【芸能】尾崎豊の『15の夜』、仮タイトルは『無免許で』だった
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http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/a/f/af867_1581_1c8c70a766d3908a8c76c11eff95dccb.jpg
4月25日放送の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系列)で、坂上忍が尾崎豊さんのプロデューサーとして知られる須藤晃氏を訪ねて、27年前に亡くなった尾崎さんの知られざる一面に迫った。
尾崎さんが1983年に18歳でリリースしたデビュー曲『15の夜』は、中学校生活の実体験をもとに作られた。
学校での頭髪検査で、尾崎さんの友人は髪を短くしたのに、先生から髪の毛を切られてしまう。
この話を聞いた尾崎さんは激怒して、家出の計画を立てたという。
だが、『15の夜』は、紆余曲折を経て生まれたものだったという。須藤氏は尾崎さんが少年時代から書きためていた「創作ノート」を公開。
当初は『無免許で』というタイトルが予定されていた。須藤氏は「無免許でバイクを乗り回して、酒を飲んでみたいな。僕はこの詞ではダメと言ったんです。
つまり、『大人はこの詞のどこに共感したらいいんだ?』って」とダメ出ししたという。
須藤氏は創作ノートにあった「自由になれた気がする」の一文に注目してアドバイス。
そこを活かし、「『バイクを盗め』ということを歌っているわけではなく、『バイクを盗んだって自由になんかなれないんだよ』って。
自由ってそんなものじゃないんだよ」と、尾崎さんが伝えたかったメッセージを代弁した。
1985年3月にリリースした2ndアルバム『回帰線』がオリコン1位を記録。19歳でトップミュージシャンとなるが、それから約10カ月後、人気絶頂のさなかに「無期限活動中止」を発表。
その理由を須藤氏は「彼が言っていたのは、『俺はすごく個人的なことを歌っているのに、何でみんなを扇動しているみたいに言われるのだろう』と。
彼が出て行くと、両手を合わせて拝み倒すような雰囲気になっていたことに戸惑っていました。音楽をやっていることが楽しくなくなってきたんじゃないですか」と語った。
尾崎さんのバンドでドラムを担当していた吉浦芳一氏は、「19、20歳の年齢になって、『15の夜』をいつまでも歌うのは歌いづらいと言っていた」と本人が葛藤してたことを明かした。
尾崎さんは活動休止して、単身ニューヨークへ渡るが、半年で帰国。さらに1987年12月、覚せい剤取締法違反で逮捕される。
多くのファンを裏切った形になった尾崎さんは、人生でたった一度きりの歌番組への生出演を決意。それが1988年6月22日放送の『夜のヒットスタジオ』(同局系)で、「ご心配をおかけしました」と騒動を反省。
「僕の素直な気持ちを曲にして、これからずっと歌っていきたいと思っています」と、贖罪と感謝の念を込めて拘置所の中で歌詞を書き上げた『太陽の破片』を熱唱した。
それから3カ月後、尾崎さんは東京ドームで行った復活ライブで大成功し、完全復活を果たした。
だが1992年4月25日、自宅近くで倒れているところを発見され、26歳の若さでこの世を去ってしまう。
以降も尾崎さんの人気は衰えることなく、1994年1月には『OH MY LITTLE GIRL』がドラマ『この世の果て』(同局系)の主題歌に起用され、ミリオンセラーとなった。
そんな同曲を、デビュー前の17歳の尾崎さんが歌う貴重なデモテープ音源を須藤氏が公開。その歌詞とメロディは一部が変わっており、当初はサビを「となりのLITTLE GIRL」と歌っていた。
同曲にも助言していた須藤氏は「売れるとは思わなかったけど、特別な感じはしました」と見解を述べた。
坂上は「尾崎さんはカリスマなのか、成功者なのか、犠牲者なのか、何なんですかね?」と質問。
すると須藤氏は「すべてが当てはまりますけど、いまだにこれだけ、みんなが興味を持ってくれる存在だから、それはよかったと思います」と今も尾崎さんの音楽が人々を魅了していると指摘した。
http://news.livedoor.com/article/detail/16384214/
2019年4月27日 13時55分 Smart FLASH
https://www.youtube.com/watch?v=1Aic0mVjubc
尾崎豊 15の夜
https://www.youtube.com/watch?v=iXtMRO8kz5Y
尾崎豊 卒業 斉藤由貴とうまくいってたら、
死んでなかったかなぁ 靖幸ちゃんの「yong oh!oh!」一緒に歌ってるやつ見ると、すごい楽しそう。イッテルけどw 商業音楽の小室はエイベとの出会い
既成概念の枠にとらわれない尾崎
尾崎は晩年 芸能界と音楽業界に干されたな
https://www.dailymotion.com/video/x7736uv
尾崎 生前最後のライブの打ち上げで
自分で制作してインディーズからCD出してたヨシキと意気投合してたら
どうなってたかわからんね
尾崎は最後レコード会社が信じれないから
見城にレコード会社を作ってくれって言ってたんだろ? >>1
須藤とか言うやつが俺が歌詞をダメ出しして作り直させたから名曲が生まれたんだって自慢にしか見えなかった
自慢以外でわざわざ本人の添削前の歌詞ノートなんて見せる必要あるのか
尾崎を貶めて自分って凄いんだよって自慢したかっただけだろ 実際、尾崎の作詞ノートって物凄い量の言葉が書きなぐってて良いフレーズ拾い出して曲にしてるよね
全部こいつがやったのかどうかは知らんが まず尾崎と須藤が雑談して
会話の中から須藤がヒントを得てそれで曲書いてきてみたいな感じ
膨大な量の散文から言葉を削ったり言葉をブラッシュアップして
完成形に仕上げていく感じだろ
この番組でリルガーの第2弾の詩はこんな感じですって出してただろ 浜省って尾崎が85年にブレイクして
そのあとに浜省が86年にベスト出して売れた感じやん
浜省は尾崎がいなかったらどうなってたかわからんね >>674-675
「ノート」は、ほんの一部分しか公開されていないし
また、「尾崎と須藤が雑談して〜」などというやり方は存在しないはず
「よね」とか「だろ」とか言って、勝手な妄想をひけらかすなよ 浜省が先か尾崎が先かブルーススプリングスティーンが先か >>652いや売れとらんよ。唯一ヒットしたのはアイラブユーくらい。TV出ない人だったし中高生しか知らなかったはず。 隣のリトルガールと聞いて
プロデューサーの力って凄いんだなと
尾崎意外でもだろうけど一人だけの力じゃないんだな 俺1966年生まれだから尾崎の一学年下だけど、
俺の世代がみんな尾崎崇拝してたような記事読
むと不快になるわ。
大学生の時に尾崎ファンの大学同級生が勧めて
カセット貸してくれたけど
「教室の窓ガラスを叩いて廻った」とか
「盗んだバイクで走り出す」
なんて、頭の悪い中学みたいな歌詞に全く共感
できなかったわ。
俺の妻(同い年で別の大学出身)に聞いても、周
りに尾崎ファンなんか居なかったと言ってる。
歴史とはこんな感じで捏造されるんだなと実感
するわ 俺は2学年下だけど尾崎ファンはクラスに3人だけだったわ >>683
オリコンチャートでのアルバム売上が2位、1位、5位、2位、1位、1位だったわけだから
まあ、かなりのファンがいたのは事実だと思うけどね
お前の周りには、たまたまいなかっただけじゃね? 尾アは、センター試験に出たり、教科書にも採り上げられたりしてるから
高学歴にも隠れファンがいそうだし
あと、ジーユーのCMで使われたりとか、広告代理店的にも
かなり広く浸透した曲という認識なんでしょ 『無免許で』は何かダサいが
「No license」だとカッコイイ >>683
俺の周りでは尾崎のリスナーは「大人とうまくやっていけない可哀想なひと」という扱いだった 意外と真面目に生きてきた高学歴なファンが多そう
言葉を言葉通りにしか受け止められない人には刺さらない >>683
高齢者なのに頭悪そうな文章しか書けなくて可哀想
しかも夫婦揃って馬鹿w あのね
盗んだバイクで走り出したらいけません
夜の校舎も窓ガラス壊してまわったらいけません
尾崎豊は、現代の日本には受け入れられません
そういう事ですよ
ただのチンピラの唄
チンピラはクズなんですよ 『バイクを盗んだって自由になんかなれないんだよ』
こんなの当時のファンは分かってたんだけど
大人になっても文句言ってたアンチはどう考えても低レベル
ハッキリ行っちゃうとバカ
でもこんな連中が2ちゃんのメイン層なんだよね 15歳でバイク運転したら無免許に決まってます
わかりきったことを言うのは言葉の無駄
プレバトの俳句の先生に怒られるわ ひどく眠たい朝に目覚めると俺は
何時しか二度寝に心が殺されそうだ >>680
生きてる時代もアルバムがチャート1位取ってたのに、売れてないとか寝言ほざくな >>704
急にどうした?
簡単にスター作れるならお前も作れよ 尾崎が売れてなかったら
浜省は売れてなかった可能性が高いわけだが 尾崎は高校時代入学4日目に親が呼び出し食らったり
青学では生意気なやつがいてるってことで有名な存在だったみたいだよ 仮タイトルでこういう適当なタイトルつけるミュージシャンおるしね(+_+) 窃盗の上に無免許か
器物損壊、合わせて三犯
犯罪者が持て囃されてた時代、昭和 「15のよぉ〜るぅ〜!」の所「むぅ〜免許でぇ〜」て歌ってたんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています