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“一発屋”という言葉

 そもそも、私がなぜそういうことを大学院にまで行って研究するようになったのか。その根っこみたいなところをお話すると、09年ごろから15年ごろですかね、この5〜6年の時間が本当につらかったんです。

 いろいろな記事で事実ではないことを書き続けられる。反論をする場もない。タレントなら、そんなことを言われても仕方ない。なんなら、芸人だったらそれを面白く返さないと、といったことを言われ続ける。
 一番近い存在である夫に話をしても、きちんと考えてくれているとは思うんですけど「気にしなければいい」という言葉が返ってくる。

 最近は芸能人、タレントであったとしても、言葉の刃を投げかけることに対して「それはひどすぎる」いう声があがるようになってきましたけど、当時はまだその風もほとんど吹いていない。「人前に出る仕事なんだから」というところで終わってしまう時期でもありました。

 それが5〜6年。ひたすら耐えました。 
 …あと、言葉で言いますと“一発屋”という言葉を自分に投げられたことがすごくつらかったんです。
 “一発屋”という言葉は、人によって感じ方は千差万別だとは思うんですが、それを言われた側にとっては、人を傷つける刃物のような言葉だと感じています。

 言葉自体が人を傷つけ、貶める。一つのレッテル貼りでもあると思っていて、その苦しみは貼られた人間しか分からない。

 もちろん、まずは私の努力が足りなかったのだと思います。ただ、一旦このレッテルが貼られると、次の新しいネタをやろうとする時に必要以上にやりにくくなる。可能性をかなり潰してしまっている言葉だとも感じています。

 でも最近は時代も変わりました。なので、私はこの“一発屋”という言葉についても人を傷つける言葉として「私たちはつらいのだ」と、もういい加減に声をあげてもいいのではないかと思っているんです。

 先ほども申し上げたように、ずっとつらくて、つらくてという時間が5〜6年ありました。アップアップになって、ギリギリになっていきました。

 とことん自分が否定される。しかも、事実ではないことで自分の信用を失い続ける。最初は我慢という対処をしてましたけど、どんどん精神的にきつくなっていって。そのうち、自分が自ら死ぬ画が頭に浮かぶようになってきたんです。

 今からの話って初めてするんですけど、結婚してずっと夫とは仲良く暮らしていたんです。でも、これも先ほど申し上げたように、私はとにかくつらい。夫は「気にしなければいい」と言う。そのことでケンカも増えました。

 そんな中で15年だったと思いますけど、私も本当に限界を迎えてしまって。「じゃあ、私が飛び降りればいいんでしょ。そうすれば全て終わるんでしょ」と夫に言ったんです。そういう言葉を初めて口にしました。
 そこで夫から返ってきたのが「あなた、これで死んだら本当に笑いものだよ」という言葉でした。そして、そのまま自分の部屋に入っていったんです。
 瞬間的に発してしまった言葉ながら、どこかに「バカなこと言うな!」と止めてくれるのではという思いもあったのかなと思います。でも、実際には全く違う流れになって、私がそこにポツンと残されている。
 何がどう作用して、何がどうなったのか。それは分からないんですけど、そこでスッと心底思ったんです。
 「なぜ自分が死ななければならないんだろう?」
 そこで目が覚めたというか…。そしてそれまでずっと深く落ち続けていた悲しさが、そこで初めて底を打ったんですね。

 私、思うんですけど、人ってどんな人であったとしても究極的に思うのは「大切にされたい」ということだと思うんです。

 人から馬鹿にされたり、軽く扱われたりすることを心の底から望んでいる人なんか、一人もいないと思うんですね。

 なので、それをこれからもいろいろなカタチにしながら出していけたらなと思いますし、私自身も、また表現することをしたいなとも思っています。
 博士号を取ることに今は没頭していますけど、それが一段落したら、2年ほど前に初めて高座に上がった落語もまた挑戦したいですし。エピソードトークも披露できるようになって、いつか“一発屋”を返上したいですね(笑)。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanishimasao/20210911-00257326