渋沢栄一 自伝

維新の鴻業を大成するに与つて力のあつた元勲は、孰れもみな富を求めて立働いたのでは無い。西郷卿にしても、大久保卿にしても、木戸卿にしても、悉く国家の興隆を念として之が為に奔走せられたものだ。
ただ、初め尊王攘夷を目標として起たれたのが、時勢に鑑みて尊王開国に其目標を変改せられたのみである。

私の如き志士の末班を汚すに過ぎなかつた者ですら、国家の利益を思うて国事に奔走したものだ。
維新の鴻業が彼の如く円満に遂行せられ、当時多少の動揺が国内にあつたにしても、昨今の露西亜に見る如き惨状を呈する事も無く、日本が能く今日あるを致したのは、固より国体の良い為でもあるが、維新の事業に当つた人々に私の心無く、改革によつて一身の富貴利達を計らんとせず、一に国家の前途を思ふ念が先に立つたからである。

明治維新の先達になつた元勲に、若し一身を富まさんとする如き私心があつたならば、維新の鴻業も彼の如く容易に遂げ得られなかつたらう。