失踪して20年記念に立ててみた
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>>243
あ!違った
1さんがいいならいいんじゃない?
外野はなんとも >>244
そうかもね、まずは人手不足の解消が最優先
でも仕事が減ってきてから真っ先に切られるのはそういう人からだもんね
いくら仕事が早くキレイに出来てもそれは制度としての書類がある前提だから
俺はそこら辺が分水嶺だと踏んでます >>246
そうね!だから今はチャンスの時期と捉えてドンドンやればいいと思うんだ。
不況になるまでに生き残れるようにさ! >>238
最早下請けグループなんてのは過去の遺物なのかも知れないね >>246
オレ自身の考えとして『請負師』でありたい。『サラリーマン職人』にはなりたくない。だから、一人親方の立ち位置が成立しない状態になったら、引退すると決めてる。それまでは精一杯足掻くけどね >>252
今の単価で考えたらサラリーマン職人は割に会わんよ。会社によるけど工務店の現場監督より親方の方が儲かるやん 社会保険云々の問題がある限り、大手の現場には入れない…という現実がありまして。
地場ゼネコン相手にしてても、継続性に不安が…
常庸仕事ならいくらでもあるんだけどね、単価が… アンカ忘れた。・゚・(ノД`)・゚・。
254は>>253ね 東京編は明日から書く
しかしマジメな話になるとガキ共が煽りに来ないのは何故だろう…
では 他人様のスレなのに申し訳ない
どこかでこの妄想を残したかったんだ
ではお言葉に甘えて
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魔がさした。
そうとしか言いようがなかった。
その日は見張り役がいなかったことも後押しをしたとこもう。
以前も2回くらい見張りがいないことがあり、そんな時は連絡用にPHSを持たされた。
街道沿いのファミレスに入り、駅までの途中の場所にタクシーを呼んだ。
そして待ち合わせたタクシーに乗って予定とは違う路線の駅に向かった。
指示を伝えるために頻繁にPHSが鳴る。最初のうちこそ通常通りの風を装って受け答えをしていたがやはり何かいつもと違っていたのだろう。
「お前大丈夫か?何かあったのか?」という連絡役の言葉を聞いてPHSをホームの反対側に止まった電車の中に置いた。 鉄道を乗り継いで都市部を離れ、フェリーで宮古島に向かった。
沖縄にはヤクザがいない...そんなことを聞いた覚えがあったからだった。
宮古島は飲み屋が多かった。朝まで営業している店も多く、夜を明かすには困らなかった。
自分探しの旅でもしているのかと半笑いで飲み屋の主人に問われ、ええそんな感じですと答えてからはそういう青年のフリをして過ごした。
遊んでばかりじゃしょうがないだろうとタバコ農家の手伝いを紹介されたり、台湾人の中年女性に雇われワンクルシャーの手先のようなこともした。
高く伸びたサトウキビの列の陰から今にもメンバーの誰かが顔を出すんじゃないか。平良の街で追っ手に突然肩を掴まれるんじゃないかとかビクビビクしながら過ごしていた。
そして仕入れた商品を持って帰る中年女性に誘われるまま船で台湾に渡った。 台湾からベトナム、カンボジアを経由してタイへ。密航を繰り返しバンコクへたどり着いた。
しばらく腰を落ち着けるよう中国人が大家でインド人が階下に住むアパートの一室を借りた。
3ヶ月ほど経ち、日本人のコミュニティがあることに気がついた。
仕事をしているわけでもなく、リタイヤして海外移住するような歳にも見えない俺はどうも同じ日本人から見て目立つ存在のようだ。
日本人旅行者も頻繁に見かける。落ち着かなくなった俺は来た道を戻って宮古島に逃げ帰った。 無理に帰ってきたおかげで所持金がだいぶ心細くなってきた。
帰路は往路に比べて10倍くらい費用がかかってしまったせいだ。
そして俺は神奈川に向かった。
ドヤ街というのか貧民窟というのか、浮浪者や貧しい肉体労働者などが集まっている場所があることは知っていた。
そこで俺の歳に近い浮浪者を探した。何人かに声をかけ、目的に叶いそうな男を見つけた。酒か薬にでも溺れた風のガリガリに痩せ虚ろな目をした受け答えも怪しい男だ。
酒と食物を持って近づき、名前と歳と住所に出身地、その他いくつかのことを聞き出した。地元に友人や親兄弟はいるのか? その人たちと最後に連絡をとったのはいつか?
年齢は俺より9歳年上、出身は山中の地方都市で少なくとも10年は帰郷もせず連絡も取っていない。もちろん友達なんていない。
兄は10代半ばに家を出て音信不通。親は死んだと聞いた気がするがわからないとのことだった。
今後自分の本名を名乗らないこと、この取引のことを他言しないことを条件にそいつの名前を30万で買った。
1年後にまた来る。その時まで約束を守っていたら同じ額をまた渡すことを伝えて別れた。 そいつの住所地に行き謄本を取った。その頃はまだ他人の謄本をとる手段があった。
親はどちらも既に亡くなっていた。そいつの実家は荒れ果てた廃屋になっていた。
そいつの住所を他へ移し、あまり意味はないが本籍地も移した。
新たな住所で原付の免許を取得した。30万で買った名前と俺の顔写真が入った公的な身分証明書を手に入れた。
その後は今につながるので軽く触れるだけにしておくが、東京にほど近い都市の小さな看板屋に就職し、似たような職種で今も働いている。
30万で手に入れた籍は4人に増えた。同い年の妻は俺のことを9歳上だと思っている。若く見えるパパだと子供の同級生の親から言われてヒヤリとする。
就職した時に入った国保は40代で社保になった。年金も税金もきちんと払えている。
緩みきった二十歳の頃からすれば緊張のせいか顔つきがだいぶ変わった。歳をとって体型もずいぶん変わった。子供と商売のおかげで笑顔で過ごしているせいか人相も福々しいと言えると思う。あの1200万を持ち逃げした童顔の青年が俺だと見破れる人がこの世に何人いるだろう? >>34
いやいやいやいや文才めちゃくちゃあるだろうw
ここまで読んでめちゃ面白いぞ。
肉体労働者っぽい文体もリアルさを醸し出してる。 上から目線の偉そうな底辺おっさんが降臨しないのは約束を守りたくないからだ
流石正社員になりたくないだけはあるね
社会は暴力で回るわけないのに 一度逃げた奴は何度でも逃げる
父親がそうだった
借金しては逃げて、同僚や後輩からも借金する
嘘つきで嫌われて余されて今は独居老人だ
なるべく長生きして不幸を長く味わって欲しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています