■今回ばかりは、ちょっとまずい

12月9日に臨時国会は閉幕を迎えたが、「桜を見る会」の問題は収束する気配が一向に見えない。
今回は安倍政権の危機管理にミスがあったと思う。不祥事事案に対する危機管理のやり方は、これまで本メルマガで繰り返し論じてきた。

▼事実確認ができるまでは、自分の責任を一切否定するような断言はしない。あとで責任が疑われるような事情が出てくれば取り返しがつかない。
▼まずい情報ほど全て公開する。隠して後でバレることは致命的。
▼公開した上で、主張すべきところは主張し、謝るべきところは徹底して謝る。
▼情報を全てオープンにするという姿勢で信頼を得ていく。不正のあるなしにかかわらず「隠しているな」という「雰囲気」を世間は最も嫌がる。

ちまたに危機管理の書物は溢れているけど、実際のポイントは以上のようなシンプルなもの。それでもこれが、なかなかできないんだよね。これができないから、どんどん事態は悪い方、悪い方に行ってしまう。

これまで何度となく危機状況を乗り切ってきた安倍政権であるが、今回の対応ばかりは、安倍政権応援団の中でも「ちょっとこの対応はないよな」と微妙に空気が変わってきたんじゃないかと感じる。

 (略)
.
■経済や外交で成果を上げ、大阪の成長にも寄与してくれたが

森友学園・加計学園問題も、それ自体はたいした問題ではない。「こんなことを一年中、国会で議論するな! 」「もっと大事な議論があるだろ! 」という批判も多かった。しかし、僕は記録の廃棄や公文書の改ざんは国家を揺るがすほどの大問題だと主張し続けたが、やはり「桜を見る会」問題でも同じことが起きてしまった。

 (略)

これらの疑惑において、どれもこれも不正は裏付けられていない。

たしかに不適切なところはあっただろう。しかしそれらは情報を全て開示した上で、安倍政権がきちんと釈明すれば済む問題ばかりだ。

事実・情報をすべて明らかにした上で安倍政権が釈明する際には、野党やメディア、そして世間から猛批判を食らう場合があるかもしれない。それでもその批判に耐えながら、説明、釈明し続けるのが政権の責任だ。

それを「記録は廃棄し、一切存在しない」と答えるのは、民主国家としては最悪の対応だし、それは一国民として非常に恐怖を覚える。

(略)

そんな判断の中で、僕は安倍政治に基本的に賛成だが、この「記録は廃棄した」「記録は復元できない」という対応が繰り返されることには、大反対だ。

というのは、権力を保有する政府組織が、情報を隠す・廃棄することが常態化すると、それは政府が国民の自由・権利・財産、究極的には命までも奪うことにつながっていく危険があるからだ。

ロシア、北朝鮮、中国、その他強権的、独裁的な政治・政府だと言われている国々を見て欲しい。どこもかしこも政府組織は情報を全て残さないし、開示しない。

今世界のスポーツ界を揺るがしている、ロシアの国ぐるみのドーピング問題。これも信じられないくらいのデータ改ざんをロシアは国家的にやっていたらしい。

そう言えば戦前の日本政府は、太平洋戦争に負けた後、マッカーサー率いるGHQが日本に乗り込んでくる前に、必死になって記録類を焼却処分したという。

民主国家として成熟しておらず、強権的・独裁的である政治・政府にとっては、情報の秘匿・廃棄は必要不可欠なことだし、裏を返せば、情報の公開は、政治・政府が強権的・独裁的になることを防ぐ重要な武器になる。

以下ソース先で

12/11(水) 12:15
プレジデントオンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191211-00031243-president-pol&;p=1