日本ハムの栗山英樹監督(58)が11日の沖縄・名護市での阪神との練習試合後、虚血性心不全のため84歳で死去した野村克也さんを悼んだ。自身の現役最終年だった1990年に、野村さんがヤクルトの監督に就任。同じチームには1年間しか所属しなかったが、野球観のベースには野村イズムが根付いていると説明。感謝の気持ちを表し、「もう少し自分が前に進む姿を見てもらいたかった」と言葉を絞り出した。

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 突然の訃報にショックを隠せなかった。栗山監督は自身の心境を表す言葉を慎重に選んだ。現役最終年には選手と監督の立場で、その後は指導者の大先輩として接してきた野村さんとの別れ。「一回も褒めてもらうことがなかった。『お前、頑張っとるやないか』と言ってもらうために一生懸命やってきたつもり。もう少し自分が前に進む姿を見てもらいたかった」。その両目は少し潤んで見えた。

 同じチームで過ごしたのはわずかに1年。それでも野村イズムは指揮官の中に根付いている。「1年目(90年)のミーティングノートは(自身の)ベースになっている。野球界でみんなが知っている、配球とか、こうするべきとかいうことを野村さんが整理してくれた」。現役引退後、解説者として活動した期間にも「『ノムさんとやっていなかったらゾッとする』と思ったことがいっぱいあった」。感謝の言葉が次々とあふれ出た。

 特に記憶に残るのは、東京Dの監督室。「監督室に呼ばれて、思いっきり怒られた」。苦い思い出が残る一室に、いまは自分が監督という立場で入るようになった。「今は俺がそこに座っているけど、(監督室に)入るといつもそれを思い出す。しかられることはすごく大事なことで、ずっと残っていく」と、当時を懐かしむように振り返った。

 一度も褒められなかったことは、自身へのエールだと受け止めた。「なんとかしてやると今でも思っている。『お前なんて一生褒めねぇ』っていうのは、頑張り続けろ、もっと努力しなさいということだよね」。野村さんの下で学び得た知識でチームを勝利に導くこと―。それが最高の恩返しになる。(小島 和之)

2/12(水) 8:30配信
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