【芸能】大河『武田信玄』名場面 上杉謙信との「一騎打ち」は史実か [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
大河ドラマはどこまでが“史実”なのだろうか。各作品は歴史をベースにしたフィクションだが、多彩なキャストの名演、怪演を見ると、ついつい「本当にあったこと」として受け止めてしまいたくなる。“虚”と“実”の境目を大真面目に検証してみた。
●『武田信玄』(1988年放送、主演・中井貴一)
〈1561年の川中島。入り乱れて戦う武田、上杉の両軍。中井演じる武田信玄が座る本陣へ草原の彼方から白馬にまたがった武者が一騎で猛進する。
馬上で抜刀し、切りかかる上杉謙信(柴田恭兵)。信玄が謙信の刀を軍配でさばくこと数度。一瞬、静かに見つめ合った後、謙信は「うおぉぉ」と雄叫びを上げ、その場を去っていく──〉
視聴率36.4%を記録した第27話「川中島血戦」最大の見所だ。だが、歴史研究家で『NHK歴史番組を斬る!』などの著書がある鈴木眞哉氏はいう。
「一騎討ちは、武田家側に残された『甲陽軍鑑』から一般に流布した話ですが、川中島の戦いのずっと後に書かれた史料。一方、上杉側の『川中島五箇度(ごかど)合戦記』にも一騎討ちが書かれていますが、これも同時代の史料ではありません。しかも両書で年号が食い違い、信憑性には疑問符がつきます。
1586年に毛利家の重臣・益田元祥が自ら武器を取り奮戦したのを、毛利一族が褒め、馬や太刀を贈ったという記録があります。そのクラスの武将の活躍でも騒がれるのですから、信玄と謙信が直接刃を交えたら、当時の史料に残っていなければおかしいのです」
2人は「遠くからにらみ合っていただけ」と考えるのが妥当なのだという。
※週刊ポスト2017年8月18・25日号
https://www.news-postseven.com/archives/20170813_602615.html >>219
最近の記述見てるとそれが真相っぽいね
霧中の小競り合いに両軍の味方が続々と集まってきて一気に拡大したという
陣形も何も無い最初から手当たり次第の乱戦での斬り合いだから
あんなに凄惨な被害になったんだろうか 69年の大河「天と地と」は良かった
石坂謙信と高橋信玄の一騎討ち 上杉謙信と武田信玄は互角
北条氏康は上杉謙信に勝ってる
でも
上杉謙信 = 武田信玄 > 北条氏康
と言う風潮(´・ω・`) >>223
戦いがあると周辺の田んぼは青田刈りされ、人は連れ去られ、村や町は焼かれる
斎藤氏が信長に何度も勝ったのにジリ貧だったように
国内で戦って勝ってもどうにもならないんだわ
大将が死んだり、軍勢が大ダメージ受けて立ち直れなくならない限り
他国領で負けるのは全然損害じゃないし自国領で勝つのは勝ちじゃない >>223
北条氏康は大体守勢だからね。勝ちというより逃げ切りってイメージ
信玄には負けてるし 挟み撃ちをくらっている上杉にとっては後方は安全ではなかったし
短期で決着をつける必要があったから死に物狂いで突撃したのは間違いない
実際、武田No2の信繁が討死するぐらいだし 敵に突撃なら島左近
敵中突破で退却なら島津義弘
が有名なのに
突撃し中央突破で本陣突入し、更に敵中突破で退却した毛利勝永が有名に成らないのは >>227
また上杉という軍自体がチャンスさえあったら敵本陣乗り込みで片を付けるという方針だし
本人はともかく上杉軍の誰かが信玄の本陣近くまで飛び込んだ可能性は十分ある >>228
赤い格好したどっかの次男坊のせいだなw こういうタイマン勝負は受けるんだよ
「平清盛」の時の清盛と源義朝の対決の時もそうだった >>197
小さくてもほとんど野性馬、去勢もしないから獰猛で逞しい
それが興奮状態で突進してくるんだから、そりゃ怖いと思うよ
下手すりゃ蹴られ噛まれて馬に討ち取られちゃったりして ドトールコーヒーは悪の結社、創価学会の
一員だ
集団ストーカーを行なってる
エクセルシオールカフェ赤羽東口店(現在ドトールグループ サンメリー赤羽店)閉店は証拠隠滅
ドトールも創価も法的措置を取らないのは
事実だからです
とうきょうときたくあかばねは
そうかのまち
「平和があるように」と挨拶しなさい。
(新約聖書『マタイによる福音書』10章12節から) >>232
タイマンのマンは英語のmanが元なんだとさ。
マン対マンを略してタイマン >>202
謙信いわく織田の若僧は思ってたよりも弱っえぇなぁ。だそうだ(笑) >>106
どう頑張っても剣は1本腕は二本だから一対一が強くても意味がない
集団での訓練してないのが意味不明 信長は長槍を多用して今でも信長推奨の流派が残ってるそうだが
先陣の歩兵は長槍が一番使えるそうだな。
馬上でも剣なら届かずやはり槍がメインだろう?
当時の剣ってのはナイフがわりみたいなもんじゃないの >>231
あんな少年マンガ演出と一緒にするなよw >>238
6m超えちゃうような長槍をしならないように作るのは当時の材料では不可能で
長槍隊が通ると槍の尾をみんな引きずってるので土煙が上がって凄かったとか
(街の人が見てる前でだけカッコつけて槍を担いで歩いた)
構える時は少し持ち上げ気味に持たないと槍の先が地面ついたなんて話がある
なんでむしろ長槍はよくしなるように作って上から揃ってぶっ叩くのが基本戦法だった
当時の絵でも今しも振り下ろされようとしている長槍がしなって ( の形になってる図とかある
武田の長槍は織田なんかのより少し短かったが、槍の刃の根本に叩くためのハンマーがついてた そういや最上義光(もがみよしあき)なんか自ら先頭に立って戦って戦功立てて
自慢気味に語ったら、後で家臣の連中ほとんどにフルボッコにメチャクチャ
説教されたんだよな義光さん。 そういう一騎打ちがあったか否かじゃなくて
川中島で大戦争が行われたのかも怪しい 当時の一次資料などを見るに
信繁などが戦死しているからなにもなかったわけではないが >>243
第四次川中島が凄惨な戦いになったのは死んだ数が多すぎるので本当 いわゆる歴史上の名場面なんて8割以上が嘘か過剰演出だろ
普通の人間を神格化英雄扱いして後世に伝えるみたいなのは昔も今も変わらんよ >>91
今だにバラエティ番組などでテーマ曲をよく聞く >>241
そうそう。長槍の道場を映像で見たがしなりを多分に利用してた。 >>242
普通大将にもしものことがあったら自分の勤めてる会社が潰れるみたいなもんだから
家臣はぶん殴ってでもとめるよな(笑) >>244
だからその死んだ数をしるした資料はいつ書かれたものだ?
甲陽軍鑑とか言わないよな? >>247
槍が生まれたのが太平記の時代で広まったのはもっと後なんで
太平記の時代の主武器はクソ長い太刀、60〜70cmの柄がついた大きめの刀(長巻)、薙刀
戦国時代でも朝倉の力士隊みたいに大柄の兵士に長巻持たせて親衛隊やらせてることもあったが
多くの大名家で次第に槍に取って代わられた
武士(足軽じゃなく正規の土地持ち侍)は自分の得意武器なら何を持ってきてもいいってのが
戦国時代中期ぐらいまでの普通だったけど
武田なんかだと結構早くから武士も槍で統一しろってお達しでてたみたい
なお戦国が終わり大阪夏の陣の頃には今度は槍が火縄銃に取って代わられ
全軍の半分が鉄砲持ちになってたりする 村上義清との戦で信玄は手傷を負ったこともあるし謙信は太刀においては日本無双と信玄が言っている
乱戦であったのなら一騎打ちが起こる事態もありえたかもな >>249
近衛前久の書状で謙信が八千人討ち取って自身も刀を振るったとある 海音寺潮五郎が小説「天と地と」で書いたから一騎討ちが有名になった なんで大河の名場面になってるんだよw
こういうののほとんどの元ネタは講談だろ >>255
あれは商売の為
北条、今川に塩止められて越後商人が独占 この時代だって将の周りには常に護衛が付いていただろうから
どちらにも護衛が付いていないなんて展開としてはちょっと有り得ないな >>142
いい役者いっぱいいて良かったのにな
天皇家にきを使いすぎて脚本家も大変に思ったなあ
後醍醐天皇を悪く描けないから、なんで南朝と北朝に別れるかが不鮮明にしてたもんな >>225
全体的なくくりで駿河の奪い合いで、北条軍全体で負けてはいるが、
氏康と信玄の直接対決はなかったはず。三増峠でありそうだったけど。
三増峠でも武田軍が勝ったけど(被害の状況で北条の方が圧倒的に多い。)、
とは言っても武田も浅利信種が戦死してるしな。 井沢の小説で(逆日)はやく帰らないと道が雪で埋まるから焦ってたって考察してた >>263
井沢は未だに信長革命児とかやってるから読まないほうがいい >>266
創作
史実での華雄は孫堅の隊と戦って討ち死にで一騎打ちはない >>233
それを逆手に取った奇策が使われた事があった
豊臣秀長の軍が押し寄せると知った淡河弾正は「牝馬を50頭用意せよ」と謎の命令を下した
ついに豊臣秀長の軍が攻撃を開始すると、弾正は牝馬を一斉に城門から放った
どうやら豊臣側の騎兵は牡馬に乗っていたようで、あちらこちらで振り落とされる珍光景が発生した
淡河弾正軍はチャンスとばかりに豊臣秀長軍に襲い掛かりさんざんに破ったという >>100
おつねが興奮して叫びだすと
背景の障子の色が血みたいにどす黒くなってくんだよね
あれは鬼気迫るものがあったなあ 刀って斬るより殴るものでしょ
そう簡単に切れないよ >>270
しかもドラマみたいに10人20人斬るなんて
まさにザンテツ剣じゃないとなw >>136
信忠に怒ったのは焦って侵攻すんなって言ったのに逆らったってのが大きいんじゃね
大将が先陣切るなってのは信長は絶対に言えんだろ。大嶽砦も自ら馬廻りだけ引き連れて落としてるし、信行謀反の時も林美作とタイマン張って首取ってるしw 海音寺潮五郎は、上杉謙信と武田信玄の一騎打ちについて当初は、あまりに小説的すぎると創作説派だったのが
「天と地と」の執筆のために調査を重ねるうちに、謙信なら本当にやりかねん、と考え直したとか
原作は読んだ事ないので、一騎打ちの場面をどう処理したのか分からないけど、
角川映画「天と地と」では、「上杉家御年賦」をベースに、なんとかって上杉家の家臣を謙信に入れ替えて
描いてたね >>272
打刀は打ち合わせず、鎧の隙間に差し込むものだよ
人間三寸切り込めば死ぬ(大概大動脈がある) ごめん。甲陽軍鑑はフィクションなんだわ(´・ω・`) >>277
甲陽軍鑑で奸臣と酷評された長坂長閑斎と跡部勝資は、勝頼に最期まで付き従っていた忠臣だったということが判明しているからね
しかも、春日虎綱の係累が編纂した事から、虎綱を過大評価して政治的に対立した長坂長閑斎と跡部勝資を貶めた疑惑もあるしね >>274
謙信が単騎で信玄の本陣に切り込んで、信玄は刀を抜く暇がなくて軍配で受けて、
そこへ信玄の家臣が槍で馬の尻を突いたので馬が暴走して走り去った、という記述。 200年後、政党史みたいなのがあったら今の政治どう描かれるんだろ 謙信が小田原城?とか敵眼の前で1人酒を飲んで矢も鉄砲も当たらなかった話は? >>23
篠田三郎
見ないな
昔なら草刈正雄と並んでイケメン俳優だった 俺の中では 川中島決戦における、村上義清と原美濃守の一騎打ちも、史実じゃないの? あったかなかったでなら多分あった。謙信はそういう人だし、どうしても諸悪の根源
信玄をやっつけないとッて思いがあったんだろ。小田原で11万もの軍勢率いて
イライラし通しだったからそういう心理も換算すると彼ならやる(笑) >>287
なにもないけど
世間で印象が強い
畠山だと言われてる例の肖像画に
合わせてキャスティングされた松平健
脚本のせいもあるけど
中井貴一の信玄の方が魅力的だな 匹夫の勇とか指揮官クラスがやったら結果がどうあれマイナス評価にしかならんわ >>14
なんてことを!
DCカードのCMがあるだろう! >>293
ただ、指揮官自身が前線にいないと戦況判断に必要な情報が入ってきにくくなるし
指揮官自身が先頭切って突っ込むぐらいじゃないと付いてこない部下も多いのよ
多くの戦国武将に特に若い頃無茶した伝説があるし、そいつらが大人になって
似たようなことをする子どもを怒るのもド定番 意外なところでいうと戦下手で有名な徳川秀忠は、死んだ時に体を検(あらた)めたら全身に11ヶ所もの鉄砲傷があった
最前線にでもいないとこんなことは起きないはずなんだよね >>297
戦下手と最前線にいたことは何の関係もないが? >>290
謙信が信玄の本陣目掛けて単騎で突撃した、っていうのは十分あり得ると
思うんだが、信玄の所までたどりつけたのか、となると相当疑問な気がする。 >>287
大河低迷の原因分子と見なされて敬遠されたか 独眼竜・武田信玄・春日局が数字的には一番の黄金期だよ >>297
秀忠は戦場経験が関ヶ原前の上田城攻めと大坂の陣しかないから
傷は夏の陣で大野治房に本陣襲われた時のものかもね >>299
たどり付いたらさすがに討たれるよね
マンガじゃないんだから1人で
何十人も倒せるわけないし >>28
ムン何とかとキム・ジュワキの一騎打ちのほうが先だよ。 信玄・・・ガチホモ
謙信タン・・・男の娘
産まれる時代が早すぎた・・・ 普通の大将ならあり得ない。でも謙信は変人だからやりそうw ロマンがないねぇ
確認しようがない史実を史料の有無にのみ固執 >>148さんは武田方だったんですか、それとも上杉方だったんですか? >>273
でも信忠軍だけで武田滅ぼしたら、織田家だけじゃなくて天下も譲るわwwwww
って大喜びで周囲にもセガレ自慢してたりする信長さん…… また戦国自衛隊制作するならSNS導入してほしい
謙信「信玄みつけた、一騎討ちしてくるなう(ゝω・)」
柿崎「りょ(^_^)/」
宇佐美「ちょΣ(・ω・ノ)ノ」 ちなみに武田家家臣の多田三八郎が天狗や火車鬼を退治したのは史実だぞ >>306
信玄はガチホモじゃなくてバイな
しまもロリコンでもありショタでもある最強の男 >>315
後醍醐「年上女まで味わえなければまだまだ」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています