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2020年4月19日 14時0分 TOKYO FM+

月曜から木曜の深夜1時にOPENするラジオの中のBAR『TOKYO SPEAKEASY』。4月7日(火)のお客様は、小説家・エッセイストの林真理子さんと幻冬舎社長の見城徹さんです。

◆今までにいなかったミュージシャン
林:今日、私、尾崎豊さんの歌をリクエストしているんですけどね。尾崎豊ってさ、実は亡くなるまで人気がそんな一般的ではなかったんだよ。亡くなってすごいお葬式を見て、大人もすごい人がいるんだなっていう感じだった。あのあんなに一般的になるのは亡くなってからだと思うんですよ。そのお葬式の行列を見ていて。護国寺で。そのときに見城さんの言った言葉が印象に残っているんだけど、「尾崎豊のファンっていうのはすべてのファンがあの寺に行く。それが、“尾崎豊のファン”なんだ」って言ったの覚えてる?「尾崎のファンってそういうファンなんだよ」って教えてくれたの。

見城:だから、ものすごく心中率が高いファンなんですよ。それで、一般的なファンじゃない。“この人のためだったらすべてを犠牲にしても良い”っていう。だから熱狂的なんだよね。
なぜならば、彼の歌っている曲が全部“1度は誰もが通る”、ちょっと繊細で生き方に迷っている人だったら必ず通る、彼の何かが触れているからなんですよ。そんなこと言ったらさ、秋元康の詞だってみんなそうなんだけど、あんな風に、詞で何かを訴えるっていうことができたのは、尾崎が最初だったような気がするんですよ。
中略

◆転落から“二人三脚”で…
見城:それで、尾崎は1回すべてをなくすんですよ、捕まっちゃったり、いろんなことがあって。レコード会社も所属事務所もなくすんですよ。それで、ある日、新宿のヒルトンホテルのスポーツクラブで早朝に行ったんですよ。出張校正っていう、印刷会社に詰めて校正するっていうのがあって、それが終わって、ちょっと体を動かそうと思って、早朝のスポーツクラブに行ったらば、

何ていうのかな、荒れ果てた感じの人が、シャドーボクシングをしながらトレッドミルを走っていたんですよ。“俺、この人の隣で走るのいやだな”と思って、そのままサウナに行こうと。行きかけたら、その人がトレッドミルを止めて「見城さん」って言うんですよ。“え? 何で俺の名前呼ぶんだろう”って思ったら、「尾崎豊です」って言うんですよ。

「えー!」って。白髪で太っちゃっていて、全然尾崎の面影はなかったんですよ。そこから、2人でジムの床に座って、彼は「すべてをなくした。だけど、自分は蘇りたい」ってことを、切々と僕に語るんですよ。中略
でも、この尾崎を見て、俺は“もう1回、自分をこいつに重ねて蘇りたい”と思ったんですよ。それで、トレーニングメニューを書き、それから金を集め、人を集め不動産屋を回って、「アイソトープ」っていう尾崎の事務所を作るんですよ。だけど、俺、角川書店のサラリーマンだからさ、会社にバレたら本当にクビだったんだけど、とにかく“尾崎の復活”にかけた、って俺が言うと生意気だけど、そういう“二人三脚”があったんですよ。

そして、尾崎の復活アルバムが『誕生』っていうんだけど、それがオリコンの1位をとったって、大体2日前ぐらいに分かるわけですよ。ヒルトンホテルに彼は泊まっていて。それで、ホテルの下から電話して「降りて来い。アルバムが1位だよ」と。1位じゃなかったら、尾崎が復活したって言えないと思っていたので。それで、2人でヒルトンホテルのバーに入って生ビールで乾杯するんですよ。そのときのビールほど美味いビールはなかったです。

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