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2020年10月31日

スージー鈴木の「ちょうど30年前のヒット曲」、今回は岡村靖幸の『あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう』

――忘れられないのは、この89年の夏、NHK-FMで、確か渋谷陽一や萩原健太、今井智子、ピーター・バラカンらが集まる座談会みたいな番組があって、岡村靖幸の名曲『Vegetable』を萩原が紹介し、周囲が「こんなの、プリンスの物まねだ」と批判したのである。そのとき私は、批判には耳を貸さず、その『Vegetable』という曲にノックアウトされ、アルバム『靖幸』を購入し、さらにノックアウト。その傑作アルバムの中の曲として、この曲を知ることとなる。


まず驚いたのは、日本語の歪め方。例えば『Vegetable』の歌い出し=「♪愛犬ルーと散歩すりゃ ストロベリー・パイ」。これが全く聴き取れなかった。日本語ではなく英語、いや英語よりも、もっと粘着的な新言語のように響いたのです。後から冷静に捉えてみれば、この言葉の歪め方は、佐野元春からの流れを汲むことが分かるのですが(ちなみに佐野も岡村靖幸もレコード会社は同じEPICソニー)、『Vegetable』を聴いてすぐの私は、聴いてただただ驚くばかりでした。

次に、歌詞に埋め込まれた爆発的な言語感覚にも大いに驚きました。『靖幸』収録『聖書(バイブル)』の歌詞=「♪Crazy×12−3=me」(この歌詞を「♪くれーずぃ・かけ・じゅーに・むぁーいなす・さーにず・みぃ」と歌う)。一体何なんだ、これは? そもそもこれは歌詞なのか?

『靖幸』の前作『DATE』(88年)収録の『Super Girl』には、もっと強烈な文字列が紛れ込んでいました――「♪Baby I Got 愛が人生のMotion ベン・ジョンソンで証明済み」。
中略

当時の岡村靖幸ファンは、みんな知っていたのです。ハードコアな殻を割った内側にある岡村靖幸の本質が、純粋無垢で少年的な、つまりは「イノセンス」だということを。
「岡村靖幸イノセンス」が炸裂するのが、この『あの娘ぼくがロングシュート〜』であり、この曲のクライマックスに響き渡る、最高最強のパンチラインなのです。

――♪寂しくて悲しくてつらいことばかりならば あきらめてかまわない

バブル最高潮の中で増え始めていた「寂しくて悲しくてつらくても、とにかくがんばろう」ソングの真逆を行くフレーズを、まず宣言します。そして、次に続くフレーズで「岡村靖幸イノセンス」が頂点に達します。

――♪大事なことはそんなんじゃない

「そんなん」は「寂しくて悲しくてつらいこと」で、つまりは大人の世界。90年に社会人1年生となった私にとっては、バブルのど真ん中で、眼前に立ちふさがる面倒くさい強敵のこと。「そんなんじゃな」い「大事なこと」、それこそが純粋無垢な少年であり続ける「イノセンス」じゃないかと、岡村靖幸は高らかに歌ったのです。「岡村靖幸イノセンス」は、私の、そして、バブルの中で所在無げな多くの若者の「イノセンス」をも、堂々と肯定したのです。

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