ドイツ諜報部『クレムリン時代のプーチンは凄腕スパイなんかじゃなくコピーとお茶汲み係だった』 [784885787]
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プーチン大統領はKGBの超腕利きスパイではなかった? ドイツ報道機関が新説
プーチン大統領は旧ソ連のKGBの超腕利きスパイではなく、事務職だったのか?
英紙デーリー・スターが4日、報じた。
これまでの報道によると、プーチン氏は元KGBのすご腕のエージェントであり、
柔道とサンボの達人で、自ら潜水艦や戦闘機、戦車を操縦するなど、あまりにマルチな才能を持ち、
人間離れしているとされてきた。しかし、ドイツの報道機関により、
プーチン氏はスパイではなく、事務職だったことが明らかになったという。
プーチン氏は「1980年代に東ドイツのドレスデンで重要な任務を遂行していた」と主張しているが
、実際にはドレスデンの連絡事務所で、事務職として管理業務を行っていたという。
主な役割は「西ドイツの親族の渡航申請を整理したり、
留学生の中から情報提供者になりそうな人を探したりすることだった」とみられる。
1989年にドレスデンのKGBを襲撃したデモ隊を、
プーチン氏が独力で鎮圧したという話が都市伝説のように伝えられている
しかし
「一説によると、近くにある東ドイツの秘密警察シュタージの入り口に小柄な男性が一人で立ち、安全な場所からその光景を眺めていた」という。
これまでの伝えられてきたイメージは虚像≠セったのか…。
ともあれ、プーチン氏がその後の権力闘争を勝ち抜き、圧倒的な剛腕≠ナロシアを統治しているのは間違いないようだ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/265499 ―猪木さんは1989年に旧ソ連からレッドブル軍団を連れてくるなど、ロシアと親交があった。ウクライナ侵攻でロシア情勢が緊迫している
猪木 俺が最初にモスクワに行った時、向こうの偉い人と会うチャンスがあったんですよ。(元外務省主任分析官の)佐藤優さんも書いているけど、その時、KGB(ソ連国家保安委員会)のビルに入ったら、今は絶対権力になったプーチンがお茶くみをしていたんだよね。しかし、プーチンがKGBというのはわかるけど、戦争を体験していないと思うんだよね。そこで参謀にどういうのがついて、どう指示を出しているのか…。
――議員時代にも猪木さんはロシアと独自のルートを築いていた
猪木 付き合いが大事なんで。「こいつなら信用できるな」っていう。当時はいろいろ(他国に比べ)遅れてきていることをロシアの要人はわかっていたと思うけどね。そういう面でいろんな情報やなんかを交換して。
――平和のためにも対話のチャンネルを持つことも必要だと
猪木 そうですね。俺は変なスパイ行為はしてませんけど、いろいろ頼まれたことがあったので、非常にいい関係ができたんですけど。
――ちなみに当時はどんな関係を
猪木 バグダーノフ将軍とかね。彼なんかは「猪木、何か欲しいものないか?」っていうから「軍服をくれ」って言ったら「うーん…」って頭を抱えて「分かった」って。俺のサイズがなかったのに、寸法を取って作ってくれた。それで(ショータ)チョチョシビリという柔道のチャンピオンだった選手(※)と一緒に軍服を持ってきてくれた。それを着て、ウオッカを2、3本空けたのを覚えています ニッポンも列強の優れた制度を今すぐ取り入れてキャッチアップしないと! 東ドイツに派遣されてた時点でエリートだよ。戦争になるならここだと言われてて実際ここが原因でソ連崩壊したんだから 1961年、当時のソビエト連邦から西側に亡命したアナトーリ・ゴリツィンという名のKGB中佐は、CIAに対して重大な事実を告げた。
「CIAの幹部の中にソビエトのスパイがいる」と。
ゴリツィン亡命以前から対ソビエト工作のハイレベルな情報の漏洩に気づき、極秘に調査をしていたCIAは
防諜部門の責任者ジェイムズ・アングルトンの指揮の下に本格的に調査を始めた。
ゴリツィンの尋問と分析を担当したCIA職員の回想によれば、亡命当初にゴリツィンが提供した情報には
諜報関係の亡命者に通常見られる偏見や誤解がほとんどなく、膨大で詳細かつ多岐に渡り極めて正確なものだった。
しかし、素晴らしく貴重なアセットを得て喜ぶCIAに対しゴリツィンは強い警告を発した。
「KGBは私の信用性を低下させるために偽りの亡命者を必ず送り込んでくるだろう」と。
その2年後、亡命を希望してきたユーリ・ノセンコという名のKGB職員は、ゴリツィンの証言とは異なる多くの情報を提供し
それはゴリツィンが欺瞞工作要員である可能性を示唆するものであったが
CIAはノセンコの方をゴリツィンが予想した攪乱工作員と断定し、彼を長期間に渡り監禁し拷問まで行った。
CIA内部のスパイ狩りは10年余に及び、その間の監視・執拗な尋問・嫌がらせ・昇進の妨害等により何人もの有能な職員が辞めていった。
後年、この長きに渡ったスパイ摘発捜査の検証のためにCIA内部で書かれた幾つかのレポートの中に
物議を醸して一部の職員から強い非難を浴びたものがあった。
あるアナリスト(西ドイツのブラント首相の秘書官が東ドイツのスパイであると看破し、ブラント辞任の発端となるレポを書いた有能な分析官)
が下したその結論とはこうである。
「ゴリツィンの言うところのCIA上層部に潜み長年に渡って活動してきたスパイとは、ジェイムズ・アングルトンである」
アングルトンをモデルにした映画「グッド・シェパード」を観ると彼は暗黒面に堕ちたように思える。
確実に言えることは、ノセンコとゴリツィンのどちらが信用できるのか?アングルトンは愛国者か裏切り者か?
それを知るのはKGBだけだということだ 。
アングルトンの疑惑はケネディ暗殺と同じく決して明らかになることはないだろう >>68
スパイ業務の一環でタクシー運転手の振りをしていただけじゃ? 昔から事務職だと言われてたはずだが、何を今更露見した、みたいなニュースを出すのか。
クリック稼ぎ目的の糞ニュース乙 エリツィン政権にはユダヤ系が多かった。
そのカウンターとして、ソビエト連邦崩壊後に国家資産をパクって成り上がった勢力が
旧ノーメンクラトゥーラの中の保守派(民族派)と結んで、プーチンを担いだ
…という理解でいいのか?
まぁ、だとしても何故プーチンなのか?という疑問は残るんだけどな
「神輿は軽くてパーがいい」とはよく言われるが、この人がそうとは思えない ランドパワー国家の指導者はとかく自身を神格化したがる。
多少の誇張を必ず入れて 結果としてトップに上り詰めてるんだから
それ自体が欺かれてるんじゃね?てなるだろ >>104
鶴田浩司は自称パイロットだったけどあいつ整備士じゃんというのを暴露されたが
自費で遺骨収集事業をやりだして何もいわれなくなった 実際の動きが把握されてないのは凄腕の証拠では?
派手な動き捕捉されてるのはどう考えても陽動だろ いや新人の頃はアイツお茶汲みだったんだぜwwwって一番ダセー先輩面されてもだな 「日本の議員でプロレスラーだが案外馬鹿にできん、茶でも出すフリで顔見ておけ」
的なのだったかもしれないのに >>112
プーチン「ポロニウム新茶の季節だが、一杯どうかね?」 諜報活動の殆どは新聞の精査と現地協力者から情報を買う事だし、本国のスパイが直接敵施設に侵入してどうこうとかリスク高すぎてやらんと思うよ >>1
これ前から言われてたけどな
KGBにいたからってみんなが凄腕のエージェントじゃない、凄腕じゃないエージェントもいるしそもそもエージェントじゃない職員もいっぱいいるって。 お茶くみやりながら毒を盛るテクニックが身についたんだろう >>112
プーチン「飲めよ。なんなら湯呑みを交換してもいいぞ」 最終階級(中佐(警察だと警視))からすると部長~課長職だろ >>104
つうても中曽根は本来内務省の文官だから短期現役で主計士官は妥当。
で、しっかり最前線で戦闘に巻き込まれて部下の戦死を見届けてるし、結局終戦まで短期現役の2年超えて現役だったから
そこは思想の右左関係なく敬意を払うべきとこだと思うけどね。 すごい奴って大抵最初はそこからのし上がっていくんだよ
エリート街道驀進する奴とは違う 結局の所、プーチンの力の源泉は何なんだい?
博識な人よ、教えてけろ 入れる時点でエリートだろ
お前らなんかロシアに生まれてたら底辺労働者にしかなれず50ぐらいでアル中で死亡だわ 1983年5月、アンドロポフ時代のソビエト連邦で、まだ無名であったミハエル・ゴルバチョフは政治局員としてカナダを訪問した。
彼は「たまたま」入ったカナダのレストランで、カナダに亡命していたウクライナ独立運動の闘士アレクサンドル・ヤコブレフに出会い、親友となる。
この「偶然の出会い」は、ウクライナ・マフィアが「周到に準備」したものであった。
ヤコブレフは後にゴルバチョフ政権の首席顧問として、グラスノスチ・ペレストロイカの「発案者」となるのであった。 プロ野球球団の用具係りが実は出世コースていうのと同じか? 本当に有能なスパイなら取るに足りない無能に見せかけて印象に残らない様に活動するからな。
スパイ時代の実績が他国に判る情報がこれだと裏は相当凄いかもね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています