前人未到の連勝記録が途切れても、メディアの“藤井フィーバー”は止まらない。ただ、対局時に注文する食事メニューや通っていた幼稚園の教育法にまで注目が集まる一方、この14歳のプロ棋士について、「羽生マジック」のような、将棋の強さを表現するフレーズをほとんど目にしないのが現状だ。その「強さの正体」はどのようなものか。将棋ライター・松本博文氏がレポートする。

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「連勝記録はいつか途切れてしまうものなので、その点に関しては仕方ないかなと思っています」

 藤井聡太四段は、いつもの通り淡々と、そうコメントした。

 デビュー以来無敗のまま、前人未到の29連勝を達成。これまでずっと勝者の側に立ってきた藤井は、終局後には将棋界の伝統通り、常に謙虚なコメントを続けてきた。藤井の発言は、将棋同様、ほとんど非の打ちどころがない。それは30戦目にして、初の黒星を喫した時も変わらなかった。

 将棋ほど、負けて悔しいゲームは、そうはない。幼少時の藤井は、負けた悔しさの余り、人目もはばからずに、よく泣いていた。内面の負けず嫌いは変わらない。しかし今では、将棋界の王道を歩む者の風格すら漂わせている。

「今日の気持ちを二字熟語とか、四字熟語で表わせれば、教えてください」

 最多タイ記録となる、28連勝目の記者会見では、そんな質問もされた。苦笑しながらも、そつのない受け答えをする天才少年とは対照的に、つたない質問をする報道陣の方が、やや滑稽にも映っただろう。

 ともあれ、相撲の横綱や大関の昇進時の口上のように、藤井が使う言葉は大きく注目された。それは藤井が、とても中学生とは思われないような、豊かな語彙(ボキャブラリー)の持ち主だからだ。

◆かつて「僥倖」と言った名人

 言葉の使い方ひとつで、その人が将棋に詳しく、理解がある、とわかる時がある。たとえば将棋をプレイする時に使う表現は、一般的には「打つ」ではなく、「指す」だ。立派な肩書きのコメンテーターが「将棋を打つ」と言うことはよくあり、それだけでがっかりしてしまう将棋ファンは多い。「指す」は12世紀から使われ続けている、古い言葉である。

「11連勝は自分の実力からすると、望外の結果ですし、素直にうれしく思っています」

 デビュー以来の連勝記録を更新した際のインタビューで、藤井は「望外」という言葉を使っていた。

〈望んでいた以上であること。また、そのさま〉(『日本国語大辞典』)という意味だが、実際に口にしたことがない、という人がほとんどではないか。ただ、古い将棋雑誌をひもといてみれば、将棋界では謙遜する時に使われてきた常套句だとわかる。

「本当に自分の実力からすると、僥倖としか言いようがないと思いますけど」

 20連勝目のインタビューで表れた「僥倖(ぎょうこう)」は、〈思いがけない幸運〉(同)。ギャンブル・勝負をテーマにした福本伸行作の漫画『賭博黙示録カイジ』の中でこの僥倖という言葉が使われていることは、福本漫画のファンの間では有名である。棋士にも愛読者は多い。しかし藤井がこの言葉を目にしたのは、漫画からではないだろう。いつどこで覚えたのか尋ねられた藤井は、困惑している。

 戦前から戦後にかけて活躍した木村義雄14世名人が、若き日にうっかり大逆転負けを喫して、対戦相手に向かって悔し紛れに、「君は僥倖を頼んで指したな」と言い放った故事がある。

 藤井のボキャブラリーの豊富さは、その読書量のうちにあると推測される。小学5年生で司馬遼太郎『竜馬がゆく』を全巻読破し、「朝日新聞」を隅から隅まで読むほどに、活字に親しんでいることはよく知られている。「望外」と「僥倖」はやはり、棋書を読み込むうちに、自然と覚えたのではないだろうか。(文中一部敬称略)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170711-00000003-pseven-life