両翼94メートルの専用グラウンドにはナイター用の照明が完備されている。バックネット裏にはガラス張りの観覧席、屋内練習場もある。
公立高校とは思えない充実した練習環境のなか、茨城東高(茨城町)の野球部員が練習に汗を流していた。

 「三塁走者はフライならタッチアップの準備。ゴロならゴーだぞ」

 伊藤剛監督(41)の声に、選手が外野を指さしながら指示を確認していた。走者二、三塁の好機を想定した走塁練習。
打球が一、二塁間を抜けると、二塁走者の松川悠希君(1年)が打球が通り過ぎるのを確認してから走り出した。「今のはスタート切っとかないと。本塁まで戻ってこれねっぞ!」

 どこにでもあるような走塁練習だが、一つだけ異なることがある。内野も外野も守備の選手は一人もいない。代わりにあるのが守備に見立てた防球用のネットだ。
部員9人の野球部では防球ネットも貴重な「練習仲間」だ。

 試合に出られるぎりぎりの状態で、どう実戦経験を積むか――。茨城東にとって、これが練習で最大の課題だ。部員9人と体験入部中の柔道経験者1人の10人だけ。
伊藤監督が重視するのは、攻撃でも守備でも自分で状況判断をする「想像力」を磨くことだ。「人数が少ないことを言い訳にしない」。伊藤監督はことあるごとに、
部員たちにこう伝え、逆境に立ち向かう心の準備をさせている。

 過去2回、選手権茨城大会を制した茨城東。初出場は1983年夏。決勝で古豪・水戸商を破り、学校創立6年目で甲子園の切符を手にした。
人口3万人ほどの町が誇る公立高校だ。

 だが、その勢いは長く続かなかった。2回目の甲子園出場の翌年の98年こそ茨城大会準決勝まで進んだが、その後は最高で4回戦進出にとどまり、部員数も減少を続ける。
今春、新入生たちが入部するまで部員はたったの3人。今の3年生が入学した2015年春から、公式戦は7戦全敗だ。春や秋の公式戦は単独チームで出場できず、
創部以来初めて他校との連合チームで出場した。

 連合チームなら自分たちのチームの弱点を補強し合える良さもある。ただ、週に1度、集まれるかどうかの環境では、満足のいくチームに仕上がるかどうか不安だった。
秋季大会を終え、主将の大内寿紀弥(じゅきや)君(3年)たち3人は思いを強くしていった。「できれば、最後の大会は茨城東として出場したい」。技術だけでなく、
チームワークの良さが見えない力を生むと感じたからだった。

 日本高校野球連盟に加盟する高校は05年の4253校をピークに減少傾向にあり、16年は4014校。茨城県も同様で、今夏の茨城大会出場チームが98となり、
1984年以来となる100チーム割れとなった。

 全国高校野球選手権茨城大会が来月8日から始まる。少子化、人気スポーツの多様化……。高校野球を取り巻く環境は厳しく、かつての強豪校でさえ部員不足
に悩まされている。「野球離れ」が進むなか、野球部と支える周囲のひとたちの姿を伝える。

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