0001しじみ ★
2018/08/03(金) 13:43:12.83ID:CAP_USER9――野球人生を振り返り、高校時代はどんな3年間だったか?
「自分の人生の中でも非常に濃い3年間だったと思います。夏は3年連続で甲子園の決勝までいった。2年で胴上げ投手になり、3年は最後の打者。この2つの経験をした人はなかなかいないのではないかと思いますね」
――3年夏の早実との決勝戦は、延長引き分け再試合となった。
「あれだけ盛り上がり、あの経験ができたから、プロでも大観衆の中で投げることに緊張とかなかった。もちろん、負けて悔しかったし、3連覇したかった思いはありました。だが後悔はしていないし、出し切ったという気持ちが大きかった」
――まだ10代だったが、相当の重圧も背負っていたのでは?
「当時はそう感じていなかった。期待や注目など全て分かった上で、自分たちの野球をやろう、楽しもうと。ただ決勝再試合で2試合やって次の日、体が凄く楽なことにビックリした。うそみたいで信じてもらえないかもしれませんが。1試合目の夜や、再試合の日は本当にしんどかったんですけど。これが重圧、プレッシャーを感じていたことだったのかと思いました」
――親元から離れ、高校生活を送った。
「甲子園に行きたいというよりも、選手として、人間として上達していける環境に身を置きたかった。プロ野球に行くためにでもない。中学1年の頃には、親元を離れて野球をすることしか考えていなかった。両親の理解に感謝しています」
――常に新しい環境を求める思考は、ヤンキース入団を選択した際にも通じるものか?
「似た感じかもしれないですね。上のレベルでやって成長できる、というのがあった。高校は有名校ではなく入学時には甲子園で1勝もしたことはなかった。楽天もこれから歴史をつくっていくという球団だった。逆に超名門で歴史あるチームではプレーしたことがなかった。今までと違う環境に身を置くとどうなるのだろうか、というのはありました」
――高校時代、一番に思い出すのは何か?
「冬場の練習は印象に残っている。絶対やりたくないです。積もった雪をどかし、氷の上で普通にノックやシート打撃をした。今考えたら相当クレージー。でも一冬越えれば精神的にも、バランス感覚とかも鍛えられていた。あの高校に行っていなかったら、甲子園に出ていないかもしれない。プロ野球選手にもなっていないかもしれない。全てつながって今があると、もちろんそう思っています」
[ 2018年8月3日 10:00 ]
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