「仕方ないが、残念…。大人の手で球児の夢をつぶしてしまった」。急きょ会見した県岐阜商の鍛治舎巧監督(68)は目に涙を浮かべ、やるせない心境を吐露した。
2018年に母校の監督に就任してちょうど2年。同時期以降に入学した選手たちとのセンバツが霧散した。

「長年解説者として関わってきた立場からも、甲子園は単なる部活動じゃない。日本の文化だ」と語った鍛治舎監督は「(開催か否かの)判断を先延ばしにしてもよかったのでは」と発言。
ギリギリまで可能性を探る道がなかったのかと、諦めきれない気持ちを口にした。

鍛治舎監督は9年前も思い起こした。東日本大震災の直後、日本野球連盟の近畿地区連盟会長としてセンバツ開催を呼び掛けた。
「反対は多かった。『生かされている命に感謝し』との選手宣誓で変わったんです」。当時は球児が世論を動かした。同じ「3・11」の決定に、複雑な思いが脳裏を交錯した。

中止決定の前、チームは岐阜県可児市内で練習した。
午前から夕刻まで白球を追いかけ、佐々木泰主将(2年)は「実戦的な練習ができた。投打とも上向いている」とセンバツを楽しみにしていた。
鍛治舎監督は「選手には『夏に向けて頑張ろう』と伝えようと思う。新しくスタートを切らないといけない」。幻の甲子園を現実にすべく、今は前を向くしかない。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200311-00010064-chuspo-base
3/11(水) 23:31配信