【ドラマ】「青天を衝け」渋沢栄一と徳川慶喜がついに遭遇も…まさかの初対面にネットざわついた「えええええ」 [爆笑ゴリラ★]
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3/21(日) 20:45配信
スポニチアネックス
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主演を務める吉沢亮
NHK大河ドラマ「青天を衝け」(日曜後8・00)の第6話「栄一、胸騒ぎ」が21日に放送された。渋沢栄一(吉沢亮)と徳川慶喜(草なぎ剛)の初対面シーンにネット上がざわついた。
栄一が信州、上州の紺屋さんの下へ向かう道中で慶喜と遭遇。栄一が山道で休憩し水を飲んだ後、用を足そうとしたところに慶喜一行が背後に現れた。慶喜の付き人が「おい」と声を掛けると、栄一は驚いた表情を見せた。慌てて用を足すことを止めようとした栄一に向かって慶喜は「構わぬ」と告げる。馬から降りた慶喜は栄一に近づき、隣に並んだ。困惑する栄一に笑顔を向けた慶喜は並んで一緒に用を足した。
この衝撃の出会いにネット上では「怒られるんかと思ったら君もやるんかーい」「なんちゅう初対面」「お殿さまと連れション」「お花摘みで遭遇www」「凄い邂逅シーンw」「えええええ」「ここで運命の出会い」「こんなエモい立ち小便初めて見た」「二人の出会いがあんなシーンとは…意外過ぎですね」といった驚きの声があふれた。
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210321-00000258-spnannex-000-7-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4a90f9b8056bc88b83cd3d9f8793a7863642894 >>4
日テレ時代劇でも慶喜やってたな
風間杜夫小栗が徹底抗戦唱えて
去ろうとする慶喜止めて激怒 慶喜の出るシーンが毎回好きだわ
栄一さんちょっと煩くて苦手w 史実に忠実と思わせておいて創作を入れてくる一番アカンやつや 初回の最初の10分だけ見て見るのやめたけど、冒頭のシーンが渋沢と慶喜のシーン
だったような気がする 渋沢が慶喜のチンコめっちゃ見てたな
めっちゃ見てた 青天を衝けと天国と地獄どっちが視聴率上かうらなったら天が出て青天を衝けか残念だな、でも天国と地獄に決まってるしと思ったら
どっちも天がついていました 斉昭「徳川宗家を背くことはあっても、決して決して天子様に向かって弓を引くようなことはあってはならぬ」
光圀公は偉大 桐野作人@kirinosakujin
ドラマでは美賀君の派手な狂乱の様子が描かれた。理由はおそらくひとつで、慶喜の養母、徳信院(先々代一橋慶寿の廉中)への嫉妬であるのは間違いない。
慶喜と徳信院は非常に親密だったらしい。2人の秘めやかな関係を示す福井藩主松平慶永宛ての宇和島藩主伊達宗城の書状がある。
松平慶永は徳信院の亡夫一橋慶寿の弟だから、徳信院は兄嫁になる。なお、徳信院は宮家の伏見宮貞敬親王の姫、直子である。
伊達宗城書状は「橋公(慶喜)の閨君(美賀君)が先頃、自刃しようとした件で、貴方(慶永)は徳信院と橋公の云々が原因だと思っているようだが、
徳信院のご容姿は美賀君とは天地ほどの差があるから、貴方も御亡兄のために何かとご心痛だろう」。
いやはや、宗城さん、あけすけですね。これ以上はご想像下さい。
ともあれ、文久年間以降、慶喜はほとんど在京するので、美賀君とは別居状態になった。薄倖な生涯だったのだろうか。 天国と地獄みたいに○○と○○みたいな対抗要素が数例
天国と地獄でしょう! お殿様もご自身で立ちションなさったのかなぁ
リメイク版十三人の刺客ではお付きの人が
横から全てお世話して差し上げてた アベガー
あのアベもどうせもう逃げ出したくて仮病で倒れたんだろ >>23
徳川慶喜はサイコパスなのでアレで良い
英仏の尻馬に乗らずに内乱防いだ秀才だが人間としてはクズ
同じクズ同士だから英仏がアジアで内乱煽って
植民地化する黄金パターンを見抜いたんだろうね 大昔の時代劇は自然な台詞回しだったよな。
初期の大河を見てもそう。
いつに頃からか、大袈裟にタメを作る芝居になってった。歌で言うとド演歌みたいな…。歌舞伎役者か舞台俳優の影響? 胸がぐるぐるしている栄一くんは
精通をまだ迎えてないのかな 西郷どんの慶喜は遊び人だったのに今回の慶喜は真面目人間過ぎだろ 話が全然進まない
全6回か12回ぐらいにまとめてほしい とにかくかったるい
幕末ものはいつもこうなんだよな。
俺は徳川の黄昏ドラマは好きだけど、真田丸みたいに本人に関係ないエピソードはバッサリカットして早く進行しろやって思う。
大河あるあるで、いつも後半駆け足になるだよな。
後半こそじっくり描くべきなのに。 草g剛は、日本アカデミーとっただけあって
オーラが増してる
こちらの思い込みもあると思うけど、ナイスキャスティングだと思う 前半は執筆に時間があるのか文献あたって細かな史実も拾う。
後半は時間がないのか脚本家は自分の筆が乗る得意分野で勝手に書く。
業績は人生の後半に集中するのにw 後半は制作費も乏しくなっていくのでナレーションだけで歴史が進む 堤真一って何歳の役なの?おっさんがあんな身の回りの世話とかしてたの? 歴史上において徳川慶喜大嫌い
将軍になるべき人物ではなかった 草gさんは本当にあれ出していて役者魂を見たと
吉沢亮がインタビューで答えていたよ 慶喜って30過ぎぐらいで一線退く人なのになんで断トツ年上の草なぎがキャスティングされたんだろ
吉沢と3歳差設定なんだろ 一橋家召し抱え前に会っているというのは、あまり感心しないな
秀吉と家康の連れションと並列させる意味も皆無だし 辞任してください、とか辞職願とか
すごく今風の言葉に聞こえるけど
何か当時の言葉でいいのなかったの? やっぱり今のところは慶喜パートのほうが引き込まれる
役者は頑張ってると思うけど栄一パートは今のところよく知らない農民たちの話でしかないからな やっぱり今のところは慶喜パートのほうが引き込まれる
役者は頑張ってると思うけど栄一パートは今のところよく知らない農民たちの話でしかないからな 斉昭の出演部分だけまとめてみたらヤベー奴に仕上がりそうだ 秀吉と家康の連れションってのは聞いたことあるけど、慶喜と栄一の連れションってあったのか >>53
草薙の巨根を見たリアルな驚きの演技だったのか >>53
草薙の巨根を見たリアルな驚きの演技だったのか フィクションらしいフィクションじゃん
作り込んだフィクション垂れ流した麒麟がくるよりマシ >>38
ひーさまという黒歴史
あれよく徳川宗家に怒られなかったよな 「こんばんは徳川家康です」が本編だからしゃーない。 あれ何処だったんだろうな。行商中だから信濃か上州か。どっちみち慶喜のいる江戸からは遠いなw お互いにジョロジョロかけ合うぐらいの衝撃が欲しかった 視聴率
青天を衝け5話16.2% 6話15.5% 前回から0.7ポイントダウン
天国と地獄20.1% この大河は史実や実話をたくさん取り入れてやってるけど
この時期の慶喜との遭遇はちょっと無理があるな
慶喜は神奈川方面にはよく出かけたらしいが北武蔵はないだろう 今までタイトルが「栄一、〇〇」だったのに次回は違うんだな 渋沢さん、吉沢亮がスピリチュアル的なものを悪く言っていました。あんなものは無視でよいですか→良いと思う >>75
天国と地獄、話が面白いわけでも無いし
ヒロインの演技は酷いし
何故あんなに数字取ってるのか謎だ >>79
以前は大河がそうだったが視聴率1ケタ出して日9に取られた 慶喜の初恋の相手は……
11歳で一橋家に入り、当主となった慶喜でしたが、一橋家には一人の女性が暮らしていました。先々代の当主・慶壽(よしひさ)の正室だった、直子(つねこ)女王です。
夫の死後、落飾(らくしょく)して徳信院(とくしんいん)と称していました。系図上では、慶喜の義理の祖母にあたります。
しかし夫の慶壽は25歳の若さで疱瘡のため他界し、迎えた養子もわずか2歳で亡くなっていたため、義理の祖母とはいうものの、徳信院はまだ18歳でした。
建前では祖母と孫でも、18歳の徳信院と11歳の慶喜は、姉弟ほどの年齢の開きしかありません。慶喜にすれば、親しく接することのできる相手であったでしょう。
しかも徳信院は京都の宮家の出身でした(父親は伏見宮貞敬親王)。
慶喜は実母・吉子女王が宮家出身であることに幼少から強い誇りを抱いていたといいますから、徳信院に一層親近感を覚えたことが想像できます。
一方の徳信院にとっても、慶喜はかわいい弟のような存在であったでしょう。
慶喜は徳信院の京なまりに母親に通じるなつかしさを感じ、また優雅な立ち居振る舞いに魅了されたはずです。
そんな19歳の慶喜のもとに安政2年、21歳の美賀君は輿入れするのです。
年下の夫が自分を差し置いて、年上の女性と親密であることは、美賀君のプライドをひどく傷つけました。
美賀君は慶喜に何度か、徳信院のもとに通うことへの愚痴を伝えたようですが、慶喜はまったくとりあいません。
美賀君の想像がふくらみ、怒りが増幅されていたある日のこと。美賀君のいる前で、徳信院が楽しげに慶喜に謡を教えたことがありました。
二人の仲を見せつけられた美賀君は、たまらず「その坐(ざ)にて直ちに御声を発し、刑部(ぎょうぶ)卿様(慶喜)をおこづき(小突き)、御立腹あらせられし」と記録されています。
人前で当主である夫を正室が声を上げて小突くなど、常識的にはあり得えないことでしょうが、そんなに取り乱すほど美賀君は逆上し、また精神的に追い詰められていたのでしょう。 「将軍継嗣を一橋慶喜に」という声がささやかれ始めた頃、一橋家中で騒動が起こりました。美賀君の自殺未遂です。
一橋慶喜を次期将軍に推す薩摩(さつま)藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)は、同志である越前藩主・松平慶永(まつだいらよしなが、春嶽〈しゅんがく〉)に、次のような内容の手紙を送っています。
「6月16日に慶喜の簾中(れんちゅう、奥方のこと)美賀子が自害なされようとしたところ、なんとか取り留めることができたということです」
慶喜の正室・美賀君が自殺を図ったことは、衝撃とともに周囲に伝えられました。松平慶永の生母である青松院(せいしょういん)は、美賀君について「御嫉妬ふかき御気性」としたうえで、「(慶喜と徳信院の)御密通などということはあったのでしょうか……。
よもやそんなことはないとは思いますが、しかし(徳信院と美賀君の)御年もあまり違いませんから……」と、慶喜と徳信院の密通の可能性を記しています。
つまり慶喜と徳信院の関係を疑うのは、決して美賀君一人の思い込みではなかったのです。
ちなみに松平慶永は、徳信院の亡き夫・一橋慶壽の弟ですから、徳信院は兄嫁にあたりました。兄嫁と、自分が次期将軍にと推す一橋慶喜とのスキャンダラスな噂を、彼はどう受け止めていたのでしょうか。
なお松平慶永は、同じく次期将軍に一橋慶喜を推す伊予(現、愛媛県)宇和島藩主の伊達宗城(だてむねなり)にもこの一件を伝え、宗城から次のような返書を受け取っています。
「慶喜公の奥方が、先頃自刃なされようとしたことについて、あなた(慶永)は兄嫁(徳信院)と慶喜公との関係より起こったとお考えのようですね。
兄嫁のご容姿は、慶喜公の奥方とは天地ほどの差がありますから、あなたも亡き兄上様のため、何かとご心痛でありましょう」
つまり伊達宗城は、「美賀君よりも徳信院の方がはるかに美しいので、こうした間違いも起きるのでしょう」と、慶喜と徳信院の密通をなかば確信するとともに、美賀君にすれば大変失礼な内容を伝えてきたのでした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています