アニソン歌手の影山ヒロノブが22日、フジテレビ系「ノンストップ!」で、売れる前のどん底時代を振り返った。

影山は77年にロックバンド「LAZY」としてデビュー。
音楽番組はもちろん、当時大人気番組だった「スタードッキリマル秘報告」にも出演するなど、アイドル並の人気を誇った。

だがLAZYは音楽性の違いからわずか3年半で解散。
「ガッチガチのヘビーメタルをやりたい2人と、もうちょっとソフトなロックをやりたい3人」に別れてしまい、「ガッチガチのロック派」の2人が「LOUDNESS」を結成し、日本を代表するヘビメタバンドへ成長させた。

これに影山は取り残された気持ちになり、焦りからライブを頻繁に行うも「最低の時だとお客さん5、6人の時もあった」といい、事務所から契約解除された。

その後はノーギャラでライブなどに出続け、なんとか音楽活動を続けていたが「歌の年収は7万円ぐらい」とどん底生活。
「曲も作れない、詩も書けない無力な自分と、あとの4人を比べた時が一番みじめだった」といい、ライブの合間に建築現場でアルバイトを続ける生活が5年近く続いたという。

だが時代の風が影山に吹いた。
80年代のアニメソングがロック調に変化。
「ロックシンガーがほしいと探したところ、目に付いたのが俺だったらしい」。

これでアニメ・聖闘士星矢のオープニング曲を任され火が点いた。
89年には自身最大のヒット曲でもあるドラゴンボールZ主題歌「CHAーLA HEADーCHAーLA」に抜てきされ、現在の地位を確立した。
「(ドラゴンボールZの)初回オープニング、正座してみるぐらいだったけど、涙出るぐらい感動した」といい、このヒットで音楽活動に専念できるようになったと振り返っていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180522-00000048-dal-ent

影山ヒロノブ
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LAZY
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