【訃報】作曲家・小田裕一郎さん死去 68歳 「青い珊瑚礁」「CAT'S EYE」など
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2018-09-20 12:17
松田聖子「青い珊瑚礁」など多くのヒット曲を手がけた作曲家の小田裕一郎さんが17日に亡くなった。68歳。日本時間きょう20日、小田さんが運営していた米・ニュージャージー州のレコーディングスタジオ「ODA STUDIO」の公式フェイスブックが、22日に同州にて葬儀を執り行うことを伝えた。
フェイスブックでは「9月17日に永眠いたしました小田裕一郎の葬儀を、22日(土)にニュージャージー州にて行うことになりました。お時間ございましたら、最後のお別れをしていただけましたら幸いです」と訃報を伝え、同州の「Riotto Funeral Home」で葬儀を行うとした。
19日には作家の志茂田景樹氏も、自身のツイッターで「松田聖子の『青い珊瑚礁』等の作曲で知られる小田裕一郎さんの訃報がたった今届いた。在りし日々を偲び独りグラスを傾ける」と追悼していた。
小田さんはサーカス「アメリカン・フィーリング」や、松田聖子の初期のヒット曲「裸足の季節」「青い珊瑚礁」、杏里「CAT'S EYE」など多くの作品で作曲を手がけた。
https://www.oricon.co.jp/news/2119923/full/
(最終更新:2018-09-20 12:22) 「アメリカン・フィーリング」
これすごくいい曲だったな >>14
まじで?
シングル買ったんだが、気にしてなかった
初期聖子といい凄いセンスだな >>198
遭難といえば
一 真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心
二 ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も波も 小さき腕に
力つきはて 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里が浜辺 「SQUALL」と「NORTH WIND」はマジ名作
松田聖子の基礎は小田裕一郎と三浦徳子が作ったと言っても過言ではない 青い珊瑚礁、いきなりサビの解放感が今聞いても気持ちいい。 >>208
秋冬と春夏って季節がキーワードのコンセプト作ったのもこの二枚 松田聖子の最初3枚の「アルバム」の曲の多くをやっているが、それが名曲ぞろいなので ブルーノートとか味のいい技法もいろいろ入れて
松田聖子のアルバムは異常に出来が良い、評価とその後の(スタッフも聞き手もの)力の入れ方を決定付けた要素で業績の一つ 青春だった doスポーツ…
GAMEISOVERは名曲 たしかクリィミーマミのLOVEさりげなくってこの人作曲だよな
男だったのに気に入っててよく口ずさんでた Cat's Eyeって好きな曲だったなあ
これと、テレサテンの「つぐない」(三木たかし作曲)が俺にとっての昭和二大名歌謡曲
わかるでしょ >>211
ちょうどCDへの変換期で
音質もSONYだから段違いだったんだよな この人の聖子の曲は財津和夫なんかの退屈な曲よりよっぽどよかった >>11
そうだよな。
絶対そう。ファーストアルバムが
すごく良いんだ松田聖子。 この人の曲は歌謡曲と違っていて洋楽だけに走りかけた俺を邦楽に引き戻した。 >>214
キャッツアイはシモンズのドラムの音がいかにもあの時代を感じさせる。
あとCCBのロマンティックが止まらないとか >>11
それは大瀧松本ファンがうるさいからだろね
青い珊瑚礁=松田聖子だもんやっぱり 裸足の季節 青い珊瑚礁 風は秋色 恋=Do! ニートな午後3時 ゆ・れ・て・湘南
Cat's Eye 地球へ 汚れた英雄Riding high
といったところ >>11
三浦さんはジュリーの曲もいいよな。
ストリッパーとか >>177
ビージースって「若葉のころ」か?
それをパクリみたいに言ったらほとんど全ての曲のフレーズはそれ以前の何かのパクリだ、レベルだろw あまり音楽を聴くことないのか
そもそも
「「青い珊瑚礁」のAメロは、「青い珊瑚礁」のサビのパクリ」、だなw
ハ長調で
サビ ドーー ドド(レミー)| シー(ド)シーーー
Aメロ ドー(ソソー ソミ)ド | シー(ソソー)
どっちも一拍目頭、ドーー を強調して始まって流れ、 次は シー を強調して始まって流れる コードも同じ C-C-Em-Em
つまり、サビの展開だろ単に >>36
『ゆ・れ・て湘南』
『バイバイサマー』
マジかよ天才じゃん 最近どんどん時代を作り上げて行った人達が亡くなるな
ご冥福をお祈りしてこの曲を送るわ
しょっちゅうお悔やみ申し上げます〜♪ 田原俊彦の恋=Do!
も良かった。最近懐かしくなって
ダウンロードしたばかり。 まんまワイやがな
松原みき『ニートな午後3時』(作詞 ︰三浦徳子) 悲しみを背負い生きる人々を
救えるのは君しか君しかいない! >>236
NEETな午後3時じゃなくて、NEATやで。 昔、テレビ東京系でハーフの女の子が出てきて色々スポーツやったり観戦するDo Sportsって番組のテーマ曲が好きだったわ。
ナレーションが水島裕だったと思う。 小学三年生の時、テレビでキャッツアイ見てたらなぜかお母さんに怒られた 織田裕二のお兄さんってだーれだ?
A : 織田裕一 松田聖子の名曲は全てこの人と作詞三浦徳子のコンビ。 ロック・クィーン浜田麻里伝説
・ 人生最初の記憶は、美空ひばりのコンサート、当時2歳だった
・ 理髪店を営む両親のもとで育つ。因みに当時ご近所に住んでいた三波春夫もお客さんだった。
・ 小学生の時、友達の付き添いで女優のオーディションに参加、そこで自慢の歌を披露したら何故か音楽学校の特待生になる
・ 15歳にしてスタジオボーカリストとしてCM曲を歌いまくって影のCM女王となる
・ 某アイドルのデビューに際し、楽譜が読めない某アイドルのお手本を吹き込む
⇒その某アイドルは頑張って麻里さんの歌唱をコピーするが、無理がたたってデビュー1年後に喉を壊す
・ 高校時代は、いるのかいないのか分からないほど大人しい上に真面目な超優等生として知られていた
⇒そんな麻里さんが、学園祭でいきなりスパッツを履いてヘヴィメタルを熱唱したため優等生の一夜のアバンチュールと学校中で話題になる
・ 高校3年生の時に青山学院大学受験を決意、伝説の歌姫が入学するとの噂が噂を呼び、この年の青学の偏差値は市場最高値を更新する
⇒大学2年生の時にプロデビューが決まる。生真面目な麻里さんは「女子大生がチャラチャラしながら音楽をやっていると思われたくない」とあっさり退学
⇒伝説の歌姫が青山を去るとの情報が受験生の失望を呼び、青山学院の偏差値バブル崩壊、以後「青山の失われた30年」と呼ばれる低迷期が続く
・ 20歳でプロデビュー、それ以前にしていたスタジオボーカリストの仕事の方が実入りが良かったため、お小遣いが大幅に減った
・ 麻里さんの魔力で、関わったミュージシャンが出世をすることで知られている
麻里さんを見出して初期作品をプロデュースしたドラマー
⇒麻里さんのデビューアルバムプロデュース後に一念発起して自身のバンドを率いアメリカに
⇒ビルボードアルバムチャートで24週に渡り200位圏内にランクインという世界的大ヒットを叩き出す
アンプの音量をこっそり上げて麻里さんに怒られていたバックバンドのギタリスト
⇒男版麻里さんともいうべきボーカルを相方にグラミー賞受賞
同じく、パンツ一丁で麻里バンドのオーディションを受けて採用されたギタリスト
⇒別の仲間と結成したバンドがバカ売れしてレコード大賞受賞
同じくバックバンドのキーボーディスト
⇒作曲の才能を麻里さんに見いだされてあれよあれよという間に売れっ子作曲家へ
麻里さんの依頼を引き受けた米国人プロデューサー⇒麻里さんが最初に尋ねた時は普通の平屋の家に住んでいた
⇒その後にプロデュースを引き受けたバンドが世界的の大当たりして何万エーカーの敷地を持つ邸宅に住む大富豪に
・ 半面、麻里さんをDisると恐ろしい呪いが掛かってしまい、麻里さんはそのことで心を痛めている
麻里さん人気に嫉妬してブリッ子メタルとDisりまくっていた某女性ボーカリスト
⇒直後に離婚、10年後に息子がグレた上にパニック症候群を発症し、その後に引退。
麻里さんをキンキン声と雑誌でDisった某ボーカリスト
⇒史上最高の声と言われ英国デビューを果たしながら米国デビューがぽしゃって、しがない英語の先生に
某国民的人気アイドルの妻
⇒麻里さんの衣装をDisったばっかりに人気絶頂だった旦那が裏切者扱いされる嫌われタレントに、自身も「女が嫌いな女」第1位に輝く
・ 身長156cmで華奢な体つきなのにパワフルで、若いときには酔いつぶれた男性ミュージシャンを負ぶって連れ帰ったこともある
・ 肺活量は7000cc(成人女性平均の2.5倍!)という都市伝説があるが定かではない
⇒ただし、学校の身体検査で機械が壊れたと騒ぎになって何度も図り直されたというエピソードは本当の話
・ 浜田麻里に伝説のライブは存在しない。常に他のボーカリストの伝説のライプ級であるため
⇒そのため、ファンは、3時間のライブで1回音を外すと麻里さんの体調を心配し、2回外すとお通夜状態になり、3回外すと「麻里さんはもうダメだ、新潟に移転するしかない!」と発狂する
(参考: 絶不調ライブのアンコール曲
https://www.youtube.com/watch?v=HfpIX0Dal3g )
・ 意外にも音楽は普段聞かない、90年にLAでレコーディングしているときにオリコンのランキングを見て一言「BBクィーン(ズ)って何ですか?」
⇒なお、当時から現在まで常に浜田麻里のライブに帯同しているギタリスト増崎孝司は、BBクィーンズのメンバーでもある >>11
トシちゃん田原俊彦のグッドラックLOVEも小田さん
メジャー調もマイナー調も名曲ばかり
この人がいたから林哲司が上手く波に乗れたんじゃなかろうか 80年代の曲ばかりなのは90年代以降は歌手やグループが自作自演するのが普通になったってことか 松田聖子の愛の神話とかかなりの良曲だよ
この人は当時の歌謡曲っぽいセンスではなく洋楽のセンスを持ってた人だし
すごい好きな人だった >>222
わかる
どちらもサビに向けての高揚感が好き 『ニートな午後3時』ってどういう意味(´・ω・`) むかしニートたけしっていう物まね芸人がいたな 誰も覚えてないだろうけど >>257
午後のロードショーを見て5chで実況しているニート ドラマティックな盛り上げがうまいサウンドメーカーさんだった
ご冥福をお祈りします I'm gonna feel
Neat Neat everyday >>227
いやいや
青い珊瑚礁=ブルックスシールズだろ 同じ人が書いたらパクリじゃないだろw 営業から青いサンゴ礁みたいなの、もう一発
お願いしますよ!と頼まれて書いたんだ。 >>118
かなり良い線ついたキャスティングだと思う
一人も「ハァ?」と言いたくなるようなのがいない、適役 小林亜星、キダ・タローの東西のキワモノ作曲家の両巨頭は
二人とも存命でございます カノンコードの魔術師っていうか安易なコード進行の曲ばかり作ってたね >>280
なぜそこで浪速のモーツァルトを唐突にdisるのか・・・ 1980年代前半の選抜高校野球
入場行進曲になったのを2曲も作曲していた
キャッツアイのときは金足農業と大船渡とが初出場 >>36
妖精時代の音楽が作れるおっさんとか天才だわ
惜しい人を亡くしたな 青い珊瑚礁は名曲だな。
聖子初期のフレッシュなイメージを作ってブレイクさせた。 1981年の「ニートな午後3時」って曲
ニートって言葉が一般化する20年以上前にニートって言葉を使ってるんだよな。 >>295
言えてる
青サンがなければ、聖子はなかった
前住んでた家の門に、聖子が青サンの出だしの音符をかたどった飾りを
つけてたらしいけど、アイドル聖子を作り上げた曲だと思う 今から思うとアメリカンフィーリングと青い珊瑚礁って似てる曲って気もする >>285
甲子園のスコアボードが電光掲示となったころ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています