おっさん人生を振り返る
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暇つぶしがてら生い立ちから現在まで書いていく
東京産まれ東京育ちで家庭は裕福でした
小学生の頃は庭にはベンツとポルシェがありました
僕はガキ大将と言う奴でした近隣の小学校の連中に喧嘩を売ったりしてね
負け無しで「俺世界一つえーのかも」と小さな世界で思い込んでました
勉強のほうはと言えばほぼ満点でした
運動もバッチリでした、何でも出来るってやつ
小学6年生の時の体力測定?で握力が65あって学校では一番でしたが市内(当時は個人情報なんてどーでもよい時代)では3番目で悔しかった 勉強の話をしよう、担任が絵に描いたようなクズでテストの点数が70点以下の子を並ばせて順番に見せしめのように頬をひっぱたく、女の子もね
お気に入りよ女子を膝の上に乗せて髪を撫でながら「君は人形みたいにカワイイねー」と今では完全にアウトな事を日々していた
その子はきっと恐怖心から逃げ出せなかったんだろーな
だが、ちょっと変わった担任で当時ではあり得ないほど早くにパソコンを導入した
だからなに?って話だけどさ
昭和時代の教師のクズ率は異常で、あり得ないほどの暴力が日常的でした
図工の教師なんかは忘れ物をしたら木の定規でフルスイングで脚をひっぱたいてくるようなやつで、あまりの恐怖心で失禁する奴もいた 小学生時代は終わり
中学生時代へと突入!登校初日にパンチパーマのおにーさんから声がかかり「お前らT(俺の仮名)ってやつ知らないか?生意気らしいんだが」と言われて少しビビった
ビビりながらも自分だと答えた、殴られるのかと思いきや何も起きなかった
俺の不評は一個上をよく殴っていたので、それが2つ上にの先輩に伝わっていた模様
パンチパーマやリーゼントの先輩がいる学校、時代は(ビー・バップ・ハイスクールという漫画が人気でした)このような感じでトッポイにいーちゃんが人気者になるような世代でした 僕もそれに影響を受けて徐々に悪い方向へと向かって行く
誰にも負けなかった小学生時代とは違い負ける事を知り、上には上がいることを知った
中学2年の時に転校生がやってきた、神戸から引っ越してきた野郎でした
見た目からしてオタクだったこの野郎とは何故か気が合い仲良くなった
こいつはアニメとパソコンオタクで、今では個人資産1500億円の資産家に、確かに当時から変わり者で皆がドラクエやFFに夢中だったのに興味を示さず聞いてみたら「ただの数字のゲームだろ」と答えた
この言葉は今でもとても印象的だったので忘れられない そのオタク君が持っていたパソコンがPC98で、よくエロゲと三国志をやっていた
彼は勉強もそこそこ出来てたけど、凄く成績が良いとまではいかず、上位20くらいに入るぐらいかな
僕はと言えば遊ぶ事に夢中になっていきテストはぼぼ0点、名前しか書かなかった
学校に行く意味がないなーと思うようになり次第に不登校になっていった
気づけば3年生、進路を決めなければならなくなり就職も違うような気がしたので馬鹿でも入れそうな工業高校を受験した、勿論?だが定時制で まさか受かるとは思わなかった
多分だが名前さえ書ければ受かるようなレベルなんだろうな
自分の教室に行くとまー頭の悪そうな連中ばかりで、同類ってやつですかね
とりあえず隣の席の茶髪に話しかけると「俺ダブってるからよー、お前より一個上なんだわ、タメ口きくなよ」と言われて短気だった僕は手を出したのです
見事に初日で退学になりました
小一時間の高校生活サヨウナラ
さて、どーしたものかなーと親にどう言い訳すっかなーとか考えたが考えたところで状況は変わらんので開き直った
とりあえず適当にバイトでもして過ごすことに決めた 読んでる人いんのかな?
とりあえず適当にバイトをしようと思い、夜間の清掃のバイトを始めた
髪形とか煩くなく時給2000円だったのが魅力的だった
金をためてバイクと免許が欲しかった
先輩らのバイクを見ていて俺も絶対に欲しい!となったわけで
買うバイクは決めていたZ400FX!こいつしかない!と思いせっせとバイトに勤しんだ そして16歳になり中免取得し、念願のFXのオンボロをゲット!
ちまちまと直しつつ改造もしていった
おっさん世代はまだバイク全盛期だったので普通の人?でもバイク乗りは多かった
走り屋も沢山いたな、フルフェイスヘルメットの後ろにウサギだかの尻尾をつけるのが流行っていたな
比較的近場で流して遊べる所が通称「ランド坂」と言うよみうりランドの近くにあるヘアピンカーブのとこでした
週末には多くてバイクが数十台、夜は車がドリフトと住み分けがある程度出来ていた
それと地元連中では「30メーター道路」と呼ばれていた東京八王子道路(とうはち)では週末になるとゼロヨンが開催されていた
これもかなり熱くてよくギャラリーしたり、参加もしたりした、当然周りはNSR等のレプリカのガチ勢で僕は族車風のFXなので話になりません ここら辺の年齢から色々とおかしい奴が出てくる
同じ中学だった奴が(中学時代は遊んでなかった)よく遊びに来るようになり、気づけば俺等の溜まり場にくるのだが、見た目がダサいので「俺等とつるむなら、それなりの見た目じゃねーと駄目だな」と言ってスキンヘッドに眉無しにカスタマイズしてやった 完全に宇宙人の出来上がりで、ちっとガンくれて見ろよ!と言うと彼は嬉々としてガンくれる、笑いを堪えつつ「やべーわ、お前気合い入り過ぎだわ」と持ち上げると彼は調子に乗ってそこらじゅうでガンくれまくっていた、後に地獄を見る事も知らずに 少しゼロヨンの話に戻る、この宇宙人をゼロヨンに連れて行ったら異常なほどに興奮したので、ちょっと怖かったが「出たいなら出れば?」と免許もバイクもないこいつに言ったら翌週になんと新聞屋のカブをパクってきてゼロヨンに参戦しやがった ここの近所にはアメリカンスクールがありギャラリーにアメリカ人もよくいたんだよな 感性は万国共通なのかブーイングの嵐!だがそんな事を気にする宇宙人ではないのだった流石人間を捨てただけあって周りのことなんかどうでもよかった模様 そんな宇宙人くんは悪い先輩の影響を受けて車の窃盗を手伝うようになり、自身も車が欲しくなったようで先輩がパクった車を更にパクり事故を起こして無事少年院送致サヨナラだよ宇宙人、芋づる式に先輩もパクられていった そして17歳を迎えた僕は性欲を抑えられない年頃な訳です、友人とナンパをしまくる日々を迎えました
そこで心底惚れた(当時)彼女が出来たので暫くは大人しくセックスばかりの日々を送るようになりました
ありがちな話ですけどね 大人しく性欲に負けた日々を送りたかったが、そうもいかず傷害事件を起こしてしまう、そして楽しい旅行(鑑別所)へと行く事になった、調書かな?とるのにまずは留置場からスタート! 最大拘束日数が2週間かな?結局2週間ほど留置場にお泊り、読書が出来たんだけどヤンマガがあったので読んでいたら稲中というギャグ漫画が連載中で前野のハミチンサーブの回で留置場にも関わらず死ぬ程笑いました、この時点で反省の色なし そして鑑別所へと移送される、どんなとかかとワクワクしたがまず最初に全裸にさせられおにんにんと穴を確認される、何も持ってないのになあ
初日は独房?でまったり、精神鑑定なのかね?色々なことをやらされる。 そして無事?普通の犯罪者というカテゴリーに分類されて雑居房とでも言うのかな、四人部屋に移動。
ここでは「お前何やった?」とか「俺年少行きたくねーよ」など、くだらない話で盛り上がる そして初めてのお風呂!当然だが集団で入るわけ、服を脱いでる時に声をかけられたので振り向くと地元の悪友がたまたまいたのである、本当にどうしようもない連中しかいないんだな、俺も含めて まずはシャワーで頭を洗い身体を洗いさて湯船に!となるけど、潔癖症ではないが、こんな連中と入るのはなーと気が進まなかったし、よーく湯船を見てみると白い物が浮いてて汚いのでシャワーのみにした、鑑別所を出るまでシャワーオンリー わずか3週間ほどかな?で鑑別所生活は終わりました、娑婆(笑)に出て来て鑑別所で偶然出会った悪友と再開して鑑別所話に花が咲いた「鑑別所の風呂罪悪だな、白い物体浮いてたしよー」と俺がぼやいたら悪友が「あー、あれ俺の精子、我慢できねーから抜いてた」ですって 僕のお風呂生活を奪ったこいつには必殺左ストレートをお見舞いしました
それからの生活はとくに変わりはなく18歳で車の免許を取得、だがバイク愛の強い僕には車を買おうという気持ちにはならなかった 周りは車を購入する奴ばかりでバイクを卒業していって寂しかったな
車を持つと行動範囲が広がり友人達によく山下公園に連れて行かれた、ここはナンパスポットなんです、今は知らんけど ここで運命?の出会いがあった、ナンパした女自体はどーでもよくてその女の周辺の人物と深い関わりが出来てくるのであった そのナンパした女に友達も連れてきてと頼んだら用意してくれたんだが、何故か野郎まで来てた。色々話しを聞くとナンパしてきた男と遊ぶのに反対だったようで、早い話がその女に惚れてる野郎でした 意気投合し、こいつとは友人になった
こいつの兄貴がまさかの吉祥寺の伝説の人とは知らなかった、その兄貴から色々な人を紹介してもらい沢山の人と出会い現在でもお付き合いがあったりするのです そして20歳を迎えた、家業を継ぐために本社が中国地方のとある田舎町にあり、遊び盛りの僕にはとても耐えられない環境でした 友人知人も当然いない、夜21時ぐらいには人が消えてるようなところ、何すればいいんだよ!となりました まだ若かったので僕は性欲が我慢出来なかったので一人でナンパを始めました
東京の人間って怖がられるのね、標準語が冷たいとかさ、そんなこと言われてもなー君たちの学んできた教科書は方言だったの?と突っ込みたかったがぐっと堪えた 段々と携帯電話にこのクソ田舎の知人?セフレ?の番号が増えたのはいいが男友達が一人も居ないことに気付いた、ある女の子をナンパしたら看護学生で今飲み会やってるからおいでと電話がきた 男は俺だけで女が10人ぐらいで流石に厳しいなーと思ったので「ちょっと誰か男友達呼んでくんねーか?」と言ったら一人きたのである、こいつとは今でも友人なのだ 男友達が出来てウキウキな俺!そいつを連れて広島市内でナンパの日々、ヤンキーや暴走族が多くて喧嘩することもあったけど楽しかったな そしてナンパした女がスナックを母親と経営してる女で、こいつにはかなりお世話になったセックスで。
無為な日々を送ることに虚しさを感じ始めてこのままじゃいかん!と思い始めた 田舎暮らしは映画を観る日々が多くて徐々にアメリカにいきてーなと思うようになった、そして中学以来のお勉強が始まった 駅前留学を始めた僕、マンツーマンレッスンで高い授業料を払ってるのに馬鹿なのでよく分からない なんだかんだと1年ほど勉強して渡米しました、どの程度のレベルまで英会話が出来るかと言うと中1レベルで行きました 読んでるぞおっさん、腕っぷし強そうだけどなんか格闘技とかやってたの? ワシントン州の某大学に入り英語を学ぶ日が始まった、初日はどの程度のレベルなのかテストを受けて翌日にクラスわけされた。僕は当然のように最下位です 疲れたので今日は終わり
それと連投ですよが出るのでWi-Fiと切り替えたりと面倒ですね こういうスレにクソコテの書き込みがあると心底うんざりする >>42
おっさんです
格闘技はしてないです
ただ体格に恵まれていただけですね
身長は180です では少し続きを書きます
おっさんのクラスは日本人が俺ともう一人、そしてブラジルの日経二世のおじさんと韓国人の少年というクラスでした 韓国人の少年は人懐っこくて僕に懐いてまして、その妹も同じ大学にいたけどクラスは上でした、よく喋る子でカワイイ妹みたいな感じでした
ブラジルのおじさんは本当に喋れなくて嫁さんが上のクラスで嫁さんが通訳?になっておっさん達と談笑してました ちなみに寮生活をしていましたが、とても広いアパートで庭にプールがあり、これぞアメリカ!といったところでしょうかね
それと日本の感覚では考えられないのは校内にある自販機にノンアルコールのビールがありました この寮生活は四人で一つの部屋をあてがわれたのです、鑑別所を思い出しました
同じ部屋になったのは日本人と韓国人、あとはどっかの国の白人でした
ある晩に何か聞こえるなーとリビングルームに行ったら白人がどこぞの女とセックスしてた、あー生で見れたーと喜んだ自分がいました 寮から大学までは徒歩2分ぐらいでした、朝食は校内のカフェテリアで済ます事が多かったかな、昼もここで食事です
夜は適当に外食したり同じくカフェテリアだったりと おっさんは10代の頃はヤンキー路線でしたが20代には路線変更しましてカラーギャング系のファッションにしてましたが、まだ駅前留学中にアメリカ人の先生にそのファッションでアメリカに行くのは辞めなさいと言われましたが、ガン無視でした 本場?で服が買えるぜ!と意気揚々とショップに入ると黒人さんがいまして、ヤー!コンニチハ!と言われました
ここはどう返そうかと一瞬悩んだが彼と同じ口調でコンニチハ!と返した
そして服を物色したのですが、カッチョイイのがあるのだがサイズが合わないのです
僕が小さいのですよ ガッカリしながら他のショップも回りました、気づけば外は暗くなり寮方面のバスがもうなくなってました
かなり焦りつつ通りすがりの人にタクシー乗り場は無いか?と聞いてもガン無視
やはりファッションのせいですかね
スキンヘッドにヒゲですし 参ったなーと一服しているとタバコ一本くれよーと女の子が声をかけてきた
明らかに10代の白人の子でした
おっさんはギブアンドテイクだ!と言ってタバコやるからタクシー乗り場教えてと言ったらないよ!タクシー会社に電話してここに呼ぼうと言われましたので、じゃあ呼んでくれ!とお願いしました タクシーが来るまでの間に色々?と話をしたらその子は18歳でした
おっさんは当時23歳のおにーさんでした
日本から英語を学びにきてるんだよ!こっちに友達いなくて寂しいよ!とか話してたら、じゃあ私が友達になるよ!と言って携帯電話の番号を教えてくれました おー!これナンパじゃねーのに流石アメリカだぜ!と感動をしたおっさんでした
その子とはちょくちょく遊ぶようになり、おっさんは次第にその子に惹かれるようになりました、不思議なもので勉強しても頭に入らんのにその子と話したい一心で片言で夢中で話をしました おっさんに興味を持ってくれたメリー(仮名)は僕の事を色々と聞いてきたのでありのままを話しました、そうしましたら貧しくも無いのになんで悪い事するの?と聞かれて答えに困った、ただ楽しかったからだしなー
それと命を失う程の喧嘩もしてないし、幼稚なんだねって笑われました その日からおっさんはファッションを変えました、なんとか普通の人に見える様なファッションにしましたが、スキンヘッドがお気に入りなのでそれはそのまま この服似合ってるかな?とか聞いたり一緒にショッピングをしたりと、デートっぽいことを何度もしました
おっさんはまだ若くて性欲もあるわけで、メリーは巨乳で僕から見て可愛くて魅力的なのでどうにも我慢がならんときが来る!と思いました おっさんは玉砕覚悟でメリーに好きなんだと言いました、メリーは嬉しそうに笑顔を見せてくれました
それかれは徐々に距離を縮めて日米が合体した瞬間です
久々のセックスだったのですぐに果ててしまい恥ずかしかったな 結局一年ちょっとしかいなかったな、仕事の都合もあったので帰国する事に
メリーに帰国する事を言うのがとても辛くて男は泣くもんじゃねーよと常に思っていたがどうにもならず泣きながら帰国することを伝えた 一生会えないわけじゃないからとメリーは笑顔で言ってくれたが、僕には最後だろうとしか思えなかった
そして帰国し、おっさんは仕事を再開するのです
規制ひどいなーこれは朝にでも書き込むを押すかな、寝よう おっさん帰国後に気合いを入れて仕事に性を出す、全国各地のディーラーと同行販売をした、沖縄県以外は行ったな
おっさん全国各地で仕事をしつつナンパもしていた、メリーとの思い出を早く忘れたかったので女を忘れるには女なんですね 自宅に帰るのが2ヶ月に一回あるかどうかぐらいのホテル暮らし、24歳にして年収は1000万は超えていたが、使う暇がないという意味のないお金になっていた
それから海外出張もたまにあった、台湾、ドイツ、イタリアとかね。
だがおっさんは戦力にならず海外出張を経験しただけに、何事も経験なのですかね 仕事が落ち着きはじめたので、地元の連中と遊べる時間が出て来ました
後輩を連れて山下公園にナンパしに行く日々を迎えてました
おっさんはイケメンでは無いのですが口は達者なほうなのでナンパ成功率は比較的高めでした 最速でナンパしてセックスまで持ち込むのに10分ぐらいという記録を無駄に作ったりしました、よく性病にならなかったなーと今は思う、運良く一度も性病になったことがない 出張まみれの日々で出会った関西人の女がいたのですが、東京から本社のある中国地方へと車で移動していたんだけど、休憩がてら関西に寄ってはその女とセックスするわけ。この女はおっさんより2歳上でした その女と会っているときに、車に乗っていて信号待ちをしていた瞬間になんとなく口から出たのが「お前ババアだから早く結婚しないとヤバいよな、結婚してやろーか?」とおっさんは冗談を言ったのです、でそのままラブホに向かって合体 朝起きて、その女を自宅周辺に送りおっさんは本社へと向かった
その日の晩にその女から電話があって「プロポーズされたの両親に言ったら喜んでた!」と本人もウッキウキで言うのですよね、あれさ冗談で言ったのになー 冗談でした!なんて言える状況でもないし、言えない自分がいた。
引き返せない状況になり、散々女遊びをしたしボチボチ落ち着くのも悪くないのかなーなんて考えました おっさんは比較的裕福でしたので芦屋市という関西ではちょっとお金持ちが多いとこにマンションを借りました3LDKで25万でした、今思うと馬鹿なんじゃねーのかなーと思う金額です、若かったのでお金の使い方を知らなかったのです 結局、その女とは結婚しましたよ。
楽しい新婚生活は3日くらいかな?4日目ぐらいで離婚したいなーと思いました
最初に結婚の前に同棲をしてからにしようと提案したんですけどね、あちらのご両親が同棲を許さず同棲するなら結婚せーや!とのことで、おっさんとしては同棲してから見極めたかったんですよね 料理は出来ない、掃除はしない、日曜日にお前洗濯ぐらいしろよと言ったら泣きながら「日曜ぐらいゆっくりさせてよ!」と言われました、この専業主婦という名の無職に。おっさんは泣きながら嫁の下着まで洗濯しましたよ、本当に涙が出ました 結婚は人生の墓場なんて耳にしますがおっさんにはその通りで結婚なんてするんじゃなかったと後悔の日々
徐々に自宅に近寄らないようになり、出張に明け暮れました、仕事に専念していてもまだ20代でしたので性欲はたんまりあるのです おっさんは浮気をしました、罪悪感なんてゼロでした、毎月生活費は渡していたけどなんか不良債権を抱えてるだけな気がしてならなかったのです
そんな生活が2年間続きました そして大阪のとあるクラブでナンパしたコに夢中になるおっさん、その子とセックス三昧の日々を過ごしていたのですが、嫁さんにバレちゃったんですよね
おっさんは開き直り離婚したいので離婚しよう金が欲しいなら金額を提示してくれと言いました 嫁さんは離婚イヤイヤ言ってましたが、最終的に同意してくれました
お金もいらないとのことでした、ありがてえ
おっさんは癇癪持ちでした(過去形、今は仏のように怒ることもない)誰とでも喧嘩をしたのですが、このクラブで知り合った女とはまった喧嘩をする事も無い穏やかな日々でした なかなか良い女だったので周囲には男の影がチラホラしていて、ある日決定的な瞬間を迎えました。まー他に男がいたんですよね。
おっさんブチ切れてその野郎とタイマン(笑)をはろうと思ったが相手がビビってしまい脱兎、女にはきつい説教をして、別れるなら今だぞと言いました
女は泣きながら別れたくないと言うので一度だけ許すということに、何様なんだろうかおっさんは、嫁さんいたのに浮気していたくせに それから半年ほど半同棲をした。
一応、おっさんなりの優しさで「お前とは結婚しないから」とは言ってました
結婚に懲りたんですよね、他人の人生を背負うのってクソ面倒だと分かったのですよね 続きはまた書きます、ゆっくりですが見てる人はいるのかな 少しづつ書きます
半同棲から気づけば俺のマンションに女が住むようになった
こいつは食が細いのか自分から食べる事をしなかったので、俺から何か食べようか等を言うことが多かった 掃除洗濯はしてくれるので不満は特になかったかな、食事の面では率先して何かを作る事は無かったけどそこは別にどーでもいい。よく読書をする女で基本的には無口だったんだよね、医学書とか難しい本を読んでて不思議だった なんとなく学歴を聞いたら鼻水が出た、超高学歴でした。中卒のぼーそーぞく上がりでごめんなさい(族絡みの話は省略してます)こいつの同級生には医者とかだし、僕の同級生(地元の悪友)はそっちの方面だし 全く住む世界が違っていた、だが特に問題もなく付き合ってきた。喧嘩もしないでさ。そんなある日、親父から連絡があり母親が入院したときたので病院に向かった 母親は病弱で何度も入院をしてきたので、正直(また軽い病気かな?)と思っていた、母親に同棲してる女がいる事を伝えると会ってみたいと言っていたが、それは退院してからね!と答えた それが最後の会話だなんて思いもしなかった、母親は膵臓癌でした。それからあっという間に亡くなりました。悪ガキだった僕は母親には弱くて、母親にきつい言葉や態度だけはとらなかった 親孝行の一つもしてないのにと、周りの目なんか気にせず号泣してしまった。
なにもかもやる気が失せてしまい、仕事もやる気がしない、というかこれを機に辞めてしまった そんな状況に親父が来て、亡くなった母親の遺産分けをしにきたが、受け取りたくないと強く言ったら、せめて気分転換に旅行でもしてこいと20万ほど置いていった 旅行なんかする気力もなく、どーしたものかなーと思った時に子供の頃の夢を叶えようと決めた、子供の頃に犬を飼いたかったが駄目だ!と何度も言われていたので、犬を飼うことにした 血統書付きだったので25万ぐらいだったかな?とある小型犬を購入しました。ちっちゃくてカワイイ、キュンキュン吠えてて不安だったのかな?見て触って癒やされた だがやはり虚しさはあり、ぼーっとする日々を過ごした。ある日、女が泣いていたので理由を聞くと母親から電話があって、あんたいつ結婚するの?と催促されたようで俺には結婚はしないと言われてるので困った状況だったようだ 甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれていたし、精神的に参ってる時に優しくされるとやはり弱いもので「んじゃ、結婚するか」となりまして、二度目の結婚 新婚生活は全く新鮮ではない、なんせ同棲していたので新鮮さなんかあるわけもない。ただ女が同じ名字になっただけです。
そしてダラダラと過ごす日々が続きました 俺が変わったのか、相手が変わったのか結婚してから違和感がとても出てきた
喧嘩をするようになった、それと重度のメンヘラでした。医学書を読んでいた理由は薬の組み合わせを自分で調べていたのです。海外から個人輸入してお薬をキメていたのです >>100
ちなみに、シャブで逮捕歴がある女でした >>102
本当に頭が良いんだろうな
そういう人って病み安いから 嫌な過去を振り返って文字にして起こすと省略したくなるな、てことでさくっと2年ほどで離婚、さいなら 家業を継ぐことを放棄した僕は流石に無職のまま過ごせるほどの資産はないので仕事をすることにしたのだが、学歴はない、資格もない、ないない尽くしだったのです 地元に戻った僕は職探しをしました、年収1000万以上あった僕は「え?マジでこんな金額の仕事しかねーの?」と世間の厳しさを知るのであった 色々と探したが結局行き着いたのはタクシードライバーでした、決め手は稼いだ分だけ金になるからという単純なことでした。
売り上げの60%が給料になるし、会社から離れたら自由に仕事が出来るのが魅力的でした おっさんはこの業界では超若手の部類に入るので皆から可愛がって貰った、どこそこのポイントに客がいるとかね。始めて3ヶ月ほどは微妙な売り上げしかなかったが段々とコツを掴めてきてやっと給料が40万になって人並みの生活を手にする事になった 数年間そんな生活を過ごしていた、10年やって個人タクシーも悪くねーかなーとかボンヤリと将来のビジョンを少しづつ決めて行った 不仲な姉がいるのですが、姪っ子(あった事もない)を連れてとある場所に行きたいからとタクシーで送って欲しいと言われた、初対面の姪っ子をおっさんは抱っこした、その瞬間におっさんは覚醒した 放縦に自分の為だけの人生を歩んできたが、これからは人の役に立つような人生を送ってみよう、散々悪い事もしてきたので良い事をして人生の整合性を!なんてね とは言え漠然とし過ぎていて何から始めたらよいものかね?と思いながらまた数年が過ぎ去った 姪っ子がどんどん増えて行き、姉婦が大変なのでおっさんは姪っ子の面倒を全て見る事に決めました。朝から晩まで、園の送迎、オムツの交換、ご飯を食べさせたりなどね おっさんは種無しだったみたいで子供が出来なかったので子供が欲しかったんだ
代わり?ではないけど、姪っ子が可愛くてたまらなかった おっさんはまた懐かしいFXを購入しバイクと戯れる時間と姪っ子との時間が楽しくて仕方が無かった、とても幸せな日々を過ごしたのである そんなある日の晩、おっさんの趣味でもある某ネトゲをしている最中に気持ち悪くなりトイレに行こうとしたら倒れた、声を出してみると呂律がおかしい これヤバいやつだろ?と思いなんとか救急車を呼んだ、気を失ったが少しだけ声が聞こえた笑いながら「この頭をなら剃る必要ないな」とね それからの記憶は一切無くて気付けば病院のベッドでした、なんだこれ?と動こうとしても身体が動かないのです、親父がいたので説明をしてもらったら脳梗塞で倒れたようです 半身不随になったようです、身体の半分が動きません。まー病気になったのは仕方ないにしてもこの病院はひどかった生き地獄とはまさにこのことでした。暴言、暴力は当たり前で、ナースコールを深夜に何度か押すと翌日には手が届かない場所にナースコールが移動してたりね 忘れもしないのが「あなた何歳なの?」と男性看護師に聞かれたので答えたら「その年齢で自分一人でトイレもいけないのか(笑)」と言われた事、おっさんはブチ切れました。 障害者用の密室のトイレに入ってから頭突きをプレゼントして倒れたところで首を噛みながら「病人にも勝てないの?」と言いました、数多ある職からてめーで選んでおいてこの仕事への意識の低さと病人に対する態度が許せんかった 他にもこの病院の酷さには参ったな、検索してみたら5ちゃんねるに実名で書かれていたりするレベルのクソ病院でした、おっさんは頭がおかしくなりましたよ。人間ってここまでクズになれるんだなーってね、人を信用出来なくなりました おっさんリバビリ病院に移動、ここでも酷い虐めがあったらもういっそのこと殺してやろうと心に誓いました、このことが公になれば陰湿な病院も改善されて虐待など無くなるなら無茶してやる価値はあるだろうとおっさんは思ったのです 拍子抜けするとはまさにこのことで、普通?の病院でした、おっさんは安堵し、リハビリに専念しました。心の中ではどーせ無意味なことだろーと思いながらも理学療法士、作業療法士の指導の元せっせとリハビリをしました 全く動かなかったし、歩けなかったのですが、少しだけ歩けた瞬間に涙が止まらなかった、歩けるってこんなに素晴らしいことなのかとね。当たり前のことが急に出来なくなるって想像以上に辛いものだよ おっさん歩けるようになってウキウキ、とはいえかなり歩行速度は遅いし杖がないと駄目な状態です。でも全く歩けないよりはマシかなーと思いながら必死にリハビリの日々を過ごしました 入院中に、退院後どーっすかなーと考えました。どうやって収入を得るかを散々考えました、生産性のない人間にはなりたくないしなー、障害者(2級で結構な重症です)で働けるって範囲狭過ぎんだよなー特に俺みたいな学歴なし、資格もない人間にはね 散々考え抜いた結果、インフラとも言えるネットを使い商売始めるかと。詳細は書けないけど現在はボチボチとやっています。
海外との取引が主力で内需はあまり期待していませんでした。 入院生活は窮屈でした、周りは老人しかいないので話す人はいません。無駄に時間はあったので読書と今後の人生についてひたすら考えるだけでした。 退院後、離れ離れになった愛犬を可愛がった。寂しい思いをさせてゴメンネと言うしかなく、更に散歩に連れてってやれなくなったのが辛かったな 書き忘れたけど入院中に昔付き合ってた女から連絡があったので現状報告をしたら見舞いに来ると言うので断った、以前のように強かった自分とはかけ離れた弱々しい自分を見せたくなかったんだ 退院後も病気になったことを伏せたくてほとんどの人とは連絡をとってない
おっさんなりに少しだけ無駄なプライドがまだあるんだよな おっさんは現在、完全にセルフ自粛中です
誰とも会ってないし、連絡もとりません
趣味のネトゲをやって、自宅で仕事をしてます
今は人生80年なんて言われてるので折返しを迎えたので書いてみました おっさんが若い子達に言いたい事があります、健康管理は大事です、それと親孝行は早めにしましょう。この2点です。 長々と書きましたが、終わりです。
様々なエピソードがたっぷりあったのですが書くのが面倒な上に長すぎると出るので書くのを諦めました セルフ自粛生活を数年過ごしてるけど、たまに人恋しくなります。
やはり人生には友人が必要なのでしょうね 近ければわんこを散歩に連れていってあげたいけど関西は遠い >>140
地元に帰ったので東京です
東京産まれヒップホップ育ち悪そな奴はだいたい友達 >>144
おっさんだからね!
実際に有名どころの悪い連中とはつるんでたしね 何か質問でもあれば答えられる範囲で答えます、なんせ暇なので >>143
東京ならお散歩に行ける!
週1しか休みが無いけど
犬2匹飼ってたからお散歩は慣れてます
気が向いたら頼んでほしい >>147
去年亡くなりました
普段吠えなくて、寝言でキャンキャン言ってるカワイイ犬でした
今はパソコンの隣に骨壷と遺影があり毎日見つめ合ってます うちのも去年だったお互い元気だそう゜゜(´O`)°゜ >>150
8月8日の末広がりという吉日?の早朝に亡くなってました、6時頃に目覚めて声をかけても反応が無くてね
最後を看取ってやれなかったのが悔やまれる 暇つぶしに山下公園でナンパしていた時のお話、品川ナンバーのヤン車を発見したのだが運転してたのは美人系のヤンキー娘だった、おっさんは後ろに張り付きホーン鳴らしまくってパッシングしまくり、それでも止まらんので右から追い越して急ブレーキかけて無理矢理止めました ヤンキー娘「おにーさん気合い入ってるね」ですって!はいおちんちんは気合いビンビンです、そんなことより遊ぼうぜ!と言ったら「あたし無免でさ、これ先輩からの借り物でドライブしてるだけなの」ですって!おっさんは犯罪者を見逃す訳にはいきません! おっさんは車に戻り車種とナンバーを覚えて110にかけました!「山下公園のローソン近くに車種が○○の品川ナンバーの車がいるんだけど、怪しい粉を売ってます!早く着てこわいの!」と善良で模範的な人間としての行動をとりました 日本の警察って優秀なのね3分ぐらいで到着、早速職質開始。僕はローソンで写ルンですを購入(携帯電話にカメラ機能なかった)それを持ってヤンキー娘をフラッシュたいてパシャパシャと撮影、あー今でも君の美しい写真はあるよ 当時の山下公園はカオスだったな、何故か札幌ナンバーとかいたし
地元の族が流してたりとか、そこらで喧嘩をしてる野郎共がいたりとかね もう20年経過してるし時効だろーけどJCとかもいたしなあ、おっさんはロリコンではないのでスルーしたがツレがヤッてたわ
おっさんはガキには興味がないのです おっさん2000年にプレミアム暴走と称して暴走収めを決めた、悪友達が各地の有効チームに声をかけて総勢100人ぐらいかな?集まって富士山目指したのよ、青春ですね 有名な族が集まり、今日は揉め事なしでヨロシク!と悪友が仕切っていた、最初は仲良く談笑していたけど徐々に険悪なムードを出す奴もチラホラ、おっさん怖くなる 高井戸から入って中央道を暴走、八王子の手前で一旦降りる、ミレニアムで検問が厳しいと予想していたので下道で向かう事に。振り返るとこれは正解でした。
大人数だったのが段々とバラバラになって気づいたら数人になってて笑った なんだかんだと無事に到着、山中湖だったかな?よその族達も沢山いたな、お祭りって事で基本的には喧嘩にはならないのが暗黙のルール?なのかな 3年ぐらい前かなーここでスカイプで話そうぜ!ってスレを立てたんだがなかなか話をしようって人がいなくてね、一人だけ若いおにーちゃんと話したかな。とても面白い人でね、今はサッパリとスカイプにログインしてないようなので、忙しくしてるのかな あとネット黎明期にインターネットに手を出していたおっさんはチャットに夢中になりました、当時は定額制ではないので気付けば一ヶ月10万とかいったなー まー会社のパソコンでしたので経費です、おっさんは当時役員でしたので無敵でした。某チャットルームによくいました、そこで何人かと出会いがありました 当時は中国地方の本社勤務で暇で仕方なくてね、チャットで出会った広島大学の美人の娘がいてね、画像交換して電話したりしてたんだ、ある日の晩にその子から電話があって「抱いて!」と男なら一度は言われたい台詞を言われました 色々話しを聞いていたのでこの子は処女だと知っていたおっさんは流石に処女を好きでもないのに抱くのは抵抗があり、話を聞き落ち着かせて電話を切りました、翌日起きてからヤっときゃよかったと泣きました 出会いを求めてチャットをしていたのではなかったのだが結果的に数人と出会ってセックスしました、お世話になりました!
今の時代ならこんな話は普通なんだろーね おっさんは出会いなんてそこらじゅうにあると思ってるタイプです、なんせナンパしまくっていたので初対面の人と話すのに抵抗はないし、仕事で営業もしていましたしね。おっさんは「言うのはタダ(無料)」が信念なので、まずは言ってみます。 話しかけてみると予想外の展開があったりするのでオススメしますが、事案にならないようにして下さい。 物のついでなので、誰か暇なときにスカイプかディスコードで話でもしませんかね? 思い出したが、沖縄の巨乳ちゃんともここで知り合ってスカイプしたな。
見てるかな?もう2年前ぐらいだけど
ちょっと言いすぎて怒らせちゃったけどさ 根っからの悪人ではなさそうなのにどうして若い頃ヤンキーになってしまったのか >>173
時代的な物と言ってしまうとそれで片付いてしまうが、楽しさと自分の居場所と仲間を求めたらそっち方面に行ってしまった タクシードライバー編でも書くか、都内で仕事をする場合は地理試験という国家資格が必要なのです、合格率は30%ぐらいと聞きました、これがなかなか難しく例えば東京駅から赤坂見附駅までの最短ルートを書いたりするのよ おっさんは東京育ちとは言えども全てを知っているわけではない、この地理試験は3回落ちた。受かったからと言ってもそこらの人間に毛が生えた程度の知識です、タクシー利用者の人には知ってもらいたいな。東京だけでも交差点は何万とあるし、全て知ってるわけじゃない なので「プロなのに知らねーのか」なんていうのは馬鹿です、全て覚えられるなら司法試験のほうにしますよ。イギリスではブラックキャブ(個人タクシー)が憧れの職業であり、紳士の職業だそうです。何故ならば全てを記憶しないと資格が貰えない難関なのです んで、研修を受けて初日は会社の人が助手席に座り色々と教わりながらお客さんを送るのです。初日はなかなかハードでした、タクシーって想像以上に疲れる仕事なんですよね そして一人でデビューの日がやってきます、初陣です。会社の人に初めてのお客さんは一生忘れないよと言われたが今でもそのお客さんを覚えている。比較的近くの駅までと言われたのだが凄く緊張したな それから数人乗せたら緊張が緩んできて余裕が生まれてきた、適当に都内を流したり、駅で付け待ちをしてみたりとかね。
休憩がてら何処に好い客がいるのかなーなんて考えたりね そんな日々を送っていくとコツを掴み始めるのです、この時間帯はここから駅方面の客がタクシー待ちしてるから流そうとか、この日はここのホールでイベントがあるのでイベント帰りの客を狙おうとかさ 良い人もいれば嫌な人もいる、特に酔っ払いは面倒くさい。変に絡んでくるのですよね、おにーさん強そうだねとかさ、喧嘩したそうに絡んでくるのよ。仕事じゃなかったら相手するのになーと思いながらぐっと我慢 1番酷いのは酔ったキャバ嬢、あれはもう無敵の人です。着いたのに寝ていたら起こせないしね、触ったらアウトだし。こういう場合は最寄りの交番に行き警官立ち会いの元、起こすのよ。警官は嫌がって起こしてくれない、ただ見てるだけ 比較的若い部類だったおっさんはよく客に「若いね」とは言われました、夜はキャバ嬢を送ることも多くて同じ場所でやってると同じ人を送ることもよくあるのです 珍しく喫煙可能な会社だったので、タバコ吸うだろうなって雰囲気の人には「うちのタクシー喫煙できますよー」と声をかけると喜ぶ人が多かったな、そんな一言から色々な話をすることがあったりする 基本的に仕事は真面目にやるタイプなのでせっせと低姿勢で仕事をしていました。何回か送った事のあるキャバ嬢に「何度か乗ってもらってますので、道分かりますよ」ていうと「ありがとう」って言われたな、下手すりゃ怖がられてもしゃーないな このキャバ嬢とは最終的には付き合う事になったんだよね、よく乗ってもらうし、色々と話をするのでね。おっさんは別に下心なんかはなかったはず、たまにパンツが見えたりしてたけど、それは偶然の産物だったし あと他には完全なメンヘラさんが忘れられないな。乗ってきて早々に「今日はね!お薬の日なの!」いや、まず目的地言ってくれよ、と思いながらなんとか目的地を聞き出して目的地までのルート確認を本人にとった、これは大事なこと 目的地に着いたので「ここで止めればいいですか?」と聞いたら「ここ何処!なんでここに私いるの!」とギャーギャー喚き出すので参ってしまいました、めんどくせーから「お客さん、私のミスがあったのかもしれないので料金は結構です」とちょっとだけ低い声で言いました それと踏切に近くて止まっていられないし、早く降りて欲しかったのです。するとメンヘラさんは正気に戻ったのか料金を支払って降りてくれた。この手の客は他にもいたな 新宿界隈で仕事をするとオカマさんを乗せる事があって「おにーさんいー身体してそうね」と肩に手を置いてきたりされてゾッとした。降りるときにはチップをくれたのでオカマさんのタイプだったのかな? 芸能人を乗せることもあったな、やはり自宅は立派なとこでしたね。案外おっさんには向いていた仕事でした。気楽でしたし、色々な人と会うので沢山の知識を得ました ある日の朝の通勤ラッシュ時に手が上がり、目的地を聞くとなかなかの乗客で「いつもタクシーで行かれるのですか?」と聞いたらそうだと、話しをしてみるとお医者さんでした。すかさず僕は営業をかけました 「いつもタクシーを利用されているのでしたら僕に連絡いただけませんか?1割引しますので」と言ってみたら即決でした。1割引分は自己負担だけど、それでも美味しいお客さんなのです そのお医者さんは結構年配のお爺ちゃん先生で、東北大学かな?出身だと言ってた。無知な僕に色々な話しを聞かせてくれた 戦後の日本は配給制度で闇米に手を出す人が多かった話しを君は知ってるかな?と聞かれたが恥ずかしながら知りませんと素直に答えた。配給制の食糧のみで生きたら餓死するのだよと 結果から書くと山口良忠という人物が実際に配給の食糧のみで生活したら餓死した話しをしてくれた。興味あったらググってください そのお医者さんは3人の息子がいて3人とも医者というエリート家族でした、息子よりも若い自分を随分と可愛がってくれました。これ貰い物だけどと色々な物をくれました 怜悧な人は対応が柔軟で此方としても仕事がしやすい。タクシーをやる前のことなどを聞かれたので答えたら早くタクシーを辞めて君は家業に専念するべきだと言われたけど、僕は甲斐性なしなので他人の人生を背負うのは精神的にきつかった ただでさえ嫁さん一人の対応すら出来ないのに社員200人の生活なんて俺には面倒見切れません。祖父は小卒で志願して海軍に入り戦争に行きました タクシー編から若干ずれるけど書きます、その祖父は天才肌で戦後引揚げ船?で働き20歳前後で市長と同じぐらいの給料とりだったそうです 紆余曲折があり、商売を始めました。家族四人で。祖父母と親父とその兄貴の四人です。あまりにも金が無くて電気を止められてロウソクの火で過ごしながら家族会議をしたそうです、今後のことで 祖父はとある製品を作り出しました、エンジニア肌だったのです。なんせ零戦の整備兵をやっていたので。その製品を親父と兄貴がせっせと売り込むわけです。 営業をしているうちに様々なことを親父は覚えていって成長していくのです、祖父もですが。祖父は特許庁長官賞を貰うほどの天才肌でした、負けじと親父も沢山の特許を取得し我社の製品は飛ぶように売れました テレビの取材や新聞の取材などに載ることは多々あり、おっさんも20代の頃には取材を受けました。四人で、しかも田舎から始まった会社は徐々に大きくなってゆき、都会へと進出したのです そしておっさんは長男です、男は俺しかいない家系なのでおっさんは期待されるわけですよね。ところが残念な仕上がりになったわけですよ。 仕事は真面目にしていたが、祖父や親父を見てると自分には才能がないことを痛感するわけです。コンプレックスに近いのかな?とてもじゃないがゼロから物を生み出すような能力はありません 物を売る事は出来てもブラッシュアップさせたり、新製品を作るとかね。無理です。これは若い頃に気づいていたから逃げ出したくなる気持ちはかなりあった そんな偉大な人間(俺から見て)身近にいるとプレッシャーなんですよね、自分の無能さがよく分かるので。家業に戻るってのもなんか違うし、そんな能力はないしなーと思う日々を過ごしました 低能なおっさんは気楽な生活に逃げました、人間楽なほうを選びますよね。と周りから同意を得たいです。 >>211
パナソニック創業者の松下幸之助は
仕事が楽すぎることに疑問を抱いて
仕事を辞めて事業を起こしたよw おっさんと同じ年代だわ
当時はみんなナンパしまくってたね
携帯初期で大金払ってたり飲酒運転も緩くて飲んでホテルとかね >>213
3代目と7代目は駄目だと聞きますね
>>214
仕事は楽しかったですが、自分はちょっと立場が違いますね
>>215
飲酒運転は普通にしてましたね
ショットバーの前に車停めてましたし
六本木のキャバクラなんかはボーイ?がキーを預かってくれて駐禁きられないようにしてくれた時代でした、2時間で8万くらいの料金にはちょっと引きましたがね 軽く再開
纏めてしまうと親父は母親の死がかなり堪えてしまい仕事にならないような状況まで追い詰められていました そこに長男の俺まで違う仕事をしていたので、廃業することに決めました。正確には休眠ですが、会社を畳みました。 親父との仲は良好なのでよく話しをするのですが、リーマンショックできっとかなりダメージを受けて今回のコロナで倒産していただろうなと言ってました、ある意味では会社を辞めたのは英断だったのかもしれません それに僕があとを継ごうと必死になってやっていた場合、ぶっ倒れた事によるダメージも相当なものがあったでしょう。 さて、時系列がおかしくなりますが
17歳大阪逃亡編を書きます
悪ガキだった僕はちょっとした事件を起こしました(内容は伏せます)その事で先輩に呼び出されて「お前ヤバいぞ、本職が動き出すからほとぼり冷めるまで飛んでろ」と言われました かなり深刻な状況だったようで、飛べと言われてもなーと考えていたのですが、親戚が大阪にいたので、大阪に行く事にしました。親には適適当な事を言って。 親戚の伯母さんのとこに泊まったのですが、何かバイトでもしようと話しをしていたところタイミング良く従兄妹が着てホステスやっていてボーイ募集してるから来るか?と渡りに船ですよ 作業しながらなので、ゆっくり書きます。
面接も形式状的なもので即採用してもらいました。綺麗なお姉さんばかりで眼福、胸の谷間が見れたりと約得です。こんな素晴らしいお仕事ってあるのですね、従兄妹の紹介てのもあってお姉さん方々には大変可愛がってもらいました 順調に仕事も覚えて余裕が生まれてきました、当時付き合っていた彼女にもちょくちょく連絡を入れて暫くは帰れないからと公衆電話から電話をしてました 昼夜逆転の生活にも慣れてきて、早く起きた時には近所のゲーセンに行ってました、根っからのゲーム好きです。当時流行っていたのはスト2で、おっさんは対戦が大好きだったのです、最高記録は53連勝でした この時代のゲーセンはとても人が多い上にヤンキーのたまり場でもありました、一人のヤンキーが近づいてきて「自分あまり見ない顔やな」と話しかけてきたので、これはリアルファイトかな?とドキドキしました、大阪で初のファイトの予感! いつでもヤルぞコラ!と気合いを入れたのですが、その彼はただの好奇心で話しかけてきたようでした。それから何度もゲーセンで会ううちに打ち解けてきてちょっとしたお友達のような雰囲気になりました 休日の夜にタバコが切れたので自販機にタバコを買いに出向いたところ、ヤンキー娘たちがうんこ座りをして陣取ってて邪魔だなーと思いつつセブンスターを買いました、その時に「なー、うちにもこーてー」とまさかのカツアゲ?にビクビクしました 金髪のドヤンキーです、ベッドの上ならタイマンお願いしたいところですが、そんな雰囲気でもないし、たかられてる自分が情けなくなりシカトしました そんな時に「おー!なにしてんねや!」と男の声が聞こえた、なんだか面倒な予感だなーと思ったらゲーセンでよく会う奴でした。なにやらそいつとヤンキー娘は知り合いのようで、そこに俺もいたので声をかけてきたようです とりあえず物騒な事にはならずに済んだのでおっさんも仲良くうんこ座りをしながら一服しました。帰り際にヤンキー娘を上から見下ろすとツムジのとこだけが黒かったので2回ほどツンツンしました ツムジをツンツンすると馬鹿になるという話が地元ではあったのですが、元から馬鹿そうなので意味がないのか、それとも更に馬鹿になるのか?ちょっと興味深いなーと思ったのです つんつんされた娘は「なんやねん!」と言うので説明してあげたら不機嫌になりました。おっさんは「次会うことがあったら更に馬鹿になってるか知りたいなー」と言って立ち去りました それからよく自販機前で会う事があり、仲良くなって遊ぶようになりました。ヤンキー達がパクってきた単車で176号線を暴走したり飲みに行ったりと、逃亡生活のくせに何気に楽しく生活を送ってました ツムジつんつんしたツムジちゃん(仮名)とは本当に仲良くなりました、ヤンキーの癖にひねくれてないし、結構素直でカワイイんですよね、見た目も。 ちなみにツムジちゃんは元から馬鹿だったのでつんつんした意味はありませんでした。ツムジちゃん達と飲んでいたある日に「自分彼女いーいんの?」と聞かれたが居ないと答えてしまった。おっさんは下心をいつの間にか持っていたようです。 誤字は勘弁してね、推敲しないで書いてます。ツムジちゃんを見てるとドキドキしてくるのです、性欲が強い年齢を抜きにして、なんだか見ていて恋しくなる時があるんですよね、ちょっと好きになっていたのかもしれない ツムジちゃんが「彼女おらんかったら、うちと付き合わへん?」と言うのでおっさんは二つ返事で付き合う事にしました、東京の彼女ゴメンネ 俗に言う二股というやつをおっさんはしてしまったのです、罪悪感はありましたが、目の前のカワイイ娘には勝てません。ツムジちゃんがカワイイのがいけないのです。 この時は伯母さん(シンママ)の付き合っていた彼氏のおっちゃんの家に居候してました、このおっちゃんは凄く僕を可愛がってくれました。高校の教師をしていたようで自宅には沢山の本がありまして、おっさんはちょこちょこ読んでました。 おっさんの人生において考え方が変わったのが百戦錬磨、働き1両考え5両という米相場師の本でした。タイトルからして分かるように身体を使って得られる金よりも頭を使ったほうがより稼げるという単純なものに感化されたのです 話は戻りますがツムジちゃんとは生活リズムがあまり合いません、ですがツムジちゃんは夕方になるとお弁当を持ってきてくれてがんばりやーと僕を見送ってくれるのです、なんて健気な娘なのだろうか そんな日々を半年ほど過ごしました、たまに先輩に連絡を入れて状況を聞いたりしてました。ボチボチほとぼりも冷めたし戻ってもいいぞと言われましたが、すんなり帰ろうって気持ちにはなれませんでした 大阪で出来た友人にツムジちゃんが大事な存在なのです、だが地元には帰りたいと悩みました。正直にツムジちゃんに話しをしたら「男なんやから自分できめーや」といつにもなく冷たく言われました。 まだガキだった僕は感情的になり「んじゃ帰るわ」と言ってしまった、もっと違う言い方があったのになあーと今でも後悔してます 仲良くなった連中に別れを告げたが、ツムジちゃんには言わずに東京に帰りました。本当にお世話になりました、ありがとうツムジちゃん! 大阪編終わりです。若さゆえの二股と、優しく対応できなかった事が悔やまれます。とても可愛くて面倒見の良かったツムジちゃんなのできっと今は幸せになっていると思います。 ネトゲ編
暇つぶしに書きます、某MMORPGをやっていて、もう14年目になるのかな。とあるギルドに所属していて、仲良くなった人がいてよくペア狩りをしながらチャットしてました そんな日々を送ってるとリアルの話をするようになり、お互い何処に住んでる?てなりまして、相手の子が中国地方だったのです。中国地方には本社勤務時代があったので「俺○○にいたよー」なんて話すと偶然その子も同じ市だったのです 更に話を掘下げて行くと田舎ってのは本当に狭いものでその子の親戚がうちの会社のパートさんでした。あまりにもビックリしまして、世の中ってこんなことがあるんだねと盛り上がりました それからはもっと仲良くなりまして、電話をするようになった、相手はシンママの自称キャバ嬢でした。確かにログイン時間帯等を考えると夜の仕事っぽいなーと。 お互いの画像交換しよかーとなって、結構可愛かったのです。まー夜の仕事をするぐらいですからね。あちらさんから言われたのが見ためが厳ついと、もう言われ慣れてるので気にしなかった あちらの仕事あがりのだいたいこの時間帯ぐらいに毎日のようにメール(まだラインがなかった)か電話が来るようなのがあたり前の日々でした なんで離婚したの?と結構突っ込んで聞いてみると前の旦那は本職だったようで、まだ10代(当時)だった彼女はまだ子供みたいなものでよく考えずに結婚をしたそうです。誰にでも失敗はあるものだと自分を含めて思いましたよ おっさんは本社に行く機会が出てきたので、ちょっと会うかという流れになりました。某駅にて待ち合わせをして、実際に会ってみるとプリクラってすげーんだな!おっさんビックリよ!多少画像とは違う方がそこにはいました そして飲みに行き、色々話してみると実はキャバ嬢じゃなくておっぱぶで働いてると言われました。おっさんはおっぱぶに行ったことがないですが、多少の知識はあります 「嫌いになった?」と聞かれたが別に職業差別をするおっさんではないです、需要と供給があって合法なら構わないと思います。それに自分の女でもないし。 んー、この流れはと思いましたら告白されました。言い辛いことまで言ってくれる勇気は認めるけど、なんせ東京〜中国地方という遠距離恋愛はねー、難しいんじゃないかなーと答えました。 地方とはいえおっぱぶ嬢なのでお金には多少の余裕があるそうなので、飛行機で会いに行くからなど言われて根負けしました。
とりあえず付き合ってみて駄目そうなら辞めとこという軽い感じでおっさんさ付き合う事に承諾しました それから数日間は本社にいたので毎日会ってました、次は東京まで来るそうなので待ってるよと言って帰りました。この遠距離恋愛は結局半年ももたなかったかな。おっさんは心底惚れた相手でもなかったし、それに遠すぎた 別れたら、その子はネトゲにログインしなくなりました。おっさんは相変わらず今日もやってます。フレンド登録はそのままにしてあり、いつかログインすることがあるのだろうか?と思いながらフレンド一覧を見ることがあります 今の時代はソシャゲーなんでしょうね、おっさんはパソコンでカタカタやってるほうが合ってます。課金はちょこっとだけしてますが、周りは毎月100万単位で課金していて世の中にはゲームにガチになる人がいるのだなと ボイスチャットしながら適当に遊んでますが、おっさんとおばさんしかいません。もう古いネトゲなので親子でやってる人もいたりします ネトゲで出会って結婚した人なんかは結構いましたが、おっさんの知る限りは全員離婚してますね。やはりファンタジーの世界とリアルは別物なんでしょう おっさんの近況、去年企業しました。おっさんのような人間は雇ってもらえませんし、性格上に難がありますしね。そこで仕事も絡んでるのでフェイスブックデビューをしました 個人のではなく会社のでデビューしたのです、個人名でやってる方々が多いのですね。ふとおっさんは外国人の方は自分の画像も載せるし個人名でやってる人が多いので、もしかしたらと思ってメリーの名前を検索しました 州も名前も同一人物がヒットしました、画像は老けた紛れもなく老けたメリーでした、老けても当時の可愛さが残ってました。おっさんはもう英語を忘れてしまったのでGoogle翻訳を駆使してメリーにメッセージを送りました メリーから返信があり、お互いの近況報告をしました。アメリカは大変な状況下で厳しい生活を送っているそうです。メリーはバツイチで子供が二人いました。娘さんでしたが、若い頃のメリーに似ていて当時の事を思い出しました もう会うことはないでしょうが、こうやって繋がったことに非常に感激しました。もしもの話をしましたが、おっさんがあの時帰国せずに求婚したらメリーはなんて返事した?と聞いたら当然YESと答えたと言ってくれて嬉しかったな 過去を振り返るとろくな事がないおっさんでしたが、メリーのことだけは報われた気持ちになりました。 人との繋がりを大事にしようと改めて思うのです、これから先どのような人達と出会うのかは分かりませんが、大事にしていこう!とね。皆さんも良い出逢いがありますように >>273
無くも無いだろうけど、おっさんが身体的問題を抱えてるから俺から攻めて行く勇気がないな >>274
あーそうか身体悪くしたのか
バイクものれなくなっちゃったよね… >>275
ちょっと思い出しながら書きます
> >276
身体壊す1年前にまたFXを購入して遊んでました、流石におっさんなので見た目は大人しくエンジン等をカスタムして乗ってました 地方でナンパした女の子編
地元の奴が(東京のね)当時闇金をやっておりまして、金と時間があったので1週間ほどクソ田舎まで遊びに来たんですよ こいつは見た目が非常に残念な奴でして、女には全くモテないんですよ。んで、おっさんは田舎でナンパしまくってリア充全開の話をしましたら、そっち行くから女紹介しろや!となりました おっさんは何人かヤリマンの子を用意してあげたのです、悪友はとても満足してくれて「俺もここに引っ越すわ!」というぐらい喜んでたんですよね、紹介したおっさんも満足しました ですが、田舎なのでろくな仕事もないので止めました。この当時人気だったのが鈴木あみでして、おっさんはこの手のタイプは趣味ではなかったんですよね。 とある本当に田舎駅を通過した瞬間に悪友が「止まって!あそこ!鈴木あみそっくりな子がいる!ナンパしてきて!」と言うのです、こいつナンパもできないヘタレなのですよね 仕方ねーなと車から降りてサクッと電話番号をゲットしてきました、悪友にそれを報告すると何故かそれだけで満足して、電話しようともしないという意味の分からない状況でした 1週間のヤりまくりの滞在期間を終えた悪友はまた遊びに来る!と言い残し飛行機で帰っていった それからまた仕事の日々を送っていたおっさんの携帯電話に誰だっけ?という番号がきて出てみたら鈴木あみ似(以降あみで)の子からでした、向こうから連絡が来るとは思ってもいませんでした 当時おっさんは二十前後だったかなー、あみは高校一年生です、話をいてると何やら酔っ払ってる模様で「今から会おうよ!」と言われました。場所を聞くと車で一時間ほどだったのでドライブがてら行くかなと会いに向かいました 待ち合わせ場所に到着したので連絡を入れるとあみが着ました、電話でのハイテンションとは違い何やら落ち着いた感じでしたね ここはおっさんが話をリードしとくかと色々と話を振って盛り上げました、そして再開の日は早めに切り上げました それからは毎日電話が来るようになりまして、酔っ払ってる時が多かったです、どうやらこの子は酔った勢いがないと電話をする勇気がない感じでした 話をしていて分かったのが処女で彼氏がいた事がないこと、女子高で全寮制で寮にいること、いつも高校の前で待ち合わせしていたのはこういうことでした 当時のおっさんはチャラチャラしていて、ヤンキーではありませんでした。時代的に流行っていたロン毛です、今思い出すだけでとんでもない黒歴史です 田舎ではそんなロン毛もいませんし、東京ナンバーのベンツに乗った奴が魅力的に見えたのでしょうかね。非常に懐かれまして、よく見ると整った顔をした美少女なんですよねー おっさんはロリコンではないです、美人系のお姉さんがストライクなんです。そんな自分ですが、この子は本当に可愛かった そんな日々を一ヶ月ほど過ごしていたら、いつもより酷く酔った状態で電話がきて今すぐこい!と言われました、相手が野郎なら殴りつけたくなる気分です どうせ会うとテンション下がって借りてきた猫みたいになんだろ?と思っていたのですが、この日は違いました 「年上なのに分かんないの!」といきなり喧嘩腰でした、なんだこいつと思いつつ分かんねーよと素直に答えたおっさん 相当酔っていたようで酒臭いしめんどくせーなと思いましたよ、そんで何が言いたいの?なんで怒ってんの?何が不満なんだ?とおっさんは質問攻めしました すると、また借りてきた猫のように大人しくなる。こいつめんどーだわ。ハッキリ言いたい事を言わない奴は嫌いなんだよねと言いました すると少し沈黙があってから告白されました、参ったな悪友のお気に入りの娘だしなー、でも悪友は何時来るかも分からんし、あみのことを話題にもして来ないし、問題はないか?など自問自答 おっさんも沈黙し、よくよく考えこと1分分かったよ付き合おっかということになりまして、JKと付き合う事になりました 大事な事なのでまた書きますがロリコンではないです、美少女だったし、こんな子から告白されたら付き合うでしょう?あなたも! それからも相変わらず酔っ払いながら電話してくるので、禁酒令を出しました。ガキは酒のむなと、おっさんも飲んでましたが美少女の醜態は目に余る おっさんからなるべく電話をするようにしまして禁酒令はどうやら守ってくれました。ある日におっさんの家に泊まりたいというので学校は大丈夫なの?と聞くと週末は実家に帰る名目でお泊りは大丈夫とのこと そして初めてのお泊り、おっさんの部屋は無駄に広いのです、20畳ほどの部屋です。広すぎて殺風景です。 広い部屋にポツンとあるベッドで一緒に寝ました、ところが突然泣き出し、あみが自分の父親は私のせいで死んだと言い出したのです 辛いことを吐き出したかったんだろうけど、それを受け止められる器のない若かれし頃のおっさんは「言わなくていから」と抱きしめて頭を撫でることで逃げてしまった 母子家庭のあみはまだ女子高なのに異常なほどに結婚願望が強かったのです、おっさんは結婚願望なんて無い遊びたい盛りでした そこらへんの温度差などがあり、おっさんは息苦しくなりました。毎日連絡しないと不機嫌だし、異常なほど性欲の強いセックスマシーンのあみ。おっさんはついていけませんでした。 おっさんは狡いので、ガン無視決めて逃げました、ゴメンネ!きっと美人になって今頃幸せになってると思います ちょっと書き忘れたけど、田舎の女編
悪友が来たときに紹介した女で自称霊感(笑)がある子がいたんですよね この地方ではわりかし有名な心霊スポットの山がありまして、そこに男女四人でドライブしつつ遊びに行きました 山頂にある駐車場で車から降りてなんもねーな!と笑っていたのですが、自称霊感持ちがガタガタと震えてるんすよね。初夏なのに 参ったな、楽しく遊びてーのに空気読めよこの自称霊感持ちが!とおっさんはこのクソ女が!と見下してたのですが悪友はそういうのを信じる痛いやつで「山降りてコンビニ行って塩買おう!」なんていいやがる こいつも大概いてーなと思いつつも山から降りて最寄りのコンビニへ、悪友ともう一人の女で塩を買いに行きました おっさんは自称霊感持ちに「あのさ、楽しく遊びてーのにそんなつまらん演義いらねーから」と本音をぶちまけました ガン無視する自称霊感持ち、おっさんのイライラは頂点に達する。この女なかなかの巨乳ちゃんでしたので「いつまでも演義してるのも結構だけど、これじゃつまんねーから乳でも揉ませてもらうかな」と高らかに宣言し、いざ巨乳へと手を伸ばすおっさん 手が巨乳へと僅か数センチへと来たところでガッ!と手首を掴まれて、やっぱ演義で乳は触らせたくねーのかよと思ったら尋常じゃないほどの力で手首を握りしめてくるのです そして女が「やめろ」とどう考えても中年男性の声を発したのです。おっさんあまりの恐怖に叫びました、そしてもう片方の手で思いっきりぶん殴ってしまいました 顎にヒットしたんですかね、女は気を失いました。手首も解放されて、コレって本物か?なんて思いつつも折角なのでおっぱいは揉んでおきました おっぱい揉んでる最中に悪友が戻ってきたので説明すると怒られました、どう見てもこれ普通じゃないぐらいわかんだろ!とね よく分かんないけど、霊がついた女のおっぱいは揉めるということだけは学習しました。良い子は真似しないようにね。 >>322
乳があれば揉みたくなるだろ、それも巨乳だぜ >>323
揉みごたえはあるからな
いままで一番エロかった話を聞かせてくれよ >>324
エロかった話か、回想してもおっさんには全てエロかった。ただナンパして最速でセックスまで10分ってのがあったぐらいかな >>325
上でも話してたやつか
ホテルでしたん?車でしたん? >>326
山下公園でナンパして、近くのカラオケボックスで速攻ハメハメした おっさんはガキの頃からサラリーマンや普通の人みたいに生きていく人生は冗談じゃねー!と思っていたのですが皮肉にもそれが叶いました、特に身体的なもので。 今はリハビリ(絶対に治らない)をのんびりしながら、仕事もして生活を送っています。殆ど自宅にいてセルフ引き籠もりをしてます おっさんなので遊びに行きたいとか思う事はもうないです、若い頃に散々遊び尽くしたし、普通の人が体験出来なかったこともしてきたのである程度満足してます 幸いな事に子供もいないので、子供に負担をかけることもないです。ただセルフ自粛を数年していると人恋しくなりますね。 友人等には極力現状は伏せてます、アレコレと理由をつけては誘いを断り続けると疎遠になりました。昔の自分との差異があまりにもあるので。 リハビリ、仕事、病院。これらしか外との繋がりは無いのが現状です。なんだか寂しくもありますが、これがおっさんの人生です。 おっさんは今一人暮らしなの?
食事とか色々全部ひとりでやってるの? >>334
おっさんは親父と同居してます、倒れる数年前から面倒を見なければと思いまして同居を始めたのですが、本末転倒な感じですね。大体の事は一人で出来ます。 >>335
逆に言うと一人でできないこともあるの? >>336
ありますよ、具体的には凸凹のある所は歩行不可、両手を使う作業は不可。
茶碗を持ってご飯を食べるのとか無理ですね、犬食いになります。
不便な事が多いですが慣れてしまいました リハビリをしていますと、周りは年金世代ばかりでおっさんが若い人の部類に入ります。友人らとは自分から距離を置いてしまい主に話す人と言えばネトゲ仲間ぐらいです。なんだか寂しいものです 人間話し相手がいないとネガティブになりますね。友人を作りたいとは思うけどなかなか難しいものですね、この年齢になると。 数年前にここでスカイプで話そうぜってスレを立てたのですが、また立てようと思います。男女不問、年齢不問で。その時は誰か話しましょう。 >>341
ブラインドタッチが出来ていたので問題はないですね >>342
上で両手使うのは不可って言ってるから少し心配した >>343
できる事が少な過ぎて不便ですよ
買い物も片手なので杖持って歩行なのでかなり無理ゲー感があって人のいない深夜に買い物してなるべく周りに迷惑かけないように配慮してます。杖を持った手で商品を持つので少ししか買えません ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています