【ラジオ】たけし、伝説の「オールナイトニッポン」参入の理由は、ほかの漫才師への不満「ブームももう終わりだなと…」
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2019年9月17日 23:44
お笑いタレントのビートたけし(72)が17日、NHK BSプレミアム「アナザーストーリーズ 〜オールナイトニッポン伝説〜」(火曜後9・00)に出演。今や伝説となった「ビートたけしのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)の誕生秘話を語った。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」は1981年1月1日にスタートした。この時期はいわゆる“漫才ブーム”の真っただ中。ブームをけん引するたけしがパーソナリティーを務めるとあって注目度は高かった。
きっかけとなったのは、放送作家・高田文夫氏の「深夜ラジオやらない」のひと言。たけしは当時を振り返り「『タケちゃんがしゃべりだして、オレ(高田氏)が一緒にしゃべれば絶対にイケる』みたいなことを、あの人はなんか確信を持ってたみたいで。『なんだよ、そんなの、どうせ(ギャラ)安いんだろ』って、『漫才(ブーム)も終わりだから、ちょっと暇だししゃべるか』とかなんとか言ってね」と、スタートに至るまでの流れを明かした。
ラジオへ気持ちが向かった理由は、ほかの漫才師に対しての不満が大きかった。「オレはわりかし新しいネタを作ってるつもりでいたんだけど。ほかの漫才師たちは売れたことで楽しみだしちゃって。お金もいっぱいあるし。だから、ああ、これはもう終わりだな、と思って…」と、ブームの終焉を悟ったたけし。最後は「まあ、面白くもねえし」と、仕事仲間を“らしさ全開”でこき下ろした。
オールナイトニッポンは生放送が基本だが、第1回目の放送は実は録音だった。なぜならニッポン放送の上層部で「勝手に言いたいことを言わせて大丈夫か?」という声が多かったため。たけしは「初回は何をしゃべってもいい」と言われていたようで、「なんかよほどヒドいこと言うと思ったんじゃないかね」と苦笑いしていた。ちなみに予想通り、編集でカットされた部分は多かったという。
初回放送で「これはナウい君たちへの番組ではなく、ワタシの番組です」と言い放ったたけし。歯に衣着せぬ物言いでリスナーたちを虜にした。1990年12月27日、開始から10年という区切りをもって終了するが、その後のお笑い系ラジオ番組に多大な影響を与えた、まさに伝説といえる番組だった。 今でも田はラジオで太田や松之丞と絡んだりしてしっかり喋れてる
たけしの場合、滑舌は事故のせいなんかな とんねるずの身内ネタは今思えば何が面白かったんだろうね たけしはスポンサーの提供読まずに軍団に読ませてた
あれなんで?
たけし「この番組は〜」
軍団「ブルボン、ポッカ〜」
こんな感じだった 高田先生は今でも祝日とかラジオ聞くとしっかり喋れてるもんな
しかも月曜のビバリー昼ズ聞いたら若者のこともめっちゃ詳しくて驚いた 戦メリの裏話とかは面白かった
坂本スミ子がパクられて喜んだりしてたな
あの辺までだよこいつが面白かったのて 相方のきよしが ポンコツでも 漫才として成立してたのが あの頃の漫才ブーム
今のレベルとは 雲泥の 低レベルな漫才師
それがツービート
だから 漫才してないやん この人 たけしのオールナイトニッポン録画してたの今も持ってるよ
初映画監督やった時のやつとか持ってる >>54
それが今の松本人志だよな
30代だけど子供の頃欽ちゃんはなにも面白くなかった
今の子供からしたらたぶん松本人志がそうなんだろうな
欽ちゃんはわりかしすぐ消えたけど松本人志はなかなか消えないからな
そりゃテレビも終わるわって感じするわ SMAP全盛時にたまきん全力投球みたいなコーナーやったら、
ジャニーズ事務所てーかSMAPの鬼マネ飯田が許さなかっただろうなw >>25
たけしの大ファンだけどラジオは全く聞いたことなかった
ネット時代になってたけしの挑戦状やる回聞いたら死ぬほど笑ったwwwwwww チンポブラリーノってはがき職人いなかったっけ?
あの頃たけしがドラマで渡辺美奈代と共演してて
美奈代ちゃんにチンポブラリーノって言わせたいとか
行ってた記憶がある >>110
ワイドナショーやスッキリのスレッドを見るたびに
漫才のボケ担当がマジレスしてどうすんねんと思う。
最早ギャグみたいな世相なのだから浜ちゃんみたいなツッコミが頭叩く感覚で一刀両断して欲しいよ。
小泉進次郎やニュースゼロに出てた本田圭祐みたいなわかりやすいボケを誰も突っ込まない。 フグリキャップというペンネームで何度かハガキを読まれた奴がヤクルトの投手だった高野で
それがバレたらフグリキャップ高野と開き直った名前でネタを送ってたのを覚えてる
人生も開き直って生きれば自殺することなんてなかったのに
>>89
ググッたら同時期に同じジャズ喫茶で早番と遅番でそれぞれ働いてたんだな
喫茶店の名前がヴィレッジヴァンガード、雑貨屋のヴィレヴァンと同じ由来だろうね 自分がANNを聞き始めたのが、たけしが辞めた頃だった。
明らかにやる気無くてて、たまにしか来てなかったし。
その点、北野ファンクラブはANNのテレビ版って感じで、たけしも生き生きしてて面白かった。 >>76
面白かったけど当時からクスリやってたと思うと冷めるな タモリのオールナイトに来てちんこ出して怒られたのは覚えてる たけしのANNはあまり聞いてなかったけど
フライデー事件の時に代わりにやった大竹まことが面白かったな
今ではあんなになっちゃったが ひょうきん族も、最初の頃はお笑いに真面目だったのに徐々に楽屋で話すことが金儲けの話とか笑いと関係ない事ばかりになってもう終わりだなって言ってたな 最初の1年の面白さはもう異常なレベルだった。120分テープに録音して寝落ちしてもいいように聞いてた。
たけしもまだ弟子がいなくて1人で必死に頑張ってた。
専修大と大東大のダメ弟子の話が出てきて、そのうちたけし軍団がラジオに出だしたあたりでたけしはもうラジオに興味なくした感じだった。 ANN聴きだしたのがたけしの後の古田新太の頃からだわ、俺の中で最高のANNパーソナリティーは古田新太って認識だわ 当時のANNは今でいう5ちゃんねるみたいなもので
真夜中の寂しさや学校へ行かなければいいけない憂鬱さを和らげてくれるものだった
意外だけどとんねるずってパーソナリティーになったのは1985年くらいで遅かったんだよな
イメージとしてはもっと早くからやってる感じがあるけど >>47
右に同じ。
オールナイトは、中学生だったから聞けなかったけど、
ひょうきん族と北野ファンクラブで、涙流しながら
笑った身としては、辞めちまえ!!!とは言えないな。
正直今の状態は、いかがなものか?とは思うが、
その時笑かしてもらった遺産に、笑わせてもらってる感じ。
昔、ファンクラブで、萩本さんが深夜の番組をやる時に、
「もう年なんだから辞めればいいんだよ。」と武が言ってたけれど、
そのまま今、同じ状況になってる。
この人、頭のいい人だから、その辺りは自分が
一番分かってると思うよ。
まあ、本人も晩年の彦六師匠みたいになろとしてんじゃないの?
芸がボロボロでも、おかしな爺さんが何かやってるwて
感じで笑ってもらおうと思ってるんじゃない?
カッコよく言えば、死ぬ寸前までお笑いをやってる
俺の生きざまを見ろ!って思ってると思うな。
昔、ファンクラブで、「俺が死んだら何やってもいいから
絶対笑い取れ!!!」て軍団に言ってたからね。
死んでも笑い取れ!て。
長文スマン >>107
お前自分で馬鹿なこと言ってるって自覚してるか?
お前が言ってることは
40年前のクラシクカーと現在の車の性能を比べてるようなもんだぞ
現在の車がなぜ進化できたか考えたことある?
40年前とのオリンピック記録と現在のオリンピック記録を比べて何か意味あると思うか?
進化の意味や過程って理解できてる?
バカだから無理かな まあ、のちの芸人のラジオの殆どがたけしのANNを参考にしてるからな
それとリアルタイムゲーム実況もたけしが初なんだってね >>82
店員の姿を見た者は、いない。ってやつでしょうw
高い所からラーメンと手だけ出てくるってやつね。
洋七さんのマッハで消える屋台のラーメン屋とセットで聞きたいw
「ラ…」て聞いたらもういない。てやつね。
で、ある日そのラーメン屋から悩みを聞かされるのよね。
「旨いはずなのに、何でラーメンが売れないんだろう?」
「あんた、早いねん!」てやつねw
「ラ・・・て聞いたら、もういない。」食いに行けへんwてやつね。 >>90
映画も大したこと無い
ほお・・・
3×4X10月見てから言って欲しいな。
改めて見ると、その男凶暴につきもかなり凄いよ。
1発目でこれ撮るか!?て改めて思ったもん。 昔のたけしのラジオ聴いてるとやたら冷たいんだが
談志との対談とかまさに対極だったな
斜に構える事がかっこよかった時代ってとこかな >>130
爆笑の太田みて〜な事、言ってんじゃね〜よw
こちとらデコボコ大学校で、三波伸介さんが
高田さんのコーナーにツービート絡ませて
「オイオイ、何言ってんだ。この放送作家!」
て武が暴言吐いて高田さんが凄え〜顔で睨み返す。
それを三波さんがニヤニヤ眺めてる。て時から
このオジサン見てんだよ!
この糞野郎が!!!w >>113
オールナイト聴いたことないくせに大ファンを名乗るなよw ハガキ職人だった茨田高校の古林繁樹って、今はたけしのバカ息子と一緒に仕事してんのかw >>3 ツービートとコント55号比べたらコント55号が上だけどな >>138
古林はスーパースターだったな
清宮父と同じ学年かな?1年上かもしれん >>3
たけし軍団の野球チームって
大昔の(弱小)阪神に勝ったんだったけか? >>27
結局言い訳はしてるけど
ラジオやる気はなかったんだろうな >>143
2軍だったり軟式だったりと色々理由はあるけど、勝ったのは間違いない >>133
なぜ3-4x10月なんだよ
好きだけどさ いいとも終盤でたけしが出てきてタモリに
感謝状を読んだけど、あれ内容や文体から
「小泉せつこだな」と思ったのは自分だけ? 自分が聞いてた頃。
月曜日は中島みゆき、2部上柳昌彦、水曜日とんねるず、
木曜日たけし、谷山浩子はスルー。土曜日鶴光、金曜日はサンプラザだったっけ。
21時のヤングパラダイスから始まって、雄基と直人のドンマイフレンド、コッキーポップとか
帯で聴いてたから5時の朝から大変塚ちゃんまでなだれ込んでた。
ほぼ毎晩徹夜だから朝から学校で大変なのはこっちだった。
ずっとニッポン放送に合わせてたけど、ナンノこれしきだけは文化放送に。 >>133
大したことないよ
その男凶暴につきがあまりにも衝撃的だった
だけ、あれもたけしっていうか奥山とか脚本家
のおかげだし >>51
欽ちゃんの功績の一つが、アメリカからピンマイクを持ち込んだこと。それ以前は首から手持ちのマイクを首からぶら下げていた
>>145
その試合で亀山努(当時は2軍)が隠し球でアウトになってるんだよなwww その頃MBSヤングタウンではさんま鶴瓶谷村新司というスターたちがいたが
いつの間にか復活して今また金土日でパーソナリティやってるというw >>86
もう鶴光のあのノリは深夜枠でもコンプライアンスで許されないんだろうな
芸能人の名前イジってエロネタ全開してたしw >>51
お前は違う星に住んでるようだなw
萩本欽一はそれまでのお笑いのブームのサイクルの中で生まれた従来通りのコメディアンで、もちろんコント55号で売れたのもあり、たまたま火がついた人気が大きく育ち民放3局ゴールデンプライムに高視聴率冠番組を持った
が、たけしが出てきて駆逐されて終わった
それまでのお笑いも一過性の時代のブーム、数年もてばすごいといわれ、全て時代の流れとともに消費され5年も経てば消えてなくなっていった
それはいっぱつギャグとかキャラクターが面白いと
例えば振り付けの天才的構成作家がいて、クレージーキャッツでもドリフでも、彼らはただのお人形、マリオネットだったし、自分でネタを考えて漫才漫談でスターになっても、次のものを生み出す力はなかったから定番の持ちネタが飽きられた時点でフェイドアウト
たけしから、次から次へと自分のアイディアでヒット番組やコンセプトを生み出し、移りゆく時代時代の時勢の話を面白おかしく話続け、クリエイターとしてもプロデューサーとしても喋り手としてもスターとして君臨しだした
だから、それ以降の人間はすべてたけしを模倣し真似をし憧れ、生き様をそのままなぞっているんだよ 松本だの
ステージが何十段か違うのそれまでの昭和のコメディアンとは だからたけしから「数年後にいなくならなくなった」そーゆー才能が発揮できるやつは これに先立つフジの特番及びANNのおかげでコンビバラ売りがタブーじゃなくなったんでひょうきん族に繋がったと聞いたけど >>158
45周年スペシャルでオードリーとパーソナリティーやってたときは絶好調だったぞ オールナイトニッポンって、構成作家と投稿マニアが何よりも肝であって、
タレント自体は別に誰でもいいような番組というイメージ ツービートをコンビで呼ぶ金が無かったってプロデューサーか何かが語ってた >>162
んなわけねえ
面白いか面白くないかは出演者次第 >>157
さんまは復活というか辞めずにずっと続けてるだけ >>9
だからお前が云う30年前を更に遡る事10年前
1980年約40年前の頃に漫才ブームもこのままだと終わりそうだし
ラジオでもやるかって話しだろ何を言ってるんだ? 「みちがみゆきえ」だっけ
毎度ロリコンの絵ばっかり送って来るやつ 漫才ブームの頃、ザ・漫才 のカセットテープをレコード屋に買いに行ったんだけど、お店のおばちゃんが、それよりもこっちが面白いよ…ってたけしを勧めてきた >>139
コント55号のネタは典型的なそれまでの漫才コントなわけ
作家がいたのそういうの専用の
それまでの軽演劇舞台のコントや漫才は骨格となる話や流れ、ちゃんと笑いどころのセリフや漫才の振りボケ落としを本として書いてくれる作家がいた
でそういう人をちゃんと捉まえて面白いネタを作ってくれる作家から買って、ほとんどの演芸は行われていた
人々が大爆笑するようなネタを次から次へと何本も書けるような作家的才能があるやつは普通漫才師道化コメディアンになろうなんて思わない、
いやそんな奴らがそんなもん創作できる事はなかったw
でコント55号は、狂気にも似た萩本のサディズム癖をもって、野心ギラギラ出世欲いっぱつ当ててやろうと必死な無理強い、それに俳優志望でもともと根が真面目で不器用な坂上が舞台に上がってしまった関係上一生懸命応えようと、
たまたまやったアドリブ舞台(萩本が執拗に坂上に無理を強要し続けるとこ)がとてつもなく受け、ああいったスタイルになったが、「スタイルが面白い」と受けただけで、
話のネタやら漫談フリートークがもともと面白いわけではないので、伝えるが飽きられてしまったら終わり
萩本はフリートークができなかった いや、厳密に言うとできたんだが、たけしが登場して始めたフリートークに完膚なきまで負けて、通用しないと追い出されてしまった
昭和の軽演劇は厳密にはわからないが一般的に外側から見られている部分においていうならば、「セントルイスがすべてを変えてしまった」
セントルイスはセントが時事を取り入れた「今」を自分で本作ってネタにし、即興漫談のように喋りだし、めちゃくちゃ受けて当たった
それを見ていたツービート、たけしが、同じように即興で時事風刺のシニカルな社会風刺漫談(もちろん自分で小ネタをいっぱい作って溜めておいて速射砲で今思いついたようにしゃべる)、
セントは前衛的な当時はやっていた新劇に傾倒していて舞台に上がって即興で芝居をするようなスタイルを持ち込みたく、
そういった流れをたけしがうまく奪って時流を作っていった(セントは不遜で同じ芸人仲間をことごとく馬鹿にしものすごい嫌われ者だったので同業者や他のつてで人望がなかったから仕事がすぐなくなってしまったw)
そこから、フリートークのできるやつは今起きている題材をネタに即興でコンスタントに面白いことが言える作家性、を、絶対的に必要とされるようになっていった
漫才師は誰かからネタの本を買うのではなく自分で面白いネタがどれだけ作れるか、が、作家性が売りになっていく
でそれまでネタを買っていた連中は、片っ端から退場させられるんだよ
でたけしや、その相方として見出されて徐々にその才能を開花させ天才的フリートーカーとなっていくさんま、そういった作家性に憧れて俺はもっと面白いことが考えついて言える病を発症させた松本ら、
今のお笑いの潮流になってきたわけ
だから現代のお笑いの原点はビートたけしなの それを知っている連中がたくさんいるから今でもたけしは現代のお笑いの王なの >>166
当たり前だろもう70歳だぞ70歳でお前の周りや世の中に毎日新しい面白いこと言うじいさんがどこにいるんだ たけしのオールナイトといえば OK!マリアンヌしか覚えていない >>3
金ちゃんはコメディアンのみで
やっているから、
もうカテゴリーが別だろうな
たけしは役者も映画もやってる
金ちゃんはフランスから勲章もらってないしね。。 浅草六区の「予約済」の看板
あそこはビートたけしの顔が入る予定だが、本人のテレもあって生きているうちは空欄でという話になっている
しかし実際は、萩本と並んで自分の顔写真を見るのは嫌だという理由なのであった ラジオのこの番組の存在しらず(ラジオじたいを聞き始めたの2000年代以降からだった)
北野ファンクラブはよく見ていた >>159>>172
萩本欽一は今ではスタンダードになっている笑いのフォーマットをたくさん創り出してきた
ピンマイクで舞台をところ狭しと走り回るのもそうだし、アドリブや素人イジリ等今では当たり前になっている笑いの基本形を全て創り出してきた
あまりにも当たり前なのでそれが萩本欽一の功績だと誰も気づかないだけだ
たけしもそれに乗っかってやっているのであって、結局は萩本欽一の整備した道路を我が物顔でエラそうに走っているに過ぎない
萩本欽一がやらなかった事でたけしがやったことがかろうじてあるとすれば毒舌と下ネタだ
これは萩本欽一がそれを良しとせず避けてきた分野なので綺麗に手つかずで残っていた部分だ
未開拓の分野なのでセンセーショナルに映ったというだけのことであって、それを大手を振ってやり出したお陰でたけし以降の笑いは酷く下品になってしまった
あとフリートークは芸じゃないからね
志村けんはフリートークが苦手で、ろくな芸もなくキャラとトークだけでのし上がったタモリを認めていなかったのは有名な話
タモリをボードビリアンに勘定していいかどうかは微妙なところだ
所詮は宴会芸の延長に過ぎないからね >>43
俺はたけしが大学の頃辺りに永山則夫が偶然同じバイト先にいたらしいからその影響だったと思ってた(本人も度々そのエピソード言うし) >>180みたいな奴は本当に気持ち悪い
芸人板みたいな糞板にはこんな気持ち悪い奴がたくさん居るんだろうな ひょうきん族もみんな副業の話しかしなくなって終わったとか言ってたな ラロトンガ島の録音とか面白かったよな
誰かユーチューブで流してほしいわ >>180
お前だけだよ萩本欽一なんか覚えてるのw
こいつ後期高齢者かな 鴻上尚史や中村あゆみはラジオつけてた
たけしはもちろだが サンプラザ中野とか
夜遊びしてコソコソ帰ってくるとちょうど金曜二部のあゆみちゃんのオールナイトだった >>1 タケシ事務所独立絡みで、後付け理由にすぎない。耄碌しちゃったね。 萩本欽一は笑いの質はあんまりだけど、素人参加で
間を持たせる司会者としては有能だったと思う
笑えても下品で不愉快な芸人じゃ出来ないからね 欽ちゃんはお茶の間向けの、家族みんなで見れるコメディアンだから、テレビが居間に1台だった当時は受けたんだろうな
ただフリートークが出来ないのから、長くは持たなかったね しかしここの平均年齢かなり高そう…
ここのおっさんより若い俺にはたけしはギャグがつまらんおじさんだけど
映画は面白いって印象しかねぇわあと自殺未遂で顔変わったおじさん >>47
当時たけしはラジオで
「いつかはビートたけしっていうバカな芸人が居たんだよ
って言われる立場になっちゃうんだよなー」
と喋っていたのを聞いて、潔いひとだなって思ってたので
今の現状は何だか情けないわ >>101
高田文夫ももう老害だよ
昼の番組とか酷すぎる
先生先生と持ち上げる馬鹿が多すぎる たけしの「俺は絶対テクニシャン」って曲をリクエストして
ザ・ベストテンに出ようって企画があったな
往復葉書の返信用にベストテン宛にリクエストを書いて
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