【野球】殿堂入りの田淵氏、ダイエー監督時代は「いつも苦しかったよ」
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球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが14日、東京都内の野球殿堂博物館で発表され、エキスパート表彰で田淵幸一氏(73)が選出された。
阪神、西武での現役時代は王貞治の14年連続本塁打王を阻止するなど歴代11位の474本塁打。引退後はダイエー(現ソフトバンク)で監督を務め、阪神と楽天では盟友星野仙一監督(故人)の下でコーチを務めた。
田淵氏との一問一答は以下の通り。
−野球殿堂入りが決まった
ファンや出会った人のおかげ。紆余(うよ)曲折の野球人生だった。感無量。
−野球人生を振り返って
松永怜一さん(元法大監督)が野球のイロハのイを教えてくれた。捕手として教わったことを生かして、プロにも入れた。これまでの野球人生でも、指導者に恵まれてきた。
−阪神でのプロ生活は
本当は巨人に行きたかった。ただ、巨人と試合するときは王(貞治)さん、長嶋(茂雄)さんの前でホームランを打ってやるという闘志が湧いてきた。けがもあって、完璧にやれたシーズンは数年しかない。阪神で優勝はできなかったけど、江夏豊という大投手に出会えた。
−1975年には王貞治氏の連続本塁打王のタイトルを止めた
巨人戦で王さんの前で本塁打を打つのは喜びだった。王さんや長嶋さんという大きな山があったから、乗り越えようという思いでやってきた。だから、こんな成績になった。
−西武でも活躍
広岡達朗監督の下で(1982、83年と)2年連続で日本一にもなれた。(83年に)正力松太郎賞をいただけたときは、これが最後の賞だと思っていた
−盟友だった星野仙一さんに伝えたいことは
2017年に(星野氏が)殿堂入りして、その後に開かれた祝賀会で「次はおまえが殿堂に入ったら、山本浩二も呼んで受賞パーティーをやろう」と話していた。受賞が決まったときは「仙ちゃん、俺ももらったよ」と心の中で伝えた。
−星野さんとの思い出は尽きない
(星野氏が)阪神の監督を打診されていたとき、一緒に(コーチを)やるぞと言われた。星野と一緒ならどこでもやるつもりだったので、即答だった。亡くなるまでほとんどの時間を一緒に過ごしたから。彼は男がほれる男。死なばもろとも、という思いがずっとあった。
−ダイエーで監督も経験した
いつも苦しかったよ。ずっとBクラスだったからね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00010010-nishispo-base
1/15(水) 12:28配信
https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20161019%2F75%2F7225365%2F2%2F300x375x257addb44918ecc4007248d3.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=600&qlt=80&res_format=jpg
https://pbs.twimg.com/media/DfJsVa1UYAEJQAg.jpg
https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php
https://www.youtube.com/watch?v=n9evrYP6Oxk
福岡ダイエーホークス 応援歌メドレー 平和台時代新曲 根元にひっぱってこられたんだっけか
戦力揃わない時代にしてはよくやってたと思うわ
田淵がいたから石毛や秋山トレードでとれたとこもあったろうし 田淵って星野の時にコーチやって「自分には上に立つ才能ない」ってゲロってたな >>3
根元はダイエー行って自分で監督になったから違う。田淵はその前。 ガキの頃好きだった打者は
王、山本浩二、田淵幸一、
なんだかんだ偉大 あんなに弱かったチームがたった10年くらいで優勝争いだもんな。わからんもんやな。 田淵があまりにも駄目すぎた結果中内オーナーがぶちギレして根元引っ張ってきてライオンズ化が始まった >>6
ああそうだったな
サンクス
田淵→坂井→根本という流れやったわな >ダイエー、1993年2月のキャンプ初日、根本はこう言った。俺は勝つ気がない。でも、お前ら、選手一人一人は成長しろ、そして何年後かには強いチームを作る。
>同シーズンの終了後に、根本は瀬戸山隆三に言った。今のチームは同好会だ。これじゃあダメだ。チームを変えるために血の入れ替えをするぞ!
こういうことが出来るやつがトップにこないと、本当の弱小チームは変わらんからね >>1
捕手の打撃成績としては破格だけど、そもそも捕手としての実力はどうだったの?(´・ω・`) 門田抜けた南海押し付けられてもどうしようもないよね >>22
肩も捕球も俊敏さも外木場からデッドボールを食らうまでは平均以上だった
プロの捕手として欠落していたのは洞察力
人をうたぐらない性格が災いした >>1
門田
ドカベン
カズ山本
バナザード
ブーマー
アップショー
懐かしい〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 福岡ダイエーホークス
1989 59勝64敗7分 .480 4位 杉浦
1990 41勝85敗4分 .325 6位 田淵 かっとばせキヨハラくんで
「他のチームのトレード要員をバラしたタブチさん」ってのがあったな >王貞治の14年連続本塁打王を阻止
王選手がケガをした年だって頑張れタブチくんを読んで知った >>31
監督1年目はヒドかったけど、2年目以降は5位→4位と一応順位は上げてるんだよな
監督に不向きだったことは確かだけど 奥さん捨ててエロ女優と結婚して出来た子供をフジにコネ入社させた男 ミスタータイガースと言えば田淵
それはもうカッコいいんんだ
ホームラン打者の御手本でしたね
掛布も素晴らしかったが、阪神の
スーパースターは右打者でなくてはいけないのだ >>28
このメンツでAクラス入れなかったからな
西武は抜けていたのは確かだけど田淵は本当に無能だった >>1
トラックスラ―とかは王さんかね?
監督は無能でも、投手コーチ有能なら何とかなるんだがねえ 正直、新庄なんてカッペでしたね
田淵のカッコ良さは抜けていた
4番キャッチー田淵!
阪神ファンはそこに痺れましたよ 田淵がダイエー監督時代にばらした他球団のトレード要員は
長嶋清幸
結局長嶋は広島にいられなくなり
91年に音、山田和利と交換で中日に。 50代以上の阪神ファンなら経験する憧れのバッティングフォーム
*田淵〜掛布* 田淵は巨人に入りたかったそうだが
時代は《巨人大鵬玉子焼き時代》
そこに颯爽と登場したミスタータイガース花形満が田淵!
なんかそんな感じでしたね 田淵はジャイアンツのような都会的チームで
ずーっと活躍してほしかった 「アストロ球団」で無七志の新魔球に果敢に立ち向かうが返り討ちにされてしまう >>44
その3人は2003年も一緒に酒飲んでたな
浩二が井川を初めて打ったよとか星野に言ってた >>43
そうは思わんね
田淵の願い通り巨人に入団していたら、田淵は王/長嶋の影に霞んでいたのかなぁ〜って思うよ
田淵のカッコ良さは巨人の星の花形満並みでしたよ >>43
捕手一本なら森に潰されてた
打力を買われて外野へコンバートされ、末次あたりが割りを食うかもしれないけど、
細かいサインプレーを覚えられるとは思えない 田淵が監督じゃなかったら藤本と西川はもうちょっと長く活躍できてただろうな >>37
近鉄、オリックスのほうがチーム力が上だから無理 田淵が殿堂でブライアント、高津が弾かれる!ってつくづくオカシな話だ。 捕手田淵の評価は本当に低いよなぁ・・
野村からもリードを酷評されてたし。 >>53
田淵はエキスパート部門だからね
プレーヤー受賞と比べたら一段も二段も下だよ
名選手はみんなプレーヤー受賞 野村克也が南海ホークスのプレイングマネージャーになって
昭和45年2位、昭和46年4位、昭和47年3位、昭和48年リーグ優勝、
昭和49年3位、昭和50年5位、昭和51年2位、昭和52年2位
だったのが伊東芳枝(野村沙知代)の件で野村が解任されて
昭和53年からホークスは21年連続Bクラス 2020候補者の得票数
◇プレーヤー表彰(有効投票数354票、当選必要得票率75%)
高津臣吾 259票(73.2%)
アレックス・ラミレス 233票(65.8%)
川相昌弘 218票(61.1%)
宮本慎也 206票(58.2%)
野村謙二郎 127票(35.9%)
桑田真澄 121票(34.2%)
小久保裕紀 104票(29.4%)
前田智徳 102票(28.8%)
タフィー・ローズ 102票(28.8%)
石井琢朗 87票(24.6%)
以下省略
◇エキスパート表彰(有効投票数135票、当選必要得票率75%)
◎田淵幸一 109票(80.7%)
ランディ・バース 89票(65.9%)
掛布雅之 62票(45.9%)
大沢啓二 49票(36.3%)
柴田勲 40票(29.6%)
長池徳士 37票(27.4%)
加藤秀司 28票(20.7%)
土橋正幸 27票(20.0%)
足立光宏 21票(15.6%)
以下省略
◇特別表彰(有効投票数14票、当選必要得票率75%)
◎前田祐吉 12票(85.7%)
◎石井連藏 11票(78.6%)
川島勝司 7票(50.0%)
谷村友一 4票(28.6%)
水島新司 3票(21.4%)
古関裕而 2票(14.3%)
以下省略 >>35
そのエロ女優youtubeで観るけどあの時代にあんな女と特別な間柄になれるんなら行って逝くだろうw
ジャネット八田最高やん 田淵って
球団は西武に入った西口を指名しようとしたのに
田淵がごねて元木を強行指名したんだよな
んで入団拒否w 田淵のホームランは美しかった
高い放物線を描いてスタンドに落ちる
これぞホームランという感じ 本当にダイエーホークス監督時代は大変だったよな
序盤で大量失点されて罵声を浴びせられ
負けた時の送迎バスに石投げられたり
俺してたもん 坊ちゃん気質だからリーダーは無理やな
でも阪神ファンになったの田淵さんの格好良さだから今も好き 長島と王が5歳違い、王と田淵が6歳違いだから、
年齢的にON砲からOT砲にキレイに移行できただろうな。
ポジションも当時の巨人にとって懸案だった捕手だし。 >>44
星野は明治でしょ
田淵と山本浩二が試合前に駄弁ってたら、
「よー、おまえらなんや楽しそうやないかー」
って割って入って来たのが腐れ縁の馴れ初めと聞いたが >>15
ジャネットさんが子供を宿した時、田淵が三振八田が妊娠ってネタに爆笑した思い出があるわ。 MLBの外人から見たら誰?そのtaguchiって感じだろうなw MLBの外人から見たら誰?そのtaguchiって感じだろうなw >>72
前妻との騒動の後、すぐにジャネットの件が発覚したので、「田淵は足は遅いが手は速い」と言われた。 >>13
根本さんはチームの体質を変えるために選手としては
もう終わってる石毛宏典まで獲得 >>21
田淵監督が選手の入れ替えをしたのもこれだった
んだけど眼力と人脈が明らかに足りなかった >>23
佐々木誠が居てこれに岸川勝也、藤本博史、山本和範
外国人選手はアップショーとバナザード
普通にやってたら打線はリーグ上位レベルだったよ >>34
ダイエーが金の使い方を知らないせいで超中型補強
ばっかしてたからなあ
3年かけてそこそこ打てるチームを作ったのにドーム
に対応させるために根本さんが破壊しつくしたせいで
田淵野球の痕跡そのものが残らなかった 監督としては土井や鈴木啓示なんて比較にならないほどひどかった。
彼らは他チームに迷惑かけてないし。
勝敗がどうとかいうレベルじゃない。
>>78
根本はチームを変えるには軸を変えなければならないというヴィジョンをもって
佐々木や村田を放出し、秋山をとったが
田淵は手当たり次第でヴィジョンも何もなかった。
泥縄的補強でブーマー取ったりして最下位は免れてたけど
将来に向けた感じは全くなかった。 >>56
オーナーの川勝傅の財布の紐がきつくなったから
高卒の無名選手ばっか集めてるんだから弱体化もする
もっとも後年彼らが育ってチームを支えるんだが
加藤岸川佐々木の83年とか大道吉永村田の87年とか >>80
とは言え福岡ドームは開場2年前に建設が始まっており、平和台からの移転は田淵就任当時すでに決定事項だった
にもかかわらずドーム対応型のスピードとパワーを兼ね備える戦略とは程遠い補強だったのは事実で、根本の解体再構築が容赦なかったのもやむを得なかった >>31
ダイエー1年目はまだ、南海の最終年で
元々投手の頭数が揃ってきた所へ、長池
打撃コーチの指導で、若手野手が延びてきて
さあこれからってメンバーが、良い回転で回ってたんで
ましだった
リリーフも抑えの井上もセーブ王取って、中継ぎも
中条、吉田豊彦、矢野、と揃ってた
ただ、その辺が田渕就任と共に成績急降下
監督として運もなかったな、田渕は ダイエー創設時にとにかく明るく華のある人間をって事で田淵になった ホークスファンに生卵ぶつけられて「俺は茹で卵の方が好きや」と言った板東英二 >>1
王さんがどれだけ優勝日本一そして常勝チームに貢献したかわかるよね?w >>1
いしいひさいちの「がんばれタブチくん」の中で、タブチ監督が王を打ち取って優勝した際の胴上げでタブチの体重のせいで選手が皆死んでしまうシーンがあったけど、現実世界では、タブチではダイエーを立て直せず、王が立て直したんだよなぁw >>53
別作品とはいえジブリもアニメ化した、いしいひさいちの漫画の賜物だからなw 野村克也が、「もし同じチームなら正捕手の座を取られる」と本気で思った唯一の後輩捕手。
長打力だけでなく、肩も脚も天下一品。
大学のころはあの山本浩二より脚が早かったと。
若い頃は盗塁阻止率もいつも五割前後だったのでは?ミットが流れる横着なキャッチングを江夏に咎められたりはしたが。
今でいうフレーミングが下手。
ただ外木場に頭部死球をくらい、治療の副作用で肥満体質になり鈍足化。
片耳が悪くなってフライを取るのも下手になって捕手失格に。 物心ついた頃にはがんばれ田淵くんで腹でHR打ってたな。 前妻さんはカーリーヘアの派手な美人で、初期のスポーツグラフィックナンバー誌で、
見開き2ページの対談の連載を待っていたよね。
スポーツ選手を呼んで食について語るもので、
高橋慶彦とかも出ていた。
まさかDV泥沼離婚をするとは思わなんだ。
喧嘩で田淵に引き抜かれた髪の毛を裁判に証拠で提出していたな。 >>88
まああんだけの戦力を前任者が揃えたらなあ・・
根本氏がいなかったら城島や小久保や井口は獲れんかったと思う 最多勝を取った事もある山内和宏を、先発中継ぎリリーフ敗戦処理と酷使したのが謎だった ドラフトがなければ、捕手田淵、ライト荒川尭で、
五番の穴どころか、三番から六番までホームラン30〜40本台のスラッガーが並ぶことに。
投手も堀内、平松、星野、高橋一三の三本柱か。
戦略的には他チームをぶっちぎりで圧倒だな。
でも、捕手田淵では9連覇は無理だったかな?
やはり森昌明の頭脳と粘り強さがないとダメか? >>88
中内の金と根本のコネと豪腕だよ
王はショートケーキの苺 >>59
西口と元木は1学年違いで元木が年上。
西口は大卒94年ドラフト95年入団だし、元木は89年ドラフト拒否、90年ドラフトで91年入団だから西口やめて元木はあり得ない。 殿堂の選考員の一人である広岡は、五人の推薦枠で、田淵一人だけ名前を書いたとさ。
西武ライオンズでベテラン中堅から総スカンの中、
田淵一人が広岡に心酔して素直に従ったからね。
ダイエー監督になってからも、広岡流をやろうとしていたね。 >>94
井口松中柴原を同じ年に根こそぎ指名ってのは根本さんいなかったら無理だわな。 >>57
石井琢朗より川相が上とかおかしいね
人気球団は有利だね
不人気球団の長池はあれだけタイトルを取ってチームの優勝に何度も貢献したのに殿堂入りできず ダイエーとかクソ弱かったな
いや南海もひどかったけど。
あんなチームの監督じゃ誰がやっても無駄だわな
野球なんか戦力で決まるしょうもない >>103
川合みたいな打たずにバントして
得点期待値も得点確率も下げる奴は
野球史から消した方がいいだろ
子供がマネしたら困るだろ >>91
もし希望通り巨人に入ってたらどうなってたかな?
普通は田淵がレギュラー捕手になると思うだろうが
俺は森昌彦がレギュラー捕手のままだったと思うよ
広岡達朗の本に書いてあったが巨人のOB会で慶応から
巨人に入った大橋勲が挨拶したそうだがその時に大橋は
「森さんは私に色々な事を教えてくれましたしかし間違った
事しか教えてくれませんでした」と言ったそうだ森は大橋を
もの凄く脅威に感じていたとノムさんも本に書いてたしな
田淵が入っても嘘を教えたり嫌がらせをしたりして
ポジションを譲らなかったと思うよただ田淵は若いころは
スリムで足も早く肩も強いし何しろあのバッティングがあるから
外野にコンバートして5番を打ってたんじゃないかなとも思う
3番長嶋4番王5番田淵が実現してたら9連覇どころじゃなかったと思うよ よくよく考えたらダイエー→ソフトバンクの歴代監督って王以外全員元西武だよな 巨人に行ってたら森に潰されてたかも知れない。
阪神はヒゲ辻を近鉄に出したり、甲子園優勝捕手和田を外野にコンバートして、田淵を正捕手にする環境を整えた。 若田部を引き当てたことくらいだな
評価できるのは
てか90〜92年頃の平和台時代のホークスは
思い出したくない・・弱すぎて(´・ω・`) >>83
根本野球は本当に勝つのを捨ててたもんなあ
そして出した結論が秋山と松永の獲得だった 田淵が体重を乗っけてフルスイングすると、それはそれは美しい弧を描いてボールがスタンドに吸い込まれていった。
あんなホームランは誰も打てない。 タイトル争うくらいの成績出してても出されるあたり、昔は容赦なかったんだな >>108
実際、村山兼任監督時代の昭和46年、正捕手辻恭彦、ライト田淵という布陣を取っていたが、田淵の打撃成績が伸び悩み、チームがBクラスに低迷。
翌年の開幕当初、村山兼任監督が指揮権を金田正泰ヘッドコーチに譲り、ようやくここで田淵が阪神の正捕手に定着することになる 元木指名してたわな。
『自分も読売に入りたかったけど、叶わなかったから説得する自信ある』って。
結局、説得叶わず、元木もダイエー入れば良かったのに。
・・・まあコーチとして名を挙げ始めたから何とも言えんが。 >>100
田淵が従順だったせいで誰も表立って逆らえなくなった
そのうち勝てるようになったので監督に逆らう選手は東尾ら
ごく一部になった ダイエー監督時代の田淵采配はひどかった
選手起用の方針が行き当たりばったりで
広島から取ってきた榊原を急にクリーンアップで使ったり
とにかく貧すれば鈍するを地で行く意味不明っぷりで
なにをしたいのか、そもそもなにか本当に考えてるのか疑うレベル >>101
ドン・ブレイザーの要望
上田利治監督が加藤秀司を説教した時に阪神から
トレードの打診が来てることがバレた
近鉄相手には有田と梨田を要求し西本監督を激怒
させた 個人的には90年のダイエーは穴吹南海や創設1年目の楽天や尾花時代のベイスより弱かった記憶がある。
とにかく投手がいないし、打者も肝心要の場面で打てないし、守備も酷かった。
田淵の采配も論外レベルだったが >>57
>谷村友一 4票(28.6%)
>水島新司 3票(21.4%)
一瞬谷村新司に見えたわ >>63
美しかったね
バットをポーンと放り投げる仕草も良かった >>110
3年目は頭部死球の後遺症もあってファーストと外野
を守ってたんだけど翌年から捕手に戻ったね 田淵の監督時代のダイエーは
ガッチャマンメットと薄汚れたような色のユニフォーム
あれが弱さを象徴してたな 弱すぎて市議会の議員だかが「弱すぎるから何とかして欲しい」と発言した事さえあったらしい
岸川勝也は田淵に無理矢理センター守らされて破壊されたな
畠山準も田淵との確執が原因で退団した
極めつけはバナザードもアップショーも田淵との確執で消えた >>109
初代監督は南海から引き継いだ杉浦忠だが 若い世代が南海を知らないのはしょうがないと思うけど、
ダイエーを知らない世代も増えてきたのはヘコむな、ダイエーの生き残りって和田くらい? >>126
三宅一生デザインのユニね・・
それ以外にも
ロス五輪のデザイナー作成のペットマーク(今のは2代目らしい)
阿久悠作詞の応援歌
ファンブックも有名写真家を使っていた
極め付けは飛行機チャーターして福岡空港入り
如何に当時の株ダイエーに勢いがあったかよくわかる 特にアップショーとバナザードが抜けた後は、守備要員の山口や森脇がクリーンアップを打つ試合があるぐらい、戦力ダウンが著しかった。 >>93
その後あの梶原一騎と結婚寸前まで行くのが不思議なもんだw >>133
ソフバンに代わったのがもう15年前だしな
近鉄の生き残りもヤクルトの近藤くらいか ゴセージは不運だった
抑えの切り札として迎えられたのに、ボロ負け続きでセーブのつく登板機会が全然訪れなかった >>109
ダイエー(ソフトバンク)ファンも元西武ファンが多いから問題ない >>23
就任2年目(1991)に戻って来たんだが >>108だけど田淵が巨人で正捕手に成れない理由は森昌彦と
正反対で何も考えずにただ球を取るだけだからだよ
西武時代に野村克也と一緒にプレーしたんだがある試合に
決め球にストレートを投げさせてホームランを打たれたんだそうだ
試合後ノムさんが「何故あそこでストレートを要求したんだ根拠は?」
と聞いたら田淵が「嫌だなあノムさん投げるのはピッチャーですよ」と
悪びれもせずに言ったとかノムさんは「こいつはキャッチャーに興味がない
んだな」と呆れたとか森や野村の様に貧乏だったり肩が弱いとかの
コンプレックスがない本当のお坊ちゃん育ちだからリードに気を配るとか
打たれたら俺の責任だとか言う概念が無いんだろうな、まあ森昌彦みたいに
人に嫌われるよりも人に好かれるから今回の野球殿堂入りに繋がったんだと
思うよ。 >>140
それ考えたら、プロ野球選手って寿命短いな。
たかだか10年、15年で顔ぶれガラッと変わるんやから。 >>144
西武移籍してからも捕手やったのか
ファーストの記憶しかないわ >>44 冨田忘れたんなよ プロ野球じゃイマイチだったけど あの時代にあれだけ本塁打打ってて今まで入ってなかったんだな >>146
「あなた、そこに座りなさい」って言いそう >>136
若手の吉永幸一郎を主砲として育てようとしてたね
レギュラー争いに参戦してなかなかの成績を残した
広永益隆の育成に失敗したのが痛かった ダルビッシュが日本の根性主義をディスってたけど
根性論大嫌いで練習嫌いの田淵と
根性で地獄の猛練習をやりきった山本浩二
山本浩二はミスタープロ野球と称えられ田淵はがんばれタブチくんでバカにされw
田淵が浩二くらい練習してたらえらいことになってたかもな
田淵「練習が好きな選手はいない、だから私もあまりやらないw」 >>153
吉永・広永砲懐かしいw
どっちか記念HRに縁があったよね >>135
杉浦さんが、買収直後に中内さんに呼ばれて
「大リーグで一番のバッターと投手は誰や」と聞かれて
ハーシュハイザーと、ケン・グリフィーJr.ですかね
と答えたら、「その2人、取れんか」って言ったとか。
実際、ハーシュハイザーは調査迄はしたが、流石に年俸が折り合わず断念。バブル真っ只中でダイエーも
イケイケな時のお話 >>152
そこは田渕が「さっきから座ってますよ」って
言い返さないと(笑) >>148
ほんの数試合だよ
西武1年目の正捕手は実質的に野村克也
まさしく暗黒って感じ
翌年はルーキーの大石友好が抜擢されて野村の
出場機会も激減するが >>155
広永の方だね
岸川も途中で潰れたし育ったのは結局吉永だけだった >>141
ゴセージはもうヤキが回ってて、もうダメなレベルだったろ。来日初登板の試合、大阪球場(福岡移転直後は
近鉄が大阪球場で、ダイエー戦を何試合か開催してた)
で、いきなり同点ホームラン打たれて、ダメだと思ったわ >>160
パリーグ3万号、NPB6万号の両方を打ったんだっけ? >>159
南海の監督クビになってまた選手に戻るとか
普通の監督経験者だったらまず考えないよな
ノムさんはホント野球が好きなんだな >>159
今日のサンスポだったか
東尾が祝福コメントで、
移籍一年目にバッテリー組んだら
サイン全然覚えてなかったて、ぼやいてた(笑) このころの応援歌が好きだった
いざゆけーむてきーのーって奴 >>101
捕手としての守備力が落ちてきてた。外木場から喰らった側頭部の死球の後遺症で
難聴気味になってファールボールへの反応が明らかに鈍くなってた。 >>123
3年目(71年)は開幕直前に腎炎を患い前半戦はオールスター直前まで出られず、
守備負担を考慮して一塁やライトに回ってた。オールスターで江夏の9連続奪三振を達成したのが
この年の捕手としての初出場だったはず。
あと、腎炎の投薬治療の副作用で肥満体型にとも言われてる。 >>146
この奥さんが『がんばれ!タブチくん』に登場する奥さん?
なんか漫画のイメージと違うなぁ。。 今はフィリピンの大統領なんだよな
人生わからんもんだわ >>168
漫画のミヨコさんは、架空の人物だろ。
確か最初の奥さんは奈良の老舗旅館の
令嬢で、バキバキのお嬢様 >>154
ノムさんが西武で一緒の時に田淵が大鏡の前でグリップを上げたり
下げたりしてたとかノムさんが「ブチお前何をしとるんや?」と聞いたら
田淵が「構えが決まれば打てるんですよ」と言ってグリップを構えてたとか
ノムさんが「そりゃ構えも大事だけどそれだけで打てるんだからこいつは
本物の天才だ」と思ったとかただ田淵が王や俺の様に猛練習してれば
日本一の大打者になれたはずなのに残念だなと思ったとか 田淵はボンボンで自分にも人にも甘い人だったから
監督には向かんでしょ。起用した方が間違い。 >>172
買収直後の中内さんは今の三木谷みたいに目立つこと優先で、ホントのチーム強化がなんたるか分かってなかった節がある。根本さん引き抜いてチーム任せた辺りから、考え方変わったみたいだけど。 >>108
背番号「2」を貰って1,2,3,4が永久欠番になったんじゃないかとは言われるな 田淵監督の功績ってドカベン香川伸行を引退させた事だな ダイエーで買い物してるときに「わかたかぐんだん〜♪」がエンドレスで流れていて
気が狂いそうになった
ヤマダ電機の「ヤマダまだまだ安いんだ」と双璧 >>176
香川は南海のイメージしかないけど
ダイエー初年度まで現役だったんだよな >>167
掛布入団前の阪神は今では考えられない程度に貧打で
まだ大成する前で故障やスランプにつきまとわれていた田淵は他球団からのマークもあって71年まで打撃成績が低迷していた。
その他に遠井や藤井はムラっ気がありカークランドは大型扇風機で後藤・大倉・池田ら若手野手は伸び悩み、
結局安定して打ち続けたのは藤田平1人だった。
これではいくら江夏・村山・上田ら投手力が強くても最強読売を倒して優勝するのは無理ゲーに近い >>174
根本さんが王さん招聘して初優勝まで5年近くかかったけど
中内さんはよく辛抱したわな 田淵監督初年度の対オリックス3勝1分22敗は草しか生えない
スコアラーは仕事してたのか 今年でダイエー時代とソフトバンク時代が同じ16年か・・
ダイエーホークス(1989〜2004)
ソフトバンクホークス(2005〜2020) >>181
ビジターでは1分を除いて全敗。
確か対戦防御率は7点台 西武1年目も悲惨だった。
田淵、古沢、野村、山崎が移籍して、森繁、松沼兄弟が入団という大型補強をしながら最下位に低迷。
国内でオープン戦を一切やらず、フロリダで直前までキャンプをやった為に時差ボケで、開幕12連敗したのが尾を引いた。
真弓を阪神に出して、代わりの内野手を獲らなかった為にショートが日替わりで、急遽ハムから行沢を獲得するなどグダグダだった。 >>180
3年目辺りに、低迷にしびれ切らしたフロント陣が
退任案出したが、中内さんが鶴の一声で取り下げた
ま、時期同じくして何でも自分でしないと気がすまない王さんが尾花さんに投手陣任せたり、根本さんの
尽力で取った、小久保や松中井口辺りが成長したのも
重なってチーム強化したのも有るけど。 >>57
確かに梶原一騎、川崎のぼる、水島新司にはやってもいいかもしれん プロ野球を10倍楽しく見る方法とかいうしょうもない映画あったよなw
あれまた見たいわ、子供の時に何度も見たからな うっせー肉マンが、見させられる方がもっと辛いわヴぉけ >>190
田淵ダイエーのあまりの惨状に
水島新司が現実逃避をはじめ
あぶさんが三冠王になった。
それ以降はホームラン記録は作るわ、4割打つはと
とんでもないマンガになった。 ダブチくんのファンがサインしてくれつうたらそれがトレードの承諾書だったってネタには元ネタがある
スクールボーイ沢村が日本選抜としてアメリカに行ったときに誰だか解らんおっさんが「ヘーイ!サワムーラ!サインプリーズ!」としつこくねだってくるのでサインしたら、
そいつがニューヨーク・ジャイアンツのスカウトでそれが契約書だったという
流石に向こうのコミッショナーが「そんなん無効じゃボケ」と一喝して終了 田淵さんは東京生まれの東京育ち、巨人が似合っていたと思う。
巨人に入っていたら、今頃は王さんと並んで上座に座る大OBになっていただろう。 中内功はやっぱすごい実業家だったね。
あの当時に大阪の球団を福岡に持ってきて、
日本一のドーム球場を作るとか、他の人にはできない器量。
最後はスーパーマーケット事業にこだわりすぎて
優良事業は銀行や商社などのハイエナに毟り取られて終わったが、
それでも偉業はすごい。 >>101
田淵は東京出身で、元々は在京球団に入りたかった >>163
勘違いしてるよ。
ノムさんはプレイイングマネージャーで、南海の監督兼キャッチャーの現役選手。 背高くてスラッとしてるから、キャンプで田淵のユニ+スタジャン姿がやたら様になってたのだけは憶えてる >>195
中内ダイエーが存在しなければ未だに日本はメーカー希望小売価格イコール販売価格のままだった可能性が高い。
ダイエーの流通革命が業界や庶民の生活に与えた影響は今もなお大きい >>195
キッズマンは知ってる?
昔は主婦の店だったんだよ〜 >>187
いしいひさいちはアカンか
この人がタブチくんを描かなかったら… >>195
城山三郎の小説 価格破壊 のモデルだな
NHKがドラマ化して面白かった 当時ゲームでずっと南海ーダイエー使ってたけどピッチャー弱すぎたわ >>200
あの時代のあの松下翁と真正面からやり合った後に取引中止まで意識させたんだもんな
価値と需要は消費者が決めるという決定権を剥奪したのはすごい事だったと思うわ いつだったか、ボブ・ホーナーみたいなシーズンがあったな。
規定打席不足でホームラン30本売ったな >>205
若きエース候補加藤伸一がぶっ壊れたのが痛かった
それでも1992年は若田部健一、村田勝喜、吉田豊彦の
三本柱がようやく確立した
すぐに崩壊するんだけどw 「カリスマ」という中内功の本は分厚かったけど面白かったな
一気に読めた。
でも店舗巡回の話は滅茶苦茶怖かったな。
自分が店長なら精神崩壊するわアレは。 >>199
とある店でスーツ姿の田淵みたことあるけどその筋の人にしか見えんかったぞwかっこ良かったけどな
店の前にはタニマチぽい人のベンツあったし >>209
江夏のあの時なら「捕るな!」じゃなくて「追うな!」 >>194
耳へのデッドボールで生死をさ迷ってるからな〜
あれがなければ阪神でももっと記録伸ばせたよ >>214 耳って言うかこめかみだな、ただ耳の穴から
出血してたそうで担当医も「家族を呼んでおいてください」
と言ってたとか、本当に死にかけたんだよ
昔はヘルメットに耳当てなんか無かった時代だからな 頑張れタブチくんの人
野球はホント色々なドラマがあって面白い >>217
ない
日本ではこの一件がきっかけとなり耳当て付きが普及した >>217
1983年までは耳当ての有無は打者が選択出来た
1984年以降のプロ入り選手と1983年にプロ在籍していて耳当て付きを使用した選手は義務化
もっとも大昔はノーヘルで打席に入っていた時期もあったが >>220
50年代とか大昔の打者が打席に入ってる写真なんか見るとヘルメットかぶってないもんな >>218
実は阪神球団は田淵のための耳あて付きヘルメット
を発注済みだった
しかし届く2日前に外木場義郎から食らってしまった >>222
耳当て付きのヘルメットを注文してたという事は
やっぱり田淵はよけるのが下手だからだろうな
江本孟紀が本に書いてたが大学時代から死球を
よけるのが下手でエモやん達が「田淵さん球が
体にぶつかりそうになったら避けないと危ないですよ」
と言ってたそうだが本人はあまり気にも留めて無かったとか
だから大学時代も結構死球を受けてたとかエモやんいわく
言ってる事の意味が理解出来なかったみたいだと言ってたな
要するに田淵はどんくさいって事だな >>223
球が自分の方に飛んでくるという発想がないんだろうなw
結局最晩年にとんでもないペースでホームランを量産
してたのに死球で離脱するハメになったし 学生時代の坊主頭で野球部ユニフォームの写真見たら、キリッと精悍な美少年でびっくりした。
太ってるイメージが強かったが、当時はスリムなうえに、足が長く背が高いので、坊主頭で野球部ユニフォームなのに、モデルのような顔とスタイルに見えた。 温厚でユーモアがあって最高の人格者だけど
いろいろテキトーすぎて指導者には向いてなかったなw
この温厚な男をブチ切れさせた前の奥さんってどんな人だったんだろうな >>35
田淵にどんな力があるんだよ。
フジになんのメリットがあるんだ?
田淵息子は良いアナウンサー。
実力だろ。 最後に凹むような質問してやんなやwww
性格悪いな >>218
それはよく言われるが嘘。
外木場死球事件の直前に耳当てヘルメットは導入される直前だった。 田淵がダイエーを破壊尽くした結果、逆に体質入れ替えが進んで優勝が早まった気もする。
杉浦時代の戦力ではどれだけ善戦しても3位や5割が限界だろうし >>234
1989年(杉浦)と1992年(田淵3年目)を比較すると
野手陣は実はそんなに顔ぶれが変わってない
岸川勝也を潰したのは汚点だけど
激しく入れ替えた割に残ったのは池田大野くらい
居ないよりはマシの池田はともかく大野は1年限り
の活躍だったが 池田は91年ストッパーで開花したかのように言われてるけど言うほど安定感はなかったしな
大野にしても池田にしても阪神時代の甘さがあったのか、翌年以降一気にヘタれた >>236
でもホントに「居ないよりマシ」
池田よりマシな抑え候補が誰も居ないんだもん
根本2年目にシグペンを獲得してやっとストッパー不在
問題が解決する >>1
西武時代も活躍というのは言い過ぎ。
この時代はすでに守れない走れないの典型的な選手で、
その上ケガも多くて出塁率もそれほど高くない。
1983年シーズンはケガするまでいい成績だったけど、よかったのはその時くらい。 >>215
んで、同じ病院にその日2軍戦でケガをした
若き日の川藤幸三がいて、
川藤「田淵さんが担ぎ込まれてから、ワシの部屋には球団関係者誰も来んようになったんや」 年寄りって殿堂入りって言葉に興奮するよな
殿堂入り詐欺とか出てくる気がするよ >>238
この頃の西武ファンは優しかった
阪神でこんな体たらくなら自宅への嫌がらせ頻発だったはずだが、
彼らは新球団の初代ヒーローとして、スランプの時も負傷離脱の時も常にあたたかく見守っていた
常勝球団になる前は何もかもが牧歌的だった >>81
田淵が手当たり次第にトレードしまくるから選手名鑑の更新版が出たという珍事 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています