ディレクターはロケを俯瞰で見ることができるため、ナスDもカメラの前に立ちながら、自分のどこが面白いのか、何に視聴者が感動してくれるのか冷静に判断しているはず。だから、映像を自ら編集し、ナレーションも書くことができる。ただ、より客観性をもたせるために使いどころだけ日本にいるスタッフに指示し、あとは編集してもらっている可能性もある。

  
 視聴者へのアピールも絶大だ。「作り手」の顔が常に見えることで、番組との距離感が縮まり、親近感、愛着度も増す。

「ディレクターなのに〇〇」というギャップも効いている。例えば、ナスDは巨大カタツムリやとうもろこしの芯、ピラニアの仲間とされる魚など、あらゆるものを躊躇なく食べたり、茶色く濁った川で全裸で水浴びしたり、“ジャングル最強”といわれるアルコール度数50度のお酒を何杯も飲んで現地の人から「お前正気か」と驚かれていた。

 果ては「ウィト」という果物の果汁が美容に良いと聞くや、「絶対キレイになってやる」と顔に塗りたくる。だがそれは、現地人が入れ墨に使うときの染料でもあったのだ。それを言われて「テレ朝下手したらクビになっちゃう。顔面ぜんぶにタトゥー入ってんねんもん」。顔はたちまち真っ黒に。洗顔しても落ちることはなかった。
 
 もともと視聴者の「裏方」に対する意識は低い。テレビの出役としては素人に近いからだ。だがタレント以上のバイタリティを持っているとその分だけ、衝撃度が増すのである。

 ただ彼にとっては「取材記者」としての役割を果たしているだけなのかもしれない。つまり終始「素」のままということだ。
 
 ここまで話題になると少し見せ方を意識したり、「色気」が出たりするかもしれないが、ヒッチハイクをしていた猿岩石のように日本での人気を気にしていないのも良い。むろん、注目されていることを知らないはずがないので、あえて耳に入らないようにしているかもしれない。

◆新鮮味が薄れ、破天荒キャラが「マンネリ」となる危険も

 ここからはデメリットだ。今はまだ「ディレクターなのに〇〇」というギャップが視聴意欲に作用しているが、これが見慣れてくると新鮮味も薄まってしまい、ギャップが埋まって“普通”になってくる。

 先日の放送では部族の前でゴダイゴの『銀河鉄道999』や坂本九の『上を向いて歩こう』を披露。意外な歌唱力にSNS上は盛り上がった。こうした新たな魅力が毎週更新されていかない限り、いつかは飽きられてしまう。「薦められたらなんでも食べる」というお約束も「わかったよ。またか」となりかねない。マンネリは安心感を生む一方で「飽き」に転換しかねない危険をはらんでいる。
 
 ナスD誕生の経緯は、U字工事が別仕事のため帰国中、同行していた友寄氏がいわば“間つなぎ”としてレポートすることになり、前述のように顔が変色し…と、偶然が重なったことにある。

 深夜帯から好きで見ている視聴者は、「番組内スター」誕生の軌跡をリアルタイムで目撃し、応援してきたが、番組が繰り上がり、その経緯を詳しく知らない新たな視聴者からは「内輪ノリ」として揶揄される可能性もある。

 放送開始半年でいきなりスターが生まれ、ピークを迎えてしまったことも悩みの種だ。しかし今のところは「ナスDの番組」という認識が定着しているため、メイン企画は彼に委ねるしかない。

 しかし、あくまでもナスDはディレクターだ。どこかでナスDとしての自分に区切りをつけ、裏方に戻らないといけないだろう。そのときが、番組にとっては本当の勝負だ。半年に一度のスペシャルで復活させるというように、出し惜しみする戦略も考えられるし、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)がデビュー当時のイモトアヤコをオーディションで選んだように、キャラの強く、素人に近い新人を発掘する企画を立ち上げたりもできるはずだ。新しいプランはいくらでも考えられる。
 
 4月にスタートし、番組の地固めがまだできていないうちにプライム枠に昇格し、いきなり視聴率競争の最前線で戦うことになった同番組。真価が問われるのはこれからだ。 (芸能ライター・飯山みつる)