■自分がこれまで注いできた熱量は、なんだったのか
端的にいうと、本件は「皆が見ていた映画を、クライマックスを待たずして上映打ち切りにした」ようなものだ。

映画の内容には賛否両論あったものの、様々な人がその映画監督・キャスト・スタッフによるクライマックスを期待していた。

「うまくいってほしい」「失敗する」「通用する」「しない」様々な意見があった。
だが、ハリルホジッチという映画監督がつくった作品のクライマックスはこれから。JFAは3月のテストマッチ終了後にも解任を否定しており、どうあれ「顛末を見届けよう」という観客が大半だった。

JFAがやったのは、「映画を途中で打ち切り、監督・スタッフを挿げ替えた」こと。どうやら、キャストも入れ替えるようだ。
これ以降、同じ映画を見た気になれるだろうか。完全に別の映画を撮るのなら、エンドロールが流れきったあとではなぜいけなかったのだろうか。

確かに、クライマックスまでは盛り上がっていなかった。だが、それはハリル監督による演出か、単に演技指導が下手だったからか、脚本が失敗していたか、大根役者ぞろいだったからか、
対戦国に対し三味線を引いていたからか、判断はつかなかった。すべてはクライマックスで説明される予定だったからだ。

われわれは、映画の結末を知る機会を唐突に奪われ、「より信用できる」とも「より魅力的」とも言いがたい別の映画を「続きはこちら」と提示された。
映画好きだろうとなんだろうと、これまでの時間を返せと言いたくなるだろう。自分がこれまで注いできた熱量は、なんだったのかと言いたくなるだろう。前掲したツイート群が示すのは、そういうことだと思われる。

■コアなファンを失うことは、取り返しがつかない
サッカー日本代表は「ドーハの悲劇」以後、急速にメディア価値を高めてきた。日韓W杯のロシア戦における66.1%を筆頭に、恐るべき高視聴率を叩き出している。

ハリルホジッチ監督の最高傑作と目される2017年8月31日のオーストラリア戦でも、瞬間最高視聴率35%を記録した。
現在はドラマでも10%を超えればヒット、20%を記録するのはNHK朝の連続テレビ小説を除けばほとんどない。
そんな中での35%は、いまなおサッカー日本代表がキラーコンテンツの可能性を持つことを示している。

ただ、その人気を下支えしているのはコアなサッカーファンであることも忘れてはならない。熱狂とは、少数のコアファンが大騒ぎすることで徐々に伝播していく。マスメディアがファンをコントロールできなくなりつつある現代では、彼ら彼女らのようなコア層にまず届ける施策が「熱狂を生む」ためには不可欠だ。

今回の施策は、その「熱狂」を奪った。大小の差はあるが、上記のように実際にファンの声としてそれは現れている。
サッカーライター・清水英斗氏は、

生まれて初めて、日本代表を応援できない気持ちになっている。この10年で日本と世界の差はずいぶん広がったが、まだ序章に過ぎないのかもしれない。

ハリルホジッチの解任は“戦略なき戦術”。広がり続ける、日本と世界の差
と書いた。彼自身もキャリアが長く現場取材を多く重ねているサッカーライターであり、ある意味ではファン以上にコアなサッカーファンだ。その彼が、「生まれて初めて日本代表を応援できない」と書いた意味は重い。

「JFAは、こうした反応を重く受け止めよ」などのおためごかしで済ませることはできない。
一度失われた熱狂を取り戻すのは、「例え戻ったとしても」長い年月がかかる。一度さめたものに再び熱狂するのは、よほどの物語が必要だ。それこそ「初のW杯出場」「初のW杯自国開催」といったような。

そうした物語を用意するのは、もはや不可能だ。そんな中で今回のような愚策が投じられたことは、サッカー日本代表のブランドに取り返しがつかないダメージとなる可能性が高い。
仮に現チームでロシアW杯が奇跡的に好成績を収められても、そこに正当性をもはや見いだせない以上「さめた心」が熱くなることは難しいだろう。

「オールジャパン」がロシアW杯で好成績を収めたとしても、彼ら彼女らが戻ってくるかはわからない。JFAが失ったものは、途方もなく大きく、取り返しがつかない。