【16】小学生のころ、野球をやりたいと両親を困らせたとか。

 9歳くらいのときに、本当にやめたくなって、「やめる」「じゃあやめなさい、野球でもやりなさい」となった。
そのときにふと思いましたね。まだ始めて5年たってないくらいだったけど、こんなところで終わらせてしまっていいのかな、
僕、もうスケートに人生かけているな、と思った。

【17】勝負飯は。

 僕は絶対にご飯。パン、シリアル、パスタでは自分はあまり力が出ないので。

【18】食事は、スケートのために我慢しているか。

 僕はどちらかというと、食べても太らないタイプなので、マクドナルドも行きますし、炭酸のジュースもすごく好きだし、
それと一緒にポテトチップスを食べることもよくあります。

【19】試合前のゲン担ぎは。

 前は(スケート靴を)右足から履くってずっと決めていた。だけど、あるとき左足から履いてしまって、すごく試合で緊張して、
そしたら(逆に)うまくいったという経験があった。以来、左足で履いてもいいなと思っている。
ただ、ベッドのシーツや枕はきれいにしてから出る。
心残りがない状態で試合に行くということは常にしています。

【20】練習の中で違うスポーツを取り入れているか。
 それがスケートのためになるかはわからないですが、海外の選手はよくサッカーをしながらウォーミングアップをしている。
僕はけがをして氷上に立てなかった期間、自転車で心肺機能や体力をつけるトレーニングをしていました。
国や研究機関でフィギュアスケートがより研究されることを願っています。

【21】今回、宇野昌磨が追いかけた。後輩がすぐ後ろにいる。どんな気持ちか。

 まず一つ言っておきたいのは、僕は勝利を確信していたので、彼が4回転ループを本当にきれいに決めたとしても、
やっぱり点差的に負けることはなかったな、というのは前提として言っておきます。へへへ。

 まだ引退するとは言ってないですし、その気持ちもないし、まだやることはいっぱいあるんですが、
(仮に)引退と言っちゃえば、彼に任せられる。そういう頼もしさは感じています。ただ、まだ(宇野は)人前で寝るとかするので。
もうちょっと面倒見なきゃなと思っています。

【23】フェルナンデス選手との友情について。

 彼は本当に優しい人で、優しすぎてちょっと競技には向いてないんじゃないかなというほど。
彼がいたからこそ僕はカナダに行ってトレーニングするという選択をしました。僕は金メダルを取ったときに泣いてしまったんですが、
実は泣くスイッチが入ったのは彼のメダルが決定したからでもあった。彼のメダルは本当に僕も誇らしかったし、本当にうれしかった。
6年間一緒に練習してきて、お互いを高め合いながら試合に出ることができた。彼がいなくちゃ、
僕はこの席にこのメダルを持ってこられなかったと思っています。

【3】練習ができない間は何をして過ごしたか。

 けがの治りが遅くて、焦ることもあった。痛みと向き合いながら、どのようにすればけがを早く治せるかを勉強してきました。
机に向かって、いろんなことを学ぶことができた。

【5】けがをしていなかったら金メダルを取れなかったと言った。その意味とは。

 実は66年前に連覇をされた(アメリカの)ディック・バトンさんが僕にメッセージを送ってくださって。
「リラックス。オリンピックの経験を楽しめ」と。彼自身、練習しすぎてよい演技ができなかったと語っています。
僕がけがをしないで万全な状態で五輪に向かっていたら、そういうふうになり得たと思っています。