【文芸】<村上春樹>「直木・芥川賞」を受賞できない理由...なぜ「賞」とは無縁なのか?★2
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■村上春樹はなぜ「賞」とは無縁なのか?
ハルキ・ムラカミの名前がノーベル文学賞の有力な候補者として挙がっているらしい。そんな非公式な噂をもとに日本のマスコミが盛り上がりはじめたのは、春樹がフランツ・カフカ賞を受賞した2006年ごろからだった。以来、秋になるとビジネス・チャンスを逃すまいと出版界や書店業界などが前のめりになり、そんな興奮をよそに「春樹受賞ならず」というニュースが繰り返し報じられてきた。
昨年は、この文学賞を審議するスウェーデン・アカデミーの関係者にスキャンダルが勃発。その混乱による影響で発表は取りやめとなったが、今年の秋には昨年分も含めて受賞者が発表される予定らしい。いずれ受賞したときの春樹フィーバーがどれほどの賑わいになるのか。想像するだけで恐ろしくなる。
少なくとも春樹の作品が国内だけでなく海外でも熱心な読者を獲得し、また評価も高いことは否定しようがない。というところで、だいたい蒸し返される文学賞についての定番の話題がある。
日本で最も有名な文学賞といえば、芥川賞と直木賞だが、春樹はどちらも受賞したことはなく、今後も受賞することは考えにくい、という一件だ。
はたして、なぜ受賞していないのだろうか。……というのが本稿の中心テーマなのだが、率直に言ってしまうと、そこに奥深い答えなどありはしない。
1979年のデビュー作『風の歌を聴け』、翌年には『1973年のピンボール』と、春樹は芥川賞の候補に2度選ばれた。ついに受賞には至らなかったが、当時の芥川賞選考委員が話し合った結果、「受賞させるほどのものではない」と判断したからだ。答えはそれ以上でもそれ以下でもない。
文芸評論家の市川真人に『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』(幻冬舎新書)という、その名もズバリの本がある。そのなかでも、当時の委員が春樹作品をいかに理解できなかったかが細かく分析されている。要するに、選考委員がこの新人作家の将来的な活躍を予見できなかった、と言うしかなく、当の委員の1人大江健三郎が、のちに「私は(中略)表層的なものの奥の村上さんの実力を見ぬく力を持った批評家ではありませんでした」(2007年・新潮社刊『大江健三郎 作家自身を語る』)と語っているとおりだ。
春樹の作品を評価できなかったなんて無能もいいところではないか。確かにそのとおりかもしれない。しかし、総じて直木賞や芥川賞は社会一般から評価されすぎている。期待されすぎている。そのくらいの失敗やとりこぼし、世間の文学観とのズレは、あるほうが自然だろう。
2/10(日) 5:47配信 東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190210-00264622-toyo-soci&p=1
写真
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190210-00264622-toyo-000-view.jpg
1:Egg ★[] 投稿日:2019/02/10(日) 07:19:20.58
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1549750760/ >>65
でも今だったらその翻訳家は十字砲火だろ
国としての後進性はあったんじゃないかな 下半身文学でライトノベル並の作品に純文学の賞はないよ >>66
純文学バージョン、激怒の表現になってる? 気取ってるだけで内容が無くつまらない一時のブームが過ぎたらそれまでさ >>73
他はブームにすらならないだろ
純文学界隈は 立て板に水のように最もらしいことをいう
しゃべり上手な感じがするものというのは
それはそれで
思いついたことをペラペラ言ってるだけのことが少なくないね >>11
小説評論家の人がどう思ってるか知らないけど、一般大衆にとっては断トツで面白いもん
小説好きじゃない人は何読んだってつまらないだろうよ
じゃあ他に誰が面白いの?って話になった時に夏目漱石ってなったのが前スレの結論でしたw 作家でペラペラしゃべったら逆に怖い
大概、口下手だ 春樹を発掘しておきながら、儲けのほとんどを新潮社に奪われた講談社編集のセンスのなさよ 大衆受けする面白い話しというわりに、
テレビドラマ化されたり
アニメ化されたりしないし
あらすじを聞いても何がいいのかわからないw 文学は面白いために読むものじゃない
文学そのものを楽しむために読むものだ 別に賞にこだわらなくてもいいんじゃね?
特に考えさせられる訳でもなく心動かされる作品でもない ムラカミは英語で読んだほうが文体が雰囲気に合ってて面白い作家
だから海外で受ける 大衆受けするのは、
立て板に水のようにぺらぺらと流れてくる
もっともらしい話のほうだろうw >>82
> 文学とは文学としか呼べないもので
> 文章の塊によって何らかの精神的作用の総体を形作ることである
文学とはこういうものだからね >>16
ラノベと言う奴はさすがに思慮が浅いとしか言い様がない 販促のごり押しが酷くて
内容がうっすーいから
騙されたと思って泣かされた人が書き込むスレ
時間返せ的な >>90
これに尽きる
何も残らないよな、こいつの作品 商業的イベントの賞だからね。逆に村上さんがなぜ受賞できなかったのか謎。 アホのおもちゃになっているのは、ちと可哀想になるな
よい憂さ晴らしになるのだろう 例えばロックやジャズが好きじゃない人間に
良さを判れと言ってもムリだろ?
文学もそれと同じ、まずわかるわからないがある >>12
さすが大江
これは割と的を射てるな
でも、社会の中での喪失感と孤独感を明示できただけでも十分凄いと思うけどな
昔の文豪だって、その後のビジョン示せてるかといったらできてないと思うしね
というかそれができるなら、石原慎太郎みたいに小説やめて政治家やってると思う 村上春樹は一度も読んだことは無い、
赤川次郎は86年に一度読んで二度はなかった。 ハルキ原作の韓国映画バーニングは傑作。
でもそれは監督と役者の力。 >>71
ドストエフスキーなんかもっとひどいぞw
道端の少女をついでにレイブしたみたいな描写もあるからな >>96
大江については同感
「生きる指針・ビジョン」を示そうとしないことにこそ意味があり、それは作品としての価値を下げるものではないと思うけどね >>100
ドエトエフスキーなんかこんなスレに名前だしてほしくない 「ニムロッド」読んだ?「仮想通貨」知りたくて、久しぶりに小説読んだが、
「筋=哲学」が目立ち「脂身=お話」が不足してるような感じがした。
もう1作待っても良い気がしたよ、「東方海上に去」り、戸籍を消し再生させた奴が見えてこない。
ただ、勉強になった、人類はどこに向かってるのか、なんて考えた。 ぬるま湯に浸かった坊ちゃんの言い訳を延々と聞かされてるみたいなキモさがあるから嫌いな人も多いと思う 小難しいことを言葉足らずの無音空白だらけで書くとこんなのになるんだろうw どーでもいい、文学なんてどーでもいい
いらない、文学なんて社会に必要ない >>39
新訳でてるぞ
(昔の講談社インターナショナルではなく) リベラルだけが持ち上げてるだけで才能が無いのかもしれない >>107
まあ、必要な物だけあれば十分な猿にはな >>89
ラノベ言い出すとカズオ・イシグロのほうがよりそっちよりだがノーベル賞もらってるしなあ >>63
井上ひさしという俗物は編集者にそれを言われて箔をつけるために左に舵を取った大馬鹿 >>1
読まず嫌いを克服しようとトライするが、いつも一ページ目で挫折して読めない
文章が安っぽい
鼻持ちならない
思わせぶりのストーリー
おぇっとなる 前ノーベル賞の大江と比して思索の深さなどを考慮してかなり劣ると思うが
村上春樹に文学的価値が無い、という主張は全く理解できない 純文学と大衆文学の垣根などあるの?単に作品がつまらないだけ。 今更もらってもなにか評価が変わるわけでもない
作品の知名度もあるし
賞なんて駆け出しの頃にもらうのがいちばん嬉しいじゃないかな >>50
京極夏彦なんて、小難しい話を中学生に易しく面白く理解できるように
話すことができて「スゲー本当に頭良いんだ」って感心したけどな 一番似ているのは、バブルでイケイケだった頃の月9ドラマ
みんな見ていたが、深味はない 村上春樹の小説には知性を感じない
圧倒的にボキャブラリーが少ない 村上春樹がノーベル賞に値するか?について自分の答えはNOだったが
ボブディラン、イシグロが受賞したんで、そのレベルでいいんだから目が出てきたと思う 賞なんかより世界で売れてる方が圧倒的に価値があるわ。 村上春樹は、普段本読まないような人が持ち上げてファッションアイコン化してるイメージ
普通の娯楽小説を見下して手に取らないような人達が、ハルキがー文学がーって
ダザイダザイ五月蠅い人達と印象かぶるわ >>118
ボブ・ディランがもらえるノーベル賞を今更もらってもなあと思うw 疲れたのでショットバーに入り、アーモンドつまみにバーボン、って言うあたりでもう拒否反応。 >>122
そういうこと
そういう意味ではあるが、カズオ・イシグロがとったので、そのポジションにはいるがとれないことは十分あると思う >>1
いかにも三島由紀夫が一回も候補になってないのを知らん奴が書いた文だな 良くラノベて引き合いに出されるから読んでみんべと本屋行ったが
あれ無理レジに持って行けない
あんなんと比較されたら可哀そうだよ一冊しか読んで無いけど村上さんの 大昔中学のころ文学小説を国語の先生に
勧められたが暗夜行路とかを読んで
それ以来文学作品を読んだことない。
777年経った今でも解釈不能意味不明。 やれやれと無茶苦茶なシモの話しかないんだろ結局?
一度も読んだことないけどw
同じ時間さくなら憧れるような生き様とか知識増えるとかワクワクするような冒険とかスリリングな謎解きとか重厚な歴史ものの方見たいよ
なんでおっさんのワイ談好き好んで読むんだろうね むかし講談社で深夜仕事してたら電話が鳴ったんだ
誰もいないので電話に出ると赤川次郎からだった
担当編集者が不在の旨を伝えると
タイトルが決まったから伝えて欲しいと言われた
あの時に少し違ったタイトルをメモにしておけばよかったといまだに思う時がある >>102
どっちの意味にしたいんだ
〜なんか、はドフトエフスキーを低くみてるし
こんなスレ、はスレを低く見てる ナンパした女の部屋でやれると思ったらスカされて家に火を付けるクズの歌
村上の作品にお似合い >>129
そういうことじゃないだろ
賞の性質知らないってこと
芥川賞は若手新人の純文学登竜門
直木賞は大衆文学の実力者への賞
どっちにも当てはまらないだけ 適当に1冊買って読んだがラノベ以下の文章で唖然としたな 文学的価値があるなしは素人の俺にはさっぱりわからんが、人間を描けない作家でありカーバァーに憧れ、ちょいと真似して書いてみたが失敗しちまった作家というのは過去の作品に出てる。翻訳家としては認めるがそれ以上と感じたことはないね。 村上春樹は「スノッブ」って言葉が一番似合う作家だよね
レトリックも得意、外国の洒落た文化に精通、小難しい知識もたくさん持ってる、
心理学の世界にも詳しくて、なんかすごく意味ありげなモチーフを使いながら
とても難解なテーマを扱ってる深い物語なんだ!
って思わせようとしてるところ。。
「なんかよくわからない」「本当にこれ面白いの?」って感想を持つ読者が
自分で卑下する気持ちをどこか持たされてしまう嫌味な作家
まあたまには読むんだけどねw >>138
でも、売れてる量からしたら大衆文学でも良い訳だ
そういう読まれ方をしている訳だから 有名だから受賞できるってわけでもないしね。
本来の賞の性格考えると商への評価が高すぎる >>142
そのあたりなのかな
毎回村上のスレにやたら貶し文句が並ぶのは
さすがにドストエフスキーに比肩するとは思わんが
カズオ・イシグロとは同じ立ち位置だろうし
あとは好みの問題としか言えないんだけどね 村上春樹は80年代に既に長編2作目で国内最高峰の谷崎賞を取っている
これは踏まえて話をしよう
谷崎賞といわれて何がなんだかわからないような人が
ラノベがどうとかいって否定したりしているのは本当にくだらない ただし俺が読んだのは、羊からノルウェーの冒頭三行までの話。後は知らん。本人は人間を描けないことを知ってる作家でもあると思うよ。ニューヨーカーやらガープの世界が流行った時代だったかな、ベッドタイムアイズの冒頭に全作品負けてると思うぞ。 俺は昔すでに有名になっていたので試しに評判にノルウェイの森を書店で冒頭だけ立ち読みしたんだがそんときの感想は
「古いライトノベルみたいだな」だった
正確にはスレイヤーズ以前というかライトノベルと言われ出す前の中高生向文庫っぽいという感じ
凄く読みやすかったけど立ち読みだけで満足してしまった
少なくとも似た感じで読み始めた川端康成みたいに読みにくいと思う読者すら引き摺り込む暴力的な何かが無かったな >>146
でも実際にライトノベルみたいだぜ?
これは村上春樹に限らず他のベストセラーでも言えることだけどな もしかしてライトノベルライトノベルって評する人たちは、ノルウェイの森一冊しか読んでないからなのか? >>148
川端が古式ゆかしい日本語を使っているが
内容的には村上と川端はどっちもどっちだろう
村上春樹が日本文学に新しい文体を持ち込んだことは肯定的な価値もあり
川端に対して文章が劣ると単純には言えないわけだし >>142
一直線に人間や社会の意味に行けないってことが現代性であり
行ってしまったら逆に文学としてレベルの低い物になってしまうという自意識が
そういう韜晦的なポーズになっているのだろう >>145
村上春樹本人は決して苦悩したり情けない姿を世間に晒さないよね?
洒落たアイテムに精通してて「女の子」は軽くあしらえてセックスできて
マラソンやって自らも鍛え続けてるんだ、みたいな姿を崩さない
例えば太宰治も夏目漱石も生きることにおいてぶつかった苦悩を隠せず
作品の中で問答してたりする デコレーションケーキやクリスマスツリーに似てんだよ。ガワだけで出来てる美意識。
メタファやアレゴリーと言えば聞こえは良いが、ただの衒学趣味。
昔はポストモダンって言ったが、結局中身が無いことの言い訳。所詮80年代の遺物だろ。 「風の歌を聴け」を初読みしたときからこの人苦手
深みも感じないし
ハルキストの皆さんすみあ 会社勤めでもして世間に揉まれたら「村上春樹?バカバカしい!」となるはずだわなぁ ww >>153
それを出すものはもう人がやりつくしていて、その後の文学という立ち位置でもあると思う
難しい時代 真剣に「人間とは?」とか「社会とは?」とか考えることは
現代人としてはカッコ悪い
だがそこを捨て去ったら文学にはならない
だから、何重にもアクロバティックな文学的E難度の技が必要になる 苦悩の表現があるかどうかが文学の価値というのはかなり一面的な俗見だな >>154
その中身のなさが我々自身の問題でもあるから
村上文学が意味を持つ こういう時ラノベって持ち出されるけど
その「ラノベ」はどういうものを指すのかを知りたい >>158
人がやりつくしてるか否かで文学するんじゃないでしょ
だから目新しく(当時としてはw)>>127みたいなことやって悦に入りたいわけ?(春樹もあなたみたいな読者も) >>163
文学的評価というのはある意味、新しさ、革新性による価値というのはあると思う
二葉亭四迷しかり
カミュしかり
時代的に、何かを鼓舞する、自分を吐露する、社会を変える、そういうものはもう書けないという認識で
しかも何を書くかというのが、一種のテーマなのだと思う >>160
苦悩と無縁の文学はあり得ないが
それが表現としてどう現われるかだな >>165
その立場からは例えばヌーヴォーロマンはどう理解されるわけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています