ユーミンにいつも目の前でいじられて、それでもサングラスを絶対外してみせなかった揚水 >>394
サッカーの強豪校だな。少し前に選手権優勝した。
あと為末大 >>492 拓郎は漢字名ではなかったか?後に替えたのか、そっちしか知らないのだが
左翼っぽく当時にひらがな使用は流行ってたとかは聞いたけどね、みなみらんぼうってひらがなか >>564 そうなの?若い頃の顔が似ているのは認める
サッカーつながりでは、小野伸二も結構似ているね、広島じゃないけどね >>559
おはようというタイトルのドラマだった
拓郎が出演シーンの音声をラジオで流したことがあったが
これがとんでもない大根で天地真理に向かって
「マリ~!大きくなったなお前~!」みたいなセリフに思わず笑ってしまった 語尾を引っ張って歌う感じは、ディランの真似だろう
しかしそればかりではないから、確かに日本レベルでは天才かな、黛敏郎が意外にも褒めてたってのも面白いね、なお桑田を貶しまくってた人だったかな >>568
桑田は貶してないだろ
長渕と桑田の件で桑田を庇ったくらいだから >>313
フォーライフの社長になった時に社員達を見て
自分はこの人達とその家族を食わせなきゃいけないんだと気づいたそうだ
おそらくその時にクリエーターの部分は萎んだんだよ >>568
世間では全体像だけで作家としてはそこまで評価高くないみたいだけど
全盛期のを聴くとなかなか凄いんだよ
あの時代でこれ作ったんだと感心する フォーライフは確かに拓郎の創作エネルギーを分散させてしまったわな
やんなきゃ良かったて良く言ってるし 話し持って来た人とは絶縁してかなり長い
アーチスト人生に悔いがあるとすればそこだろーな >>568
桑田と長渕が揉めたとき、拓郎は「桑田君のファンとして言えば、桑田君は謝る必要はなかった」と擁護したよ 今日ニュースで75歳の老人が「エアコンが壊れたのを直してもらって干し柿にならずに済んだ」
とインタビューに答えていたが、まさに「ザ・老人」「おじいちゃん」そのもので
「吉田拓郎って何歳だっけ」と思って調べたら76歳だったw
そりゃもう引退もするわw 拓郎は音楽面以外で語られることはあっても
正統な音楽評論ってあまりない。本当は音楽面が一番すごいのに
特にカリスマミュージシャンほど拓郎評価が高い
ユーミンはかつて「あたしにはこんなシンプルな曲は書けない」と言った
80年代になって拓郎が古くなってくるとさすがにユーミンは
「土着音楽の上で開き直ってる。笑」と叱咤ともとれるコメントをしている >>576
ユーミンのいう拓郎「土着音楽」ってしつこくやってたレゲエの事だと思うけど
あのまま土着で突き進んで欲しかったなあ
愛子だいすきでやっぱりおかしくなった印象 '73LIVEはフォークのみならず、邦ロックの名盤だな >>568は黛敏郎が桑田を貶したと言ってんじゃないかね。題名のないの同じ回でドリカムも貶していたな。
桑田の方は勝手にシンドバッドを歌詞が全くわからないように歌って、
ドリカムは晴れたらいいねを雨にぬれてものリズム歌っていた。 >>576
あの筒美京平が唯一脅威を感じたと称した位だからな コロナで中止になったけど、中島みゆきもラストライブって言ってたからなあ
寂しくなっちゃうね 布袋 還暦
小室 63
どんどん下から突き上げてくる >>569 黛が何故か桑田をいつも徹底的に貶してたって話、ちなみにビートルズは早くから黛は評価してたとこれまた何故か渋谷陽一が黛の話として言ってたね >>573
話し持って来た人って小室等かな?
それならまあ絶縁して当然だわな
9条教反日サヨク界隈のヒトになっちまったから拓郎じゃなくとも引くわw >>521
加山雄三、何気にすげえな
海外だと、ディラン、ポール、ストーンズ辺りはまだ現役だが、それでもあと数年で一線から引くだろうな >>586 声出なくなるとかいうしね、でもイメージだが演歌の人とかかなり高齢までやってそうな・・・・
達郎はボイトレしてないと公言してるがまだ声は出てる、小田も出てるのが凄いかな、やってないといいながら実際は声にいいことはやってそうだけどね まぁ、声が出てた全盛期にはファンを存分に楽しませてくれたんだから >>7
オマエがこの世から消えたら、オマエの家族はすっきりしたと思うんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています