【野球】木田勇 野茂英雄を超える圧巻のルーキーイヤー/プロ野球1980年代の名選手 40試合22勝8敗 2.28
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1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
木田勇 野茂英雄を超える圧巻のルーキーイヤー/プロ野球1980年代の名選手
パ・リーグの1980年は、この男のためにあったと言っても、そう大袈裟でもないだろう。
ドラフト1位で日本ハムへ入団した新人の木田勇だ。ペナントレースは前期がロッテ、後期は近鉄が優勝して、プレーオフを制した近鉄が連覇を達成、
前年の日本シリーズで広島に“江夏(豊)の21球”で惜敗したリベンジを果たさんとする物語も、かすんでしまった感もある。
ちょうど10年後の90年、パ・リーグでは新人の野茂英雄(近鉄)が旋風を巻き起こし、その後のメジャーでの活躍もあり“トルネード旋風”として伝説となっているが、
豪快なフォームから剛速球を繰り出して三振の山を築いた野茂ほどの華やかさはないものの、
ルーキーイヤーに限って比較すれば、野茂に勝るとも劣らない、いや、それ以上の勢いだったかもしれない。
22勝、投球回253イニング、19完投、勝率.733、225奪三振、防御率2.28は、すべてリーグトップで、最多セーブを除く投手タイトルを総ナメ、プロ野球で初めて新人王とMVPをダブル受賞した。
シーズン3度の毎回奪三振もプロ野球で初めて。ベストナイン、ゴールデン・グラブもダブル受賞。まさに圧巻だった。
78年秋のドラフトで大洋、広島、阪急が1位で指名し、広島が交渉権を獲得するも、親が病気だったこともあり拒否。
地元の横浜にあった大洋でプレーしたい思いが強かった。
翌79年秋のドラフトでも大洋は巨人、日本ハムとともに1位で指名したが、またしてもクジを外し、交渉権を獲得したのは日本ハム。
当時の本拠地は後楽園球場で、それほど地元からも遠くなかったが、
「万年Bクラスだし正直、一番入りたくなかった球団でした」と笑う。だが、1年の“浪人”を経ても、1位で指名してくれたことはうれしかった。
収穫もあった。ウイニングショットはパームボールだが、これは日本ハムに入団してから、植村義信コーチに教わったものだ。
「僕は超速球派だと思っていた。それが木田=パームというイメージが定着したのに少しヘコみましたよ」と振り返るが、
パームで決められる前に打者が打とうと焦るようになり、「(打者が)的を絞りにくい、カウントを稼げる、すごく効果のあるボールでした」という。
だが、このウイニングショットは諸刃の剣でもあった。1年目の登板過多もあったが、他のパームボーラーと同様に、肩が悲鳴を上げるようになる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180919-00000004-baseballo-base
9/19(水) 11:06配信
https://www.youtube.com/watch?v=QFsKuCWcS28
1981 木田勇 1
https://i.daily.jp/baseball/2015/08/23/Images/d_08330016.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20120719/14/pasadenian/2d/72/j/t01440176_0144017612087417640.jpg
http://npb.jp/bis/players/81383861.html
成績 13:30から「原告・野茂英雄 被告・佐野重樹」の貸金返還請求事件の第1回弁論が開かれておりましたが、
タッチの差で見に行けず。超興味ある
https://twitter.com/miyaderatatsuya/status/1040206784261120001
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) その後は急失速……
「1年目は20勝まで考えていなかった。結果的に22勝で、翌年は25勝という目標を立てればよかったんですが、最低でも15勝、できればまた20勝したい程度の気持ちで、自分でハードルを下げてしまったんです」
翌81年は10勝。チームはリーグ優勝を果たしたが、勝ち星を大きく減らした。そして、これが最後の2ケタ勝利となる。
86年にプロ入り前に希望していた大洋へ2対2のトレードで移籍、1年目こそ8勝を挙げたものの、その後は3年で2勝にとどまり、90年に中日で1年だけプレーして引退した。
勝利の女神に手を引かれ、導かれて、最後の最後で凄まじい勢いで突き放される……。
そんな運命なのかもしれない。
社会人でも都市対抗の決勝で敗れた。
圧巻のルーキーイヤーも近鉄との最終戦、勝つか引き分けで日本ハムの優勝という状況だったが、中1日で両チーム無得点の3回途中から救援登板も5失点、1点差の惜敗で優勝を逃した。
2度もクジを外した念願の大洋へ移籍したときには全盛期に遠く及ばず。
その大洋時代には巨人の槙原寛己と投げ合い、ともに9回まで無失点で延長に突入、11回裏に大洋がサヨナラ勝ちを飾ったが、10回裏に代打を出されて勝ち星がつかなかったこともあった。
「1年目が輝いたのは日本ハムだったから」と語る。ただ、もし1年目から大洋だったら、もしパームを持たなかったらなど、さまざまな空想をしてみたくなる左腕だ。 1年目に大活躍して、オフはマスコミに引っ張りだこ。大晦日の紅白審査員まで勤めて、すっかり有頂天。年明け新年会に現れた木田を見て、大沢監督は
「新人の年あれだけの好青年がド派手な真っ赤なジャケット着こんで、ファンのサインも面倒くさそうにあしらう」姿を見て愕然としたそうな。
不人気だったパ・リーグ時代の悲劇の選手の
一人でも有る。 昔は指名されても何回も拒否する奴いたな
一方下位で指名した選手には指名したきり交渉に来ない球団もあったとか 大洋で巨人相手に敗戦処理で投げてた
イメージしか無い でも野球で木田と言うと元巨人軍の画伯でありトナカイ >>14
野茂のデビューの頃にはすっかり忘れられた選手だったけど
当時のパリーグでもそれなりに一般でも騒がれとったんか この頃の日ハムは木田とか工藤とか間柴とか岡部とか1年だけの確変投手が次から次へと出てきてたな 当時はこいつせいで19勝のジンクスという
不名誉なワードが使われてた
18で止まるか20に届くかでザワついたもんだ >>14
漫画でよくあるベタなストーリーを忠実に実行したわけかw 飛ぶボール使って二百本塁打が三チームもでるっていう終わってるパ・リーグだったがハムはこの年もう使ってなかった
そして翌81年に正田コミッショナーから飛ぶボール禁止例がでて79,80年連覇の近鉄は全く打てなくなり最下位、
そして既に前から使ってなかったハムは優勝
近鉄の野手の80年と81年の成績比べたら凄いよ 天狗になって全然練習しなかったと江夏が言ってたな。 日ハムに工藤っていう一発屋もいなかったか
あと間柴も この時期に、こんな無様な大仏を造って、どうするの?
馬鹿みたい・・・。w
http://kokusai.kir.jp/politics/?lang= >>29
その一年前にドラゴンズで新人王取った藤沢公也というPもパームボールだけだったな
二年目以降ボロボロ 大洋の2年目に超絶ヨレヨレで
確か広島戦で1番ホームラン 2番 ホームラン 3番ホームラン 4番四球 → 交代を目撃した >>27
中日の近藤も同じパターンだわな。木田は社会人出て数年だから成人してたが、近藤なんて
19歳の若蔵が大晦日にテレビ出演なんて、
勘違いするなと言う方が酷。まあ、近藤に関しては、1001が潰した感も強いが。 >>32
工藤は飲み屋で喧嘩して小指骨折して終了。
間柴は一年間だけ突然の原因不明の狂い咲き >>10
ややこしいけど、俺達が良く知っているそのハゲとは別人の佐野さんやね。
ちなみに近鉄時代のトラブルらしい。 >>14
浮かれすぎだなw まあ、人間なんてそんなもんだわ 浅尾もそうだけど、パームは肘への負担が酷いからな
選手生命短くなるわ 最近はどこでもいいですっていう選手が増えた気がする キレもまるでなかったボールも軽い 大洋 中日時代しか知らない俺にはあの木田にそんな時代があったとはとても信じられない >>32
工藤幹夫は、深夜の馬鹿力で話した伊集院が経営してた秋田のスポーツ用品店訊ねた話が秀逸 あと、意外と知られていないがガッツポーズの元祖らしい 木田正田八木
ハムの新人王左腕は一発屋が続いてるな >>2
えーっ?
薄毛のピッチャーのヒト?
マジか >>37こういうネタ的なモノなら元楽天の長谷部も凄いよ
四球四球四球四球本塁打三振三振三振
野手の守備機会ゼロで5失点、完璧な独り相撲w 木田ってどんなピッチャーなん?90年代以降でにてるピッチャーだれ?
パーム言うと石井丈が思いつくけど 巨人のシーズン二桁勝利投手6人のうちの一人だったよな
その後メジャー挑戦したりして今は日ハムのGM補佐だっけ? キャッチボール程度でもパームはひじに凄まじい負担がきてるのはわかるしプロレベルだとまさしく命削るボールなんだろなとは思う カーブが凄かった印象。ストレートも速かった。
2年目は遅くなったストレートを狙い撃ちされてた。 入団時にマイホームじゃなかったけ?
引退後ベースボールマガジンのあの人は今、で会社務めを取材されてたような >>1
130km代だけど150kmくらいに見える プロ野球チップスのカードが木田ばかり出て泣いたことがある >>75
それは目がおかしいから
明らかに速くはない >>74
仲がいいから金借りて返さなかったんだろ
てかそれしか有り得ん 入団前にキューバの社会人野球にフルボッコにされたんだよね Jリーグの新人研修で「前園みたいになるな」って言われてた時期あったけど
プロ野球も同じように「木田みたいになるな」とか言われてたのかな >>39
>>49
工藤幹夫は数年前に亡くなったばかりだな >>15
巨人以外は雲泥の差があったからな
パリーグなんて行っても、観客より選手の数が多いような試合ばかりだった。 >>14
あれだけ起用しといて何言ってるんだよw
大沢って言うのは知的障害者かw >>82
キューバは社会主義国家でプロが存在しない。
1980年代90年代は、「キューバの社会人野球」「キューバ・ナショナルチーム」
という呼び方が一般的だった。 そもそも木田潰したの大沢だろw
監督としてはゴミクズだわw 良かったのは一年目だけだったな。
2年目にはリーグ優勝して日本シリーズでも投げたのを後楽園で見たけどもう球威が無かった。
巨人の先発が江川だったけど、マンモススタンド?から見ていても二人の球筋の違いが分かるくらいだった。
江川の直球がスパーンと糸をひくようにミットに収まるのにくらべて、木田のはカーブでも投げてるのかと思うほど
お辞儀してた。 えっ あのピッカリ佐野なのか
野茂とは仲いいと思ってたが金のもつれか。
裁判になるくらいに相当やらかしたのか? >>20
野茂英雄デビュー年にちょうど引退だから
野球ファンなら感慨深い、しみじみ あとコントロールもいい方じゃなかったなw
やっぱパームあってのピッチャーだったんだよなw >>94
球質が軽いw
球に重い軽いなんてあるかよ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています