0001砂漠のマスカレード ★2018/09/19(水) 12:14:15.26ID:CAP_USER9
1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
木田勇 野茂英雄を超える圧巻のルーキーイヤー/プロ野球1980年代の名選手
パ・リーグの1980年は、この男のためにあったと言っても、そう大袈裟でもないだろう。
ドラフト1位で日本ハムへ入団した新人の木田勇だ。ペナントレースは前期がロッテ、後期は近鉄が優勝して、プレーオフを制した近鉄が連覇を達成、
前年の日本シリーズで広島に“江夏(豊)の21球”で惜敗したリベンジを果たさんとする物語も、かすんでしまった感もある。
ちょうど10年後の90年、パ・リーグでは新人の野茂英雄(近鉄)が旋風を巻き起こし、その後のメジャーでの活躍もあり“トルネード旋風”として伝説となっているが、
豪快なフォームから剛速球を繰り出して三振の山を築いた野茂ほどの華やかさはないものの、
ルーキーイヤーに限って比較すれば、野茂に勝るとも劣らない、いや、それ以上の勢いだったかもしれない。
22勝、投球回253イニング、19完投、勝率.733、225奪三振、防御率2.28は、すべてリーグトップで、最多セーブを除く投手タイトルを総ナメ、プロ野球で初めて新人王とMVPをダブル受賞した。
シーズン3度の毎回奪三振もプロ野球で初めて。ベストナイン、ゴールデン・グラブもダブル受賞。まさに圧巻だった。
78年秋のドラフトで大洋、広島、阪急が1位で指名し、広島が交渉権を獲得するも、親が病気だったこともあり拒否。
地元の横浜にあった大洋でプレーしたい思いが強かった。
翌79年秋のドラフトでも大洋は巨人、日本ハムとともに1位で指名したが、またしてもクジを外し、交渉権を獲得したのは日本ハム。
当時の本拠地は後楽園球場で、それほど地元からも遠くなかったが、
「万年Bクラスだし正直、一番入りたくなかった球団でした」と笑う。だが、1年の“浪人”を経ても、1位で指名してくれたことはうれしかった。
収穫もあった。ウイニングショットはパームボールだが、これは日本ハムに入団してから、植村義信コーチに教わったものだ。
「僕は超速球派だと思っていた。それが木田=パームというイメージが定着したのに少しヘコみましたよ」と振り返るが、
パームで決められる前に打者が打とうと焦るようになり、「(打者が)的を絞りにくい、カウントを稼げる、すごく効果のあるボールでした」という。
だが、このウイニングショットは諸刃の剣でもあった。1年目の登板過多もあったが、他のパームボーラーと同様に、肩が悲鳴を上げるようになる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180919-00000004-baseballo-base
9/19(水) 11:06配信
https://www.youtube.com/watch?v=QFsKuCWcS28
1981 木田勇 1
https://i.daily.jp/baseball/2015/08/23/Images/d_08330016.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20120719/14/pasadenian/2d/72/j/t01440176_0144017612087417640.jpg
http://npb.jp/bis/players/81383861.html
成績
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
木田勇 野茂英雄を超える圧巻のルーキーイヤー/プロ野球1980年代の名選手
パ・リーグの1980年は、この男のためにあったと言っても、そう大袈裟でもないだろう。
ドラフト1位で日本ハムへ入団した新人の木田勇だ。ペナントレースは前期がロッテ、後期は近鉄が優勝して、プレーオフを制した近鉄が連覇を達成、
前年の日本シリーズで広島に“江夏(豊)の21球”で惜敗したリベンジを果たさんとする物語も、かすんでしまった感もある。
ちょうど10年後の90年、パ・リーグでは新人の野茂英雄(近鉄)が旋風を巻き起こし、その後のメジャーでの活躍もあり“トルネード旋風”として伝説となっているが、
豪快なフォームから剛速球を繰り出して三振の山を築いた野茂ほどの華やかさはないものの、
ルーキーイヤーに限って比較すれば、野茂に勝るとも劣らない、いや、それ以上の勢いだったかもしれない。
22勝、投球回253イニング、19完投、勝率.733、225奪三振、防御率2.28は、すべてリーグトップで、最多セーブを除く投手タイトルを総ナメ、プロ野球で初めて新人王とMVPをダブル受賞した。
シーズン3度の毎回奪三振もプロ野球で初めて。ベストナイン、ゴールデン・グラブもダブル受賞。まさに圧巻だった。
78年秋のドラフトで大洋、広島、阪急が1位で指名し、広島が交渉権を獲得するも、親が病気だったこともあり拒否。
地元の横浜にあった大洋でプレーしたい思いが強かった。
翌79年秋のドラフトでも大洋は巨人、日本ハムとともに1位で指名したが、またしてもクジを外し、交渉権を獲得したのは日本ハム。
当時の本拠地は後楽園球場で、それほど地元からも遠くなかったが、
「万年Bクラスだし正直、一番入りたくなかった球団でした」と笑う。だが、1年の“浪人”を経ても、1位で指名してくれたことはうれしかった。
収穫もあった。ウイニングショットはパームボールだが、これは日本ハムに入団してから、植村義信コーチに教わったものだ。
「僕は超速球派だと思っていた。それが木田=パームというイメージが定着したのに少しヘコみましたよ」と振り返るが、
パームで決められる前に打者が打とうと焦るようになり、「(打者が)的を絞りにくい、カウントを稼げる、すごく効果のあるボールでした」という。
だが、このウイニングショットは諸刃の剣でもあった。1年目の登板過多もあったが、他のパームボーラーと同様に、肩が悲鳴を上げるようになる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180919-00000004-baseballo-base
9/19(水) 11:06配信
https://www.youtube.com/watch?v=QFsKuCWcS28
1981 木田勇 1
https://i.daily.jp/baseball/2015/08/23/Images/d_08330016.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20120719/14/pasadenian/2d/72/j/t01440176_0144017612087417640.jpg
http://npb.jp/bis/players/81383861.html
成績