奥田民生、720万のギターを値切って…デビューの経緯など音楽人生を振り返る
2021年11月12日 20:00 J-WAVE NEWS
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奥田民生がJ-WAVEで11月6日(土)、自身の音楽のルーツや弾き語りの魅力について語った。

奥田が登場したのは、J-WAVE発の一大音楽祭「ギタージャンボリー」と連動した番組『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』。毎年、両国国技館にて開催している「ギタージャンボリー」の出演者がマンスリーでナビゲーターを務める番組で、11月は奥田の担当だ。土曜16時からのオンエア。

◆歌うのが好きな子どもだった

奥田は1987年、ユニコーンでメジャーデビュー。バンドは1993年に一度解散し、奥田は1994年に『愛のために』でソロ活動を開始。その後、2009年にユニコーンを再結成して、2015年には自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」を設立した。現在はユニコーンのニューアルバム『ツイス島&シャウ島』を引っ提げてツアー中。11月24日(水)の日本武道館公演がファイナルとなる。

そんな奥田が、まず音楽やギターとの出会いについて語った。

奥田:子どものころから歌うのは好きでした。小学校のころに同じ小学校出身の西城秀樹さんとか、あとはジュリー、沢田研二さんとかがテレビで歌ってるのを観て「かっこいいな」と思ってた感じで。それで10歳ぐらいのときにギターを始めました。まだ同級生でギターを弾いている人もそんなにいなかったので、1人でやってたんです。雑誌の『明星』や『平凡』の付録に、そのとき流行っている曲たちがギターのコード譜つきで載っていて。それを見ながら、知っている曲があったらギターのコードを覚えて歌ったりするのが趣味でした。

親戚の誘いで宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドのライブを観て、奥田は「生演奏はいい、素敵だな」と興味がわいたそうだ。さらに親戚の家に置いてあったギターを使いながらザ・ベンチャーズなどの曲を教わる。その後、10歳でアコースティックギターを買ってもらい、コードを覚えるために知っている曲を片っ端から練習していったという。

奥田:中学生になったら、わりとギターを弾いている人も周りにいたのでバンドをやってみようと。練習スタジオを借りて、どこかに出るというわけじゃないけど練習してみよう、みたいなことを始めるわけです。その辺でアコギじゃなくてエレキギターがいいなと、4万円のストラトのコピーモデルを買いました。バンドでコピーしていたのはKISSとか、できないけどディープ・パープルとかをやってたんじゃなかろうかと思います。エレキギターを持ったぐらいからは、やっぱりエレキギターの音がよく聴こえる音楽を好んで聴くようになりました。Charさんはもういたので、もちろん聴いてました。やっぱりツェッペリンだのパープルだの、そういうちょっとハードロック的なやつを聴きだしましたね。

◆デビューはとんとん拍子「気が付いたら忙しくなってた」

(※中略)

◆メンバーが車を購入しはじめたが、奥田は…

ユニコーン初期は「ハンドマイクじゃないとボーカリストじゃない」という風潮があり、ギターを持たなかった奥田だが、のちに方針が変わり、ギターを購入。そして「もしお金が貯まったらジミー・ペイジが使っていたレスポールがほしい」と目標を持つようになったという。

奥田:それは58年、59年、60年の3年間ぐらいで作られたレスポール・スタンダードっていうやつで、いまでもエレキギター界の最高峰の値段なんです。ユニコーンのみんなが車を買い出したころ、僕はバイクにしてそのレスポールを買おうと。
俺の持っているレスポールが当時、壁にかかっていたときの値札が720万円。その年代のレスポールが何本か店にあったので、ビビりながら弾きくらべをしたら720万のほうが音がよかった。
しかも見た目もそんなにビカビカじゃない、いい感じのやられ方をしていたので「これだな」と。それで値切って450万円でそのギターを買ったんです。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)