【小林至教授のスポーツ経営学講義】

 昭和から平成になるときのことはよく覚えている。大学2年生だった私は、岩手県盛岡市にいた。東大野球部同期の現衆議院議員、階猛(しな・たけし)さんの実家に野球部の仲間数人で押し掛けて、スキーやら観光やらで数日間過ごし、東京に戻る日の朝、昭和天皇崩御の報に接した。

 夕方、東京に戻ると、道行く車はほとんどなく、ネオンは完全に消えていた。あの日より静かな東京の夜は以降、記憶にない。

 平成は第二の開国の時代だったと思う。情報通信技術の飛躍的な発達により、ボーダーレス化が進んだ結果、従来日本一がピラミッドの頂点と考えられていた多くのことが、グローバル・スタンダードという新たなものさしに照らし合わされることになった。

 野球界もそのひとつで、山の頂に巨人が君臨し、そこに戦いを挑むものも含め、みなが巨人を目標にしていた。

 この構図に風穴が空く契機となったのが、平成7年の野茂英雄さんのドジャーズ入りだった。以降、選手そしてファンの間に「その先にある世界」としてMLB(米大リーグ機構)が浸透していき、翻って、「日本一」とその象徴である「巨人」の価値を大きく損ねた。かつてプロ野球ビジネスの前提だった巨人戦の地上波全国中継を、昨今めったに目にしなくなったのも、その証左だろう。

 面白いのは、プロ野球の価値が必ずしも損なわれているわけではないことだ。平成になる頃、各球団の売り上げの総和は、私の推計だとセ400億円、パ100億円の計500億円くらいだが、いまは両リーグとも800億、合わせて1600億円程度。MLBが同じ期間に推計で1000億から1兆円と10倍以上になったことを踏まえるとかすんでしまうが、デフレ日本においてよくやっているといっていいだろう。

 これは、ホークスを皮切りに、大都市圏を脱して地方都市に移転した各球団が、それぞれの地域に根差し、ライブ・エンタメとして新境地を切り開いたからである。このことは、いまだに一極集中が止まらない日本における、地域分散の数少ない成功例であり、かつ強力な資本がその経済力をもって地域の小さな経済圏を従えるか、駆逐するかのどちらかになりがちなグローバル経済のもとで、そのセオリーに与さない事例として興味深い。

 もっとも、だから令和のプロ野球も天下泰平とはいえないだろう。人口減と高齢化は進行し、その影響は地方でより顕著である。景気も後退局面に入る。そんな日本の経済を下支えするのは、今が既にそうであるように、外国からのヒト・モノ・カネである。

 プロ野球は、これまで外国からは、選手を人数制限付きで受け入れていることを除けば、市場も資本も国内限定である。早晩やってくる次の踊り場では、ここが問われることになるだろう。つまり、令和のプロ野球は、経営権を認めることも含めて、外国資本とどう向き合うか。そこに成長機会も潜在している。

 ■小林至(こばやし・いたる) 江戸川大学教授、博士(スポーツ科学)。1968年1月30日生まれ。東大から1991年ドラフト8位で千葉ロッテに指名され、史上3人目の東大卒プロ野球選手となる。退団後に7年間アメリカに在住し、その間、コロンビア大学で経営学修士号(MBA)を取得。2002年から江戸川大学助教授。05年から14年までソフトバンク球団取締役を兼任。

4/8(月) 16:56配信 夕刊フジ
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