ある少年の言葉:避難を余儀なくされる家族の想い

穏やかに暮らしていた家族が、大切な人を亡くし、家を失い、食べることもままならず、避難を強いられています。
今年6月、国内避難民が多く暮らす地域で、シャンティのスタッフが家庭訪問した際に、とある少年から聞き取った言葉です。
『僕たちは、小さな家に10人の家族で暮らしていました。家族は農業と家畜の世話をし、生活は質素でしたが、のんびりとした穏やかなものでした。
しかしイスラム国と呼ばれる冷酷な集団が突然村に来て、短期間の内にたくさんの残虐な行為を繰り返しました。
村では戦闘の激しさが日に日に増していきました。
ある日、父が朝から農作業をしていると、村人を肩に載せた葬列が中庭に入ってきて、突然父が殺されました。
何が起こったのか、理解できませんでした。
今でもすぐには思い出せず、詳細を話すことはできません。
戦闘が激しくなるにつれて村での生活が困難となり、先祖代々暮らしてきた村を離れて別の地域に移住せざるを得ませんでした。
住む場所を失った僕たちは、貧しいながらもシェルターを見つけて生活しています。
僕は手押し車を使って人々の荷物を運び、1日100アフガニ(日本円で約140円)を稼いでいます。

僕は勉強が大好きです。
本を持ってもう一度学校に通うことが、僕の夢です。
経済的な理由から学校に通うことを諦めていました。

そうした中、シャンティから食料支援を受けて、3ヵ月は僕が働かなくても家族が食べていけるようになりました。
手押し車を担いで市場に行く代わりに、僕は3ヵ月間は学校に行くことができました。』

少年が話す横で、母親は目に涙を浮かべてスタッフに話しました。
『この1年間、私たちは苦しい生活を強いられてきました。援助という名目で多くの人が村を訪れましたが、
誰も私たちを助けてはくれませんでした。そうした中、食料と生活用品を頂きました。
米、小麦粉、食用油、砂糖、お茶、豆類、石鹸など、これだけの品々を頂きました。
同時に、このような日常のものを買うことができないほど、私たち家族は貧しくなったことを痛感しました。
息子を学校に通わせたいです。
私も働けるようになりたいです。』
https://readyfor.jp/projects/Shanti_Afghanistan2021/announcements/183597