【織田哲郎 あれからこれから Vol.41】

 私は音楽自体の価値はCDの売り上げ枚数とはまったく関係ないと思っています。私自身、無名といってもいい歌手でも大事な曲はいくらでもあります。その曲は有名ではなくても、私にまで届いたから、
私にとって価値が生まれたのです。

 「できるだけ届けたい。もしかしたら、その曲を大事に思ってくれるかもしれない人に」。これは音楽を作る人間の当然の思いではないでしょうか。

 そしてポップスという音楽は、ヒットすることで輝きを増していく、という性質があると思います。それはポップスの魅力のひとつであるノスタルジーの部分が、ヒットすることでより“その時代”の思い出に
結びつくからかもしれません。

 ただ、ひと言で曲がヒットするといっても、そこにはとても多くの要因があります。メロディー、歌詞、歌唱、アレンジ、歌っている人自身の人気、時代との相性、プロモーション。そういったものがたまたまうまく
かみ合ったとき、結果的にヒット曲が生まれるのです。それはもう“運”としかいいようのない部分がとても大きいのです。

 私も「曲がいくらでもかけるぜ!」と感じる時もあれば、「もう何も出てこない」と感じる時もあります。

 1993年、私は自分をとりまく環境にとても良い“運気”を感じていました。そして「曲はいくらでも出てくる」気がしていました。

 92年10月にリリースされた『世界中の誰よりきっと』がずっと1位のまま、93年1月にZARDの『負けないで』が発売されました。2月には大黒摩季の『チョット』、3月にDEENのデビュー曲である
『このまま君だけを奪い去りたい』、T−BOLANの『すれ違いの純情』、4月にWANDSの『愛を語るより口づけをかわそう』などがリリースされ、5月にはテレサ・テンさんの最後のシングルになる
『あなたと共に生きてゆく』を書かせてもらいました。さらに同じ月には、私自身の『いつまでも変わらぬ愛を』に続き、ポカリスエットのCMソングに起用されたZARDの『揺れる想い』が
発売されました。

 7月にDEENの『翼を広げて』、9月にWINKの『咲き誇れ愛しさよ』、DEENの『Memories』、11月にZARDの『きっと忘れない』、さらに私が大黒摩季と2人で歌った
『憂鬱(じょうねつ)は眠らない』などが次々とリリースされました。

 93年はまさにいろいろなことがうまくかみ合い、おかげさまで私は作曲家として1240万枚というセールス記録を達成することができ、それまでの最高記録をダブルスコアで更新することに
なったのでした。

夕刊フジ 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191030-00000011-ykf-ent