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2017/08/27(日) 09:42:06.62ID:CAP_USER9カフー氏は、ブラジルが優勝した2002年ワールドカップ日韓大会でキャプテンを務めた。決勝が行われた横浜国立競技場(現・日産スタジアム)で、優勝トロフィーを最初に高く掲げたのがカフー氏といえば、思い出す人も多いのではないか。
また、当時所属していたASローマ(イタリア)では中田英寿氏とチームメイトで、2000〜2001年シーズンには一緒に優勝を味わった。
一方で、カフー氏といえば、日本のサッカーファンが思い出すのが、2003年の移籍騒動。カフー氏はASローマから横浜F・マリノスへの移籍が決定していた。しかし、チーム合流直前になって状況が一変。カフー氏側が契約解除の違約金を横浜側に支払って、日本代表・本田圭佑が所属していたことで知られるイタリアの名門・ACミランへと移籍した。
「現役ブラジル代表のカフーが日本にくる!」と期待していた、多くの日本のサッカーファンはぬか喜びする羽目になった。
そのカフー氏が8月26日、ヨーロッパ最高峰のサッカークラブ大会「UEFAチャンピオンズリーグ」の優勝トロフィー展示イベントに登場した。会場は大会を協賛している日産自動車のショールーム「NISSAN CROSSING(ニッサンクロッシング)」(東京都中央区銀座)。
日産といえば、横浜F・マリノスの筆頭株主。14年前のこととはいえ、一連の騒動を知る日本のサッカーファンからすれば、「カフーが日産でイベント」というのは、ちょっとシュールだった。
記者会見場でカフー氏を直撃し、03年の移籍騒動について尋ねると、真相をこう告白した。
「私自身が横浜ではなく、ミランに行くことを決断した。ACミランの方から、当時32歳である私にオファーがあって、金銭面でいえば、横浜のものよりミランの方が低かった。しかし、32歳である私に賭けてくれたミランに対して、私は移籍を決断しました。結果的には、その後5年間、ミランでプレーして、あらゆるタイトルを獲得することができた。私にとって良い移籍だったと思います」
思わぬ移籍劇は「サッカーの世界ではよくあること」とカフー氏。
ACミラン所属時代にUEFAチャンピオンズリーグで優勝も経験した。日本への思いをこう語ってくれた。
「2007年のFIFAクラブワールドカップ以来、日本に帰ってくることができて、嬉しい。日本では数々の良い思い出がある。様々なトロフィーを掲げることができた。私にとって大きな誇りで、(UEFAチャンピオンズリーグは)サッカー人生で唯一欠けていた優勝トロフィーで、誇らしく感じた。それが実現したのが2007年だった。また、私にとって人生最高の瞬間は2002年のワールドカップ日韓大会。キャプテンとしてトロフィーを掲げることができたのは最高の喜びだった」
現在も慈善サッカーなど定期的に身体動かしているらしく、47歳とは思えない体型のカフー氏。最後に日本代表について、「日本代表がロシアワールドカップに出場できるよう、(日本の皆さんは)応援してください」とエールを送った。
終始笑みを浮かべながら、取材対応してくれたカフー氏。ファンたちと気軽に記念撮影会も行っていた。(本誌 大塚淳史)
※週刊朝日 オンライン限定
8/27(日) 7:00配信 〈週刊朝日〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170826-00000034-sasahi-spo
写真
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