【野球】今中慎二「国民的行事」に犯した大失態 233試合 91勝 69敗 3.15
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巨人・長嶋茂雄監督は国民的行事と呼んだ。プロ野球史上初となる中日と巨人による同率首位チーム同士の最終戦。
俗に言う「10・8決戦」。1994年10月8日の土曜日。午後6時から始まった運命の一戦。
愛知県に住み、当時大学生だった記者はくぎ付けになっていた。
2点を先行されながら、中村武志の適時打などで同点。しかし、全幅の信頼を持って送り出されたエース・今中慎二が4回5失点とまさかの乱調。
最後は桑田真澄のカーブに小森哲也のバットが空を切った。長嶋監督は宙を舞い、高木守道監督は涙をのんだ。
中村の適時打が飛び出した午後7時ごろだったか。家の電話が鳴った。「鈴木先生、今日、6時からですよ。忘れてましたか?」。
当時、名古屋市内の学習塾で講師のアルバイトをしていたのだが、完全に頭から抜け落ちていた。「生徒たちにはうまく説明しておきます。
精一杯、中日を応援してください」と言ってくれた塾長。国民的行事に心を奪われてアルバイトをすっぽかしてしまい、受話器越しに何度も頭を下げた。
細身の体から、しなやかな腕の振りで150キロ近い快速球を繰り出し、曲がりの大きな80キロ台のスローカーブを投げる今中のファンだった。
あまりマウンドでは喜怒哀楽の感情を出さないクールな立ち姿も憧れだった。
97年。甲子園球場での2軍戦で初めて彼を取材した。前年まで4年連続2桁勝利を挙げていたが、左肩痛を患っていた当時の最速は全盛期には程遠い120キロ台後半。
「今やれることをやっていくしかない」。初取材で耳にした悲痛に似た言葉の響き。どこか曇った表情を今も記憶している。
消えない痛みと違和感。日によって治ったと感じることもあったが、長続きはしなかった。懸命のリハビリ、それまでは拒絶していたウエートトレーニングも始めた。手術も受けた。
だが、あのころの自分は取り戻せなかった。
通算91勝69敗5セーブ。01年を最後に現役に別れを告げた。02年から評論家として第2の人生をスタートさせた彼は言った。著書と同じように「悔いは、あります」と。
体本来の治癒力を最優先したいとして、登板後のアイシングを積極的に行わなかったことなど、「もう一度やり直せるなら、時計の針を巻き戻してみたいな」とも。
ただ、オールドファンならずとも、ムチのようにしなる背番号14の投球フォームは、今も脳裏に深く刻まれている。密度の濃い13年のプロ野球人生。記憶は色あせない。(デイリースポーツ・鈴木健一)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200420-00000061-dal-base
4/20(月) 14:00配信
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/11/01/jpeg/G20091101Z00002960_view.jpg
https://sp.baseball.findfriends.jp/player_image.php
https://www.youtube.com/watch?v=aSsn7uTk428
燃えよドラゴンズ1999優勝記念
https://www.youtube.com/watch?v=YBsNzrMzWPQ
1994 今中慎二 1 翻弄される 松井秀喜
https://www.youtube.com/watch?v=Sp5sSEYqSBM
1993 今中慎二 1 超スローカーブ 球速差59km
http://npb.jp/bis/players/71173868.html
成績 今中は相手の主軸をねじ伏せることには燃えたけど、勝敗にはあまり執着しなかったからな。
だから、活躍した年でも、防御率のわりには、勝ち星を残せていない。
でも、調子が良い時はどうにも止まらないから、完投数が多く、ファンの印象に強く残っている。
1993年 17勝 7敗1S 防御率2.20(投球回249を叩き出した文句なしのシーズン。但し、これが投球回200を超えた唯一の年だった)
1996年 14勝 8敗 防御率3.31
1994年 13勝 9敗3S 防御率2.88
1991年 12勝13敗 防御率2.52
1995年 12勝 9敗 防御率3.29 >>228
本人はそう言ってたね
それで200勝してるんだからつまるところ「人それぞれ」なのかもしれん 持って生まれた体の強さもあるんだろう
今中と同じようなプロ野球選手としては華奢な方の岩瀬が10年連続50試合以上登板とかしても壊れなかったりしたようにさ キャリアハイの1993年の成績は本当にすごい
沢村賞も文句なし
31登板(30先発) 14完投 17勝7敗 勝率.708 249.0投球回 247奪三振 防御率2.20 >>230
今中曰く、岩瀬は絶対壊れる投げ方だと思ってたらしい 岩瀬はピッチングフォームでは故障しなかったけど風呂でコケて怪我してたな >>209
落合は何時もは捕りに行かないファーストライナーを
捕ろうとして足の筋を痛めて退場した
代わりにファーストに原が入った >>227
イメージ程成績残ってないんだよな全然
天才とかガラスのエースってイメージなんだが
若くしてセリーグ1のサウスポーと認められたからかな >1のユーチューブの動画見ると
キャッチャーがポロポロこぼしてまともに補給できてないな
今中が凄かったのか中村武が下手くそだったのか 小森哲也って誰?
ミュージシャン?
そんな選手聞いたこと無い 10.8は10.19の足元にも及ばんよ。
試合内容があまりにも違い過ぎる >>134
パワプロの山本昌のスクリューはエグかったな。 中日の投手陣が思い出せない。
今中、山本昌、郭源氏はストッパーかな?
落合英二、前田あたりは同時期だったか… >>235
サードの原がファーストへ
サードに岡崎が入った
セカンドに今中対策で元木がスタメンだったんだよな >>243
小松、杉本、鈴木孝政、牛島、ソン、西本、小野、近藤、上原、川上、与田 97年以降は毎年キャンプの時は今年はイケるって感じだったのが
シーズン直前にやっぱり肩が痛いってリタイアするのが通例だった
ストレートが130キロ前後しか出ないから技巧派に変われと
何度も言われてたんだよね イチイチてめーの思い出話挟むから、ひどく読みづらい文になってるじゃねーか。どあほ >>208
嫁の写真らしきものを見たけどそれ見た限りでは可愛かったけどな
修正しまくりかも知らんけどw >>222
昌が200勝したのに今中が100勝も出来なかったこと言ってるんだろ >>246
一部の中日ファン、ごく一部の巨人ファンが言ってるだけ
俺は中日ファンだけどこの試合より2007年日本シリーズのあの試合の方が記憶に残ってる >>144
実際に見たのか?
星野が逝ってしまった今、そんなにアレならとっとと○婚するだろw 小森www
知らねwww
当時はたまに野球見てたんだがな チェンなんかは今中の再来言われてたな。
ここ10年の中日では最強左腕だったわ 肩やっちまってから全然勝てなくなったな
それまでは大エースだよ そもそも91勝は立派
それ以上勝ち星を挙げた投手とプロ入りした投手の数を較べてみれば良い
もっと勝てたはずには同意する 速球派は壊れやすいなぁ
もろはの剣だ
ある程度加減して投げないと
最速球連発しても打たれる 阪神ファンだが
遠藤 斎藤 北別府 石井一 伊藤智 今中 川崎
この辺の先発が出て来たらある程度諦めてたわ
だってこっち頑張っても猪俣とか川尻だもん 26歳からほぼ勝てず、31歳で引退
現在31歳はマーくん、斎藤佑樹、マエケン、坂本の世代 >>266
解る
上の投手は15勝8負
下の投手は6勝12負 >>248
ありがとう。でもほとんど知らなかったわ(笑)野手は割と覚えてるんだけどな。彦野とか仁村とか 今中ファンで投げる試合は見てた
でも10.8は多分打たれるおもたw 今中はカーブもストレートも素晴らしい
でも落ちないフォークだけはいただけん
落合にそれをよく放り込まれてた >>236
シーズン通して稼働した年は全部二桁勝利してるからね
いかんせん、その年数が少ない 完投型でコントロールもいいからポンポン投げて見てて気持ちいい
江川ほど早くなかったがな
江川はほんとポンポンポンポン ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています