【訃報】「ミスタープロレス」ハーリー・レイスさん死去 76歳 猪木、馬場らと激闘
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190802-08020125-nksports-fight
「ミスタープロレス」「ミスターNWA」と呼ばれたハーリー・レイスさんが1日(日本時間2日)、肺がんによる合併症のために死去した。
76歳だった。
同日、WWEなどが発表した。
今年3月に肺がんを告白し、先月にはイベント出席の移動中に病状が悪化して入院していたという。
60年代から本格的にプロレス界に進出したレイスさんは68年2月、日本プロレスで初来日。
ディック・ザ・ブルーザーと組み、ジャイアント馬場、アントニオ猪木組が保持したインターナショナル・タッグ王座に挑戦した。
70年にも猪木、吉村道明組が保持したアジアタッグにも挑戦。
72年には坂口征二のUNヘビー級王座にも挑戦した。
73年にドリー・ファンクJr.を下し、NWA世界ヘビー級王座を獲得。
同年から全日本プロレスを主戦場とし、馬場、ジャンボ鶴田、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラスを挑戦者に迎え、防衛戦も行った。
またWWEの前身WWWEやWWF王者とのダブルタイトル戦にも臨んだ。
また82年には鶴田を下し、UNヘビー級王座、馬場からPWFヘビー級王座を奪取していた。
83年にはリック・フレアーを下し、7度目のNWA王座を獲得。
80年代初頭までNWAの象徴として存在感を示し、通算8回のNWA王座獲得もあってNWAベルトは通称「レイスモデル」と言われ、本人が所持していた。
86年にはWWFに移籍し、ハルク・ホーガンのWWFヘビー級王座にも挑戦。
WWFではアンドレ・ザ・ジャイアントとも共闘した。
95年の引退後にはプロレス団体のWLWを主宰し、後進の育成に尽力。
日本とのつながりも深く、05年には小橋建太の訪問も受けた。
10年11月からはプロレスリング・ノアのGHC管理委員長に就任。
米国でノアの選手を育成を受け入れていた。
04年にはWWE殿堂入り。
13年には9年ぶりに来日し、ノアの有明大会で立会人を務め、14年には新日本プロレス東京ドーム大会で開催されたNWA世界ヘビー級選手権の特別立会人を務めていた。 >>24
バーティカルスープレックスとブレーンバスターの違いを1000人に説いてまわれ チェーン振り回しての大宮スケートセンター入場はいい思い出 >>333
レイスもそうだが、普通に歳取って亡くなれるプロレスラーは幸せだよ
ステロイド剤やペインキラーなどの薬物や糖尿病などの病気による内臓・筋肉などへの負担や精神への悪影響が原因で亡くなるのが大半だからな
中には巨人症のように生まれつきの病気により短命に終わる可能性があるレスラーもいる、馬場やアンドレは長生きした方かもね アンドレは47で亡くなってるが、まあ本人は40まで生きられないと思ってたらしいから長生きのうちかね 筋トレは歳いってからこそ必要不可欠。血管を若々しく保ち酸素を全身に供給し男性ホルモンが出てアンチエイジングになる。
問題は糖質過多の食生活だろう。 デストロイヤーも亡くなったし、昭和がまた遠くなった >>405
ちっちゃい小鉄はレイスレスリング否定しないと自分及び新日プロレスの存在意義を保てないから致し方ない。 >>427
その頃、ジャック・ブリスコがNWAの主要都市の興行権を
WWFにあっさり売り飛ばしたため衰退したって話
だからブリスコは追放された >>429
そや センタープール目印に1間程歩いた記憶がw >>467
というかレイスが使うのが正しいインディアンデスロック
猪木の得意技はリバースインディアンデスロック ラジオ日本の「真夜中のハーリー&レイス」まだやってるんだね
明後日は追悼かな >>470
生きてるよ。
この年代で現在なのは
ファンクス
マスカラス
ブッチャー
シン
ルーイン
ラシク
猪木
坂口
小鹿
若松 >>470
少し若い世代だと
ハンセン
フレアー
バックランド
ホーガン
藤波
長州
天龍
木村 マジか
中学生以来今に至るまでこの人で何回抜いたか数え切れないわ・・・
ブルーノサンマルチノとベイダーが死んだのは去年だっけ >>323
表情もよかったね。
いかにも効いているという感じの虚ろな表情を見事に演じ切っていた。
ダウンしながら両手両足をゆっくり動かすなど芸も細かかった。 ドリー・ファンク→ジャック・ブリスコの流れで行くのかと思ったらレイスが王座に
就いてつなぎかと思ったら割と長期政権で驚いた 初来日時は試合前にヘアピンを外すなどカマがかったキャラだった 武者修行時代、控室でボッチだった猪木を
日本食レストランに連れていった優しい男 初来日はNWA王者のドリーと一緒か?
当時のゴングを古本屋で格安でまとめ買いしてな
新幹線でファンクス兄弟と一緒に、飲み干したビール缶を握りつぶす写真があった
その頃はパーマでなく、プラチナブロンド
テリーも金髪
ドリーなんかはケネディ大統領みたいな、カチッとしたアイビールックで、
ドリーの嫁さんも白手袋とかして、華やかで威厳があったわ 典型的な座長芝居
貫禄十分で余計ことをせず周りを光らせる懐の深さ 80年代に入り、ファンクスでは相手にならなかったハンセン.ブロディに対しレイスなら懲らしめてくれるという期待感は大いにあった ハーリーレイスにハンサムの異名を付けるのは
ドンキーカルテットのジャイアント吉田と同じ方式 Uインターに参戦して高田にローキックペシペシ入れられて
膝サポーター直すふりしながらコーナーに引っ込んだままのバックランド見て泣いた難波の夜 渕正信が「新日やUWFが自分たちは強いとか威張るけど、
ハーリーレイスとかの強さ知らんだろう?」とか言ってたわ 我が地元に全日の興行で来た時の印象だけど、この人とリックフレアーはファン対応が良かったなと記憶がある >>491
イロモノとしてはな
マードック嫌いだったなー意外性がなくて レイスとフレアーの試合を見るまで良さがわからなかった
だってタイガーブームの後ですよ >>484
初来日はディック・ザ・ブルーザー、ディック・マードックと来た時だね。
ドリーがNWA世界ヘビー級王者になって父シニアと当時ファンク門下だったレイス
と一緒に来てドリーVS猪木のNWA世界戦の時、シニアはレイスも使って
嫌がらせしてた。 >>121
ブリスコvs馬場のNWA戦は日本プロレスしに残る試合だぞ 来日してまず馬場とタイトル戦で馬場が勝って
NWA王者となって次の再戦でレイスが勝って
そのまま帰国w
お決まりの三日天下のタイトル戦w
見てて子供ながらに胡散臭いと思った記憶がある 81年にNWA王者降りてから最強タッグに毎年参戦は嬉しかった。
81年 82年 84年 85年。
ここでレイス絡みの夢の対決も多数実現。
実際のパワーではハンセンやブロディより上だったとか。
馬場が信頼性高い外人で唯一組んでないのがレイス。
馬場、レイス組は見たかった。 馬場が亡くなった時。
東スポの(電話)取材で各レスラーは馬場の訃報に一言ずつ。
しかしレイスは違った。
馬場の訃報を聞いた途端に正気じゃなくなり。
取材者に対して『気持ちの整理が付かんから明日に』と。
レイスからしたら馬場の死去はそれだけショッキングだった。
それを物語るエピソード。 掛けられる側との阿吽の呼吸の垂直式ブレーンバスター、すごく美しかった。まさにプロレス。
それに引き換え、垂直落下式とか惨くて目を背けてしまったな。 >>499
当時はNWA王者が失冠すると、翌日から取り返すまで連日リターンマッチが組まれる時代だったので、「必死に取り返しに来た!」っていう最低限のガチ感はあったよ。
実況アナも日本での防衛戦を乗り切ったら、馬場がNWA王者としてアメリカのサーキットに出るとか言って煽ってたし。
ただ、レイスが奪回に失敗したリターンマッチで、リングサイドで見てたレイスの奥さん(子供も一緒だった?)が、試合が終わる前に帰っていったのは、まあ、そういうことだろうなと苦笑するしかなかったな。 >>72
コーナー真下の馬場の頭へ、本当に急降下していったのが忘れられない。あんなことできるの今の選手でもいないよ 馬場がNWAとったときのランニングネックブリーカードロップはあれまマジでクリティカルなタイミングで入ってしまったな。
マジであのときはレイスのこと心配してしまった。 >>499
レイス相手に二度目の陥落した時なんて、トップロープに登った馬場が
倒れていたレイスに下から足をすくわれてコーナーに急所を打って転落、
そのままフォールされるという、世界王座の威厳もへったくれもない
決着だったからなあ
当時猪木が「世界王座というのはプロレス界をあげてその権威を守らなきゃ
いけないものなのに、馬場さんはその権威をハンマーでぶっ壊すようなこと
ばかりしている」と怒っていたな レイスはニックと組んだ最強タッグは良かったね
でも、シングルとしては「ゆっくりロープに走る」「16文を受けたあと、一瞬止まって大げさに手を広げて倒れる」
と、八百っぽさ丸出しでキツかったw
確か、山本小鉄あたりも言ってたけどね
まあ、今ならそれでもアリなんだけど >>498
だな?昭和49年だったっけ?馬場がランニングネックブリーカードロップで2:1で初めてNWAのタイトル取った試合は今でも覚えてるわ。ブリスコは4の字固めも使ってたし、オールラウンドプレイヤーって印象。 >>405
小鉄はレイスを酷評していたのか
でも新日に長期参戦してたマードックもそっち系に近いんじゃ >>514
マードックは南部荒くれ系でしょ
モクスリーに至る狂犬の系譜 >>17
柔道の女子選手に野獣と名付けた時
センス無いわと思ったもの
昔のプロレス記者ってセンスあったよね 梶原一騎がレイスに始めて会った時、マフィアのボスみたいだと思ったそうだけど、私生活もそんな感じだったんだろうな 12機のリックドムを3分も持たずに全滅させられた人だよね? 15歳からサーカスレスリングに出ていたとか凄いな
玄人感半端ない >>514
小鉄「マードックもね、真面目に練習したらNWA王者になれる逸材なのにもったいない」
とか新日の中継で言ってた
新日でNWA王者を権威あるものとして語るのはヤバくないか?と思ったが >>448
関係ないけど小錦が四股名に「小さい」という意味の言葉が含まれてるのも
凄い皮肉を感じた レイスも馬場もスローでこの二人の対決は面白くなかったが品格みたいなものは感じた マードックは飛行機が嫌いだから全米中を飛び回るNWAチャンプになりたがらないってまことしやかな話があったわ >>513
コケシとは全然違うんだよ。ほぼコーナーの真下に頭があるから、逆立ちになる状態で落ちていく。遠くに飛ぶのは誰でもできるけど真下に降下すろのは度胸だわ。しかもヘビー級で。
今、だれかやればオリジナルにできると思うけど、似合う似合わないがあるから難しいと思うわ >>473
小鹿や高千穂みたいな小者はおろか
猪木、坂口も亡くなった馬場でさえも頭が上がらない遠藤幸吉というバケモノがまだ生きている
日本プロレスの草創期、力道山VS木村戦、力道山刺殺、猪木豊登の東プロ、日プロ分裂を
30年前には表舞台から消え10年ぐらい前に雑誌インタビューに答えて以降音沙汰は無いが一応まだ死んでないようだ レイスのプロレスは、
いつまでたってもプロレス知識が深くならない倉持アナの
名調子がよく似合う レイス、フレアーがNWA王者の頃、アメリカではプロレス中継が深夜・早朝に追い込まれていた暗黒時代
どん底に落ちていたプロレスを全米ゴールデンタイムにのし上げ国民的娯楽に引き戻した
ビンスマクマホンとWWFの功績はもっと評価されるべき ニックとレイスが週プロでやった大名と殿様のコスプレが最高だった ダイビングヘッドバットは相手へのダメージというより、
かけた方の首へのダメージが半端ない気がするが。 あの当時のNWA世界ヘビー級ベルトが最強至高のデザインだった
いわゆる「レイス・モデル」といわれた HHHがニードロップを使う時にハリー・レイスばりのニーと実況するJR >>455
もっとはやく知りたかったよ
だれだ美獣とか付けたやつは >>539
トリプルHはかなりハーリーを意識してたよな。 ファイプロには居ないよね?
週末はレイスとディープどっちがサインかな レイスやフレアーって名優なんだろうけど
この人達のプロレスはどうも好きになれん 全日リングでのブッチャーとの抗争はリアルで
まさにプロ 秀逸だった >>375
プロレススーパースター列伝の
カールゴッチのセリフだね >>258
正確にはモンスター・ロシモフ時代のアンドレだから、そう言っちゃうのは微妙なところ。
同一人物じゃん、と言うかもしれないが、ロシモフ時代のフォール負けは、アンドレ時代に投影されないからな。 >>520
全日の実況していた日テレの倉持アナが渡米した際、レイスと取り巻きのマフィアから手厚い接待を受けたと言っていたよ。 フレアーの前のNWAチャンプだっけ?新日派だったので、そんくらいのイメージしかないw >>530
遠藤幸吉なんて、日本プロレス時代、レスラーから蔑まれ、嫌われていた存在だろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています