倭国大乱が鎮圧され卑弥呼が倭王に即位した頃、成務天皇は何をしていたの? [828293379]
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近畿の銅鐸、ルーツは九州か? 弥生文化特徴づける青銅器めぐり議論
銅鐸(どうたく)の発祥は九州か――。近畿の弥生文化を特徴づけるこの青銅器の起源をめぐり、議論が動き出しそうな気配だ。大阪で昨秋あったシンポジウムでは、第一線の専門家が活発に意見を交換。銅鐸の成立は近畿だとしても、その前提となる条件は九州にそろっていたとの見解にまとまったかにみえる。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASR295QKTR29TIPE00Z.html >>2
ミスった
邪馬台国ってどう考えても九州よな 畿内は土木事業に勤しんでた。戦争?そんな愚かなことしてないよ。
天皇はいないよ。大王もいないよ。
開発で生まれた潤沢な食料とかを九州に売って、代価として得た銅とか
鉄を富として蓄積してたんよ(´・ω・`) ヤマタイ国が何処だったのかと聞かれれば答えは百花繚乱
ヤマトの国は何処だったのかと聞かれれば答えは一つ 銅鐸の起源になる小銅鐸やその鋳型は九州で多く発見されてるんだよね。
鋳型も出ていて初期型銅鐸は九州で作られたことは明らか。
しかし、学会は50年以上もこれを黙殺してきた歴史がある。
「九州の文化が本州に伝わって拡がった」は神武東遷の裏づけになる。
神武東遷は軍国主義だ。というのがその理由。 >>16
卑弥呼が生きてる時代に天皇はもういたんだ
卑弥呼か亡くなった後に出て来たのかと思ってた 経路を正確に辿ったら海上なんだろ?
誰も知らぬ間に沈んで今は海の底だろう 卑弥呼は猫だったという説があるね。
卑弥呼がいた時代に猫はいなかったわけだが中国にはいただろうから
ほんとに猫だったら中国から連れて来たんだろうけど。 卑弥呼の時代が終わった後暫くして機内の天皇の時代がきたんじゃないのかな 中国人はデカくて華美なものに目を奪われがちだから
交易で羽振りが良かった北九州の豪族を王と誤解してた可能性
国の統治権を持ってた王様(天皇)のが貧乏なんて歴史上ざらにある >>25
すまん。タチって検索しても分からんかった。
日本猫の起源。
飛鳥、奈良時代に中国から仏教経典を日本に運ぶ際船に積んだ経典を鼠がかじるので
その駆除のために猫も積み込まれた。そして経典を下したら用済みになった猫も日本に
置き去りにした。これが今日の猫の起源である。そうなんだ。猫は仏教の守護動物なのだ。 成務天皇は滋賀県大津市のあたりに王宮を構えていたと伝わる。
琵琶湖近辺は大型銅鐸の出土が多い。 卑弥呼と同じように、別の地方を治めていたんだろうな >>37
マジメで良い人ですね。
25はくだらない話なので忘れてくれ。 >>39
銅鐸って勢力違う気がしなくもないけどな
まあお上同士のつながりはあったんだろうが 正確な記録が残ってない遠い昔の話をして何が言いたいんだ? >>44
魏側と日本側の記録を比して推定するわけだろ
あの発掘等の考古学的アプローチ >>42
学会の主流は銅鐸の時期をかなり古く長く見てるよね。弥生時代に300年位の長期に
わたり生産されていたとする。
けど、出土状況からは初期型から50年位で終焉したと見るほうが合理的。神武記の
出雲の秘宝の話からは出雲で大量に出土したことと関連がある。要するに弥生末期から
古墳時代初期の50年位が生産・流通時期。
古代史の学者は共産党員よりも発言の自由がないんだよね 日本考古学(東大閥と京大閥)タブー中のタブーで触れたくない件
中国から見た邪馬台国
『日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた』
つまり、九州王朝と畿内王朝と西日本に2つの王朝があった 邪馬台国は九州だろう
ただの九州地方での騒乱
ただ実在性が高い仁徳天皇時代も被っているので
そんな僅かな期間に、九州の一政権が近畿に朝廷を立てることも難しく
九州説なら邪馬台国は大和朝廷というのはあり得ない >>11
邪馬台国=ヤマタノオロチ
スサノウに退治された
後に出雲を叩いて復活
後の大和である 半島から九州に渡って来た人たちが東征して大和の王となったのは歴史的事実だし >>50
それだと記記にそれらしい抗争が残るんじゃね? >>50
何この真っ赤な嘘説
信じてるバカいんの? なんかこのあたりの時代の日本、倭ってすんごい遅れていて弱そうなイメージあるけど漢の時代には金印貰ってるしそれなり強い勢力だと思う。
倭人伝に書かれている戸数が過大、人口多すぎる、って言われているけどわりと本当だったりしてな。 >>57
強くはないぞ、そもそも色んな民族がまだ日本列島にたくさんいた時代だし
中国に認めてもらわないと行けないレベルの時代や
秀吉の平定以後のが強い 最初に日本列島に来た勢力が米作りと銅鐸文化を広めていった
後から来た勢力が征服戦争を繰り返して銅鐸を鏡に置き換えていった
それがヤマト王権につながる さもそもシナのファンタジーに書いてあるだけで邪馬台国などというものは存在しなかった >>55
倭国と日本国の使者が隋の前でやり合ってるわけで(´・ω・`)
国力的に倭国<<日本国なんで、倭国はそのうち併合されちゃうけど。
日本国の歴史浅いから倭国の歴史で埋めるために倭国の存在が消える。 >>41
貴殿もきちっとレス返してくれるよい人だと思いました。 >>37
日本猫って中国出身なの??
日本で独自に進化したのが日本ネコ? 卑弥呼居ないから
魏志倭人伝は倭の使者と会ったこともない
と断り書きが付いてて
魏の文官が盛りに盛った
ほぼ作り話 卑弥呼って独身だったらしいが性欲処理はどうしてたんだろ?
一人だけ身辺の世話をする男がいてそいつだけが顔を見れたみたいな記事を読んだことがあるが、それが愛人みたいなもんだったのか? >>49
自由に発言できたら畿内説とかとっくに消えてそう ジャップの男って卑弥呼を綾瀬はるかか広瀬すずか新垣結衣か北川景子かそれぞれの理想の美人を勝手にイメージしてるからこういう論争に熱を上げてるんだよなあ
霊長類最強女子だったかもしれんのに >>69
マキムクは宗教じみてるよね。
三角縁神獣鏡の舶載説とか羞恥心を捨てたストリーキングだよ。 祭祀関係は吉備をはじめ西側で先に発祥したものを受け継いでいるヤマト王権は畿内で発祥したと言えるのだろうか? >>65
分からなければそれでいいよ(´・ω・`)
大和朝廷が九州発祥か半島の任那の地域発祥かは
よく分からん。邪馬台国は滅びた国でしかないから
あんま関係はなさそう。 >>60
いちいち銅鐸壊して埋めてる説とかあったよな まだ朝鮮人酋長家はチョン半島にいた
古事記や日本書紀は勝者の歴史書だからな ・漢倭那国王の金印が福岡志賀島から出た
・魏志倭人伝に出てくる地名に出てくる地名が北部九州ばかり
・魏文帝(曹操)の墓の埋葬品と非常に似た鉄鏡が日田から出てきた
中国の歴史書として最初に出てくる日本の王朝が、
天祐を保有し万世一系の皇祖を践める天皇に連なる必要があったのは、時代の要請があっのだと理解できるが
令和になっても頑なに邪馬台国が近畿にあったと主張するのは、もう害悪でしかないだろ? 曹操の墓の発掘担当が認めちゃったからな
ただ、半島の子孫に物的証拠は通用しない
これは昔から 卑弥呼さまはきっとガード甘い巨乳美女でチラリズム巫女服を着ていたに違いない 考古学的に 継体天皇以後は、大規模な日本統一の動きは無かったから
少なくとも、それ以前に九州なども傘下にする政権は建ってた可能性が高いし
ヤマトタケルの東征西征が史実どおりとは言わないでも
ある程度その時期の日本統一の動きを示しているんだろう >>85
新井って韓国人が好む姓だよ
新井浩文ってご存知ない? まずね、鉄の刀を振り回して人を殺す文化は倭国にはなかった
ここまでは理解できるかな? そこは結構重要で、鉄を倭国に持ち込んだのは誰か
そもそも邪馬台国に鉄の兵器はあったのか
ここ試験に出すぞー >>93
中国と交流してれば手に入るのも自然じゃないの? ん〜いい質問ですねー
大乱で内戦状態の国内で
奈良盆地から中国までわずか数年間で
9回以上無事に往復で渡航出来る確率はどうでしょうか はいそこで空白の4世紀ですよ
2,600年の歴史があるはずなのに
100年間だけスッポリ日報が抜け落ちる意味とは
そういえば韓国の歴史書、吾妻鏡でもたしか似たような出来事がありましたね 教科書に畿内と書かれているから
それ以外はあり得ないんです
とyoutubeで言ってるひとがいた
実際その通りだと思う
異論を唱える人はよほどの変人か
頭の悪い人という評価になる
まっとうな社会人ならそう思うはず
しかしわたしにはどうしても
九州にしか思えないわ 日本に歴史書なんてありませんよ
韓国人の書いたライトノベルを見事に論破してくれたのが
父なる中国の魏志倭人伝です
これがないと外国人が創作した嘘の歴史に騙されたままでした 普通に考えて九州の方が中国から近いんだし交流しやすいよね >>68
建前では独身だっただけで実はやりまくりで隠し子も居た可能性もあるんじゃない?
卑弥呼の後継のトヨは親戚とか言われてるけど実は卑弥呼の実の娘だったりして 海のない奈良県に造船技術があったと思うのは結構いかれてますね 志賀島で見つかった金印は近代に作られた偽物だとかケチ付けられてるけど実は本物なんでしょ?
機内説の学者に贋作認定されたとか >>107
カリスマ性がしっかりと受け継がれている >>3
~よなって九州弁?
ちょっとホモっぽくない? まず邪馬台国の存在を認めると不都合な人々が大多数います
機内説は苦し紛れ
味噌と糞を一緒にしたいのです >>111
古代では兄弟姉妹で結婚なんてのも普通だしそんなトンデモ説じゃないよ
ヨーロッパだって中世でもまだ近親婚繰り返してたし
ハプスブルグの顎は有名だよね >>104
船なくてどうやって全国の土器運んだの? 崇神天皇が初代天皇と考えられている
だから日本書紀では古代の天皇の寿命はとても長い人が多い
崇神天皇は3世紀後半の人物だからその子孫の成務天皇と
3世紀前半の卑弥呼とは関りがない >>105
中国の金印の研究が進んで、書体が漢の時代というのと、上に乗ってる動物が蛇であることが分かった。
そして蛇は南方に住んでる異民族に与えられる。古代中国では呉越の沖合南方に倭国があると思われていたから。
魏志倭人伝では、位置が合わないから、更に南に移動するのはそのため >>81
奈良は卑弥呼の時代、九州の時代が終わってから台頭してきた勢力なんじゃないかと
かといって別に九州と畿内が戦争したわけでもなく自然に九州は何らかの要因で弱まっていって頭角表してきたのが畿内で天皇が現れると >>55
ヤマトタケルの熊襲征伐がそれだろ
畿内勢力が九州勢力を滅ぼした 天皇のこと御子?神子?(みこ)
と呼んでいたので
他国を常に貶める中国が卑を頭に付けただけじゃね?って思ってる
場所はどこでもいいわw 邪馬台国が機内ってことにしないと天皇制が終わるとでも思ってるのかね機内説派は
そんなこたぁない 歴史書を焼き尽くして大化の改新以降の新しい歴史しか文書では残ってない時点で、日本の歴史は大化の改新以前のものは不明としか言いようがない なんか5chやyoutubeとかで近畿だって主張している人めっちゃ少なくね?
学問の世界ではどーかしらんけど。 金印偽物説の根拠として発見者の農民の名前が住民台帳に載ってなかったし実在が怪しいとされてるけど
実際の発見の経緯は事情があって隠されてるんだろうな
発見の経緯は捏造だけど金印は本物だと思う >>127
学会では近畿だろうってなってるから近畿派は反論する側ではないからではないかな 話をまとめると
・邪馬台国は九州北部の地方豪族
・玄関口としての地理的な優位さからたまたま代表に見えていた
・三国時代の魏にとっても海を隔てた相手の実際の規模はどうでもよかった
・敵国の呉への圧力として使えるため邪馬台国はもっと南方にあると思わせそれが記録され伝わり魏志倭人伝の記述にもなっている
・一方で後の天皇家にあたる大和政権は畿内を中心に別途あった
・ただし後の倭の五王の時代となるまで地理的に隔てているため中国側の記録に出てこなかった >>122
熊襲はほんと南半分だけ。九州は南北で全く違う。平野が多い福岡は瀬戸内海から関西にかけての西日本風な顔つきが多く、山岳地帯が多い熊本南部と鹿児島は急に濃くなる。 筑紫の磐井の乱とかあったから、筑紫が大和時代になってからも一定の勢力を持ってたのは事実でしょ。 >>134
地理的に玄関口だからあの時だけ行き来の妨害ができたのは記録にあるように事実でしょう
しかし地方豪族にすぎないからすぐに鎮圧されている >>114
だから何?
説にもならない妄想
お前は母親とやってろ 畿内説を本気で信じてる学者はいないよ。
やつらもそれほど馬鹿じゃない >>135
へー。その地方豪族のエリアに近畿よりも大量の鉄器が全国唯一見つかるのはなんでだろうねぇ〜 人口の計算したら親兄弟で子作りしてないとここまで増える訳がないんだが
進化論と同じで物的証拠が乏しいからあまり科学的な話ではないんすよね
ただハプスブルク家みたいな大貴族ほど政治的なしがらみで、身内と結婚せざるを得ない状況というのはある
卑弥呼と他部族の男が結婚したら争い終わらんから、弟が形式上夫になるのは全然あると思う
世界中の神話を見ても神性が高い連中は大体近親婚してる
神話にあやかって近親婚して神性さをアピールする狙いもあるかも知らん >>56
>>65
邪馬台国は大和朝廷に併合されたってことじゃないの? >>139
単なる地理的な要因
いずれにせよ敗北して滅びた ヤマト王権ってのはそもそも連合政権だからさぁ併合というか
中の人なのか外の人なのか
無くなって消えたのか母体となったのか 夫はいないとあるのに弟が形式上夫とか妄想でしかないな 弥生人と古墳時代の人とは遺伝的に別系統じゃなかったっけ
現代日本人は古墳:弥生:縄文で6:3:1ぐらいの割合だと思ったが
邪馬台国は弥生系でっしゃろ >>120
大陸のどっかで近年出土した金印と
共通性があったとかどっかで見た 金印は成務の前代である景行天皇の時代だな
景行は九州に行ってるので実在すれば奴国の動向も知ってたはずだが
奴国の金印については記録されてないな
日本書紀編纂した人間が金印が土に埋められているなんて想像もつかず
中国の記録に合わせて書く必要もないと判断したんだろうな
未来で本物の金印が発見されるなんて想像つかんわなw >>147
景行天皇は熊襲征伐で九州に7年間の長期滞在していて様々な説話を残しているし
途中で周防の逆らった首長征伐や豊後の土蜘蛛征伐などもしていて
色んな地名の名付けや滞在中に媛を娶ったりもしている
大和政権による九州吸収を実際に描写しているのではないだろうか そんな狭い小さな国の話をしてもなあ
奴国の勢力範囲は福岡県の西の端っこだけじゃん 周王朝の遺跡から似たようなの大量に出てるから
周から来たんだろ >>138
令和になっても皇族の他に日本に王しかも女王が居たなんてタブーなんだろうかね ウリナラファンタジー最大の敵が邪馬台国と「女王」卑弥呼 >>44
文献記録と出土品の年代測定で文献の裏付けや年代の修正をして
最終的には何もない遺跡の上で目を閉じて思いをはせるのが考古学だよ >>157
悲しいかな
この時代の出土品からは文字による情報がないよね
5世紀ぐらいになると漢文刻んでたりするけど 卑彌呼は九州地方の女王
倭国全体を治めていたのが成務天皇 >>36
倭国大乱の混乱で駅前の一等地を渡来人に占拠されてしまったんやな… 日本人が大和国と言ったのを中国人にはヤマトゥィ国と聞こえて勘違いしただけだろ 影武者徳川家康みたいに
文献上の記録を踏まえたうえで実は史実通りではなかったという遊び心を楽しむのは大事なことだよな
それを本気で信じてしまうと司馬史観になってしまうけどwww
まぁそれでも邪馬台国は九州だろうなって思う この時代に西日本全体を文化的政治的にリードするような遺跡は大和にない
各地方が糾合して明治維新のような事が起こった、みたいな妄想でもしないかぎり大和説なんか成立せんよ >>165
もう地元民は邪馬台国であることを諦めてて「纏向学」とか言い始めてるよ >>166
少なくともほぼ同年代における畿内の大集落だよね 葬祭の儀式や様式は保守的に守られ時代に翻弄されず受け継がれるもの。
墓様式、銅鐸、銅剣などの共通点探れば
民族文化圏が判る。 >>167
ただそれだけの事でしかないのにこじつけてるから笑われるんだよな
でも集落ではなさそうだよ >>169
都と呼べるほどの規模だろ
東西約2km・南北約1.5km >>143
それな。宗主国というのは時代によって変わっていたのかもしれない。
ある時はAあるときはBというように。
その末裔が葛城氏や紀氏なんかの有力豪族なのだろう。
記紀の皇統も時代時代の代表者の変遷なのかもしれん。実際の血脈はキンメイ天皇以後の可能性もある。
女王国というのも風土記なんかを見るとそんなに珍しい形態でもないし。中華の人には珍しかったのかもしれないが。 古代の天皇陵を詳しく発掘すれば一発なんだろうけど宮内庁が許さないからね
不都合な真実が暴かれれば天皇制や宮内庁が存続危機に陥りアカが暴走するだろうから >>171
中国はあれだけ長い皇帝の歴史があるのに武則天しか女帝居ないもんね >>172
自分の墓が掘り返されたりしたら嫌だろう。 >>170
祭祀遺跡だと言われてて、集落ではないよ
それと、
それが都と呼べる規模だったとして
それがイコール邪馬台国の都とは言えない
逆に言うと、当時の最大規模の都ならなおさら邪馬台国ではない
邪馬台国は周辺国と国家連合を形成していて、魏志倭人伝の頃にその国家連合の王になってるだけなんだよ
周辺国と比較して圧倒的に国力がある国なら共立してもらわなくてもいいし
中途半端に頭一つ飛びぬけてる程度だと逆に共立してくれない
だから、纏向は邪馬台国ではない >>174
しかも女王という存在があまり良く書かれてないしね。 >>176
マキムクは祭祀遺跡だろうけど、祭祀のみの施設であれだけの規模を維持できる国力を持つ集団は無視できないと思う。
国関係なく倭国連合の聖地だった可能性もあるなぁ。 >>178
>マキムクは祭祀遺跡だろうけど、
大集落だというレスに対して、それは違うという指摘をしてるだけなので
その部分をこれ以上話題を逸らしてまで続ける意味はない
纏向は集落ではなく祭祀遺跡な
これで終わりの話
>あれだけの規模を維持できる国力を持つ集団は無視できないと思う。
国力が大きい時点で邪馬台国ではないよ コメコメ言うけど、この時代の日本はコメしか作って無かったの?
コメより作り易いアワヒエが先に広まっていても良さそうなもんだけどな >>177
武則天の登場は悪く書かれた卑弥呼の呪い 当時の日本列島は何十って国があったらしいな
意外と当時の大倭国は帝国スタイルだったのかもな 纏向は中国の鏡を大量生産してんだよな
鏡は祭祀に使われたんだろうけどそれだけの鏡を製造してしかも埋葬するのは
なんとも強大な権力者たちの存在を感じる >>176
目的がなんにせよ
あれほどの規模の建築物があったたということは
国力にしても文化面にしても
西日本に相当の影響力があったことは否定しようがないやん >>184
影響力があるからこそ邪馬台国ではないんだよ
連合国家だからその連合の中でトップの国が王になる事は無い
他のナンバー2やナンバー3からのやっかみもある
その連合の中で箸にも棒にも引っかからないくらいの中くらいな国力の国だから
共立して王になるんだよ
国連事務総長がアメリカやロシアの人がならないのと同じ
EUの大統領がいつも中途半端なベルギーの人がなるのも同じ事
パワーバランスって奴だ >>184
で、文化面で影響力があった可能性はあるから
邪馬台国である可能性はあきらめて「纏向学」と言い始めてるんだよ >>185
つか
シャーマンじゃないと纏まらないあたり
まだまだ蛮族の時代だと思うわ 卑弥呼の上に各国の市の監視、徴税を司る大倭があったらしいよ
卑弥呼の国も大倭帝国の一員に過ぎないかもなあ >>187
蛮族でもパワーバランスの概念は理解できるし
それが理解できるから生き残れるんだよね >>189
パワーバランスじゃなくて
神秘性が必要だったってことじゃね?
巫女は神の代弁者みたいなもんだろ >>190
神秘性が必要なら、それこそ訳の分からんような中くらいの国の方が都合がいいわな
当時最大規模の纏向は邪馬台国ではないことがそこからも分かる >>176
それは変な思い込みだね
最大規模であっても
当時他をすべて圧倒するわけでも無いだろう
共立されたというのは十分あり得る >>192
>当時他をすべて圧倒するわけでも無いだろう
圧倒するほどの規模なら全てを支配下におけるじゃん
だから圧倒するほどの力はなかったと考えるのが妥当だよ
ここまではあってる
でも、
他を圧倒できない程度でその集団でトップの勢力なら
敵対する第2第3の勢力の支持は受けられない
対立する勢力と争わないためにも、対立側とも協力して無難な者を代表にするんだよ
国連事務総長が中途半端な国の人がなるのと同じ事 ぶっちゃけ邪馬台国遺跡はバブル乱開発時に潰されて残ってないと思ってる >>196
なんか出てきても見なかったことにするらしいからね
よく出るとこの建築会社は >>197
都が作られるのは利便性が良いとこだからなぁ >>194
それはすべて思い込みだね
2位3位とは友好的だったら?
あるいは他の勢力が1位に期待してたら?
当時の力関係で最大勢力が共立されたのは
十分あり得る話
1つに思い込むのは愚かよ
あと
邪馬台国だと断定するのは時期尚早だし
纏向学という名称は纏向なんだから当然 >>199
2位3位と友好的だったら大乱が起こらないよ
戦いに明け暮れてたから女王と立てて安定を求めたんだから >>200
妄想逞しい人だね
見てきたように語る人ほど
何も正しいことを言っていない典型だな >>202
あぁ、纏向が卑弥呼の墓だとか邪馬台国だっていう人の事だろ?
俺もそう思うわw >>3
考古学会の重鎮が奈良だって言ってるから忖度してるらしい
その人がなくなったら九州説になるってさ >>204
それよな
畿内説を主張する人が上の方にいるからそれに従ってるだけ見たい
そして畿内説の人はゴッドハンドの共犯だったしなwww >>131
徴税の都合上、人別は労働階級ほど必要以上に細かい。
ましてや九州はキリシタン改めの絡みでよそよりガチ。 >>172
歴史オタの天皇が出てきて俺も知りたいから掘れって言い出すまで無理だろうな >>212
魏志倭人伝に出てる邪馬台国凄い
凄い邪馬台国だから日本の国の祖先に違いない
というアホみたいな考えが基本だからwww >>198
出雲、伊勢、マキムク
1300年以上経過して未だに新幹線も通らない陸の孤島
ただ外国人が身を隠すには恰好の場所だった 卑弥呼ってけいこう天皇の頃じゃないの。魏から金印も黄色の旗貰ってもどーにもならなかったときにけいこう天皇の勢力がやってきてクマソ討伐してそのまま倭の主導権持ってかれたって妄想。 九州からの有力古代豪族がほとんどいないことから
九州北部の地方豪族に過ぎなかった邪馬台国は大和政権によって絶滅させられて歴史の中で消え去った敗者と思われる 魏は結局問題の解決にあまり役に立たなかった。実際クマソを鎮めたのは畿内勢力なんでしょ。
魏は恥を隠した。ほら歴史を語るときの便利なワード。都合が悪いから隠した。 >>79
和奴の国か・・
匈奴の奴と同じなんだろうね
奴国なんてなかった和いや矮奴の国があっただけ >>136
それにだから何って言ってる段階でアホだろ 中国人が上陸して一番最初に見た「クニっぽいもの」が卑弥呼率いる九州やったんやろ。しらんけど。 >>220
金印に値する勢力だと思ってるよ。
簡単にあげるもんじゃないし。
ちゃんと調べたうえで金印だと思うよ。 >>224
コロンブスによるアメリカ発見も本土には訪れていなくてバハマとキューバのみだった
魏からの使者も日本本土には訪れておらず九州の北部の端っこだけの可能性が高い 倭に金印を与えたのは、司馬氏の功績をより大きく偽装するため
政敵である曹真が大月氏を朝貢させるという功績を残したため
急遽、司馬氏側も功績を示す必要があった。
倭の規模など関係ない。魏の中の勢力争いにすぎない。 >>216
今は利便性いいの?
京都の後に遷都された? 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命(7代孝霊天皇皇女、兄弟に吉備津彦命(桃太郎のモチーフとなった人物))
台与=豊鍬入姫命(10代崇神天皇皇女、初代斎女と言われる人の一人)
って説が今一番勢いのある説なんだっけか
正しいかどうかはさておき >>66
そうです。
但し明治になってから西洋猫が多数入って来ました。
今日本にいる猫の殆どは西洋猫です。
キジ猫などは西洋猫です。日本猫は白、黒が多いです。
日本猫は足が短いとかの特徴があります。 >>228
人口増えると大きな水利を必要とするから奈良は使いにくくなったんじゃね >>231
でも纒向から飛鳥に藤原京に平城京と500年近く奈良だよね
もちろん一時的に難波や近江などあるけど長くメインは奈良だったよね >>227
へー具体的だね。そういうのもあんだ。
俺は普通にそういう規模の勢力だったと思うわ。倭王としてだしね。
金印をあげました、単純に考えればそういう勢力。これがしっくりくる。
ショボい勢力を大きな勢力に見せかけましたってのより良いと思うけどなぁ。金印貰ったことなんて周辺地域も知ることになるんじゃない?捏造バレるよ。別に通行無いわけじゃないし。 >>232
おそらく水運の発達じゃないかな
京都は大阪湾から淀川遡上できたし
大和川は狭いし
吉野川は激流すぎた? >>210
天皇が個人的にそう思っても多数の皇族や関係者を抱えてるわけでできないよな >>204
その人何歳でいつぐらいに居なくなるんだろうな >>203
断定的にしか書かない君のことだよ
モチロン纏向が邪馬台国の可能性はある
けっこう高いんじゃ無いかな? 吉野ヶ里遺跡が魏志倭人伝の邪馬台国の描写と酷似
ここから鉄が畿内の100倍発掘された
三雲遺跡からその国の王と思われる男女の骨が発見された
これ卑弥呼と弟の可能性高くない? >>234
大和川広いけど大阪府奈良県境の崩れたところだけ狭い
そして大阪側は河内湖に奈良県側も湖があったようで府県境が今より広くて使えたのかも >>243
淀川と比して利便性で劣るわな
奈良の方が防衛では有利だけど
人口増えたら平時の輸送優先になるわな >>244
でも百済の血が初めて入った桓武天皇になるまで
500年間で人口が増えても奈良のままだったよ
そして移した先の京都盆地は奈良盆地より狭い >>245
京都と奈良だと
京都の方が寒そうだよな
実際どっちが寒いんだろ? >>245
飛鳥浄御原宮→藤原京→平城京→恭仁京→難波京→紫香楽京→平城京
難波都になったのはやはり水運の発達が関係してんじゃない?
でも防衛的に不利なので京都に落ち着いた
滋賀は不便すぎ 「現代」の教育方針や歴史観、倫理観はどうでもいいから古墳を発掘させろ 衰退した日本に護るもんなんかもうないんだから本当の歴史を知っておきたい >>250
当時の難波は上町台地だけのメチャクチャ狭い範囲だよ
大阪湾と河内湖に挟まれて水運はいいけど後背地もない
当時の全国各地の平野はまだ海か沼か洪水地だから防御の点も含めて奈良盆地と京都盆地は大正解 >>252
つってもやはり水運の要だったみたいね
まあ防衛水運折衷案で京都に落ち着いたのは正解か
奈良は結局、物流で不便 >>246
それは見積もり次第
とにかく
君のように思い込みだけで断定する低レベルな者の言うことは大凡間違いだな >>254
邪馬台国スレで散々やってきた後だからね
いくら説明しても聞く気のない畿内説の人を相手にし続けてたのだから
断定調に決めつけてる方がいいんだよ
あたかもこのスレで初めて議論してるように装ってるけど
君も邪馬台国スレは初めてじゃないんだろ?
知らんけどw >>172
調査しようとしたら半島起源の証拠ばかり出てきてあわてて中止した >>257
妄想たくましいね
具体的にどんなものがお前の脳味噌では半島起源(笑)の証拠物なん? >>258
昔の考古学者ならみんな知ってる話ですな
天皇が人間宣言した後でも頑なに調査させない >>257
それ、朝鮮半島で出てきた前方後円墳の話のパクリじゃんwww >>256
何の話?
纏向遺跡が邪馬台国である可能性はある
けっこう高いんじゃ無いかな?
これだけだよ
君は断定しかしない下らない人間で
この手の議論には害のある人間だね >>261
纏向が邪馬台国の可能性は低い
これだよ >>256
ああそうか
オレにはお前が邪馬台国スレが初めてでは無いと見抜く力があると言いたかったのか
下らないな 天皇陵に比定されてるような有名な古墳は盗掘しつくされた後だろうから
ずばり特定出来るような物ってなかなか見付からないかもよ
中国の元号が書かれた鋳物の欠片とか見付かったら凄いけど >>264
その見積もりで可能性は低くなってるんだよ >>259
なら出典を
どの陵をどの天皇のものと発掘して何が出てきたというのか?
朝鮮を起源とする出土品て具体的に何? >>266
君の見積もりってだけ
倭国第一の遺跡なのだから
可能性は大いにあるね >>267
しおもな
常連かそうで無いかも分からないらしいが
それが何か大切だと思い込んでいるらしいことはよく分かった 今のところ九州説の説得力はかなり弱まっている
何か新しい遺跡でも出ないと難しいだろうな 畿内の確率はかなり高いよ
0,3%くらいはあるだろう >>231
日本海側との水利の利便性じゃないかな。 >>273
日本海側と京都盆地に水利なんかあったけ? >>275
日本海と琵琶湖は繋がってないやん
大阪湾と京都盆地は直結やけど >>276
確か敦賀や若狭で荷卸して琵琶湖まで陸路で運びそこから京や大坂まで船で運んでいたはず
上杉謙信がこれで越後の青苧を売って大儲けしていた >>277
だから主たる水運にはならんわな
大阪湾は瀬戸内使えるのも大きい
当時の航海技術では日本海も太平洋も厳しい
内海のある西日本が栄えるのも当然なわけで >>276
うーんとね、船と陸のリレーでの交通も重要なんだよ。琵琶湖はツルガや東海への交通の分岐点だし、山陰から丹波京都に至る川沿いの交通路も古い歴史がある。 >>278
厳しい?
簡単ではないだろうけど、当時は道の整備もされてない、殆ど獣道みたいな道だぞ。水路の方が安全だと思わないか?人が持てる荷物なんて丸木舟一艘にも劣るしね。だから陸路はなるべく短いほうが整備や管理も行き届く。
海岸など水際に遺跡が多いのもこのため。 >>280
そら時代が下れば船も良くなって外洋沿岸もいけるやろ
でも飛鳥時代やろ?
大陸に渡るのに大船で対馬経由でもヤバかった時代やん >>280
16世紀のパナマ地峡がまさにそんな陸送と海運の併用で
ペルーの資源をせっせとスペインに運んでたわけで、
技術が未発達だからこその力技ってあるわけよ >>165
纏向は確かに卑弥呼近親の遺跡だと思うが
卑弥呼のではないんだろ?ルーツとしては否定しないけど
福岡(九州)→近畿の流れが有ったのが確かならそれでいい 岡山にすごい遺跡がけっこうあるが、あれは九州から大和への東遷の名残りかね 邪馬台国=九州説はほぼ妥当
邪馬台国=大和朝廷説がトンデモなだけで 我々の日本を作った勢力はヤマト政権であって
邪馬台国は風習も異なる九州北部の地方豪族で滅亡した 普通に考えて奈良のあの地形で大勢力は無理だろう
どこで米つくんのよ 邪馬台国は倭人の国であり、倭人とは海洋民族、古代綿津見と呼ばれた人々の国だった
大和王権は、彼らの崇めたアマテル神を皇祖と騙ったことでその統治権を奪ったのである
歴代の天皇が明治に至るまで誰一人として伊勢を参拝しなかった事実はそれを裏付けた
ものであった
古代中国から倭と蔑まれた人々を大和王権もまた徹底的に蔑んだ
綿津見は海神であったが海童小童へと矮小化されていった
豊富な砂鉄場であった砂浜を奪われ、山奥や河へ追いやられたのである
河に住んだワダツミは河童と呼ばれ、山に住んだワダツミは山童ー天童ー天狗と呼ばれた
謎の一族とされる秦氏とは倭人の総称ではなかったろうか
稲荷、八幡、白山など日本全国にある神社の尽くが秦氏によるものである
大和王権に産鉄地を奪われ各地へ散った綿津見達の歴史が各地の神社に見えるのである >>5
国史には富士山も出てこない
書きたいものだけ書いてるから >>287
大勢力ったって現代を基準にしてないだろうな?
十分米は作れてるよ >>289
>アマテル神
とか言うってのは古田フォロワーかね >>290
史書には不用だったんだろうね
それは風土記に任せたのかも 大和が政治の中心の(ように見える)古墳時代をあの手この手を使って遡らせても三世紀後半がやっとじゃないか
卑弥呼が共立されたのは二世紀末
その時代は大和は列島の盟主でもなんでもない
して考えると大和説の根拠ってなんだっけ? >>288
マジレスすると思想的な縛りだよ。
戦後の歴史学会は現在に至るまで極左支配が続いている。どの時代でも
マルクス主義と反皇国史観が最重要視されてる。
九州説を取ると九州にあった邪馬台国が畿内に遷都して大和王朝になる。
それは神武東遷であり皇国史観である故、絶対に認めてはならない。
そんな縛りがある。 北部九州に勢力が興り、東征してある場所に拠点を築く
みたいな波が何度かあったんだろうね
出雲や大和もその流れなんだろう >>298
京大の連中が困る
そもそも畿内説言い出したのも東大への対抗心からだし >>298
物語の根底が崩れてしまうw
人は北上するもんなんだな
先進国の首都の殆どが北に上がっていくのと似てる 博多には九州三大祭りの「どんたく」があるよな
「どんたく」の名前の由来は銅鐸でしょが?
オランダ語の「ドンターク(日曜日)」ではないと思うw 九州だったら邪馬台国より先は遠すぎて詳しく知ることができないなんてわざわざ書くかね? 天皇の顔見ると天皇はチョンから来た説を信じちゃうのもわかる
けど明治天皇は縄文顔だよね替え玉説もあるけど あのチョン顔は香淳皇后のせいだけどね
紀子もチョン顔 >>304
男系なんてN世代後には1/(2のN乗)に血が薄まっていく
例えば10世代後は1/1024になる
明治天皇も大正天皇も側室の子
昭和天皇は大正天皇の正妻(九条節子)の子だけど
その九条節子は側室(野間幾子)の子で庶民出身だから野間幾子の母親の名も祖父母の名も不明
つまり昭和天皇の母(九条節子)の母(野間幾子)の母は名前すら不明のガチ庶民
父の名前は野間頼興と判明してるけど祖父の名前は不明
今の上皇も天皇も民間出身と結婚
だから皇族の顔なんか見ても祖先が縄文系か渡来系かわかるはずない そうなのに、1200年前の天皇の妻が百済系の5世だ!だから天皇は韓国系だ!とな喚く変な人たちがいるから困ったもの。
百済系5世とか言う時点で、ほぼ日本人だし。 >>231
あのね
奈良盆地は古代には
海
だったの
瀬戸内海の交流航路行き着くのが
大和
だから
こんぴらさん(琴平山)と三輪神社(三輪山)に同じ大物主神が祀られてる
瀬戸内海交流航路を守る海神 >>311
「地形」として残されてるだけやん
大阪湾との水運があったわけじゃなくね 邪馬台国は今の大分辺りにあった
その後神武東遷で近畿に移動した >>315
推古天皇の時代に遣隋使をおくっているけど
隋書には男王で名はタラシヒコと書かれてるよ >>312
大和川が三輪山の麓に至る場所にあった
海石榴市(つばいち)が古代日本最大の交易市場だったのだよ
https://www.pref.nara.jp/item/145050.htm >>314
稲荷山鉄剣銘によれば雄略天皇(471年) どう考えても九州だろ
銅鐸だけに
なんつってな(爆 >>318
七世紀には奈良湖は干上がっていたから
大和王権の基盤が築かれた弥生時代には
まだ奈良湖は湖で水運交易も漁業も可能
唐古鍵遺跡出土遺物からもわかる >>321
大和川は狭くて不便
淀川に遠く及ばない
奈良盆地は防衛面で有利だけど大きな人口を抱えるには向かなかった 当時は1万人いれば都市だし数万人いれば大都市
奈良盆地でも食料生産は余裕すぎる
水運が必須となるのは大量の物資の行き来が必要となる後世の時代の話
この時代に水運は必須ではない >>319
21代目か
それでも1500年以上前なんだから
天皇家の歴史すごすぎ だから時代とともにより水運に便利な場所に遷都された >>325
記紀を作った時に伝説のワカタケ大王を皇祖に取り込んだだけかも知れないため完全には不明としか言いようがない
つまり豪族間の持ち回り大王や大王系統が交代している可能性はある
ただし考古学的に大戦争はないためヤマト政権という大きな流れは纒向から継続しているのだろう
一方で邪馬台国が九州北部の地方政権だった場合はヤマト政権と無関係で滅亡した可能性がある どうみても銅鐸で祭祀やってた文化を剣と勾玉、鏡でやってた集団が征服してるよね。 「天皇」って海外を意識した位だから
最初に使い始めたのは天智天皇
それまでは大王
便宜上、天皇使ってるけどそもそも諡 朝鮮半島から渡って来た人たちに女王の発想はなかったんだろうね >>327
稲荷山鉄剣の出土した関東は
鹿島、香取の両神宮はあるし
前方後円墳も多い
常陸国風土記でのヤマトタケル伝承や
ヤマトタケル創建とする神社の多さから見ても
大和王権との繋がりが古くから強かったのは確か >>333
そこは一切否定していない
一系統の大王家があったかどうかわからないという話
大王家が別系統に一度もしくは何度も変わったり豪族間の持ち回り大王制だったり様々な可能性がありうる
大枠のヤマト政権の継続性は纒向から一貫していると見ていいだろう 煽り抜きだが、紀元前って関東地方はまだドングリ拾って食べてる人しか居なかったのでは? 魏志倭人伝が書かれた頃「邪馬台国」「卑弥呼」をどう発音していたのかな?
どうせ漢字は同音の当て字で蛮族の名称は侮蔑していたんだから 伊勢遺跡もすごいよね。巻向の前。
あれも連合体って感じだよね >>336
卑弥呼は、ピメカとからしいな
といっても名前じゃなくて、大王とか役職名だろうけどな
3世紀の中国人がどう発音したのかが問題なのに
ヒメミコとか言ってる奴って笑えるよねw それよりも漢字でもひらがなでもない
「ヤマト」は韓国ではどういう意味を持つのだろうか >>340
伊藤博文著『皇室典範義解』第三十一条解説は「・・・上古に考うるに皇子は『みこ』と称え、皇女は『ひめみこ』と称う」と指摘している 伊藤博文著『皇室典範義解』現代語訳 参照 >>340
当時の中国も現在と同じように発音は地域でバラバラ
今より北方は多様だったから発音は多様
だから推定発音すら多数の説がある
さらに加えて当時の日本語の発音が重要
「ひ」なんて音はなく「ぴ」だったし >>345
>定発音すら多数の説がある
ああ、説があるのは解るよ。
>「ひ」なんて音はなく「ぴ」だったし
だから、一説に”ピメカ”があるっていってるんだけど >>344
邪馬台国も卑弥呼も漢字
まだ三世紀
五世紀、六世紀のヤマトは
ハングルみたいなカタカナ表記
これ実は深い意味があるんです 親魏倭王の金印は今も無事にどこかに眠ってるんだろうか?
それが見つかればな
まあ埋まってる場所に邪馬台国があったとは限らないけどさ
盗掘やら何やらで移動されたりあるだろうから >>348
卑弥呼の後継のトヨも朝貢を続けてたから
国号が晋に変わって、”親魏倭王”印は返還を求められたはず
日本で見つかるなら”晋”の国号が入ったものだろう >>343
古事記では孝霊天皇以後「この天皇の御子等あわせて八柱。男王(ひこみこ)五、女王(ひめみこ)三」のように記した例が多く見られる。 >>354
日本側がヒメミコと呼ぶのに当てた字かもしれない >>356
その可能性は、極めて低い
日本人の発音を元に3世紀の中国人が漢字を当てたと
考えるのが普通 >>357
いや、そういう意味なんだが?>>356 >>360
卑ヒ→音読み
弥ミ→音読み
呼コ→音読み 日本語難しいかな
もう一度言うね
ちゅうごくごのくんよみにあてじとかしないんだよぱくさん >>362
ヒメミコ
↓
ヒミコに聞こえる
↓
卑弥呼を当て字 >>363
記述内の他の人物の名前は役職名ではなさそうだけど
なでヒミコだけは皇女という役職名なのかな?
その時点で嘘っぽい >>364
誰でも思い付くポピュラー説
少なくとも
音訓の違いぐらい理解できたか?w 発祥は中国で九州に伝わったかもしれんがバカでかいやつは中国も九州も関係ねえ >>368
どうかな
現代でも天皇の実名は呼ばないだろ
おそらく海外でも そもそも邪馬台国以外にも連合国家や国があったかもしれなくて
たまたま魏の国に使い出したのが邪馬台国なだけかも知れないしなあ >>372
ヒメ、が中国側にはヒ
に聞こえた説
ヒメミコ→ヒミコ >>370
それは君の願望じゃん
ヒメミコと呼んでたはずだという結論ありきでそう考えてるだけだな >>374
いや
実際実名で呼ばれてないだろ
エリザベス女王も謁見時に実名では呼ばないようだし ていうか口頭だけでやり取りするわけないでしょ
9回以上会ってるわけだし
>>98
日本の歴史の教科書はたかだか20年のスケールでみても頻繁に書き変わってる
日本の歴史学のレベルが低すぎる >>376
日本側に文章扱う能力ないから大陸人に書かせてたんじゃねの
金印も実際に使ったかどうか 婆さん女王で弟が居て台与という後継が居た
卑弥呼が死ぬと奴婢100人と一緒に埋葬された
ここまでわかってるのに
まあ吉野ヶ里が色々一致しててやっぱ可能性高そう 銅鐸の原型は中国から来たが
九州では試作した型も残ってるが
あまり流行らず
中国地方から近畿地方で流行って
大型化し大量生産された。 前方後円墳も中国から来たが
中国でも九州でも主体部の直径は
30メートル程度だったが、
近畿では巨大化して100メートルを超え
最大では500メートル超えのものもできた。 当時の発音がpime-mikoだとして
アクセント先頭だとpim-mikoと聞こえていたもしくは発音していた可能性は十分ある
するとmm連結で向こうでpimiko卑弥呼となった可能性はありうる 銅鏡は中国では15センチから
大きくても25センチ程度だったが
九州糸島で46センチという巨大な鏡を試作した。
だが、工房の職人が暴走しただけで
以後に続けて作ることはなかった。
ちょっとした黒歴史である。 >>379
文字も使わない阿呆が9回も中国に渡航するのは無理でしょ
現代のナラ県民1万人集めて自力で中国に行かせようとしても
たったの1回も無理だと思う >>387
当時、朝貢してくる周辺国なんて
そんなとこばっかやろ 蛙の骨、桃の種、木製の鞘
これだけの物的証拠が出たので、邪馬台国は奈良だと断言できる
考古学は物的証拠が全てなのだよ
勝負あり(´・ω・`)
悔しいなら、九州説の学者たちよ、柿の種を探すんだ!(`・ω・´) 顔面くそデカい権力者が作らせたのかもしれんやろ!!! >>390
はぁー?桃の種でありがたがるなよジャンクぅ 結局、日本の歴史は大化の改新から始まったとするしかないんだよな
色んな文献や遺跡でハッキリわかる時代からスタートするとなると 卑弥呼は奴婢100人と殉葬されたとある
その奴婢100人って生き埋めだったのか殺されてから埋められたのかどっちなんだろう
どこに埋まってるのかな… >>397
日本書紀によると卑弥呼とほぼ前後する垂仁天皇の時に
それまでは古墳に一緒に供や世話係などが殉死して埋められていた風習を改めて
今後は代わりに埴輪とする話が出てくる >>398
何日経っても死なずあまりに酷いから止めたとあったね
やっぱ卑弥呼の時も生き埋めだったと考える方が自然か
違うと思いたいけどね まあ卑弥呼はヒミコの音写で
ヒミコはヒノミコとかヒメミコとかの略だろうというのが信憑性高いが決め手は無いよな
同様に臺與・壹與もトヨの音写であろうが
名前の一部のような気はするもののこちらも決め手に欠けるな
邪馬臺・邪馬壹もヤマトの音写であろうが
後の大和国なのかどうか議論百出だな
日本側の用字で倭→和はありそうだが >>393
それは結構重要な考え方
天皇の存在と日本書紀が偽書であることの
明らかな証明になる 偽書も全てがウソだとさすがにバレる
時折り本当の出来事を混ぜつつ
重要な真実は焚書で消しさり
肝心な部分にウソを被せる
こうやって倭国の真の歴史を改ざんし改めたのが
大化の改新
天皇を中心とした国のねつ造のはじまり 研究者も史書に誇張や誤りが含まれることは認めつつも
全否定することはないわな 全否定すりゃ手がかりすらなくなる
何らかの意味があっての記述ととらえて初めて考察が始まる 本当は「遠い時代のことは詳しくはわからない、間違ってるかも知れない」と書くべきだったんだよな
7世紀の大和の人たちが「天皇はこの国を作り、そして最初から支配していた神である」という
統治の正当性と神聖さをこしらえる狙いで信じがたい物語を歴史にしてしまったから
捏造した話がないまぜにされて、それが後世で大変な日本の敗戦にまでつながってしまった 明治政府にも大きな原因がある
露骨に嘘をつき過ぎてそれが大正、昭和期の誤った歴史認識を生んでしまった
仁徳天皇陵、厩戸王、乙己の変、鎌倉開幕、肖像画
昭和から令和のわずか数十年の間にも
過去の歴史が何故かコロコロ変わる >>402 >>410
そーゆー左巻きの妄想で記紀をないがしろにしたから
戦後の考古学は騎馬民族だの東日流外三郡誌だの竹内文書だの妄想が横行して
後退とオカルト化したあげくだだ遅れしたんだよ 開国ってつまり、日本が西洋を真似て文化や仕組みを取り込んで、
疑似一神教状態になってた時代ってことなん >>413
それやんなきゃ
清朝みたいに切り取られて内戦
ポーランドみたいに分割
そーゆー時代 長州の豆鉄砲が海に届かなくて
黒船ね大砲で腹こわして
尊王攘夷から倒幕開国に寝返ったからな
小早川の時みたいに >>341
質問の意味が分からんけど、万葉仮名って知ってる? 万葉集、日本書紀、古事記は韓国人の編纂だから
漢字もひらがなも当てはまらなくて耳コピしたんでしょ
知ってるよそれくらい
倭国はその何百年も前からあったからヤマトとは無関係だけど >>418
>万葉集、日本書紀、古事記は韓国人の編纂だから
これって
藤村由加の人麻呂の暗号アタリから来た与太話よな
徹底的に批判されてる
たとえばこれ
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840329 >>21
つーか、卑弥呼さまは中国人の呼称であって、
日本名は〇〇皇后さまだろ 卑弥呼や卑弥弓呼あたりはそのまま人名とは思えんよな >>419
今の万葉集の読みは
江戸時代に賀茂真淵が付けたものなんだが
何故かその手の本では
その江戸時代の読みを古代朝鮮語で読んでいるんだよね >>410
縄文時代も昔と比べるとかなり変わってるからなあ >>397
そんな風習日本にもあったのかね
中国の風習を使ってわかりやすく100人ならどれくらいの規模の王とか表現したのでは? >>424
日本にも殉葬はあったでしょ普通に
おそらく中国に倣ったんだろう
あんまり酷いから後から埴輪に代わったみたいだけど
100人っていうのは実数ではなく沢山のって意味らしい
実際100人より多いのか少ないのかはわからない 殉葬はホントにあったのは間違い無いだろうけど生き埋めなのか殺してから埋めたかでは大分違うよね
>>398の記述がホントであればまあ生き埋めだろうな 雄略天皇の近習である隼人が、昼夜、陵のそばで大声をあげて泣き続け、食物を与えても食べず、哀号しながら7日目に死に、役人は陵の北側に墓を作り、礼をもって葬った
とあるが、これは騙りであろう
隼人は雄略天皇の死に際し、当然無理矢理殉死させられたのであろう
食物を与えられることもなく、泣き叫びながら7日目に死んだことにされ葬られたという話を正当化するために脚色しているのである そもそも殉葬の記録がデマ。卑弥呼以前の時代に人間の代わりに人馬の埴輪を埋めたと日本書紀にあるが
馬は5世紀頃だし、埴輪を埋めてた時代でもない。完全に日本書紀の作り話。 記紀万葉集は偽書
これが理解出来ないと
古代の倭国の歴史は永遠に紐解けない >>428
埴輪の根拠が古い因習で殉葬があった証明じゃねの? >>24
ネコは1度稲作と同時に九州に伝来したが、何らかの原因で絶滅したらしい。 記紀は遺跡や物的証拠がないと信用するわけにいかない
大化の改新辺りは遺跡があるからあったんじゃないかと想像できるけど
それ以前はわかんねえな そーゆーことにしないと畿内押してた上がうるさいからね 韓国人の人は脇が甘いから
奈良でカモメの詩を読んでしまったりしている
後世にこういうのでアリバイが崩れる
貝塚すらないのにカモメ 当時の加萬目が現代の鴎と完全に一致してるとでも?
ヤマトタケルの白鳥になったって話も現代の白鳥だと思ってそう 尾張国造でもある尾張氏は古くから天皇家との繋がりが非常に深く
孝昭天皇の皇后の尾張世襲足媛は尾張奥津余曾の妹で孝安天皇の母親
崇神天皇の妃の尾張大海媛は八坂入媛命(=娘の八坂入媛命が景行天皇の皇后・成務天皇の母)の母親
日本武尊(ヤマトタケル)の妃の尾張宮簀媛は尾張乎止与命の娘で子供なしだが三種の神器の草薙剣で有名で名古屋の熱田神宮に草薙剣がある理由
継体天皇の妃の尾張目子媛は尾張草香の娘で安閑天皇と宣化天皇の母親
そして宣化天皇の娘の石姫皇女が欽明天皇の皇后となり敏達天皇を産んでいる
つまり現在の皇室はこれら尾張氏の子孫である 地理的に邪馬台国って九州な気がするんだけど
ほとんどの日本人は九州だと思ってるんじゃないの?
学者が変なことしかあってるとしか思えん >>440
じゃあ万葉集のカモメはカラスのことかな
ただそういうウリ奈良ファンタジーと倭国、奴国、邪馬台国は一切関係ないから >>425
それこそ日本書紀作ったときチャイナに習った創作
各地前方後円墳の発掘から埴輪は葬儀葬列の様子を再現したものであると言うのが定説
発掘されてる今城塚(継体天皇陵)でも
そもそも前方後円墳なんか全国に山ほどある
一々殉死なんかしてたら痕跡残るわ >>444
なにいってんだこいつ
お前は当時の言語がどういったものか理解すらしないで現代の言葉を当てはめて否定しただけだろ
歌がそのままの風景を読んだものとしか理解しない、
現代と同じ単語でしか古代の歌を解釈できない
お前の万葉集の解釈の方がよほどファンタジーじゃねえか >>445
日本書紀に殉死を禁じた令が載ってるから、それまではやってたんだろ >>448
その殉死から埴輪へ切り替えたと日本書紀に記述がある時期が
卑弥呼の時期と非常に近いことは注目すべき点かもしれない 魏志倭人伝の卑弥呼の殉死についてはどういう扱いなんだろう? >>439
奈良盆地に縄文時代の遺跡がないのは
それこそ湖だったからだよ
橿原神宮に縄文晩期の遺跡がある
ついでに言えば
鴎は意外と内陸水域にもいる
皇居の堀や利根川でも見かける 現代の単語が千年以上前にも全く同じものとして通用すると考える馬鹿
どこの馬鹿がこいつにそんな解釈教えたんだろうな >>456
さすがにその人にカモメが湖に現れることを理解させるのは難しいと思うよ
多分無理だろう
カモメは海にしかいないと一生思い続けて生きていくと思うよ >>457
そうすると卑弥呼が応神天皇を産んだということになる
卑弥呼の後継者は台与で女性なんだよね まあヒミコが当時の国の女帝を指す言葉という意味で、神功皇后がヒミコだったというのはアリだとは思ってるけど
魏志倭人伝の邪馬台国の卑弥呼では無いと思ってる 神功皇后は結婚してるし男子を産んでいるから卑弥呼とは別人だわな
三韓征伐をしたのであって隼人を倒したのではない
魏志倭人伝に記述されてる卑弥呼の存在を知って
古事記や日本書紀の神功皇后を卑弥呼になぞらえようとしたんだろうと思われる
時期も違うようだしな その卑弥呼のすぐ後の男王が誰なのかね弟なのかな?
もしくは連合国の他の小国のトップみたいな奴か
そもそも卑弥呼の弟も卑弥呼の世話しながら別の小国の王やってたとかいうのも見たな
台与13歳も卑弥呼の身内らしいってことしかわからないし中途半端に情報残してくれたもんだな 卑弥呼と同時代に奈良の纒向遺跡があるけど、崇神天皇垂仁天皇の都で邪馬台国とは別物なんじゃないのかな 神功皇后は三韓征伐がなぁ
そんなんやっててたら魏志倭人伝に残るんじゃねの? 魏志倭人伝に邪馬台国の卑弥呼の記述があるから
当時の天皇家は、卑弥呼と近い時代に存在してた神功皇后を卑弥呼になぞらえるようにして記紀を編纂したんだよ 記紀の記述を信用するなら卑弥呼は神功皇后なので箸墓のモモソヒメは卑弥呼ではないことになる
箸墓のモモソヒメが卑弥呼だというのなら神功皇后は卑弥呼ではない別の誰かという事になる
ここら辺をごっちゃにして都合よく捻じ曲げてるのが畿内説 貿易をしたかったが朝貢というシステムでは臣下認定されてしまうので、巫女を代理人に立てた可能性
だから場所なんかも出鱈目を言った、金印は捨てた >>451
>奈良盆地に縄文時代の遺跡がないのは
>それこそ湖だったからだよ
やっぱあそこ湖だったのかな
湿地帯ぐらいじゃない?
湖なら名前付いていそう 宇佐八幡が古墳の上にあって地下に石棺が2つ見つかったというのが事実なのか
百体神社が隼人の乱によるものだけでなく、それ以前の殉葬のものもあるのか
神功と卑弥呼についてはこのへんをハッキリさせてみたい
三韓征伐のようなおおよそ信じられない話を何故作る必要があったのかもわかるといいなあ まあただ、近代的な人権概念が成立するまでの歴史って
そんなに重要じゃないわな。
反社とかヤクザの成り立ちでしかない感じがするな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています