【音楽】作詞家50年・松本隆 アンチの人がなにを言おうと…僕ら「はっぴいえんど」は間違いなく日本の音楽を変えることに成功した ★3 [muffin★]
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抜粋
「はっぴいえんど」がデビューしたのは、1970年、21歳のときでした。気がつけば、僕も70歳を超え、作詞活動も50年を迎えることになりました。振り返れば長い時間ですが、実感としてはすべてが昨日のことのよう。あっという間にここまで来たという感覚です。
デビュー当時、音楽は文化の中心でした。全共闘の若者たちが最後は暴力で自滅しているのを横目で見ながら、「このやり方だとなにも変わらない。体制に利用されるだけ」と思っていました。それでもなにかを変えたいという意志はあった。そして僕が自分でできることとして選んだのが音楽。「はっぴいえんど」は、日本語でロックを歌うという明確な“意志と理由”のあるバンドでした。
いまでは当たり前のように思う人も多いと思いますが、当時はプロの音楽家のなかにもロックには英語しかあわないと考える人も多かった。内田裕也さんなんかがその代表で、デビュー直後くらいに座談会に呼び出されて、けちょんけちょんに批判された。向こうは30過ぎで、すでに実績もある音楽業界のボス。こっちは20歳くらいの若僧ですよ。お前らが音楽雑誌で1位になったのが気に入らないとか言って。「日本語ロック論争」なんて言われていたけど、論争でもなんでもないただの吊し上げ(笑)。ずいぶんと大人げないことをしていたんです。
でも、いまは日本語でロックを歌うのが当たり前になっている。僕らは、「日本の音楽を変える」と予告して、そのとおりのホームランを打った。アンチの人がなにを言おうと、「君たち、僕らの風呂敷の上に乗っているよ」と言いたい。僕ら「はっぴいえんど」は、間違いなく日本の音楽を変えることに成功したんです。
2100曲以上の作詞を手掛け、シングル通算約5000万枚の売上を誇る作詞家・松本隆。太田裕美、松田聖子、薬師丸ひろ子、近藤真彦、寺尾聰、KinKi Kids……ヒットチャート1位に輝いた曲は50曲以上。日本の音楽シーンに数々の金字塔を打ち立ててきたその原点は、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂、そして松本の4人によって結成された伝説のバンド「はっぴいえんど」だ。いまもなお愛される数々の名曲を残すこのバンドは、70年から72年という短い期間で活動を終えるが、散り散りになった4人の才能はのちの日本の音楽シーンに多大な影響を与えた。
解散は、細野さんと大瀧さんが2人で決めちゃった。僕と(鈴木)茂は、その結論を伝えられただけ。2人は音楽家としてライバルで、ぶつかり合うことが多かった。「もうそろそろかな」とは思っていたけど、突然かつ予想外のタイミングで解散と言われた。ところが同時期に妻の妊娠がわかった。そうなると、やっぱり男としては責任をとらなきゃならない。ところが事務所からの給料は半年も遅配でなかなか入ってこない状態。妻から「もう無理」と言われて、生活のために“なりゆき”で作詞家を目指すことになったんです。
全文はソースをご覧ください
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★1が立った日時:2021/04/27(火) 19:28:07.16
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1619578526/ まだ語り足りない事があるのか
前スレも1スレも割りと堂々巡りなんだが 頭脳警察も同じ位に早かったんだけどな>日本語のロック >>1
日本の音楽は一部の上級国民とカスラックのおかげで
世界にわたりあえる所か腐り果ててしまったな。。。
気がつけば口パクお遊戯会と痛コネ歌手だらけ 若いころ、相当いじめられたんだろうな。
PTSD? この人になんか意見言える人がすごいな
何にも言えない まだやるのか?
もう結論出てる
松本の自己評価があまりにもあまりにもあまりにも高すぎて呆れる
はっぴいえんど以降のことだったら威張ってもいいけど 老害になって
晩節を汚してる松本隆なんて
見たくなかったわ 戦後昭和の国内軽音楽は学生運動とかの反社活動が多分に関わってくるから鬱陶しい
あんなもん単なるどでかいお祭り騒ぎで自己満足だし人生賭けて入れ込んでたモノホンの馬鹿共は
最終的には分派枝分かれの末に内ゲバ自爆で仲間殺しちゃったり無意味な立てこもりしただけ
おっとハイジャックの末に亡命した馬鹿とか中東に隠れた馬鹿もいたか まぁ松本隆の作詞は今でも魅力的だけどね
こんな自画自賛しなくても認めてる人は認めてるのにな もうロックというジャンルそのものが
市場的にも新しさという部分でも世界的には20世紀で終わっていて
21世紀のロックはその残り滓だけ
音楽史的な部分以外では語る必要も無いんじゃないかな この自分に都合の悪いことを言う人=アンチって言い方は改めたほうがいいと思う どうにかせんといかんな。
ひでーもんな、今の売れてる歌の歌詞はw 吉田拓郎信者が20レス以上拓郎賛美を繰り返してID真っ赤にするスレの3スレ目か じゅうぶん名声を得てるのに作詞家というのにコンプレックスでもあるのか
そういや昔小説家になるとか宣言して「微熱少年」とかいう小説出してコケてたな 松本隆は本人のルックスと作品にギャップがありすぎる
表舞台に出てこない方がいい >松本隆が語ったラブソングの秘密「応援歌ではガンバレない。恋愛は自問自答」
応援歌ばっかだったもんな。 >>25
それ、はっぴい系ティンパン系全般に言えるんだが 紀州のドンファン
これほどなぜか口に出したくなる優れた語感はない はっぴいえんどにおけるヨッちゃんでありフッくんであり植草にあたるのが松本。
つまり要らない子 >>20
しかし一定数の何でも悪く言うアンチはいるからな
口を開けばパクリパクリとうるさいキチガイ >>30
例えが昭和のジャニーズって60歳ぐらいのジャニオタが叩いてるのかw もういいよ
聴いたことがあるモノだけを語ってくれよ 歌謡曲向けに作った歌詞も大したことない
今見ると古くさい。ホント自己評価高すぎだろコイツw 歌詞として日本語がおかしいところもチラホラ
あ・・・(察<丶`∀´> ミュージックマガジンとかロック系、洋楽系評論家が吉田拓郎を無視し続けたのは
彼があっさり日本語でロックしてしまったことや
いわゆる東京のボンボン系ではなく、東京に敵対心を燃やす広島の田舎者であったこと、
また新譜ジャーナルなどが吉田拓郎専門誌のような時代があったこと、
そして80年代、全ての日本的なものを暗いと言って断罪していった時代背景など
複雑な要因が絡み合っている。しかしひと言で言えば、
吉田拓郎が非常に日本人的であったことが、洋楽崇拝者には都合が悪かったのである 今になって考察すると
ニューミュージックマガジンもロキノンも
音楽を技術やテクノロジーやエンジニアリングを軽視して
不確かな言葉で評論するから
「ロック」という言葉に過剰な意味合いを込めすぎて
70〜90年代に日本におけるロックがガラパゴス化しちゃった
そうしてるうちに21世紀になって
世界ではロックそのものが完全に過去のものになった
世界中YoutubeでワールドワイドにヒットしてるMV見てる時に
日本は結局1億人の市場だけで
未だにこんな老害が日本語ロックが云々とかやってる
バカなのかな
ホントに。。。 >>1
日本の偉大な、作詞家は
あくゆうと
松本隆。 この二人だけ!!
ここに、入ってこようとしてるブタの
詐欺師野郎は、殺されろ!! そりゃはっぴぃえんどだってアンチも沢山いるだろう
特に年上や同年代の後期高齢者とか
ビートルズにだってファンたけでなくアンチも多かったはずだよ 聖子ちゃんの【赤い靴のバレリーナ】を聞いた時は、
子供ながらに余りの凄さに、
愕然としたわ!!
天才以上の詞。
女より女の考えが解る作詞家。 この人は作詞家として成功したんだから十分だと思うんだけどはっぴいえんどの評価が低いのが気に入らないのかね
はっぴいえんどの人気、実績、売り上げからして評価は出てると思うんだけど >>49
アンチじゃなくて、単に歴史的事実として間違っているという指摘だぞ アンチが世間に広まる前に解散というかなんじゃない? >>20
なにを!誹謗中傷するなぁ!叩きは許さない!
こんな反応が目に映る 宝島が取り上げたアメリカ文化は、ポパイによって西海岸ブームへと盛り上がっていく
その少し前からフュージョンやシティポップが徐々に流行りだしていた
日本で最初にLAレコーディングしたのは鈴木茂である
一方ミカバンドはヨーロッパへ行ったが、これは時流を見誤ったかも知れない
細野、山下、鈴木でパシフィックというインストアルバムが出る
大瀧の中ですでに、彼の楽曲「真夏の昼の夢」のような、
パーシーフェイス的バカンスミュージックの構想が膨らみ続けたのは想像できるのだ >>52
自分には他の3人と違ってミュージシャンとしての手柄がないから口で頑張ってる 名前は聴いたことあっても曲は知らない。山下達郎はメンバーじゃないの? 違うバンドだっけ >>44
君はローリングストーンを読んだことがないのか >>60
五輪真弓のほうが早いんじゃないかなLA録音 >>60みたいな歴史の捏造をするから
はっぴいえんど史観wと言われちゃうんじゃないかな >>64
実際はそうなのかも知れないが、あれは五輪の才能を向こうが見つけたんじゃなかったっけ
自らの意志でアルバム作るためにLAへ出向いたのは鈴木だったような気がするが とりあえずこのスレの皆さんは早めの免許返納をお願いしときます 懐かしいな
夏の日の1993は皆でただのスケベな唄だよな、ただのエロソングだ
本当に中身のないスケベソングだねと沢山の人たちでリアルにやりとりしたな
ただのエロ、スケベソングだ
この人「歌詞」こんな事しか考えてないよね
よく読んだら酷いよねと凄いやりとりした曲
松本隆で一番記憶に残ってる まあはっぴいえんどの詞にはロックというには若者感は感じないんだよな
読書好きの若年寄が縁側で空眺めてる感じ 松本隆アンチなんて今まで見たことも聞いた事もないけどな
1993でアンチではないけどただのスケベソングだよねと盛り上がったくらいしか知らん
多分自意識過剰なんだろうな インタビューで「自分は歌詞の直しはしないけど提供したグループがこの曲を一生歌いたいからここの歌詞を直してくれって言われ納得したから歌詞を直した」って言ってたけど誰なんだろうな >>69
別に世界観は自由だろ
「君が好きだ、欲しい」とかばかりがロックじゃないぞ >>69
そうだねえ。なんか枯れてんだよね
最近はシュガーベイブからさらに遡ってシティポップの源流なんて言われてるけど
すげえ違和感 >>43
>こんなのに
価値ないような言い方してるお前みたいな人のことじゃない? そうそう枯れてる
はっぴぃえんどってフォークのイメージだわ
ロックを感じたことはない この人のは大瀧や聖子のボーカルでイラストやデッサン的なイメージが補完されて詞の良さが増してるわけだけど
Tシャツに口紅とか男目線で単なる言葉の羅列でなく内容を伴うやつもいいのがある
黙った君が
黙った俺を叩いた
仔犬が不思議な眼をして
振り向いて見てたよ
朝陽が星を塗りつぶす
俺たちを残して
とか実に響くね個人的には >>66
1972年五輪真弓1stロス録音
1973年五輪真弓2ndロス録音
1974年鈴木茂SF&LA録音
五輪の高校の同級生でデビューから恋人よまで一緒に仕事したこの人だれかな?ロス在住
https://ameblo.jp/loskaranokoe/entry-12068474747.html
キャロルキングもこの高校の同級生の要求だったって書いてる
この人は五輪真弓のデビュー前に少女じゃない方の曲の作詞したとも書いてある
誰? 自分で言うなよ、そういうのは周りが言うから、って感じ >>52
作詞家での成功は、数字の世界で勝負する筒美京平なんかの“大人の流儀”の、よく言えば薫陶を受けた、悪く言えば引きずられてしまった、という意識があるのかもしれない。
本来のプライドは、反時流的なスノッブなところにある人なんだろうと思う。 >>73
そもそもシティポップってもっとおちゃらけたやつを呼んでた軽い言葉だったろ
ジャンルなんてさしてない
曲の軽さを表すような 「日本語ロックはわしが始めた」 そうじゃないから異論がでてるんだろおっさん
それをアンチとはいわんだろ 近田春夫は昔からはっぴいえんどを全否定してる
あんなのはフォークの亜流だと
現に細野はフォークシンガーしてたのが前身
日本語ロックの革命みたいに言われてるのとんでもないと
日本語のロックの最初はスパイダースだと言ってる
スパイダース舐めんなと
かまやつひろし舐めんなと >>84
先輩諸氏の中で一番はっぴいえんどに一番好意的だったのがかまやつひろし
後に解散コンサートのMCもやっている キャロルに影響を受けた人たち
・サザンオールスターズ
・BOΦWY
・ブルーハーツ
・ブランキージェットシティ
・ミッシェルガンエレファント
・エレファントカシマシ
はっぴいえんどに影響を受けた人たち
・サニーデイサービス
はっぴいえんど史観はミュージックマガジンのでっちあげ
はっぴいえんど史観は捏造 グループサウンズは、スパイダースやタイガース等の大手は歌謡曲に取り込まれたが、
モップスとかダイナマイツとか大手以外のは完全なる日本語ロックしてたよ
しかもはっぴいえんどが出てくる以前の60年代終盤に
松任谷由実はモップスの追っかけしてたのは有名 アンチなんていないだろ
爺さん皆、思い出ノスタルジー美化で絶賛だろ
別に叩かれてもいないのにアンチ釣りに行く爺さん
ここが気持ち悪い 松本は昔からこんなこと言ってるから今更感は否めない
当事者が言ってるだけなんだから生暖かく見守ればいい話
メンバーの才能は疑うべくもないんだから、はっぴいえんどではなくはっぴいえんどのメンバーが日本の音楽を変えた部分があるというのが正解かな
まぁ風街ろまんはロックだとは思う 叩かれてもいないのに、
さも叩かれているように言って
爺さん連中の賛美を集めたいという
ここが気持ち悪い さっさとコロナで死なねえかな
この世代
思い出補正語りほんとうぜえわ 自作自演でこのじじいよりずっと前から日本語ロック
すぐに思いつくだけでもブルコメ・スパイダーズ・ワイルドワンズ RCが日本語ロックの始まりと言われてた事もあった
それも一理あって、
清志郎は洋楽的なメロを日本語に乗せるのが実に上手かった
日本語に違和感がないロックをちゃんとやれていた はっぴいえんどって今の60〜70のジジイしか知らんやろ 実は英語で歌う派の方が流行った期間が短いし
勢力も大した事ない 500万年前の思い出話とかクソどーでもいいわ
さっさと死ねよオワコン爺さん 英語で歌ってたのは加山雄三がアルバムとかで
あるいはスピードグルー&シンキ、あるいはブルースクリエイションなど
FTB 誰が書いたか知らないけどMr.サマータイム、異邦人、桃色吐息はアートな歌詞だと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています