【野球】斎藤雅樹はとんでもなく凄かった。人のいい気弱な若者が遂げた変身。426試合 180勝 96敗 11S 2.77 [砂漠のマスカレード★]
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
その男は万年トレード候補だった。
1986年オフ、パ・リーグで2年連続三冠王に輝いたロッテの主砲・落合博満の巨人移籍が連日報道されていた。
まだ日本球界にFA制度が存在しなかった時代、ストーブリーグの話題と言えば大型トレードネタである。
結局、落合の移籍は12月23日午後10時過ぎに球団から発表され、トレード相手は巨人ではなく新監督・星野仙一の執念の巻き返しで逆転した中日だった。その夜、落合の中日入団会見はテレビ朝日系『ニュースステーション』で緊急生中継。
それをブラウン管の向こう側でかじりつくように見ていた21歳の巨人若手投手の談話が、当時の報知新聞に掲載されている。
「トレード要員として、ボクの名前が出てきたでしょ。ある新聞で『もし行けと言われたら? 』と聞かれて『仕方ないでしょう』と答えたら『移籍OK』みたいに書かれてしまった。あれはマイッタですよ。
両親も『決まったら決まったで仕方ないよ』と変ななぐさめ方をするし……」
まるで合コンでしくじったさえない大学生のようなコメントだが、そんな人のいい気弱な若者が、のちに“平成の大エース”と呼ばれる斎藤雅樹である。
平成前半の斎藤はとんでもなかった。
通算180勝96敗、防御率2.77。個人的にこれまでリアルタイムで見てきた中では歴代ナンバーワン投手だ。145キロ超えの直球とキレキレのカーブを武器にする本格派サイドスロー。
とにかく平成前半の斎藤はとんでもなく凄かった。
なにせ’89年から’96年の8シーズンで、沢村賞3度(史上最多タイ)、最多勝5度(スタルヒンに次いで歴代2位)、最優秀防御率3度、最高勝率3度、最多奪三振1度、3年連続開幕戦完封を記録。
仮に10年遅く生まれていたらメジャー球団の大争奪戦になっていた可能性が高いが、時代の変わり目の日本球界でひたすら勝ち星を積み重ねた。
三本柱は桑田、槙原、水野だった?
そんな平成の大エースも決して順風満帆なキャリアではなかった。’83年にあの甲子園のアイドル荒木大輔の外れ1位指名でプロ入りすると、一時は打撃センスを評価され遊撃手育成プランもあったが、藤田元司監督の助言でサイドスロー転向。
3年目の’85年に12勝を挙げるも、その後は7勝、0勝、6勝と伸び悩み、右ヒジ痛も抱え前述の通りトレード候補に。あだ名は、同姓の欽ちゃんファミリー斎藤清六にちなんで“セイロク”。食うか食われるかのプロの世界において優しさは時に足枷になる。
絶対的エース江川卓が引退した直後の巨人の次世代三本柱と言えば、桑田真澄、槙原寛己、そして水野雄仁。いわば、ファンから見た斎藤の印象は、どこかもどかしさすら感じる、いまいちハングリーさが足りない「同世代の出世レースに乗り遅れた男」だった。
しかし、だ。斎藤の運命は’89年から藤田監督が巨人に帰ってきたことにより大きく変わる。復帰1年目のシーズン、藤田は前年6勝の背番号41を開幕2戦目に先発起用したのだ。
ヤクルトに1点リードされて迎えた7回裏、打順が斎藤に回り誰もが交代と思ったが、ベンチはあえて代打を送らずそのまま打席に立たせた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200427-00843309-number-base
4/27(月) 11:41配信
https://i.pinimg.com/474x/a0/ef/1d/a0ef1d06ab3c37f09ca34f614270d8ba.jpg
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/02/13/jpeg/G20160213012030650_view.jpg
https://www.jiji.com/news/handmade/special/feature/v4/photos/baseballhof/baseballhof-jpp01049602_310.jpg
https://image.news.livedoor.com/newsimage/9/4/9498d_1397_dc135ddd_3bb8c5f4-m.jpg
http://npb.jp/bis/players/81583869.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=j6h2uMW6ZfE
1994 斉藤雅樹 1 開幕戦完封勝利
https://www.youtube.com/watch?v=5I5DS8-SBrA
斎藤雅樹11試合連続完投勝利(1989.7.15 G+) 11連続完投勝利の始まりの日。
さらに5月10日の大洋戦、その3日前の広島戦で1回3失点KOを食らっていた斎藤を中2日で先発マウンドへ。序盤は味方打線の援護にも恵まれ快調に飛ばしたが、8回に大洋打線に掴まると5-4と1点差まで迫られ、弱気の虫がうずく。マウンド上のセイロクはそれとなく交代を促す仕草を見せるも、藤田監督は続投を決断。
中日からトレード移籍してきた捕手・中尾孝義の強気のリードにも引っ張られ、満塁のピンチを併殺打でしのぐと、最終回も投げきり152球の完投勝利を挙げた。このギリギリの白星から、プロ野球記録の11連続完投勝利の偉業が始まったわけだ。
斎藤はマウンドで楽しそうだった。
何の仕事でも、信頼ができるボスとの出会いは人生を変える。指揮官が我慢に我慢を重ねて、やがて自信をつけ先発投手として開花していく当時24歳のサイド右腕。11連続完投中の内容を確認すると、11戦で総失点はわずかに12。途中3連続完封を挟み、7月15日ヤクルト戦の新記録達成試合も3安打完封勝利で飾っている。
この頃の斎藤はマウンド上でとにかく楽しそうだった。なにせ’89年は年間245回で21完投、’90年は224回で19完投、2シーズンで計40完投(13完封)と徐々に分業制が確立してきていた平成球界において、昭和のエースのような圧倒的な投げっぷりだ。なお平成30年間で、2年連続20勝を達成したのは、’89年と’90年の斎藤雅樹ただひとりである。
ちなみに背番号11に代わり、MVPに輝いた’90年は打撃も好調で、74打数18安打で打率.243という野手顔負けの数字を残している。もちろんフィールディングも球界屈指で、’90年代のゴールデングラブ賞投手部門は斎藤が4度受賞、桑田は5度とセ・リーグは事実上この野球センスの塊の2人の争いだった。
エースは「そんなもの斎藤に決まっているだろう」。
昭和のV9時代にエースナンバーの18番を背負った堀内恒夫は、雑誌『読む野球』(主婦の友社)のインタビューでこんな言葉を残している。「今まで見た中で、本物のダイヤモンドは江川と桑田で、原石だったのは斎藤。オーバースローでダメだったものが横投げにして一気に輝いた」と。つまり、藤田采配が我慢強く原石を磨き上げたわけだ。
巨人が日本一に輝いた89年、24歳・斎藤が20勝、21歳・桑田が17勝、26歳・槙原が12勝。しかも全員高卒ドラフト1位入団という理想的な先発ローテである。いったい誰があの時代の巨人のエースだったのか? ホリさんはこう断言する。
「三本柱の中で、誰がエースか? そんなもの斎藤に決まっているだろう」 目立たない若手がわずか数カ月で。
あれから30年が経った現在も平成初期の斎藤雅樹の活躍が、なぜこれほど印象に残っているかと言えば、圧倒的な数字に加え、そのストーリーにプロ野球というエンターテインメントの魅力が詰まっていたからだ。
伸び悩む“セイロク”が腕一本でチャンスを掴み、大人の世界において猛スピードで“平成の大エース”へと成り上がっていく様は、どんな映画よりもリアルでドラマチックだった。
何者でもない目立たないイチ若手選手が、わずか数カ月で人生を変え、球史に名を残す。2020年もそんな予測不能でスリリングなプロ野球を見るのが楽しみだ。開幕を待ちながらページをめくる、この手元の選手名鑑のどこかに、あの頃の斎藤雅樹のような未来の“令和の大エース”がいるはずだから。 思ったよりも活躍した年数が短いんだよな
怪我でも苦しんだし 小早川に3連弾浴びた魂抜けた表情を強烈に覚えている >>11
何年だったか忘れたけど開幕戦の出来事だっけ? 斎藤は守備もヤバかった
10.8のときのバント処理を捌いたときのプレーよ
野球センスというか身体能力が集約されてた 先発の柱:水野→斎藤
左の先発:松原→宮本
遊撃手:岡崎、鴻野、勝呂→川相
俊足枠:栄村→緒方
巨人時代の王監督って本当に節穴だったな 投げれば完投完封のイメージがあるな
球は遅いし見ててつまらない投手だっけど 例えショートでのプロ野球人生を選んでても成功してただろう
それだけの逸材だった 96年は働き過ぎたよ
プロ通算150勝がかかった試合で延長12回まで150球で完投したり この人のwiki見たけど
>「お前は気が弱いんじゃない、気が優しいんだ」と当時の藤田監督から言われた
のエピソードいいな。まさに俺たちじゃん。世間は俺たちを気弱のバカっていうけど、気が優しいだけなんだよなw >>15
そう、1997年4月4日(金)の開幕戦
>>19
ゆうちゃん乙 アンチ巨人だが先発が斉藤だとTV見なかったわ。負け確定だし。 勝ちを意識しだすと打ち込まれ始めて、それまでの好投を台無しにする悪いクセというか弱いところがあった
王は火だるまになる前に交代させたが、藤田は勝ちを落とす覚悟で続投させ、それを数試合続けたら克服し覚醒した
でもノーヒットノーランのかかった試合でまたやらかして、結局落合に逆転サヨナラホームランを食らって負けた 高校時代で既に埼玉から東京に届くくらいの球を放ってた 斎藤っていつから上手投げからサイドに変えたの?
上の映像見てみたいんだが 通算180勝のうち、ど暗黒時代真っ只中の阪神から何勝稼いだのだろうか?
当時の阪神対巨人戦で斎藤先発なら、完封されて8時過ぎには試合が終わってた印象 >>21
145以上あって浮き上がってくるのに遅いはないな
まさにイメージ >>9
高校の時や大学2年までならドラ1競合確実レベル 当時の巨人と広島の三本柱対決をテレビでリアルタイムで見れたオッサン世代は幸せ ヤクルトに移籍した小早川から開幕戦で3打席連続ホームランやったな >>21
表示以上に速くみえたがな
本当に試合見てた? 11試合連続完投勝利が途切れた阪神戦はリアルタイムで見てた。
大野にホームラン打たれてたっけ。 斉藤がエースっていつも言われてたから
エース番号は11番だと勘違いしてたな 2年連続20勝は斎藤雅を最後に出てないんだよな
槇原の完全試合と同じくらい難易度高いな 斎藤の話なんか合ったっけ?
ロッテが欲しがったのが篠塚で巨人がさすがに出せないと断って消えたんだよな
それでどうするかって時に星野が聞きつけて話をしたらロッテは牛島を欲しがって、星野が説得したんだよな
結局、4-1のトレード
ロッテ落合⇔中日牛島+上川+ジャンピングニー平沼+桑田
誰でも出すって言ってるんだから小松貰えよと当時思った >>51
オールスターと日米野球もだめだったような ストライクで真っ向勝負できるのは魅力だった。アンチ巨人の俺だけど、斉藤のサインボールは買った。 96年は松井がMVPだったけど、斎藤でも良いのでは?
って声は実際にあった
投手は沢村賞あるから良いじゃん的なノリがあって受賞出来なかったけど >>1
暗黒時代の阪神戦を除いたら大した成績を残していない定期 サイドスローだから余計印象に残らない
オーバーからの速球派ならもっと人気でた >>21
あの時代に先発サイドで140後半で遅いわけない。 どこかの外国人は「斎藤のいないパ・リーグに行きたい・・・」って言ってたらしいね。
斎藤雅樹のすごさは豪速球でも三振でもなく
当てられても飛ばなかったことなんだよ
ほとんど詰まってた打球だった YouTubeに練習試合で早実の荒木と投げあってる動画があがってる
貴重な斎藤のオーバースロー 80年代後半は巨人ファンだったけど
斉藤が完全にエース
斉藤先発だと安心して観られたな
桑田や槙原じゃこの安心感はなかった 落合が、中日時代は外から見てて桑田がエースだと思ってたが
巨人に入ると斎藤が本当のエースだった事に気付いたエピソードあるよな
味方からの信頼感は三本柱で圧倒的だったんだろうな
勝率も異常だしここぞで崩れない なんとかって外国人があのカーブに手も足も出なくて空振りしまくってたな
キャッチャーが捕る位置はかなり外れたボールだけどストライクに見えるって 無敵状態の時期があった
見てるだけでも打てる気しない球だった 斉藤先発だと巨人が全部勝ってたような記憶しかないわw 小さい時の記憶だけど凄いピッチャーだなぁって思ってみてた気がする まさに全盛期は無双状態。
それでも斎藤氏が「とにかくミートが上手くて、どこに投げても打たれた印象しかないんですよね。
絶対に対戦したくないというか、本当に当時は顔を見るのも嫌だったかな(笑)」と苦手にしていたバッターがいた。
名前を聞けばなるほどとも思え、一方でちょっと意外にも思える選手──。
その選手とは、中日の立浪和義。
当時、セ・リーグで覇権争いを繰り広げていたライバルチームの主軸打者であり、2000安打も達成したその打撃センスは
もはや説明の必要はないだろう。そこで実際にどれだけ打たれていたのかを調べてみると、
2人の対戦成績は打率.308、6本塁打、20打点。
斎藤氏の話しぶりから4割、5割近く打ち込まれていたのかと思いきや、実際はそこまでではなかったというのが真相だった。 >>66
落合ってやっぱり見る目無いんだなw素人目でも斎藤雅樹が圧倒的エースだったのに ゴールデングラブ賞
桑田 87、88、91、93、94、97、98
斎藤 90、92、95、96 >>56
いやいや圧倒的に松井だった
あのメイクドラマのシーズンだぞ
夏場に松井が大爆発して大逆転の優勝
松井以外になんて声ほとんどなかった 槙原の全盛期のほうが凄かったな
王最後の年と藤田の最初の年の1年間ぐらいだったが 松井秀喜よりケツがでかいのなんて斉藤雅樹以外いない 小早川の三連発のあと、一時復活しかけたけど、岩村に逆転満塁弾くらって引導を渡されたイメージ 152球の完投勝利じゃねーよ馬鹿
歩かせまくりだけどノーノーだから以外
正当化できん球数だし 斎藤は日本シリーズがいまいち
西武にレイプされたシリーズ 勝率が凄いな
あと20かぁ〜巨人で終わる方が
メリット高いと計算したんだろうな 広島に斎藤のフォーム丸パクリの投手出現してたな
あのフォームはマネしたくなる
何で今こういうサイドいないんだろ >>87
サイドであの球速出していくのは相当な馬力が必要 勝率と防御率を見るとペドロマルティネスのような感じだな 現代の投手に比べたら奪三振率が随分低いな
まぁ昔はそういう時代か >>56
あの年の松井の覚醒は球界の待望だったから仕方ない。実は96年も前半は過去2年とあまり変わらない感じで、前年にイチローが三冠取りそうなくらいホームラン打ったから、
打率だけじゃなくてホームランまでイチローに負けるとか松井って実は大したことないんじゃね?的な空気になりつつあった。そこからの後半覚醒。
チームも松井の爆発とともに逆転優勝だったから、MVPは松井で良かったのよ 斎藤雅
通算180勝96敗11S 防御率2.77
対ヤク 50勝21敗2S 防御率2.62
対阪神 40勝15敗2S 防御率2.39
対横浜 38勝23敗2S 防慮率2.89
対中日 34勝22敗3S 防御率3.03
対広島 18勝15敗2S 防御率3.12
雑魚専じゃねえか >>84
180勝うち完封が40あるからな
完封率2割超えてる投手は80年以降じゃいないんしゃないか 野茂だ桑田だが目立っているけど
90年代最強の投手は間違いなく斎藤だろ オールスターで145km以上の
まっすぐばっかり投げてたら
結構打たれてたのが印象的 >>93
松井がダメと言いたいのではなく、
96年の斎藤の成績も素晴らしかったということ
スポーツ新聞では斎藤を推す声もあったんだよね >>88
サイドの方が球速自体は出やすいらしいぞ
肩の位置より下くらいまで下がってるとどうかはわからんが ノムさんや古田がサイドの145キロは
オーバスローの155相当の勝ちなんだと力説してた 奥さんとの馴れ初めが純情でドラマチックすぎた記憶があるが思い出せない 左打者が斎藤の外角のカーブを空振り
したらそこからググッと曲がって打者の足に当たったとかいう嘘みたいな本当の話 >>102
今では全然珍しくないし平均だと140くらいだろ
球速なんてあてにならんわ、工藤も130キロ台多かったし 阪神ファンだが、先発の名前聞いた瞬間負けを覚悟だったな >>75
あのジジイはダルビッシュ村本古市らと同じで逆張りしてる自分に酔ってるだけだからw >>102
ノムさんが斎藤のときは2点以上取られると負けとよく言ってたな >>96
野茂は日米通算で201勝してるからなあ。
斎藤は日本で180勝だから流石に野茂じゃね 今まで巨人で先発投手の名前見ただけで
勝敗確定、試合見る気もしなかったのは
斎藤連続完投と上原20勝の時だけだな >>108
今のとは測定器そのものが違う
昔のはただのスピードガン今のはトラックマン
トラックマンのほうが測定ポイントは投げる瞬間のポイントで完全なる初速でかつ正確
昔のは初速とといっても投げ太瞬間じゃなく数m先でのスピードガン計測なので遅く表示されてる アンチ巨人というていで見てたけど
こいつはやばすぎた
斎藤槙原桑田ってよー言ってたけど
斎藤ぶっちぎりのイメージ
あと石毛は可哀想だった >>61
四球が少ないからコントロールがすごいと思われてたが違うんだよな
甘いコース投げても飛ばねえんだよ前に >>98
もちろん斎藤は良かったけど、あの年はガルベスも活躍したからね。斎藤が1人大車輪って訳じゃなかったのもある 江川全盛期の150キロの玉を
NHKと大学の学者で映像分析で正確なスピード測定を分析したら
164キロとのこと シンカーって自称してんのが握りも変化もどう見てもフォークなのがちょっと好き
ベイの山崎の自称ツーシームみたいなもんだな >>113
メジャーは土俵が違うからなぁ
国内では勝ち数 防御率 勝率
投手にとって大事な成績はことごとく上の斎藤を押したいね >>1
広島ファンだったけど
コイツが出てきたときは死ぬほど熱かったわ
川口大野時代だもんなあ
盛り上がった 斎藤の方が成績良いのに何となく桑田がエースっぽいイメージだったのは何故なんだろうな。
サイドスローとオーバースローの差と桑田は甲子園のスターだからかな。
まあ三本柱の中で槇原は異論なく3番手だった 当時の阪神ファンは先発が斎藤と発表された時点で見るのをやめてたらしいからな コロナに救われた唯一のアスリート
来期契約更新確実 3本柱とか反則だわ。長嶋が監督で丁度いいハンデだった時代 >>128
ストレートは槇原が1番良い球投げてたと思ってた
なぜか勝てなかったw あともちろん大投手だけど時代に恵まれたのもある。90年代前半のセリーグは左の強打者が少なかったから >>125
巨人ファンは斎藤推し多そうね。俺はパリーグファンだったし野茂に熱狂したから 藤田の標的にされなくて良かったな、藤田政権がもう少し続いてたら89年の槙原みたいにエースはどんどん投げさせて潰せみたいな起用をされてただろうし >>128
記録に残る男斎藤
記憶に残る男槙原
その間をとった桑田って感じだったわな >>21
サイドスローで145ぞ?
上から投げたら150は超える 180勝96敗って素人目からするとまあまあ負けてるよね
勝率6割で伝説の投手になれるんなら野球なんてちょろいな 過去の話
今は一軍でボッコボコにされて二軍で生きる雑魚 晩年、槇原にクローザーやらせるくらいなら斎藤にやらせるべきだと思ってた でも考えてみりゃ裏ローテが宮本香田とかだったから戦力的にはかなり劣るなw
セリーグでそうぶっちぎりの戦力というワケでもないか 桑田はフォームがカッコ良すぎるんだよな。これぞエース!ってフォームで投げるんだわ。
斎藤の方が成績は凄いし安定してるんだけどね。安定し過ぎてて逆に過小評価されてた気もする 斎藤が投げる試合は斎藤がねじ伏せて終わりってイメージが強いのは全部完投するからだよな
100完投超えってなんだよw >>147
斎藤はむしろ見切りを付けて中継ぎさせてりゃ
もっと現役長かったかもしれん >>146
今の選手とか競技人口斉藤の時代の3割程度だろ
誰でもレギュラーになれる時代だ
斉藤の時代はクラス全員が野球できるとかそういう時代の頂点だよ
素材力がケタ違い >>124
サイドでフォークは無理だから
シュート回転する落ちる球なんだからシンカーだろ 北海道シリーズとかなんでか知らんが見てたわw
あの頃仕事してたはずなんやが >>143
サイドで160投げる林昌勇とかランディジョンソン上から投げたらやばいやん >>141
桑田 ドラフト 先発漏洩問題 KK対決 怪我と復帰
槇原 バックスクリーン3連発 完全試合
こに二人は良くも悪くも語り継がれるドラマがあるが
斎藤は特になんもないもんな 淡々と投げ淡々と勝っていたイメージだ >>153
晩年のリリーフはそこそこ安定してたよな 小早川(広島→ヤクルト?)の復活の狼煙(ホームラン連発)に手を貸した映像が記憶に新しい 斎藤とか槇原とかって銀座でスーツ着て飲み歩いてたイメージしかない >>42
斎藤、桑田、槇原と北別府、大野、川口か
毎回、毎回、楽しみだったな
これぞThe投手戦って展開ばかりだったな >>52
牛島+小松とかは流石になかったんやないか?
二人だけならありえたか? 球速表示140キロ台だったけど
もっと速いような気もする >>164
そういえば昔の広島の北別府、大野、川口も凄かったな。特に大野はヤバかった >>76
桑田は打撃守備も揃ってるって言われてるけど
斎藤もめちゃくちゃ揃ってるんだよな
体デカイから小回り効きそうじゃないのに実は器用 同じサイトウなら斉藤和巳の方が遥かに凄かったと思うけど 槙原って過去の映像で振り返るとき
ノーヒットノーランの500倍くらいバックスクリーンにホームランうたれてる テレビ局的には斎藤が登板する試合は淡々と試合が進んで
21時前に終了して放送延長が出来ずにあまり嬉しくなかったそうだ。 >>68
ぉ、どうもありがとう、昔の投手にありがちな豪快なフォームだったんだね 今じゃコンビニ店員より需要の無いデブ
ムダに大飯食らいやきう >>160
コントロール良いし中継ぎさせたら安定してると思う
98年くらいから中継ぎさせてりゃ200勝も行けたかもしれん >>159
9回途中までノーノーやってて落合に逆転サヨナラ3ランとかあったやん >>166
その時代の測定器はそんなもの
ほぼ中速測定で球場によりばらつきも酷い
今のトラックマン測定だと+8キロ〜10キロと換算しても良い ホームラン打たれてもまじかって感じだったな
子供ながら サイドスローと言えばロッテの小川が球が速くて三振取りまくってたな
晩年はあれだけど… >>179
あ〜あったな
しかしノーノ―未遂、完全未遂は西口のインパクトが強すぎて
イマイチ印象に残ってなかったわ かっとばせキヨハラくんにでてくる斉藤の顔のでかさw 球の出所がわかりやすくてシャコラーと振りに行くもボテゴロかフライ >>147
槇原より向いてたかもしれないね
見てみたかった 澤村栄治賞はもう斎藤雅樹賞か田中将大賞に名前変更した方が良いのでは。 13連続完投勝利の記録も槙原の飲みの誘いのせいで途切れたって言ってたようなw >>171
あの頃のテレビ局って放映延長した方がありがたかったん?
そのあとの番組より視聴率取れてたからかな? 外国人選手の誰かが斎藤が超苦手で
サイトーはクレージーだって言葉残してたな 長嶋さんの監督引退のついでで斎藤槙原の引退セレモニーは納得いかん 2年連続20勝とかしてるのに
200勝してほしかったな 完全試合、バース掛布岡田バックスクリーン3連発、新庄敬遠サヨナラヒット
爪痕残してるな。 斎藤はほんまに凄かった
阪神 先発:猪俣 巨人 先発:斎藤
試合始まる前から負け確定 >>198
原理は知らんけど
放送時間ずれた方が後の番組の視聴率も上がるらしい 90年代の三本柱と言えば巨人の斎藤、桑田、槇原。広島の北別府、大野、川口。西武の工藤、渡辺久信、郭泰源。
そのうち200勝したのは北別府と工藤だけなんよね。200勝ハードル高過ぎ >>179
それな
潮崎や高津よりすごいシンカーだったしな >>185
>>190
おーきに
上には上がおるねんなあ >>1
引退年の5連続リリーフが凄かった
あれで完全に体ボロボロ
燃え尽きたと思う
ダラダラやれば200行けたかな? ノーヒットノーラン目前から一転サヨナラ ナゴヤ球場 昔の投手はスライダーとカーブとストレートとフォークだけとか言われてるけど
落合や北別府が全否定してた
スライダーやチェンジアップだけで10種類くらいあったと 斉藤の晩年はカーブが曲がらなくなってた
全盛期のカーブはすごかった 金田は400勝
村山はシーズン防御率0点台
ダルビッシュは、
通算防御率1点台、DIPSプロ野球記録、被打率戦後の1位、
メジャー最多奪三振、2010年代のメジャー先発で被打率1位、奪三振率1位、
サイ・ヤング賞2位 阪神をカモにしてたのはよく覚えてる
広島は広島にピッチャーそろってたこともあって、苦手そうだったな >>22
言われてたか?
誰かと勘違いしてないか? >>148
ただ90年前後の巨人の裏ローテの宮本や香田や木田は
遠藤が故障してエースいない大洋なら、普通にエース格だからな
遠藤が故障で先発やめた後は、欠端や岡本や田辺が先発ローテで弱かったわ(唯一計算できるのが野村だけだし
阪神も92年はローテ投手はみた好調だったが
89年は野田とキーオくらいしかいないし
北別府大野川口佐々岡金石がいる広島は巨人に負けず劣らず充実していたが 肩肘は最後まで頑丈だった
晩年は股関節がダメになってしまった 三本柱の三人はみんな巨人の元エースって紹介されるよね
斎藤が実質エースだったのに すごいんだが、素人がテレビで見てても何がすごいのかわからない。でも打てない。 >>213
斎藤は長嶋監督よりマシな監督だったら200勝ってたと思ってる >>221
北別府が言ってるが
変化球は見た目えぐい変化球はほとんど見破られるそうな
ほんの2センチだけ動かす変化球とかをそれぞれ用意してて
それが実戦では効果的なんだそうな
だけど素人には見た目ストレートで変化してないようにしか見えてないと 暗黒阪神って斎藤、桑田、槇原、宮本とかに猪俣とか仲田で挑んでるんだよなあ。そりゃ負けるわな 表情で調子の良し悪しが簡単にわかったな
調子悪くてもある程度抑えちゃうんだけど >>155
今はまず少子化だからな
その少ない母体の中で運動神経いい子がサッカーや陸上やラグビーに流れてくし
斎藤や桑田の時代は運動神経いいのは根こそぎ野球選ぶし(静岡と埼玉以外は >>218
どうでもいいんだけど西田ひかるというと
あのカールルイスをマジ怒りさせたのがすげーよな 今の若い人はWikipediaの字面の数字の成績見て、こいつは一流、
こいつはカスと判断するが、当時を知ってる人間はそうは思わない。
負けの中にも相手が広島の大野や川口や北別府とかなら
行き詰まる投手戦で1点2点獲られて味方が零封されるも
完投はしたというのはいくらでもある(逆もまた然り)。 200勝してないのか
名球会の200勝って基準を見直すべきじゃね? >>231
桑田は開幕投手を何度もやってるし
沢村賞防御率など重要なタイトルも取ってる
元エースで問題ないだろ >>222
訂正
ダルビッシュ
2010年代のメジャー先発投手で被打率1位、奪三振率2位(1位はカーショー)
プロ野球通算防御率1点台
DIPSプロ野球記録
プロ野球被打率、戦後1位など 弱小阪神相手に勝ち星稼いだだけだよ
そんなに凄い選手じゃない >>244
昭和の野球選手のエピソードトークは話半分で聞いた方がいいぞ
すぐ話盛ったり自己分析甘くて実態と違うこと言ってたりするから サイドスローに変えたのが転機なのは間違いない
珍しいケースだよな >>245
200勝よりも2300安打や400本塁打や400犠打のほうが明らかに少ない >>235
阪神のキーオがムービング系のストレートを得意にしてたな。
どう見てもストレートなのに打者がみんなうち損ねる。 >>249
具体的に説明してくれてるけどね
北別府さん
握り方も含めて
それでも全ては公開してないとおもう
ほんの一部の技術を公開してるだけ
つかプロはそういうレベルなんだよ 当時アンチ巨人 斎藤が先発の日は勝ち目ないからほとんどテレビ見なかった
槇原や桑田なら見たが 必ず完投して
必ずヒーローインタビュー受けて
必ず「そうですね」って言ってる人だった >>243
中日の晩年の小松とか
今中や山本昌とも、斎藤槇原桑田は投げ合ってるからな
ヤクルトなら岡林西村川崎石井伊藤智に伊東に山部と先発が強かったし >>1
巨人以外なら100勝もいってなかったかもな
阪神藪の方が凄かったかもしれん >>21
華はあまりなかったかな
アンダーじゃなくサイドだし
変化球はカーブ(スライダー?)ばっかだし
あとは何より相手打線のいいところがなくなってしまうので、点が入る気配もなく試合がつまらない 200勝、2000本安打、250セーブなら200勝が1番ハードル高いのは間違いない。
全部勿論難しいんだけど。2000本安打は年間の試合が増えたから昔に比べるとハードル下がってはきてる。
つーか4300本以上打った超人をみんな見たから2000本の凄さが少し麻痺してる気がする セリーグの斎藤、パリーグの野茂
そういうシーズンもあった タワーマンションという名称の存在を知ったのは斎藤雅樹から >>266
2200安打くらいだな、200勝は
2300安打になると、200勝より少ない
ちなみに500本塁打なんて歴代でも6人くらいしかいない
400犠打は2人くらいかも?
しかし、野手は安打数よりもOPSが重要になるかもしれんな あんまり力が入ってないように見えるフォームだった記憶がある
あれだけ凄かったのに200勝してなかったんだなあ >>267
野茂は大して一流と思わないな。パリーグで比較するなら
郭太源かなあと思う。 >>229
巨人広島戦てロースコアばっかで昔はつまらんかったw
今なら逆に楽しいんやろけど ピンチになるとあからさまに目が泳いで
顔に覇気がなくなるんだよね。
だからあんまり大エースって感じがしなかった。
槇原もそうだったな。
口あけてぼゃ〜っとした顔になる。
ピンチの時ほどふてぶてしい桑田と対照的。 >>262
防御率6点台で10勝7敗とか
とにかく負けない投手だったな 100敗してないのか
完投型でこれは凄いな
今の時代では出てこないタイプだろう >>275
80年代後半の齋藤はまずピンチにならないんだな
これがw >>267
さすがに野茂に失礼かと
斉藤のメンタルだとメジャーで1勝もできなかった 王の868本塁打、金田の400勝も
メジャーだと500勝投手がいる
福本の1065盗塁、メジャーだと1406盗塁も >>277
勝率.775だからな。スレチだけど斉藤和巳も凄かったよ >>272
野茂はメジャーでタイトル二回だからな
メジャーだとシーズンタイトルとったのは、
野茂、イチロー、ダルビッシュだけだ 好きな対戦は、オールスターの
確かブライアントが流しで上段にぶち込んだやつ >>283
タイトルには違いないが奪三振は正直どうでもいい 駄目な方の斎藤(ハンカチ)早稲田大1年春神宮デビュー戦
日テレが斎藤目当てで六大学野球中継開始 地上波で生中継
夜のうるぐすで江川卓が
「斉藤君の右バッターの外角に逃げる スライダー
あれ大学生は空振りするけど、プロは振ってくれないですよ」 野茂といえば、バリーボンズとの対決よな
ロサンゼルスとサンフランシスコ >>249
名球会なんて時代で試合数、球場、役割が全然違うんだからどうでもいい。
あんなの町内の老人会でしかないわ。 短期間だけどとにかく凄いって印象だった
藤田さんの監督時代の巨人は好きだった 何年かは忘れたけど当時金田が解説している巨人戦を観てた。
確か斉藤が先発ではなくリリーフで出てきて投球練習し始めると金田が「これは間違いなくこの先の打者は絶対打てませんよ」と言い切ったので本当かよ??と思って観てたらそのとうりでビックリした記憶がある。 >>285
サイ・ヤング賞も上位
メジャーオールスター先発も。オールスターじたいは一度だが
ちなみに、メジャーオールスターだと、ダルビッシュが4回選ばれている
投手は監督推薦だから、評価されてるのがわかる むかし阪神ファンだったけど、斎藤が投げるときは全く勝てる気がしなかったな >>283
そもそも日本に野茂は5年しかいなくて怪我した日本最終年以外の4年はタイトル総ナメにしとる。ルーキーから4年連続最多勝、4年連続最多奪三振だし。充分化け物 >>295
イニングも完投数もずば抜けてたな
四球も多かったが、
メジャーではコントロールが改善されていた コントロールが良いので優れた古田みたいな捕手と組むとさらに手をつけられなくなるタイプ >>283
やはりテレ朝の投票からも
野茂は歴代日本最強ピッチャーと言って良いだろう
松坂もダルも最初は良かったが・・・ イメージ重なるのが相撲の魅皇
気は優しくて力持ち、イイ人なんだけど
土壇場の馬力がないというか修羅場なれしてないというか。
斎藤は小早川の三連発
槙原はバックスクリーン三連発
ここぞでのヤラレ役って役回り >>299
小早川の3連発は
ノムさんが来る玉予測して
それにだけ手を出せと命令しての結果
要は巨人の捕手と首脳陣がアホ
オールスターや日本シリーズは研究不足だろうね
コントロールと変化球で勝負するタイプなので >>298
大昔の金田や稲尾を除外すれば
近代野球最強の投手はどう見ても田中じゃねえの
勝ち星 勝率 防御率 イニング数
トータルで見た時国内でもメジャーでも間違いなくナンバーワンだろ >>298
ダルビッシュは通算防御率1点台、
DIPSなどプロ野球記録、戦後の被打率1位などもある
サイ・ヤング賞2位、最多奪三振、
昨シーズンの7月からはサイ・ヤング賞ペースだったな
四球が減ると手がつけられない
四球多数でも田中、マエケンと防御率変わらんのが、逆にすごい
2010年代のメジャー先発で奪三振率2位、被打率1位だけはある >>301
田中は数値見たらいまいち
ダルビッシュの平均値くらいしかない >>301
ダルビッシュのほうが田中より一枚、いや二枚よい
数値がちがう まあ、ぶっちゃけ
阪神の川尻のほうが100倍すげえけどな(´・ω・`) >>303
印象はともかく
成績(数字)で見てこそ田中が上じゃん 野茂と斉藤はタイプが違うから比較対象にならないというか。
野茂は日本にいた5年間は、調子の良い日はバッタバタと三振をとりまくるけど、調子の悪い日はストライクが全く取れない。
斉藤は調子が良くても悪くても勝つ。 >>300
野村の書いた本を読むといかに凄い洞察力を持ってたかが分かる。 去年かな?亡くなったの。 斎藤は見ていて詰まらないんだよな
球も速くない変化球も弱い
兎に角地味
スポーツの世界でも強いけど地味で詰まらない選手っているじゃないあんな感じ
安定感有りすぎてスリリングじゃないからね 野茂もオールスターで落合にホームラン打たれ
ダルはイチローにボコボコにされ >>304
それ槙原
バックスクリーン3連発と新庄敬遠サヨナラ打であと20年食っていけるw 紅白戦で松井に特大HRを打たれたのが斎藤の終わりの始まりだった気がする >>89
ペドロみたいなストレートにマダックスのような変化球だった ダルビッシュ
200イニング 5回
2010年代のメジャー先発、被打率1位、奪三振率1位、
プロ野球、戦後被打率1位、DIPS1位、通算防御1点台、奪三振率4位? >>308
セイバーメトリクスみたらダルビッシュが明らかに良い >>310
ノムさんが亡くなったのついこの前やんけ 野茂→コントロール悪いから勝ったり負けたり
ダル→すごい球投げるわりに勝ちにつながらない
マー→アメリカ行ってすぐケガしたのは痛かった
槇原→フォームで球種がバレる欠点が致命的
桑田→よくあんな勝てたな
斎藤→サイドに変えて変化球がハマる ダルとか晩年のイチローにボコボコになれてるが
日本だと無敵
その当時のNPBがもう野球人口の激減でレベル低下していたのだろう 通算記録も良くて名大関、って感じなんだよね。
槇原も斎藤も
その上の横綱
レジェンドになるには狂気いうかアクというか
なんか物足りない。
成績だけみれば凄いんだけどね。
魅皇だって通算記録は凄い
けどここ一番での執念いうか情念みたいなもんが
スポーツ選手としてのコクがね >>317
流石にそこまでは無いw全盛期のペドロ・マルチネスは野球史上最強にヤバいピッチャーだと思うわ。映像見て人間じゃねーなこれと思ったし ストレートの説得力なら斉藤和巳
スライダーのえげつなさなら伊藤智仁 >>319
細かい数字見たらそう言うのもあるだろうが
勝ち数 勝率 防御率 イニング数と主な数字は全て田中が上でしょ
てか、田中ダルはスレ違い 斎藤について語ろうじゃないか? >>324
ダルビッシュは2010年から2019年の先発で、
一番打たれない先発だから
被打率1位、奪三振はカーショーについで2位 >>329
でも晩年のイチローには簡単に攻略されてると >>328
ダルビッシュが明らかに良い
セイバーメトリクスみたらちがう
ノムさんもダルビッシュが平成ナンバーワンにあげた 斎藤にしても村田真一にしても、コーチできてるのは人格
松中あたりを見てると人間は最後はやっぱ人格なんだなってのが分かる
イチローも引退会見で似たようなこと言ってたし >>143
山田の下手投げの146キロとかってどんなんだよ
シンカーもあったし >>329
ほんとうに?
なんか大量失点して降板のイメージしかないけど >>333
ダルビッシュが、日本人投手のオールスターも最多4回だしね 85−86年あたりに斎藤が主役級に出てくる野球4コマ漫画あったような気がする。 イチローとの短期決戦で結果出したのは野村ヤクルトと古田バッテリーとヤクルト投手陣
野球はただ投手と打者の戦いではないのだよ
インサイドワークなんだよ
つまりオツムの戦争なの メジャー球ならスライダーもさらに良くなってただろうしメジャーでも結構やれたかもな >>336
まじ
2010年代のメジャーリーグの先発投手で、
被打率1位、奪三振率2位 打たれないのはダルビッシュだよ
田中は制球力と勝ち運だけ上
例えば田中はノーノーとか絶対に無理 まあ、ぶっちゃけ
近鉄の赤堀のほうが100倍すげえけどな(´・ω・`)…
おまえたち赤堀
見たことないからな 全盛期のイチローは全盛期の上原でも抑えられない
全盛期松坂でも押さえられなかった ダルビッシュスレになってると思ったら一人で頑張ってるだけかw >>333
無理やり斎藤の話に戻すけど
野村はその候補に、斎藤ではなく桑田を挙げてるんだよな
ああ見えてエースと言うのを印象で捉えていたのかもしれん >>335
シンカーない頃は150出してたとか聞いた
衰えてきた自覚があったからシンカー覚えたとかなんとか
あれ?日シリで王さんにサヨナラ弾食らったからだったか? >>344
サイ・ヤング賞やタイトル量産もダルビッシュには可能性がある
というか日本人ではダルビッシュだけ >>336
ワールドシリーズ最終戦で打たれたイメージが残ってるからじゃね? >>299
桑田も抑えになってから散々ヤラレ役だったぞ。
修羅場の決戦で安定してたの斎藤だし。
ただ負けムードを変えたのも勝ち投手なのも斎藤だけどテレビで使われるのは桑田が抑えたシーンばかり。縁の下なだけ。 >>165
たぶんイケたと思うよ
でもロッテは勝つ気がなかったからね 槙原がつべでいってたが
桑田の玉はエースというものではなかったと 斎藤の安定感は凄かった
長嶋監督じゃなかったら後20勝してたと思う >>331
通算でヒット1本打っただけだった
48打数1安打 >>345
いやいや普通に見たことあるてw
プロ野球ニュース見てた人ならだが
あんだけ投げてりゃ嫌でも目につく >>342
眠そうと言えば
斎藤雅樹に関しては1回表の投球練習でもう勝ち負けほぼ予想できた
眠そうとか重そうなトロンとした顔してたら8割打ち込まれる
普通だったら9割は勝つ 斎藤雅樹はセリーグでは圧倒してたのに不思議と日本シリーズだと打たれるんだよな。あれが不思議だったわ >>345
コイツ絶対故障するわ、って投げ方だった印象が強い 斎藤雅の全盛期マジでテレビ見ながら釘付けやったけどあれ打者は何でみんな打てなかったんやろな
印象に残るのはサイドからでも145k出せた速球と外角低めに落ちるスライダー >>296
それだけ投げてもほとんど壊れなかったのが謎 時代遅れのファッションに年齢の割りに無邪気な笑顔にハキハキと元気よく何ら捻りのない受け答えに
旦那にするには最高だろうなあ >>348
長嶋が10.8で最後に桑田を持ってきたのが良い例 >>360
日本シリーズは短期決戦で
首脳陣や捕手のリードやデータで決まるところがある
インサイドワークで決まるとノムさんは言う >>326
ペドロマルチネス。。。
メジャー投手にしては小柄な身長181センチかな??
この体格で延長10回でもサイドスロー気味のストレートで楽々160キロ超えてる映像見て本物のバケモノと思った。 打撃もよかったし、足も速かったな
そういう点では桑田と似てる感じがする 野球の申し子みたいな >>122
江川の138キロくらいの球が150キロくらいに見えるから
今いたらそのくらいの表示かもな >>21
89年は打つほうが1点取れればたぶん勝ち
2点なら間違いなく勝ちってイメージだった 打者が不甲斐なかった時代か…
でも確かにこの人は凄かったと思う。
平成の歴代のベストかと言われると
うーんだけども。 >>363
1シーズンで、22完投とかしてたしなw
ルーキーイヤーに21完投してるしw 齋藤の変化球の凄さは捕手じゃないとわからないだろうね
どういう種類の変化球があったのかなんて部外者にはわからない >>365
新聞記者が「斎藤は野球しに行って帰ってくるだけ」って嘆くぐらいだからな。
まあ良い人すぎて奥さんには気苦労もあるのかもしれんけど、一つの理想像だろう。 全盛期の斉藤雅は投げる前からバッターが三振するのがテレビを見ていてもわかった >>37
試合が早く終わり過ぎて、珍プレー好プレー集とか流してたよな >>234
巨人は藤田、長嶋と扱き使う監督が多かったな
だから工藤とかと違って、選手生命が短すぎて、200勝に届かなった 連続20勝して全然年棒上がらなくて全く評価されてなかった >>376
191球完投&16四球とかあったw
まああれで鈴木草から一刻も早く逃げなきゃと思ったんだろうけどw >>52
3人多くもらっても、枠の問題で使えなかったりで、意味なかったりしないの?
四人全員即戦力? 斎藤桑田槇原
佐々岡川口北別府
の三連戦で両チームで5点も入らなかったな 斎藤は11連続完投勝利はすごいな
これはもう現代人には無理だ 野茂がメジャーに行く話は団野村が暗躍してて面白い読み物になってる。 >>369
俺も総合力では歴代一位の化物なんじゃないかと思う。
全盛期はマジでどこにも隙がなかった。 桑田があんな勝てたのは謎だった
ウチの学校は甲子園常連校でPLとも対戦してるが
桑田大したことないってみんな言ってた ドラフト直後の評価は投手がダメでも野手でいける評価だったはず
入団後、上手ではノーコンだったのに、横手投げに変えたら大投手
それを決断した首脳陣が凄かったんだろうな 一チームに一人いるかいないかのレベルのエースが
同時期に三人いたってんだから贅沢だよな当時の巨人は 杉内とかと違ってエグい球連発には見えなかったけど
同じ感じでバッター当てる事できてなかった >>395
日本シリーズやオールスターで活躍できない選手
ノムさんと齋藤
ノムさん曰く「相手のこと何も知らないからそんなもん」 >>52
星野が「お前が断れば小松が行くことになる」と牛島を説得したという話を読んだことある。 斎藤のあれってシンカーなの?
サイドスローなのにフォーク投げるピッチャーだと思ってた >>1
藤田監督に魔改造施されて覚醒したもんな
3本柱とあるけど間違いなく斎藤が筆頭だったし阪神戦なら余裕持ってみてられたわ
後期の小早川三連発は信じられなかったけど今でも自分の目で見てきた歴代巨人のエースは斎藤雅樹で間違いない >>295
内容は粗いけど野茂の最多勝の価値はまさに最強の頃の西武に当たるようにローテーション組んだ上でのそれだからね。
タフさが尋常じゃなかった。 >>391
桑田たいしたことないわけないだろw
高校で、甲子園で4連投を2度ふくめ、200イニングほど投げて、
通算20勝、通算防御率1.55、四死球率1.3だぞ 良い時代だったな
こんなんでも凄い凄い言ってもらえるんだからな
今ならメジャー行って1ミリも通用せずスゴスゴと帰ってくるレベルなのに >>390
まあ斉藤スレだけどメジャー史上最強のバケモノ投手はペドロマルチネスって事で。 赤堀見たことある人ありがとう(´・ω・`)…
急に安価打って書き込めなくなった… 右打者への内角の延びのあるシュートぎみのストレートと外角低めのカーブかスライダーでくるっくる三振とってたイメージ >>403
ただググってるだけのお前なんかの話より
実際に対戦した同級生の話のがはるかに信憑性あるわw >>385
槙原―大野
桑田―川口
3戦目はその時々 >>385
槙原―大野
桑田―川口
3戦目はその時々 >>390
まあ斉藤スレだけどメジャー史上最強のバケモノ投手はペドロマルチネスって事で。 >>404
今の選手がこの時代なら2年で故障引退だよ
それくらい素材力が桁違い
それが競技人口の差
ピラミッドの大きさの違い 俺がバッティングセンターでヒットを打てなかったのは
阪神の川尻と近鉄の小野だ(´・ω・`)…
松坂は打った >>395
山本昌や北別府は日本シリーズ未勝利だったりするしね >>407
相手のこと何も知らないで打てるわけない
とノムさん
俺のホームランの8割は頭で打ったと >>410
だから、たいしたことなくて、
高校で無双し、プロ野球でも20年以上現役でやれるわけない >>400
本人はフォークと言ってた。
実際サイドスローでフォーク投げるとシンカーになるからな。
平成の大捕手古田は「スライダーでもピッチャーがカーブと言えばカーブ」だと。 >>405
間違いない。ステロイド全盛の時のメジャーで歴代最高のwhip出したしな。
最優秀防御率を1.7くらいで獲得したんだが2位の防御率との差がえらい事になってたわ。マジ化け物 HKT脱退した時の小林よしのりの発狂ぶりは凄かったな
うそだー!!
あの、ゆうこすが男といた!?
ぐ、ぐやじい・・・
とスゲー長い文章を書いてたw >>420 >>419
日本シリーズの大舞台に強かったのは長嶋や清原の印象が強い
投手は思い浮かばないな >>356
藤田だったらもっと短っただろ
斎藤よりも凄かった槙原潰したのも藤田だし
あまりも扱き使って別人のように2年ぐらいなっていたし よくジャンパー着て塁出てたイメージだわ
打撃も良かったからかな 曲がらないスライダーの脅威を知ったなー
曲がるようになってからダメだった記憶 何がすごいかって
あの骨太な骨格だよ
あれは天性のもの ヤンヤンヤングマン
それいけヤングマン
パワフル全開斎藤
若さは一番マスクは二番
三振とれとれ斎藤 >>367
槙原も今中も別人のようになっていてワロタw
数日前からプレッシャーでガチガチだったんやろうな
斎藤は、投げたばっかりで絶対ないと思われていたのが良かった
高木は山本昌をつぎ込めなかったけど長嶋は斎藤をつぎ込めた
監督の差が出たな >>428
工藤とか日本シリーズ強かった気がする。監督になっても強いけど 藤田監督は第一次はともかく第二次は普通に糞だろ
三本柱に頼り切り
ドラフトはゴミ選手ばっかとってくるせいで抑えは不在で打者はロートルだらけ
長嶋が何でも欲しい秒にかかった原因 >>373
江川の全盛期や槙原の全盛期もそんな感じだったな
今日の先発は江川か。んじゃ今日も完封だなっていうイメージ 斉藤雅樹の145km/hは信じるよ(´・ω・`)
でも、阪神の葛西の球速は
絶対信じない >>439
それは西武の監督のと伊東捕手のインサイドワークアドバンテージだよ
それが短期決戦では有効 >>439
工藤か
黄金期の西武のエースやエース格だもんな >>21
斎藤雅樹の全盛期って巨人史上稀に見る貧打でしょ 日本シリーズに弱いってことはCSにも強くないだろうから
今なら当時ほど評価されないのかな >>378
やっぱそうなんだw
純粋でワルい匂いが全くしなかったもんなあ
んでカネはしこたま稼いでてさ
退屈に感じる人もいるかも知れないけど
間違いなく理想の旦那の一人ではあると思うよ >>421
お前ほんとバカだなw
だから謎だって言ってるのにw >>243
今の人は昔みたいに勝ち負けの数字だけじゃなくもっと色んな数値を参考にしてるから
ある意味正当な能力評価をしてると思う >>447
原、クロマティが主軸だっけ?
吉村がケガしてなきゃかなりのもんだったろうにな スライダーがバットの届かないとこまで曲がってたのは当時衝撃だった 全盛期の安定感は本当に凄かったよな
なんせ他球団のファンからすると中継を見る気が起きないぐらい嫌な投手だった
それだけに晩年の衰えは寂しくも感じたけども 1997年の開幕戦で
小早川に三打席連続本塁打を浴びて
神通力が消えた感 解説の江川「これフォアボール出すとパリッシュ怒りますよ」
https://youtu.be/AO1uV6vlNso 悪いなりに抑えたり晩年球威が落ちてから技巧派で勝てるピッチャーではなかったな
それが20勝して何度も最多勝取ってても二桁を何年も続けたりもできず200勝に届かなかった原因
苦手な左の多い広島戦の登板が少なかったのは桑田槇原の存在と監督の起用のおかげだな >>452
当時の巨人打線って篠塚とか駒田とか中畑とかか。強力でもないけど貧打でもないよな >>450
片岡ちゃんねるだっけ、コロナから復活したが、
あれに、桑田でてる回あったぞ >>453
スライダーはそこまで曲がるとプロの打者は簡単に見抜ける
と北別府は言う
打者がふり始めてからほんのわずかに変化するスライダーが実戦で使えるスライダーだと >>419
石毛って今何やってるの?
干されたの? 斎藤よりも野茂のほうが圧倒的に上だろ
体も丈夫で草が監督でも壊れなかった
あの化物フォークはもう出てこないだろ >>407
日本シリーズだと4割打者になる長嶋とえらい違いんだな
王も凄かったけど 3本柱一人も200勝してない。
打者に比べてハードル高すぎ >>2
ハンカチってプロで活躍できなかったんじゃないんって別人か >>464
その王さんを研究し尽くして捕手として臨んだノムさん
データ駆使してガチなリードして王さんを簡単に抑えてしまったという >>458
3割〜2割後半打てる打者は揃っているが
長距離砲不足って感じだな
その反動か知らんが後に大砲ばかりになっちゃった >>77
野球ってホームレスに投石して殺す遊びだろ? 槇原って1番スピードあったのにMAX13勝ってよっぽどピッチングセンスが劣っていたのか >>391
ハンカチ斎藤もたいしたことないって言われてたな
桑田もハンカチも体格が大きくないのと、力でねじ伏せるタイプじゃないのがそう思わせる要因なんじゃないのか?
まあどちらも甲子園優勝投手だから凄いんだけどな
そのたいしたことないって言ってる同級生はたいした実績残してないわけだろ?ww 藤田時代の主力で名球会に入ってるのって三本柱でも原でも吉村でも篠塚でもなく駒田なんだよなw >>68
たしかにこれはサイドスローの方がいい腕の振りだ >>462
メンタル面の強さは野茂のが数段上だったよな
斎藤のメンタルではメジャーで通用しなかったと思う 斎藤はスライダーでしょ
あれは当時子どもだったオレの記憶に残ってる サイドからのスライダーとシュートで勝負する投手なんて昔からいくらでもいるのにな
何が凄かったんだろう、制球力なのか変化球のキレなのか >>68
喧嘩野球になったやつかと思ったら違ったw >>417
いやいや、その理屈なら、バッターもすごいだろ 最初から先発で使ってやればよかったの
ずっと我慢して使えばよかった >>470
槇原は視力が悪いにも関わらず眼鏡もコンタクトもしなかったからね
キャッチャーのサインが見えないから自分でサイン出してて相手チームに見破られるケースが多かったって野球の番組で話してた >>477
斉藤はオールスターでもブルーサンダー打線の連中にけっこう打たれてた。 >>476
平均で2割8分 HR15本前後 盗塁ほぼなし
守備は良いとはいえファースト タイトルなし
そらそこまで高い評価にはならんやろ >>459
対戦したプロが桑田すごいって言ってるんだから
そんなことも分からない馬鹿はほっとけよ。
高校の時はほとんどストレートとカーブだけしか投げなかったし
そのせいで大したことないと思われたのかも >>476
でも首位打者とか1度もないし、あの体でも長打は少ないし、
打率も横浜に行ってからは3割にも届かず。たまに3割超えるぐらい
高卒で長くやれたから2000本打てた
まあ過小評価されて当たり前だよ。体が丈夫なだけ 俺は巨人ファンじゃねえからよく分からんが江川、斎藤雅樹、上原、菅野の歴代エースでファン的には誰が1番安心感あったのか興味があるなあ >>479
そういうのは大体球離れだな
野球詳しくないけど 三本柱というのは桑田や槇原のモチベーション作りのための括りに過ぎず、斎藤だけが絶対的なエースだった印象 >>482
斎藤、桑田、槇原には相手チームもエース格をぶつけてきたからね
取りこぼしてる試合も多かったんだよ 斎藤雅樹はエースじゃなくてスーパーエース。別格って話だね。 >>415
池山広澤パリッシュ(並びは忘れた)は、いいカモでしたわw
三者三振とか珍しくなかったよーな >>447
斎藤の全盛の時期って、原、中畑、篠塚、吉村、山倉
80年代の巨人打線の主軸がケガや年取って衰え始めてたからね。
87年くらいまでの巨人打線は球界屈指。だが84年あたりから江川、西本が衰えてきて、
その頃から87年が打線最高潮。89年で三本柱が整ったころには、逆に打線が落ちてきた。 投手のシーズン記録で今後絶対に出ない記録
江夏のシーズン401奪三振 >>470
槙原は藤田に潰された。斎藤が初めて20勝した最強の年でも
槙原のほうが圧倒的に上だった。藤田に潰される前までは
足をやってからすごみが亡くなった残念な投手 >>449
全盛期酒のエピソードだと
ニュースになったわけじゃなく
夕刊紙デスクネタレベルの怪しい記事で
斎藤が銀座のクラブで飲んでたら
悪酔いした高田延彦(当時自称世界最強の男)に絡まれて
暴れたわけじゃないけど斎藤激怒
というのが載ってて
「あの斎藤が怒るなんて、高田は相当失礼な事したんだろうな」 堀内、江川、斎藤、桑田と巨人のエースには打力があったのも多かった。 >>470
若い頃の槇原はコントロールに難があったから。
コントロールが定まって、手が付けられんほどすごくなった頃に、
左半月板損傷。 >>452
今ちょろっと当時のスタメン見てたけどもクロマティが89年にキャリアハイで90年で退団してるのか。
原と駒田がキャリアの真ん中で篠塚と中畑は最晩年。
うーん弱い >>506
江川、桑田は足も速かったな
守備のセンスも良かった
西本も打撃は良かった 王監督時代から斎藤はサイドだったけど、
その時はなんか置きにいってる感じのサイドだった。
藤田監督時代に力強い感じのサイドになった。 >>403
圧倒的なスピードとか自由自在な変化球を投げるってタイプじゃなかったからね
甲子園常連でも実績残せないレベルの奴には桑田の凄さがわからなかったんじゃないの?www >>504
前半戦だけで12,3勝してたとしあったよね、槇原
そして故障した
そういやスライダー覚えた年だったか? 斎藤の最盛期の二年、40勝で40完投
オレが監督でも勝てるわ 斎藤の場合ストレートがナチュラルに手元で曲がるって言われてたらしい。
それであのスライダー。
岩瀬もそうだがあの角度で入れるって相当な曲がりなんだと思う >>490
高校時代のこと何も知らないくせに執拗に絡んできてるお前が馬鹿だよw
ほんとここの引きこもりジジイはキチガイ多いなw >>506
桑田が若い頃、日本でプレーしてた外国人助っ人が
「彼はなんでピッチャーなんかやってんだ?
メジャーでもショートでレギュラーになれるのに」
当時は何言ってんの??と思ったけど >>515
スライダーを覚えたのは、王の最後の年
後半ケガから復帰してスライダーで次々と三振を取りまくって完封が当たり前
153キロのストレート、スライダー、フォークで
藤田1年の前半もそんな感じで手が付けられない >>502
緒方 村田 川合辺りが入れ替わりでレギュラーになっていったのかな。FAも導入前だから大砲欲しくても外国人呼ぶ位しか補強は無いと言う事か >>29
「お前は気が弱いんじゃない、気が優しいんでもない、間抜けなんだ」 >>519
桑田の同年代ならお前も十分ジジイだろwww
対戦して桑田をたいしたことないって評価した同級生はどれだけ実績残してんのよwwww >>471
甲子園で優勝したからすごいとしか言えないお前と
実際対戦した人の意見じゃ比べるまでもなさそうだかw 【野球】令和の凶悪殺人鬼・朝日大学野球部員らによるホームレス(&猫)虐殺事件
野球仕込みのチームプレイ・複数のポジションに分かれて狩りを行う
「おもちゃ扱いみたいな感じでいたぶった」…殺害されたホームレス男性と一緒にいた女性が証言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200427-00000005-nbnv-l21
>>事件当日、朝日大学野球部員5人は渡辺さんを襲う目的で集まり、約900mに渡って執拗に石を投げつけるなどして虐殺。
>>「(堤防の)上からバーッと下りてきて、犯人が、私の顔にライトを当ててきたので、
>>もう前が見えなくて…後ろ・前・上から石投げるという感じになった」(渡辺さんと一緒にいた女性) 斎藤って2年連続20勝したあとのペナント後半と日シリが別人になり果てたよな
西武に圧倒的大差の4連敗で。その後2年間は別人のような球威になって
もう終わった投手扱いされてた。長島監督から再復活してエースとして君臨 >>524
だからそれが謎だって言ってるのにw
ほんとキチガイは困るわ何が目的なんだよアホ >>21
確かにG党じゃなきゃ斎藤雅樹はツマラナイかもなwww 桑田に関してはあの当時の高校ナンバーワン打者の批評が一番じゃないか? 斎藤の変化球ってテレビ画面で見てもキレがあるって感じるよね 事件(3月25日)の詳細
・殺害された81歳のおじいさんは、一緒にいた女性を先に逃してあげた。通報したのはその女性
・おじいさんは普段から空き缶集めして稼いだ少ないお金を、自分の食費は削り猫の餌を買ってあげる優しい人だった。
・朝日大学の野球部員ら5人は1キロに渡り、はやしたてながら連携プレーで投石しながら執拗に追い回し、
昏倒させた後、よってたかって蹴りまくり、おじいちゃんを嬲り殺し。
遺体の損傷は激しく、頭蓋骨陥没をはじめ顔面は原型を留めずグチャグチャ。
おじいちゃんの猫も虐殺された
おじいちゃんの遺体の上には頭を潰された猫が置かれていた >>504
藤田監督に云々は意味がわからない
マッキーはそれまでも調子良くてもケガなどで
12勝を越えれないジンクスがあると言われてた
まあ3本柱が誰も200勝出来なかったのは同時
完投が当たり前だったからというのはあるけどね
それもエース級は完投するというのが球界全体の
風潮だからしょうがないのもある 【マスコミが忖度する野球界(既得権益層・上級国民)案件】
・地元ではなかなか犯人が見つからなかった。
上手くいけば、この犯人達は逃げ切れる可能性があった
・関与は10名以上 甲子園出場者もいる?
・NHK
カップ麺盗んだ男> >>朝日大学野球部
の報道優先順位、しかも野球部は隠したままちょろっと報道
・警察
被害者2人は3月中旬頃から繰り返し襲撃され、警察に4度通報しているが中々動かなず、最悪の結末を迎えた
・凶悪殺人鬼を育成した、朝日大学野球部について
プロ野球選手を排出した名門
昨年、甲子園で投げた星陵の佐●ピッチャーが在席
監督は甲子園で有名な藤田明宏(逃亡済)
投手コーチは元巨人のピッチャーの尾藤竜一。
藤田と尾藤は岐阜三田高校で師弟関係
この事件はNPBと高野連の両方に関係がある
その為、余計に報道されない >>1
子供心に江川槙原の三番手てイメージだったがすごいのか >>531
批評ってしらんわ
高校野球史上最高打者は清原 >>525
多分レベルの低い相手だから抜いた球しか投げてこなかったんじゃねえの?
で、その常連校は桑田に勝てたの?
まさかと思うけどたいしたことないとか言ってて優勝できなかったとか?www 斎藤は20勝ブレイクする何年か前に12勝してたよな
その年後楽園で完投した時みたけど
その頃はギャルにすごい人気があった 水野こそ、打者転向で見てみたかった。
80年代後半の巨人は右の大砲がほんと不足だったからね。
まあ、水野入団時の84年あたりで江川、西本に陰りが見えてたので、
ピッチャー水野しかありえなかっただろうけど。 >>529
甲子園常連校のくせに打てないのが謎で終わらせるんだwww
そりゃ桑田を打ち崩せないだろwww
腹痛えわww >>538
その清原が初めて桑田の投球見た時に物が違うと思ったのが全てでしょ。同世代の高校球児がどう見てたかわからんが >>534
槙原と桑田は前半先発と抑えもやらされたんだよ
まさに昭和前半根性野球 もうドアラとつば九郎の動画を見るぐらいしかしてないけど当時巨人ファンじゃなかったので、今日は斎藤か…負けそうって感じだったわw 斎藤は阪神戦鬼のような強さだったね
今みたいな予告先発じゃないときなんか9番ピッチャー斎藤で試合始まってなくても今日は負けだからって帰る阪神ファンもいたとか 藤田監督は名将と言われてるし自分も大好きだがシーズンで使った投手が三本柱除いて数名ってのは流石にやり過ぎだとは思う。 桑田の高校時代は確かに特徴なかったのは事実
なんか謎に真っ赤になって否定してる奴いるけどw 瞬間的に凄い投手は他にもたくさんいたけど、安定してずっと凄かった投手という意味で斎藤が一番だね
200勝してないのが不思議なくらい
先発完投の時代じゃなきゃもっと長くやれたんだろうな 桑田は普通にカーブは一級品だったし
ストレートも豪球ではなかったが
キレとコントロールは高校レベルでは段違いに
凄かったろ >>534
藤田の酷使は有名だったろ。槙原は半月板壊されて、
斎藤は2年間別人ような投手に。桑田も肩をやって低迷
斎藤と桑田は長嶋監督の時に復活してエース級に
桑田はダイブして槙原コースになってしまったが・・・ 気弱な頃めちゃくちゃ応援してたわ
気がついたら大エースになってて感慨深かった >>544
89年の槇原の故障は半月板だからなあ
抑えやってた記憶はあるけど前半か忘れたし
桑田は89年は前半は抑えやってないと思うけどな 斎藤は日本シリーズで勝ったイメージがあんまりないんだよな
寧ろ槇原の方が強かったイメージがある
94の日シリは槇原なくして巨人の日本一はなかったよ ハンカチの最終形態はサイドスローか
これやってダメなら引退だけど、まだ言い出してないから、後数年は毎年正念場で生き残りそう サイドスローだっけ?スリークォーターのイメージだったけど…
そう言えばスリークォーターって聞かなくなったな
今はそれもサイドスローに含まれるようになったのかな? 斎藤雅樹の四球の多さって午前200イニングで年に50程度なんだが、多分に完投の多さから8番打者を相手にする機会多かったってのあるんだろうな >>555
前半戦で槙原と桑田にセーブついているから見てみ 槇原は当時強かったカープ戦が多く、斎藤はヤクルトとかチンの雑魚選だったイメージ 1987年の日本シリーズで、引退間際の江川が、もう衰えまくったストレートと
切れのいいカーブとコントロールだけで、西武打線を7回2失点に抑えて、
清原もきっちり三振にとって、試合は負けたの見ると泣けてくるよ。 >>559
スリークォーターとサイドで投げ分けてた印象 桑田がすごいのは4月1日生まれなこと。2日だと学年がかわるから
1年生の夏からの活躍は信じられないレベルって話。 去年大和スタジアムで見た
あっというまに引っ込んで泣きそうだった 89年は
槇原×、ガリクソン×、広田×
でシリーズになったんだよな
香田の縦カーブに近鉄がクルクルになって弱点バレたんだっけか?
勿論あの発言もあったけど >>553
槇原は89年の中盤だから藤田監督が酷使は関係なし
桑田は150km投げるために筋肉つけすぎて
キレをなくす
斎藤は確かに勤続疲労
確かに藤田監督はエースは完投というタイプだった
酷使といえばそうかもしれないが当時は球界全体の風潮だから
藤田監督だけというわけではない
エースで完投できる投手が多くて特に桑田や斎藤は
完投したいタイプだった 内外角にしっかり投げ分けるコントロール
内角の厳しいところにまっすぐやシュートを投げて
外側のまっすぐと落ちる球や逃げていく球で勝負する
終盤とか球速は多少落ちても内角の厳しい球のイメージがあると外側に踏み込んで打てないとか
多少コントロール甘くなっても打ち損じるとか
ボールカウント苦しくなってもまっすぐ変化球どちらでもストライク取るのに困らないとか
たぶんいいピッチングの基本的な条件を満たしていたのだと思う
成績落としたのは球威よりも制球力がアバウトになってきたのが原因な気がする
それも打たれて自分のボールに自信がなくなったとかそういう理由もあるかもしれない 斎藤は2年連続20勝した直後に球威が異常に落ちて並以下の投手になったんだよ
だから日本シリーズで滅多打ちに合った。槙原も故障明けで滅多打ち
その後の斎藤は球威がなくて名前だけで11勝をあげれたが次の年は9勝止まり
あの2年間はもったいなかったね。藤田の酷使のせい >>563
あの頃の広島戦は1点取られたら負けモードだからね
巨人は槇原、桑田、ガリクソン
広島は大野、川口、北別府 カープがなければ200勝してただろ
カープ戦は苦手でボコボコ打たれてたイメージ
あとコントロールが甘かったな
球威が凄かったから、ど真ん中投げてても打たれなかった
晩年は球威が衰えて打たれてた >>570
桑田は堀内とかに150km投げるために筋肉つけすぎてと叩かれたけど
あまりにも酷いパッシングで桑田が実は肩の故障だと告白してる
桑田の数年の低迷は肩の故障だよ >>566
清原がPLに入学直後に同じ一年に桑田って凄い投手がいるってきいて見に行ったら
うっす!桑田っす!みたいなのが出てくるかと思ったら
あのねぇぼくねぇってのが出てきてびっくりしたって言ってたな 助っ人外国人が全く打てなかったな
メジャーでも成功しただろう >>574
カープ戦はほぼ回避してたよ
ローテ崩しても外してたはず 桑田はあの天性の身体能力の上にとんでもない努力家だったからな。
研究熱心でもあったし。 西本とトレードでやって来た中尾と相性が良かった
斎藤の成功は間違いなく中尾のおかげ >>563
ヤクルトや阪神の中軸は右の大砲の
ブンブン振り回していくタイプだったから
斎藤のスライダーにわかってても面白いように
クルクル回ってほとんど打たれなかった 復帰戦て後継いだ桑田がぶち壊してえらい空気になったのを覚えてる 94の10.8再放送でやって欲しいわ
槇原1回0/3
斎藤5回
桑田3回
これはもう伝説の試合なんだから 甲子園のヒーローの桑田が阪神戦は何故かイマイチ勝てなかったから斎藤が優先的に投げさせられた
槇原も伝説のバックスクリーン3連発があったから阪神ファンには永遠に良い思い出 子供の頃巨人ファンで
相手ピッチャーの怖さ
S級…広島大野、大洋遠藤
A級…広島川口、中日小松、広島北別府 >>578
左打者が多くて盗塁も多かったからね。斎藤はバースが居なくなったのは
運が良かったな。だから阪神キラーになれた。鹿取がいたころはバースがいたせいで
抑えとしては微妙でバースが出てくると角に変えられることも多かった >>575
肩というか肘の故障と告白したのは
95年にダイブした時だよ
実はダイブして肘やる前から肩だか肘が調子悪かったと
95年の開幕2戦で完投直前の危険球も肘の調子のせいと
言われてる この前アド街出てたな。
嫁が川口の鋳物工場の娘だと話してた。 斎藤・桑田・槇原で試合が早かったのは、やっぱり斎藤か?
まあ、ダントツに早かったのは、その前の時代の江川だろうけど。 野村さんの本読んでたせいか
日本のプロ野球は野村さんの考え方がかなりの影響力を及ぼしているように思える
特に90年代のヤクルトが強かったのも
それがなければ斎藤投手は200勝できたのではないかと思うぐらい
配球とか、打者のバッターボックスでの読みというか絞り方というか
データでの裏付けも含めて
投球パターンはかなり分析されていただろうし 斎藤は時代も味方してたな。左の強打者が意外と少なかった時代
全盛期のバースや掛布がいたら阪神戦は広島のように苦手にしてだろうな 斎藤は画面で見てても投球の凄さがイマイチ分かりにくかった
槇原の完成度の高さの方が見てる分には分かりやすかったな ID:y0Owyg4T0
桑田は高校時代大したことなかったって言ってた対戦したバッターの話を書いただけで
なぜか真っ赤になって否定するアホってw
なんでもかんでも思い通りにならないと気が済まないんだろうな >>589
斎藤は市立川口
川口は鋳物の町だからな もう少し内角に真っ直ぐ系の球の比率上げてたらどうだったのかなと思う時はある
変化球の比率が多くて球数も多い印象で
特に村田さんがキャッチャーの時
まあ自信がないからという理由はあるかもしれないけど
ちゃんと投げれれば多少球威はなくてももう少し勝てたんじゃないかという気はしないでもない >>164
今から思えば凄いけど
リアルタイムだと投手戦ってつまらんかった
ブーマーにブライアントに門田がぶん回してたパの方がおもろかった
テレビじゃ見れないけどな サイドスローだから左打者は苦手だと言われてたよね。広島を避けてたのも
左打者が達川正田とか以外ズラっと並べられるから、しかも全員足があるやつばっかり >>153
先発にこだわりあったんじゃないか。
っていうか最後の年あきらかにモチベーション無さそうだった。大好きな投手だったけど、それだけにそんなやる気無い姿見たく無くて引退でホッとした思い出がある。 今は知らんけど
川口のエルザタワー55の最上階に住んでたという話があったな >>48
勝敗は投手の力だけじゃないもんね。
特に投手戦になると自分がいくら抑えても味方が点取れなきゃ勝てない。
まあ逆に多少調子悪くても味方が大量点で援護してくれりゃ勝てるけどさw >>1
名球会入りの資格がない成績なのに「凄い」というのはどの部分なの? 懐かしい名前だな
ノミの心臓って言われてたのが確変したんだっけ >>606
完投が少なければ勝ち星も稼げない
メジャーだと6回ぐらいで降りちゃうから勝ち星が凄い付きにくいんだよなー
斎藤とかは分業制になる過渡期の投手で貧打の時代の投手だから
球数が増えても最後まで投げて勝ち星を拾っていった
だから目だったケガは少なかったが選手生命が短くなって200勝が無理だった 堀内 203勝
斉藤 180勝
桑田 173勝
新浦 170勝
槇原 159勝 >>298
競争馬と一緒で無事これ名馬ということは十分承知の上でいうんだけどね、
才能で言ったら伊藤智仁がとんでもないと思う。
あんな高速スライダーは考えられない。 >>21
殆どバットに当てられなかったからな
三振のイメージしかないわ
それも阪神とヤクルト相手は強烈だった
投げる前から勝ち投手斎藤って思って間違いないくらい ヤクルトファンだけど斎藤にホームラン打たれたような淡い記憶があるけど打たれたっけ? >>607
完封数と完投数
もちろん防御率も
で当時の先発斎藤の時の相手チーム、ファンに与えるダメージ >>48
できるよ
ただ出来そうな奴は昔と違って大リーグに言ってしまう
田中のマー君なんかはいけそうだったろ 阪神ずいぶんカモられたけど連続完投勝利の記録止めたのも阪神 >>601
正田はスイッチだろ?
あとサイドスローには不可能って言われてたシンカー身につけてたかと リアルタイムで見てたけど、完投率高くて凄かったよ
でも、あと20勝惜しかったな 槙原はとにかくバント処理が下手
斎藤と桑田は運動神経の塊 つか200勝してないんだな。200勝ってスゲえんだな改めて もうちょい球威あったらなあ
メジャーで通用しそうなんは槇原の方やろ >>607
すでに書かれてるけど、1人で投げ切るピッチャーなんて珍しい時代で
他のピッチャーなんて何年ぶりの完投とか完封なんて書かれる時代 >>476
駒田は評価が難しい選手
ファーストの守備と2000本安打は立派だが他に欠点が多すぎるからなぁ
併殺打は右打者なのにダントツだし長打が少ない
2000本安打以上打った打者の中では最低の評価になる
指標的には福浦より下 阪神ファンだけど斎藤が先発の日は諦めた
桑田、槇原の先発もほぼ諦めた >>48
その時代は年間10完投以上なんか大して珍しくも今ほど難しくないぐらい打者レベルも低かったんや >>519
俺お前にレス一度もしてないし
執拗にって言うけど言及したのも一度だけだぞ
50過ぎのおじいちゃんだから呆けてんのかなw
桑田と対戦したプロがすごいって言ってんだよ。
高校生とプロってどっちが実力上なのかしらねw あまりに毎試合打てないから阪神ファンが怒って
東京ドームの9回の完封直前に代打真弓の時にラジカセを放り込んでたな >>1
実はピッチングだけじゃなく打撃でも桑田より上なんだよな >>636
いや、質問に答えてよ
呆けてるからわからないの?
わざわざID変えてくだらないな。 阪神視点だと1点とるかどうかじゃなくてヒット1本打てるかどうかのレベル
ストレートは振り遅れのファール、スライダーは空振り(´・ω・`) >>1
当時弱小の阪神をカモにしてただけやろ
広島にはよく負けてたイメージ >>520
まあ投手としてダメでもショートでと言う目算もあって指名したそうな >>639
北別府、川口、山根、大野とかいたな
飛ばないボールだったんだろうね >>621
田中マー君はすでに桑田の通算勝利数を越えてるから斎藤政樹も抜くだろうな オーバースローからサイドスローに転向させた藤田監督様々 >>648
ノーコンは直らないってノムさんがいってたのに ID:WxFn9VHy0
桑田と対戦した高校生よりレベルが遥かに上のプロがすごいって言ってるのに
なぜか真っ赤になって否定するアホってw
なんでもかんでも思い通りにならないと気が済まないんだろうな 阪神戦だと7時にテレビ中継始まったときに
4回まで進んでて2ー0とかだと
試合終わったなと思うレベル いやー、音から始まり落合のサヨナラホームランは未だに忘れる事のできない試合ですわ、斎藤さん。 >>638
斎藤はショートでもプロで通用すると言われた
斎藤、桑田、松坂、前田、昔のカネヤンなどなど打撃が良い投手論争があったけど
大谷が終止符を打ったからもう打撃の良い投手論争は起きないなw >>632
俺は巨人ファンだけど、槇原の阪神バックスクリーン3連発は忘れられない >>654
ちゃんと読めよ
桑田大したことないって言ってたジジイに
返してるんだぞ まあいい眠いから寝るわ
くそったればーかお前らみんな馬鹿 >>21
サイドの140キロはオーバースローで言えば150キロに見えるらしいぞ >>652
ああいうことが起きるのが野球だから、日本シリーズで岩瀬を出した落合は正しかったな セイバー的に凄いんだろ、ちゃんと調べてみたらどうかな?
あと、水野や桑田といった高校野球史に輝く華々しい経歴のチヤホヤされる後輩がいなかったら、こんなに切磋琢磨できたかな? >>660
当時のカープと巨人戦は1点争う投手戦だったな >>657
桑田は大したことないって対戦したバッターが言ってるけど
なのにあの成績は謎だって言ってるんじゃねw
ちゃんと読んでないのはお前 >>656
もちろん完全試合も見てて感動した、ただ衝撃的なことって記憶に残るよw
打撃投手と一流バッターの組み合わせでも、バックスクリーン3連発なんて難しい
それが公式戦で起きたんだから、こんなこと有るのかって感じ >>97右打者の内角への抜けスラがあっての人なんで当てちゃダメのお祭りじゃあ大したことない ストレートなら江川よ。
若い頃の槇原もとんでもなく速く、スピードガンでも江川より上だったが、
空振り獲るのは江川なんだな、これが。 >>659
桑田は怪我さえなければ可能性十分だった
斎藤と酷使で限界だったし槙原は抑えに転向してなくても無理だった >>667
1.バックスクリーン3連発
2.新庄の敬遠サヨナラヒット
3.完全試合 斉藤のせいで微妙な巨人の若手投手はみんなサイドスローにされることに >>648
ノーコンを直せるかもしれない最期の手段が再度すろーって聞いた
野間口は再度スローにしてもだめだったな 斎藤雅樹がフジテレビだかの野球バラエティに出演してゲストの西田ひかるにまた二人でお食事行きましょう!って最後のお別れの言葉で締めたら
えっ?行ってないです!いってないです!と必死に否定していた西田ひかる
でもアイドル活動の晩年には会員制ジムに行っていて読売巨人軍の選手達と同じ会員制で
ジムで巨人軍選手と一緒になったり
レストランもありセレブ会員制なのでマスコミや外部に漏れることがないのでそこでお食事デートをしていたとばらす >>668サイド投手はクロス側の打者に弱いので先発のときは逆をズラッという手もある >>665
対カープには斎藤より槇原の方が有効だった >>90
今は分業制
斎藤の時代は完投しないといけないから、あえて球数減らすため三振に拘っていなかったらしいぞ
桑田の話だけど ヤクルト戦とかだと、いつノーヒットノーランしてもおかしくないくらいの印象だった
とくに主力の池山、廣澤、パリッシュあたりが三振ばかりしていた印象 斎藤はローテピッチャー続ければ200勝できたと思うんだけどなぁ >>667
>>671
本当はバックスクリーンじゃなくて1本スタンドなんだけど、伝説として3連続バックスクリーンが定着してしまったな
打った掛布自身が否定しているw
まあ暗黒時代が長かったから85年日本一とバックスクリーン3連発が美化されるのも仕方がない >>679
なんか最後の使われ方可哀想だったよな
粘って良いなら名球会入れただろうがそれをしなかったから良かったという面もある こいつが成功したせいで横投げに改造されてそのままプロを去っていく本格投手が後をたたない 斎藤がいたからファミスタにサイドスローが採用された >>671
新庄の敬遠サヨナラヒットなんて有ったなw
敬遠を振るなんて男らしくないとか、いやそもそも敬遠が男らしくないとか
物議になったっけ、でもまあ打たれる隙が有ったのは落ち度だよ >>470
球種がバレてるのに通算150勝した怪物
槙原以外で球種がバレても勝てたのは伊良部と野茂くらいで、
他はたいてい成績不振に陥って終わるぞ 粘って2000安打とか粘って200勝が偉業って文化の前に潔く辞めたから記憶に残る選手で良いんだよ 斎藤は >>175
それで言うなら鳥谷は後継だな
当時無名の聖望学園の大黒柱から阪神のレジェンドだもんな >>225
言われていたぞ
実際高校時代も県大会決勝で負けてる位大事なところでポカやってた ヤクルトは露骨に左打者並べてだろ
右はあれ打てねえわ 確かに >>248
11試合連続完投勝利は日本記録やで
そして今後破られない記録
阪神だけに強いなんて思っているのお前だけや 西武打線には通用しなかったよな
本人もそう言ってたような >>691
ぜんぜん違うだろ
鳥谷が無名のままドラフトにひっかかればそうだが、早稲田卒で逆指名で実質ドラフト1位 >>263
当時の巨人って打線弱かったんだぞ
打率0.250、ホームラン20本程度の原が四番張ってたくらいだからな >>701
原が頼りない分、後続の岡崎と駒田でなんとか点とってた。 >>700
逆に聞きたいわ
高校時代の桑田のどこがそんなすごかったのか 三本柱誰一人として名球会に入れないんだよな
山本昌とか入れるのに >>683
改めてYouTube見て見た、確かに1本はスタンドだね
でも僅か1m程度のようだし、語呂的にバックスクリーン3連発でも良いかもねw
この時槇原大丈夫かいなと思ったけど、完全試合達成したしたいしもんだ >>4
続けても無理だったろうからねえ
もう少しだけ早く覚醒していれば… >>492
ダントツで斎藤
斎藤先発の時の安心感は半端なかった >>703
甲子園で20回勝つ投手がヘボなのか www >>329
打たれてないのに勝てないのは勝負師として決定的な欠点があるんだよ >>705
https://www.nikkansports.com/baseball/news/img/bb-in-150416-01-ogp_0.jpg
当時の新聞にもセンター越えと書いてあったんだけど
ネットもない時代だしテレビでバックスクリーン3連発といえばそれが正しい時代だから誰も責められない
マスコミがセンセーショナルな見出しにして大袈裟にするなんて当たり前だし
原がチャンスに弱いダメな4番とかもちゃんと検証すると違う結果が出るけど、昔のテレビは絶対だった >>580
中尾がアドバイスして覚醒したんだよな
「中日の選手が一番嫌がっていたのは君だ」という一言で自信持ったらしい >>164
あと最期に津田が出てきたときの絶望感はハンパなかった ミスター完投なんて呼ばれてましたがね金田さんは300完投以上してますんでね
まあ、セイロクもまだまだですわ テレビつけて斎藤が先発だと、ああ今日は巨人が
勝つ日なんだと素で思ってた、そんな時代 斎藤に関しちゃ上投げ投手で指名されるわ、偵察メンバーでの遊撃手もうまいわ、打撃も上手いわだから天才タイプ
サイドスローにしても大活躍で不振明けで球速落ちたら今度はブレーキングボールで復活したからな 阪神のネタが随所に出てくるスレだな
確かに阪神に90勝3敗位のイメージがある あのサイドスローから浮き上がって沈む軌道が
慣れてなくてしかも打ちづらくて
いい投球ができた >>710
高校時代の桑田って全力で投げてない印象
いつも余力残してたんじゃないか
それでも炎天下で連投してると限界だって言ってた様な 藤田がある意味良かったのだろうが
サイドスローにさせるところなんかは
下手なコーチだとなかったのだろうな 桑田にしろ斉藤にしろもし投手ダメならショートって言われてたな。んでその頃のショートがこれまた高校時代投手の川相。
正直桑田斉藤の方が野手としても上位互換だったと思ってる。 20勝あげた年、もしダメだったら野手転向が規定路線だったみたいだね。 >>726
暗黒横浜で、172勝184敗の三浦が上だから
他の球団だったら200勝してただろうな >>614
新浦壽夫は韓国に行かなければ200勝てたな? 外角いっぱいのホームベースの角かすって逃げていくようなスライダーがやばった
ただ左の強打者が多かった広島相手だと圧倒的ではなかった記憶 >>688
まあ敬遠ヒットならクロマティもやってるからとやかく言えんw 斎藤雅樹の全盛期って、セ・リーグのすごい打者って落合ぐらいしかおらず
斎藤雅樹に限らず、セ・リーグのエースはみんな無双してたんだよな
佐々岡、山本昌、野村弘樹、石井一久あたり。
斎藤雅樹だけがすごかったというのは歴史の捏造だと思うわまじで >>94
おまえ90年代ノムさん時代からのヤクルトの強さしらないのか?? >>731
韓国行かなければ任意引退だよ。
当時は今と違って、そこそこ活躍した選手でも
一、二年不調なだけでクビ >>735
好投手は何人もいたけどその中で斎藤が群を抜いていたのはタイトルや数字を見れば一目瞭然 >>729
遠藤は抑えもやってたからセーブが58もある
平松時代からのホエールズファンの俺から見たら遠藤と三浦なら遠藤が上 >>731
この170て韓国時代も含んでるで?
まぁ巨人晩年は3勝だったのに韓国では3年で54勝だからなあ
後に大洋で日本に復帰 球団の名前は伏せるが向こうが斎藤でこっちがマイクや猪俣なら帰ろ帰ろだったからなw
キーオでギリ勝負になるかなと思うが他の2つがマイク猪俣野田で希望がないと来たもんよ >>736
いや、広沢、池山は所詮二流だと思うよ。当時のヤクルトは
別に強くねーわ。野村マジックで強く見えてただけ >>737
97年からの劣化が著しい
残りの5年で稼いだ勝ち星は26 >>715
リアルタイムで見てたけど、その後のテレビ報道とか特集で
バックスクリーン3連発ってイメージで定着してしまったんだな
確かに原は現役時はチャンスに弱い4番ってイメージ
現役辞めてだいぶ経ってからテレビのスポーツ番組で原の特集やってたけど、
原の塁に居る時の打率とか悪くないんだよ、まあ長嶋や王の後ってのも有ったかもね >>671
槇原は後に中日戦で、音、山ア、大豊の3連発も喰らうんだよな(笑)。 >>677
そんなこと言いつつ奪三振タイトル取ってる桑田w
まあ翌年ヒジやっちゃいましたが、、、 >>747
要するにとんでもなく凄くはないってことね >>746
原は勝負弱いと言われてるけど
テレビ中継始まる前の序盤に一仕事果たしてることも少なくない
今は亡き勝利打点とか結構稼いでる 昔の人がすごいのは、先発完投してたからね
しかも明らかな負け試合でも完投させられてたし
弱いチームで200勝した北別府や村田兆治なんかはすごかったんだろうな
特にロッテなんて万年最下位でしょ >>749
しかし三浦が工藤や山本昌や北別府より上と思えるか? >>113
野茂は負けも多いからなあ。
大事な試合をしっかり勝ってくれるのは斎藤。 プロになる前から凄かったピッチャーは
桑田と上原だけ 身長181 cm
体重90 kg
戦歴とほぼ一緒で草 >>128
日本人はいきなりブレイクした選手を、スターとみなすって、王も言ってたな。 斎藤がサイドスローにしたのは
藤田が復帰してからじゃなかったか? >>390
投手地獄のフェンウェイで防御率一点台だもんな 2位が3点台だったし キャリア総合で見ればランディやマダックスかもしれんがピーク時の最大風速最強だった 何かとてつもなくいい球があるわけでもないけどすごいのが全盛期の菅野と被るな
良かった時の菅野の2割増しみたいな状態が5年ぐらいあったそんな印象 >>122
ストラスバーグと並べたら同じ速さだったな
本当に速かったというか伸びがすごかった >>765
そうなんだよな コントロール抜群だがエゲツない球には見えなかったな うちは親父と兄貴が巨人ファンで俺はアンチ巨人の阪神ファンだった
東日本だから巨人戦ばかりやっててレギュラー番組は中止になるからますます巨人が嫌いになったし
兄貴と巨人戦見てていつも巨人負けろ、と念じるんだが斎藤雅樹が投げると勝っちゃうから斎藤先発の日はいつもイライラしてた
で、いつだったか兄貴と巨人vs中日戦を見てたら斎藤が9回までノーヒットノーラン
また勝つのか〜って思ってたら1死か2死からポテンヒット打たれノーヒットノーランが絶たれ、ざまぁwwwとか思ってたけどまだ3点差
そっから斎藤が1点取られ、2人ランナー残して落合が逆転サヨナラ3ラン!
1人ガッツポーズして大声あげてざまぁwwwと大喜びしてたら兄貴と大喧嘩になった
もう30年も前の話 あくまでもイメージだが
桑田は9勝6敗、斉藤は12勝3敗 >>753
自分が勝ち数基準で話してたのをすり替えるなよw >>743
さらに三連戦の他の二人が桑田と槙原とかだった
ときにはもうね 斎藤雅樹はパ・リーグにいたらたいして評価されてなかったと思うわ。
セ・リーグに落合ぐらいしかすごい打者がおらず、
その落合も途中から巨人いりしてるから斎藤が無双しただけ。
ブーマーや秋山や門田や松永相手にしてたの野茂のほうが百倍すごい >>767
斎藤と菅野はコントロールは抜群で球威が凄いけど、メジャーに行くとあんま通用しなさそう。日本人打者だからあの球威におされて打てない 斉藤信者は山本昌の存在を一切無視してるからな。
星野に潰されて復活するまで、一時期低迷したが、
全盛期は斎藤雅樹より山本昌のほうがすごかったし
トータルの成績で考えても、50までやった山本昌のほうがすごい。
短期の輝きでも山本昌
トータルの成績でも山本昌が上なのに
なぜか斎藤雅樹がすごいと言いはるのが巨カス 球数制限とか登板間隔等いろいろ選手保護するようになった今じゃあ
200勝投手なんて出てこないだろうな
毎年15勝しても14年かかる、馬車馬のように働かないと無理だろうし 片岡桑田の対談を見て思ったんだがあの時代までは完投負けってのも多かったんだよな
現代野球の分業制も理解できるがロマンが無いな >>775
まぁメジャーはコントロールいいほうが活躍するけど球威はある程度ないとね 斎藤は日米野球でも打たれてたな 菅野はWBCはアメリカ相手には好投はしてたがどうやろ 斎藤はメジャーでは無理とインタビューで答えてたが真っ直ぐが走ってる頃だったひょっとしてとは言ってたね >>777
すごい投手はアメリカに行くからそう見えるだけ
日米通算200勝ならマー君とダルがそのうちクリアするよ普通に 今サイドスローの投手あんまりいないよね
十亀とか? >>755
確かに昔は3回とかからだしなぁ、大差で負けてるともう見なかったりw
そういや勝利打点無くなってしまったな
理由は分からんけど 横の変化は当時のメジャーでも通用しないので。
日米野球で打たれてメジャー挑戦は早々と諦めたようだ。 >>782
巨人だけでトゴウ 中川 トネ 田原 田中 クワハラ
六人いるけどな ピッチングが芸術的だったのは桑田。斎藤はメジャーみたいな品の無いパワーピッチャーで俺の好みでは無かった。 >>780
そうかなぁ
今って先発中継ぎ抑えって分業制になってるから
先発やれなくなったら、中継ぎ抑えにまわって勝ち星つかなくなる
先発完投が当たり前だった時代と違うし
田中やダルビッシュもいつまで先発やれるかわからないからね 斎藤、槇原、桑田の3人柱の中だったら実績はともかく
人気は圧倒的に槇原だろうね たしかにいい投手だけどそれ以上に打者のレベルが低かった
内を見せて外のスライダーかスライダーが来ると植え付けて内で詰まらせる
このコンビネーションだけで勝てた投手
ただ、あの同時はほとんどの打者が外スラでクルクルしてた
多く完投できたのもレベルの低い打者達のおかげだろう 奥さんが高校の時の同級生というのもまたこの人らしい >>96
釣れてますなあw魚のほうも肝心な事には触れないスタイルですがw >>789
危険球一発退場の時代ではなくて防具も今みたいにしっかりしてなかったから左右投げ分ける
投手は今と比べるとやや厄介だった。 低めをとる時代になっても左右のコーナーは従来通りだったので。
ストライクゾーンが広かったというのもあるね。 斎藤180勝止まりか〜
ピッチャーで200勝って難しいんだな〜 >>96
俺個人的には中日の今中かなぁ
選手生命短かったし、性格があれだから
嫌いな人も多いんだろうけど 今の野球じゃコーチ陣が絶対にありOKしてくれないほどのアーム式だった セシル・フィルダーが斎藤のことを全く打てなかったので。
当時べーべーのフィルダーであってもそこそこメジャーで活躍してた若手有望選手だった
のでメジャーでの活躍も期待された。少なくとも3Aクラス以上の力がある事は証明されて
いた。 ピークの頃は数年間20勝以上維持してたような印象あるなぁ
当時の巨人の投手と言えば桑田と斉藤とガルベスって感じだった 江川と斎藤が苦手にしていた広島だが、何故か定岡と槙原はむしろ広島に相性が良かった 黒田は35〜41歳で7年連続二ケタ勝利
これが出来ればエース級なら200勝いく 西本聖も広島戦を苦手にしていた。
当時の広島は本当にねっちっこかったね。 斎藤は悪くても悪いなりにまとめる的な能力がすごかった
少し前までのカーショウなんかそういう能力抜けてすごかったイメージ >>802
ヤンキースにいたっていうのもあるけどね >>791
確かに綺麗な人ではないが
金に寄ってくる変な女ではなく
自分を一番知ってる女性と結婚した
斎藤は立派だな
奥さんも一度身を引いたんだよな
きらびやかな舞台で活躍する斎藤に対して
釣り合わないと感じて
それを斎藤は引き留めた
素敵やん 江藤智は対斎藤雅樹 通算48打数1安打 .021 0本塁打 東尾はあの程度の投球内容で200勝したから。
東尾が登板する試合は必ず一人二人担架で運ばれる選手が出るので。
今だったら警察が取り締まってもいいレベルかも。 永遠の巨人監督候補
原や阿部や由伸全員が球界追放され、松井が断固拒否してようやく監督になれるレベル
実績では全く問題ないのに 地味だからか高卒だからか サイドスローの本格派?
180勝でとんでもなく凄かった? 物真似の広島の山崎も成績残したし
あの投げ方は打ちにくいのかな? >>812
なんか右のプルヒッターは相性悪そうやな
まあスライダーやカーブ溜めて打つの上手い打者もいるだろうけど 80年代の巨人はドラフト1位が高卒の投手が多かったけど結果成功だったけど結構な賭けだよな >>55
俺の学生時代の友達の家の隣が斎藤の実家とか聞いてすげーーーってなってた 基本上から投げてくる投手を昔から相手してきてるから合わせにくいみたいなのはあるかもな。斎藤とか高津のシンカーとか
野球経験ないけど、ヒットは打ててもホームラン打つにはちょっと打ち方変えないと上手くスタンドまでもっていけなさそう 200勝出来なかった原因は、投げ過ぎだよなぁ
完投数が異常 >>93
松井のキャリアであの年96年の後半戦がある意味一番印象に残ってるわ
飛距離とかスイングの速さ強さがなんか普通の日本人パワーヒッターと違うぞと
田畑の高めボール球叩き込んだのとか紀藤からの場外弾とか 右打者(特に外国人強打者)に外角ボール球を空振りさせる名人という印象 無期懲役 小川博(ロッテ・千葉ロッテ) 2005/09/29 さいたま地裁 事後強盗殺人罪 変則投げのピッチャー減ったよなぁ
昔は結構いたのになんでだろな 今みたいに継投前提の時代だったら200勝いってたんかな
しかし負け率の低さに今更驚いたわ 活躍しだしたのが遅かったから200勝出来なかった感じだよな。あと2年くらい早く活躍出来てれば ショート転向していても
スーパースターになったかもな。
三冠王に強肩で客を沸かせメジャーでも通用しただろう 150勝した試合で延長12回投げた
あと一人で引き分けのところで仁志がサヨナラホームラン打って達成した
しかしこれが翌年以降の劣化につながったと何かに書かれていた
現在では延長まで投げることはまずあり得ない 斎藤雅樹 180勝 沢村賞3回
斎藤隆 112勝139セーブ
斉藤和巳 79勝 沢村賞2回
平成の斎藤は名投手ばかり 通算180勝96敗、防御率2.77。
胡散臭い200勝よりよっぽど価値あるやんけ
名球会なんて意味ないな 斉藤が巨人の監督やるんだったら
本気で応援するわ。
野球やってる人間でここまで出来てる人って他に浮かんでこない。 >>843
お前みたいな馬鹿は斎藤より単打マンの名球会メンバーのほうがスゴい!と思っちゃってるんだろうなw
権威主義ってみっともないねぇw >>843
名球会は金田が勝手に作った個人団体だから
その辺の大学サークルや老人グループと同じ >>842
野手の2000本に比べれて
投手で胡散臭いなんていないだろ もう良かった時代の思い出を語るしかない巨人ファンw >>828
完投完封を減らした分早めに途中降板援護勝利多くすれば200勝見えたかもしれないな 万年トレード候補の2軍にステイホームというならハンカチに勝る者は無い。 斎藤ってバッティングセンスあったよね
斎藤桑田は良くてなんか槙原だけ… 全盛期の斎藤雅樹と今中慎二が相手投手だった日は今日は負けだとナイター見なかった >>842
タイトル数完封勝利数なら名球会レベル
まあ野球殿堂入ったからどうでもいいと思える 平成の31年間で、開幕投手が2年連続同じ顔ぶれだったケースは2005年・2006年のセリーグだけ
川上、上原、石川、井川、黒田、三浦 糞田舎になんか、来てくれてたな、宮本と斎藤さんとイクサー3?の歌手と 試合のテンポが早くて良かったな
今は野球も見なくなったが >>852
つべで見た大ホームラン見たらもし当時DHあれば投手引退も打者で現役3年ぐらい続けてほしかった 巨人の絶対エースだったからなぁ
テレビで全国に流れるんやで 藤田のおかげじゃない
中尾のおかげ
星野に追い出された中尾が
巨人に行って初めてしたのが
「斎藤は打ちにくい、だからもっと起用すべき」 絶対エースってたぶんある期間の特定のピッチャーがいたんだろうけど、テレビ放送のあった巨人のピッチャーってことは大きかった 若い頃の一時期チームが弱かった頃に打たれていた印象しかない >>743
8回までリードされてる時の対横浜みたいなもんだな つべに上がってるトーク番組見ると気弱さと強さが同居してるイメージがある
それがAB型の特徴なのかなw 酷使だよな
ヤクルトが頻繁に優勝してた時も岡部と伊藤の酷使
中日は浅尾でどんでんは久保田で藤田巨人は鹿取 オレはアンチ巨人だったけど、斎藤登板の日はナイター始まる前から見る気も起きなかったよ…まあ、野球好きだったから見てたけどww
だから、代打・音から始まったノーノー撃破の試合は興奮したの鮮明に覚えてる。放送がフジ系列だったと思うけど実況のアナウンサー(東海テレビの吉村さん?かな?)が、「こんな試合、みたことない!」って絶叫してたw 変な投げ方なのに速かったし
斉藤が投げれば負ける気がしなかった 監督になるとすれば巨人はなさそう
他球団なら可能性があると思う
横浜をはじめヤクルト日ハムあたりとか
現役から縁が薄そうな広島も面白いかもしれない
>>874
調べたら0勝だった… 子どもの頃見てたけど斎藤と槙原の回はつまらなかったな。今思えば完封してヒットなかったからかも。 カイエン「ベースボールマガジンさん、ポルシェの次の賄賂待ってます」 >>1
日米通算112勝139セーブの斎藤隆のほうが上 全盛期の斎藤雅が登板する日は相手チームのファンも最初から諦めムードだったな >>790
1つ下だったと思う。斎藤がドラ1で巨人に指名された時、
センパイが遠い人になったと言って泣いたとか。 >>689
それに加えて視力悪くてサインが見れないから投手から球種とコース指定してたって引退後に聞いて驚いたわ ヤクルトにいたパリッシュが、斎藤と対戦すると その後 数戦調子を落とすので 先発斎藤予想の時は控えに回ってたな 落合
「あの当時の巨人はね、槙原、桑田、斎藤って三本柱の投手陣だったけどね、一番力があったのは斎藤雅樹なんです。
まあ、勝ち星や防御率を見比べれば分かる通り斎藤が常に頭ひとつ抜け出た投手だったことには間違いないんだ。」
落合も認める三本柱筆頭の投手 斎藤は確かに、気は優しくて力持ちって
言葉がぴったり来るな
槙原があんなに喋りが達者だとは思わなかった 落合の言うことってあんま宛にならない
全盛期の斎藤をカモにしてたの落合じゃん >>887
アムロとフラウボゥみたいだな
こちらは結ばれたが ランナーいないと無双状態なのにランナー出た瞬間級にバタバタしだしてた 当時は左打者あまりいなかったからね。今のプロ野球じゃ通用しないな 神宮で伊藤智仁と投げ合い
9回裏にハウエルにサヨナラホームラン
あれは凄い試合だった 今でいうカット気味ボールが
特にえげつなかった。
あとブレーキングカーブね。
フォークの握りで投げてたシンカーは
落差はそれほどでもなかったけど、
チェンジアップのような効果があった。 体型はいかにも大物感はあったろ? ガタイ良かったし。 >>907
ハンカチ「サイドスローだと球速出ないので無理」 この人って今の野球界にいたとしたらやっぱりたくさん勝ててたの?
それとも今の向上した技術じゃボコボコに打たれまくったのかな 暗黒阪神で100勝くらい上げた藪さんもたまには思い出してあげてください。
藪病とか笑われてたけど全く打線が点を取らないんだから、そりゃ6回7回で緊張感切れるわ。 阪神暗黒時代の天敵だったな
先発斎藤の日は勝てる気がしなかった ドラフト1位、巨人一筋
選手コーチ時代の実績申し分なし
それでも監督待望論がまったく起こらないのは疑問だな 白いカセットの燃えろプロ野球が、斎藤のスライダーと今井雄太郎のシンカーをかなり再現できた 斎藤が現役の頃、抑えは水野と広田さえいれば充分だった >>21
140キロ台が遅いと思ってるのなw玉のキレで全然違うぞ 変化球が本当にブレーキ利いてて当てることすら難しそうだったな 味方がエラーするとめっさブチ切れる器の小さい人ってイメージだけどな 斎藤のフォロワーみたいな選手がいないのはなぜ。
一大サイドスローブームが来ていいはずだったのに。 >>939
昔日ハムに鎌倉という選手がいてだな... >>35
グランドのピッチャーとキャッチャーの間に県境があったというアド街ネタか。 斎藤と今中が先発の時の絶望感ハンパなかった。斎藤の時は中継見なかったけど今中のスローカーブ見たく何時も負け試合見てたわ >>21
大人気だな
見た事ないか野球知らないかだと思うけど二度と発言するなよ >>699
斎藤も「無名のまま」ドラフトにはかかっていないぞ >>703
お前さん凄いなw
甲子園歴代最多勝利数の桑田にそれ言うか? >>1
そもそもこれのどこが「ニュース」なんだ?
しかも取材も何にもない過去の情報を切り貼りしただけの感想文、
書いている奴に至ってはただの素人ブロガーだぞ? >>722
阪神暗黒時代だったような記憶がある
実際は知らんけど >>957
荒木大輔も斎藤佑樹も早実の甲子園のアイドルでドラフト一位。
その外れ一位が斎藤雅樹と山田哲人。 >>777
山本昌は凄いけど、2年連続20勝した?11試合連続完投勝利した?シーズン防御率は1点台だったこと何回あった?
これで回答出るだろ。 投げれば勝つという感じだったな
広島戦は避けたけど 三本柱時代の巨人は打線も“後ろ”もいまいちだったから、先発投手は自分も打って完投しないとならなかったからなぁ…
現監督は偶にソロHRを打ってドヤ顔してた印象w 原には何回もチャンス与えて斎藤雅樹にはチャンスゼロ。 >>410
俺にとっちゃお前の妄想よりWikiの方が信用なるわ >>499
落合が著書で書いてる。
桑田はどこに言ってもエース、斎藤はどこに行ってもナンバーワン。 >>972
名言のようでいていまいち意味分からんw >>4
名球会なんて飾りです。古い人にはそれが分からんのですよ! >>548
三本柱+宮本・香田・トナカイで優勝ラインまで持ってっちゃうからw >>973
落合の言うことはなんか凄そうだけど
ほとんど意味分からん ノーヒットノーラン目前で落合にサヨナラホームラン打たれて負けた試合は、たしか藤田監督がマウンドまで斎藤を迎えに行って一緒にベンチに帰ったんじゃなかったか。
その時に藤田が掛けた言葉がすごく良かったはずだが、なんと言ったか忘れてしまった。 >>972
10.8決戦で最後が桑田だったって事がそう言う事なのかね 斎藤って85年に12勝してるんだな
まだ幼かったから90年前後と違ってリアルタイムでは知らないけど
というか1年目からそこそこやってるのね >>694
調べてみたら本当だな
俺の方が勘違いしてた
石毛博史と >>87
広島の山崎な。
別に斉藤のフォームを真似したかったというよりは、巨人所属で、先発ローテで決まった日に投げる斎藤の試合は
テレビ録画しやすかったかららしい。
かたや、抑えの潮崎や高津はいつ投げるか分からないから、録画しにくかったとか。 以前BSで巨人近鉄の伝説の日シリの舞台裏を当時の選手たちが語る番組があったけどあれ見ると選手たちを上手く発奮させる藤田監督の人心掌握術は凄いよ
確かに投手を使い倒して選手寿命を縮めた面はあるけどそれはそういう時代というのもあるし別に選手から恨まれてはいない
今となっては古いタイプの監督ではあるんだろうが名将には間違いない 完投・完封を減らして分業制を徹底してれば寿命も延びて200勝届いたのだろうけど
それは本人も望んでないだろうな >>21
タコ殴りだから慰めてあげよう
これからは知ったかぶりしない方がいいよ
リアルだとガチで嫌われるから >>917
中6日で完投しなくて良いなら今でもエース級だと思う >>979
投手は、200勝だけでなく2000奪三振も入れた方が良い。
勝ち星だけだと、これ以上名球会入りする選手が増えないだろう ぶっちゃけもう名球会はどうでもいいだろ
マウント取って来る化石とお酒を飲む会だぞ 俺の中でエース斎藤というとこの人と斉藤和巳のイメージ >>989
まぁ、「この選手が入ってないの?」てのや、長くやれただけで(それはそれで凄いけど)微妙な立ち位置の選手が入ってるのが増えると、名球会の無価値化が進むからねぇ… 投手はいくら良くても打線が点とらないと勝ち星つかない
打者は試合に関係なく安打を積み上げられる
名球界の基準がめちゃくちゃだから打者と投手を比較しても意味ない >>225
89年の覚醒前は代名詞みたいに言われてた
「中継ぎで12勝したことがあります」も斎藤紹介の定番フレーズだった >>995
1985年の斉藤の12勝はほぼ先発で勝ったはずだが 西武の主力投手として活躍した1歳下の渡辺久信が何度も日本一、最多勝3回なのにNPB通算125勝110敗 防御率3.67
リーグが違うとは言え数字では斎藤のが圧倒的に上だな このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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