>>808
ボスニア地域は住民間で異民族という認識が希薄だったので
民族問題を棚上げしたチトー政権下で単独の共和国として成り立っていたわけで
混血と宗教的融和がある程度進んだからこそチトー政権晩年には民族として格上げされたくらいだ
だけどある日突然に異民族だとレッテルを貼られたのはいいけど中途半端に融和が進行してたがゆえに
誰が見方で誰が敵だか見分けがつかなくなってあの惨劇だったのではなかろうか・・・と
あの紛争の歴史的経緯こそ日本語の民族概念だけで世界を語ることができないことがわかる前例だと思うんだけどね
血も宗教も言語も民族を分かつ要因ではなかった地域で、もっとも悲惨な民族紛争が展開されたんじゃないのかな