「もしも山口多聞が機動部隊を指揮していたなら……」
強大な米英海軍と戦わざるを得なかった昭和の日本海軍で、最後まで「見敵必戦」の姿勢を貫き、数々の果断を示したのが、海軍少将・山口多聞であった。
彼こそ、「闘将」と呼ぶに最もふさわしい。そうした資質はいかにして育まれたのか。

海軍少将・山口多聞。昭和の海軍軍人において、「闘将」という言葉がこれほどあてはまる人も少ない。明治25年(1892)に東京小石川で生まれ、昭和17年(1942)6月にミッドウェー海戦で空母「飛龍」と運命をともにするまで、その50年の生涯は、味方が劣勢であろうとも断固戦うという、軍人に必須な「見敵必戦」の姿勢に見事に貫かれていた。
多聞について語る際、「彼が機動部隊の長官ならば、ミッドウェー海戦をはじめ、幾多の海戦であんな負け方はしなかった」という「もしも」を本気で語る人が少なくない。

戸高一成(呉市海事歴史科学館<大和ミュージアム>館長)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac48540b0fbcebb47e4e164c1bbcbe5ad15b1840

※「見敵必戦」というのは英海軍からのモットーだが、これは「世界第二位と第三位の海軍を上回る海軍を持つ」という英海軍だからの理論。
敵を見つけたら必ず攻撃してお互いに同等の損害を受け続けても最終的には英海軍が勝つ、という理論である。
最良で対米7割の日本海軍がこれをやれば先に全滅して終わる。
※ミッドでの多聞丸の艦爆隊だけ即時発進の必要ありを採用しても、そもそも利根四号機の報じた敵艦隊位置が100km以上ズレているので艦爆隊は敵艦隊を見つけられない。
http://i.imgur.com/4IWLNWH.jpg
※攻撃精神旺盛と言えば聞こえは良いが、多聞丸は南方作戦終了時(つまり優勢時)こんなガイジ提案をしている。
http://i.imgur.com/EDA86su.jpg
http://i.imgur.com/sbKj05D.jpg
インド要地攻略→ファジーサモアNZ豪州攻略→ミッドウェー島+ハワイ占領→パナマ運河破壊→北米上陸カリフォルニア州占領(南米要地も占領)→北米全土に無差別爆撃
闘将ではなくただの躁病なのでは…?🤔