【野球】斎藤雅樹はとんでもなく凄かった。人のいい気弱な若者が遂げた変身。426試合 180勝 96敗 11S 2.77 ★2 [砂漠のマスカレード★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
その男は万年トレード候補だった。
1986年オフ、パ・リーグで2年連続三冠王に輝いたロッテの主砲・落合博満の巨人移籍が連日報道されていた。
まだ日本球界にFA制度が存在しなかった時代、ストーブリーグの話題と言えば大型トレードネタである。
結局、落合の移籍は12月23日午後10時過ぎに球団から発表され、トレード相手は巨人ではなく新監督・星野仙一の執念の巻き返しで逆転した中日だった。その夜、落合の中日入団会見はテレビ朝日系『ニュースステーション』で緊急生中継。
それをブラウン管の向こう側でかじりつくように見ていた21歳の巨人若手投手の談話が、当時の報知新聞に掲載されている。
「トレード要員として、ボクの名前が出てきたでしょ。ある新聞で『もし行けと言われたら? 』と聞かれて『仕方ないでしょう』と答えたら『移籍OK』みたいに書かれてしまった。あれはマイッタですよ。
両親も『決まったら決まったで仕方ないよ』と変ななぐさめ方をするし……」
まるで合コンでしくじったさえない大学生のようなコメントだが、そんな人のいい気弱な若者が、のちに“平成の大エース”と呼ばれる斎藤雅樹である。
平成前半の斎藤はとんでもなかった。
通算180勝96敗、防御率2.77。個人的にこれまでリアルタイムで見てきた中では歴代ナンバーワン投手だ。145キロ超えの直球とキレキレのカーブを武器にする本格派サイドスロー。
とにかく平成前半の斎藤はとんでもなく凄かった。
なにせ’89年から’96年の8シーズンで、沢村賞3度(史上最多タイ)、最多勝5度(スタルヒンに次いで歴代2位)、最優秀防御率3度、最高勝率3度、最多奪三振1度、3年連続開幕戦完封を記録。
仮に10年遅く生まれていたらメジャー球団の大争奪戦になっていた可能性が高いが、時代の変わり目の日本球界でひたすら勝ち星を積み重ねた。
三本柱は桑田、槙原、水野だった?
そんな平成の大エースも決して順風満帆なキャリアではなかった。’83年にあの甲子園のアイドル荒木大輔の外れ1位指名でプロ入りすると、一時は打撃センスを評価され遊撃手育成プランもあったが、藤田元司監督の助言でサイドスロー転向。
3年目の’85年に12勝を挙げるも、その後は7勝、0勝、6勝と伸び悩み、右ヒジ痛も抱え前述の通りトレード候補に。あだ名は、同姓の欽ちゃんファミリー斎藤清六にちなんで“セイロク”。食うか食われるかのプロの世界において優しさは時に足枷になる。
絶対的エース江川卓が引退した直後の巨人の次世代三本柱と言えば、桑田真澄、槙原寛己、そして水野雄仁。いわば、ファンから見た斎藤の印象は、どこかもどかしさすら感じる、いまいちハングリーさが足りない「同世代の出世レースに乗り遅れた男」だった。
しかし、だ。斎藤の運命は’89年から藤田監督が巨人に帰ってきたことにより大きく変わる。復帰1年目のシーズン、藤田は前年6勝の背番号41を開幕2戦目に先発起用したのだ。
ヤクルトに1点リードされて迎えた7回裏、打順が斎藤に回り誰もが交代と思ったが、ベンチはあえて代打を送らずそのまま打席に立たせた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200427-00843309-number-base
4/27(月) 11:41配信
https://i.pinimg.com/474x/a0/ef/1d/a0ef1d06ab3c37f09ca34f614270d8ba.jpg
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/02/13/jpeg/G20160213012030650_view.jpg
https://www.jiji.com/news/handmade/special/feature/v4/photos/baseballhof/baseballhof-jpp01049602_310.jpg
https://image.news.livedoor.com/newsimage/9/4/9498d_1397_dc135ddd_3bb8c5f4-m.jpg
http://npb.jp/bis/players/81583869.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=j6h2uMW6ZfE
1994 斉藤雅樹 1 開幕戦完封勝利
https://www.youtube.com/watch?v=5I5DS8-SBrA
斎藤雅樹11試合連続完投勝利(1989.7.15 G+)
前スレ 2020/04/28(火) 00:11
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588000274/ 気弱じゃなくてあんま細かい事気にせんよな?
(村田真一談話) 勝率が高かったイメージ
勝率が高かったイメージの投手だと新浦
悪かったイメージの投手なら堀内 200勝してないし言うほど凄くない
球も遅かったし巨人にいたから勝ってたってだけの投手
評価に値しない なんでこんなスレが伸びるんだよ
おまえら何歳だよ
どんだけジジイばっかりなんだよ もうKKとか斎藤雅樹とかから卒業しろよ
明らかにダルビッシュ田中菅野の方が上なんだから 斎藤が先発する試合はとにかく試合時間が短かった
テンポもいいし無駄なボール球もない
9時前には終わってた なぜマサ齋藤押し始まったのか知らんが
2年連続20勝時のスライダーはフレーミングの如く見送った球がストライクになるチートだった 通算防御率の凄さがわからないやつは
アンチかモグリ そういや9時21分まで延長の筈が
8時40分くらいから昔の映像見せられてたな 防御率2点台か
当時の巨人なら2点までは無失点と同じだろ 確かに凄かったけど駄目な時も多かったな
駄目な時は初めから顔に出てた
テレビ中継始まって斉藤の顔みてああ今日は打たれるなって分かった 1997年からほとんど防御率4点台なのに
2.77なんだよ
バケモンだよ 正直、菅野はまだ斎藤のレベルに達していない
達してからメジャーに行くべき 監督が槙原に「完封してこい」っていう必要のある打線じゃなかったら
もうちょっと勝てたかもしれんな 当時.300回ぐらい年間で投げてた気がする
200は当たり前
完投は当たり前
今の選手は過保護すぎる 「村田真一さんよくボール逸らしてたやん?
あれ村田さん下手なんやなくて、
斎藤さんのスライダーが曲がり過ぎやねん」
(古田敦也談話) 斎藤・槙原・桑田vs北別府・大野・川口の三連戦とかホントワクワクしたよな 槇原と今の菅野が同じくらいのレベル
桑田はマエケンをレベルアップさせた感じ
斎藤はマーやダルビッシュ以上だったな
馬力が全然違う >>23
おじいちゃんまだそんな次元の話してんの?もう2020年よ? >>7
まさにこれ
というか、先発斎藤って聞いたら勝ったと思った 斎藤はいい時と悪い時で顔が全然違うんだよな
テレビつけて斎藤の顔見た瞬間に、完璧に抑えてるか、打ち込まれてるか瞬時にわかる 斎藤はすごかったよ藤田巨人も強かった
でも1番つまらなかった時代かな
近鉄最高だった 斎藤の時代、セ・リーグには左の好打者が少な過ぎ。
これに尽きる じつは藤田巨人は集客弱かった
原巨人はもっと酷いが >>6
本物の野球ファンにとって「斎藤」といえば
ユウキじゃなくマサキの方だからなぁ 連投が利かないのと広島戦だけは全然ダメだった印象あるな 「どう凄かったんだ?」と聞かれても上手く説明出来ない
キン肉マンに近い存在 斎藤の時だけ外角広くてスライダーが尽くストライクになってたよな
今思うとあれがジャンパイアか 18勝9敗ペースで10年やぞ
平成時代でこれは化け物 生涯K/BB
2.922945205479452 当時カープファンでしたので
コイツ大嫌いでしたけど実力は認めます
声が物凄く気持ち悪いんです 斎藤→平成の大エース
槇原→ミスターパーフェクト
桑田は? 広島の川口が格好良かったけど
コイツは声が気持ち悪いし、顔が気に食わないので大嫌いでした。
なにより桑田より活躍するのがまた気に食わないんですよね
甲子園で活躍した事ないくせにプロで活躍されると困る サイドスローってのがまたセコイんですよね
それも山田久と違ってダイナミックさがないサイドスロー
それだけで本格派あつかいされなかった記憶があります >>46
過去形にしているってことは
各球団のファンやめた人も
多いんだろうな サイドスローだから、ネタとして真似されることはあるけど、子供にはフォームがカッコよかった桑田が一番人気あったよね? このピーク時期に巨人自体が強かったからな。
それで20勝できただけ
ロッテだったら半分以下になるww ノミの心臓が180勝までだもんな
平成になってからの180勝は昔の200勝に匹敵するよね もうあの頃から20年にもなるんだなあ…
お前らも歳取るわけだ、ハゲたし そもそも水野なんて最初から最後までエース柱なんてなってないだろ。
期待だけされて答えられてない。
あの巨人に居てあの通算成績は凡人 平成初頭の大エース斎藤と平成末期の珍コーチ斎藤は別人 王監督時代に我慢して使われてたけど、伸び悩んでいて気弱な感じそのものだったな。
監督やコーチが変わると、こうも化けるもんかと思ったよ。 >>27
桑田がマエケン以上はないわ
良い年は良いけどダメな年は防御率4点台とかも多いのに
斎藤はすごかったけどダルマー以上はないわ
ダルなんてメジャー行く前は防御率1点台連発やぞ >>51
昔は娯楽が無かったんですよ
だから広島の選手の打率や防御率計算してノートにつけてた
今は野球とか一秒も見ませんけどね 先発ピッチャーで生涯防御率で3を大きくきるなんて、ちょっと考えられない >>63
ワイもネットやってからは
阪神観ないようになったわ
今岡までは
関西人なら
顔と名前が一致する
人気球団やったけどね、阪神 誰か覚えてないけど、とある外人打者を100%三振してたイメージがある パリッシュだっけか コイツのスター性がなかったし成績の割にマスコミも取り上げなかったのは
世の中が桑田の方に頑張って欲しかったからでしょう 落合の評価
斎藤「絶対的なエース」
桑田「どこに行ってもエースになれる存在。巨人で俺と同じくらいプロ意識が高かったのは桑田だけ」
槙原「セリーグに来て初めて対戦した時こいつの球は打てないと思った」 >>56
フォークを覚えたか何かで、数試合くらい、いいピッチングをした記憶はある サイドといえば鹿取や小林や角てイメージだったけど、今やサイドといえば平成の大エース斎藤になっちゃった >>6
>なんでこんなスレが伸びるんだよ
>おまえら何歳だよ
>どんだけジジイばっかりなんだよ
おまえもおっさんだろ
若者ぶるな 虎ファンだけど、マジで全盛期は斎藤先発ってだけて9割諦めてた スーパー嫁さんが魚料理で旦那の体質改善して大投手にしたんだよな。
マー君も似たようなもんでアホキャラ里田は実は賢かった 外角に落ちるスライダー
毎回同じ軌道なのにみんな空振りするんだよな >>69
パリッシュやフィルダーとか右の外国人は皆苦手にしてたな。
インコースに投げて外のスライダーで面白い様にクルクル。 北別府、大野、川口、中富、津田
最高でしょうコレ
NBAでいうたらジョーダン、ピッペン、パクソン、BJ、ビルカートライトくらいのメンツですよ たしかに化けたという意味ではイチローに匹敵するぐらい凄かった ダルとかマーと比べる奴がちらほらいるけど時代が全然違うんだから意味ないだろ
ダルマーが斎藤の時代だったら斎藤以上に活躍できたかわからんし逆も同じだ 中4、5日で完投しまくる
なのに8、9回になるとギアが上がる >>75
水野は確か大洋戦で5回まで12奪三振とかの神ピッチングの試合があった
その試合だけ神だった 香田と一緒 香田は日本シリーズのあの試合だけで
一生食っていけるからな >>81
高校時代の女子マネ妻か
息子さんが弁護士になったという噂だけど本当なのかな 初代斎藤は優等生って感じ
2代目斎藤は王子って感じ 20勝投手は2013年の田中が最後なんだな
斉藤みたいに2年連続で20勝はもう出ないだろう >>69
パリッシュやね
もう顔も見たくないと言ってたはず >>70
本人が目立ちたくないからだよ
人前に出るのが大嫌いな人見知り激しい子供なのを心配した親が無理矢理リトルリーグに入れたくらいだから
後、マスコミは桑田を応援するどころか叩きまくりだっただろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています