「建国記念の日」
 神話復活は史実と憲法に背く

きょう2月11日は「建国記念の日」です。祝日法第2条で「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされています。戦前の「紀元節」を復活させたものです。

「紀元節」は、明治政府が1873年、天皇の支配を権威づけるために、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫とされる架空の人物「神武天皇」が橿原宮(かしはらのみや)で即位した日としてつくりあげたもので、科学的にも歴史的にも根拠はありません。

 侵略戦争正当化に利用

「紀元節」は戦前、国民を軍国主義と侵略戦争に思想動員するために利用されました。
今から80年前の1940年は、神武天皇即位2600年の記念の年とされました。
当時、公募で制定された奉祝国民歌「紀元二千六百年」は、5番で「正義凛(りん)たる旗の下 明朗アジヤうち建てん 力と意気を示せ今 紀元は二千六百年 ああ弥栄(いやさか)の日は上る」とうたいました。
37年に始まった日中全面戦争を正当化し、国民の協力を呼びかける内容となっていたのです。

しかし「建国神話」を史実として教えることには無理がありました。
戦時下の43年、茨城県の国民学校(現在の小学校)で、子どもたちが国史の時間に「天孫降臨」の掛け図を見て「先生そんなのうそだっぺ」と言ったため、怒った教師が「貴様は足利尊氏(あしかがたかうじ)か、とんでもない奴(やつ)だ」とどなり、校長以下多くの教員の前で、木刀で教え子の頭部を強打するといったことまで起きました(唐澤富太郎著『教科書の歴史』)。

戦後、国民主権と恒久平和を掲げた日本国憲法が制定されたもとで、48年、祝日のあり方が国会で論議されました。
「歴史上根拠の薄弱なものは廃止する」「新憲法の精神に則(のっと)り、平和日本、文化建設の意義に合致するものを取り上げる」などの方針にそって戦前の祝祭日が再検討され、「紀元節」が廃止されたのは当然のことでした。

ところが66年、当時の佐藤栄作内閣は国民の批判の声に逆らい祝日法を改悪し、「建国記念の日」を制定しました。
天皇元首化など憲法改悪や軍国主義復活と結びついたものでした。
憲法の国民主権や思想・学問の自由、信教の自由などに反することは明白です。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-02-11/2020021101_05_1.html
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