関が原で苦汁を味わった土佐・長州・薩摩の3国が、幕府終わらせたのって凄いよな。人の恨みってすごい。
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土佐の山内家は徳川家に酷いことしたよね
分不相応の領地貰ったのに酷いことしたよね >>58
大河ドラマで言うと
功名が辻のラストが、そのまま龍馬の冒頭に繋がっている
(坂本龍馬と岩崎弥太郎は下士の出自) なお、これをテーマとした作品が
みなもと太郎の漫画「風雲児たち」
本来は幕末ものとしての企画だったのだけど、作者が
薩長の幕府打倒の原動力は、関ヶ原にて徳川から受けた仕打ちにある、と言い出して
結局、江戸時代の通史ものになった。 日本人は四大文明よりも古い「長江文明」を担った人々の末裔ですから、シナ大陸だけ見ても、今のシナ文明の師匠に当たる文明の流れを汲んでいるという誇りを持ってよいでしょう。
四大文明が始まるのが紀元前三千年くらいですが、さらに時代を遡った紀元前四千年までの地球では、「長江文明」と「縄文文明」くらいしかなかったと言ってよいと思います。
なお、一万五千年前まで遡ると、土器を使っている人類は日本列島にしかおらず、日本列島くらいしか文明的な地域がありませんでした。
日本人は意識していませんが、日本文明は、この最古の「縄文文明」と二番目に古い「長江文明」の両方を継承している唯一の文明です。 タミル人が渡来したのは、おそらく弥生時代に入ってしばらくしてからだと考えられます。
なぜならタミル人を特徴付けている「甕棺文化」は、九州北部(福岡県、佐賀県、熊本県)と半島南部(洛東江流域)に限定されるからです。
弥生文化は、縄文晩期の食料難にあった西日本を中心に瞬く間に広まりましたが、仮にタミル人グループによって水田稲作がもたらされたなら、西日本全域に「甕棺文化」が広まってないとおかしいです。しかし、現実は「甕棺文化」は弥生世界のごく一部です。
したがって、まず倭人社会が形成された後にタミル人が越人系タミル人の案内で渡来したと考えるのが妥当なところだと考えられます。
つまり、まず南インドまで広がる先述の「越人ネットワーク」がY染色体O1、O2グループの人たちによって形成された緩やかな交易圏として形成されていたと仮定します。
この仮説に立てば、洛東江流域に豊富な鉄が発見されたという情報が「越人ネットワーク」に広まり、鉄資源を求めてタミル人が渡来したと推論することが可能です。彼らは、鉄が農業生産を高めて富をもたらすことを知っていたのでしょう。 鉄を掌握した越系タミル人は弥生中期以降の倭人社会の形成をリードし、彼らの言語(五七調の詩を含む)が日本語のベースになりました。商業を握ったアラム人の言葉(アラム語)が古代オリエントの共通言語になったのと似ています。
天孫集団は彼らの上位にいましたが、言語などは越系タミル人のそれを受容したようです。
これは、アングロサクソンと英国王室の関係に似ています。
ノルマン人やドイツ人の王室はアングロサクソンよりも上位にありましたが、言語はアングロサクソンのそれ(つまり英語)を受容しています。
天孫集団と越系タミル人のこの関係は、天孫降臨神話にかんがみれば、南インドで既に原型が形成されていて、海幸彦と山幸彦の争いを経て確定したのではないかと思います。
以上を総合すると、南インドで日本の統治構造の原型が形成され、それが日本に移植されたと妄想します。学者たちがスルーし続ける南インドこそ、大変重要だと感じます。時が至るまで学者のスルーは続くのでしょうが、そろそろその時だと思います。 彼らの「復古改革」を見ていると、「江戸日本はイデオロギー国家だった」という点が浮かび上がります。
朱子学と祖法(家康)を墨守することが幕府イデオロギー的に正しい行為とされ、イデオロギー抜きで「生き物」に対応しようとした田沼意次や林子平はパージされてしまったとも言えます。
これが江戸時代の限界です。
「明治維新は過ち」という暴論がありますが、あまりの識見のなさに呆れ果ててしまいます。
バリバリ地方分権だった当時の統治機構では急速な改革は絶対無理ですし、それを担うのが因循姑息な頭を持った世襲官僚である時点で大した改革はできなかったと断言できます。
こうした主張をする人は、きっと物事の表面しか見られないのでしょう。 >>210
初期は幕府側は火縄銃より少しマシな程度の旧式ゲベール(マスケット)で
薩長は新式ミニエー銃(ライフル)で圧倒的な差が出たって話あったけど
後期は幕府側も新式に変えたん? 薩摩は薩英戦争、長州は下関戦争をきっかけにイギリスとの親交が始まり、
それと同時に当時、最強だったイギリスの武器、銃を入手できるルートを確保てたのが大きい。
幕府側にはフランスが付いたがその戦力が大きくて劣る為、大きく影響が出たといっていい。
勝った維新軍側に付いたイギリスは維新後の明治政府の施政にも大きく影響力を持つ事になる。
大きく言えば江戸幕府と薩長をメインキャストにした英仏代理紛争とも言える。 >>226
坂本龍馬の坂本家て
郷士株買った商人の家系だけどなw
まあ上士から差別はされたかもしれないが
付け届けして(本家の商人が裕福)ゴマスリしていただろうよw
勝海舟はメクラが御家人株買った家系だしなw
関ヶ原の戦いなんて関係ないwww >>30
慶喜の母親が皇族だからだろ
尊王感情のほうが家康に対する畏怖より強かっただけだろwww >>199
よく、今の新聞やなんかで、
「敗因となった最大要因」的な用法で
「戦犯」という言葉を使うのを
おれは常々気に入らなかったが、
やはりここで使われてるのも不適切だと
指摘したい気持ちだ。。。
やめようよ、もうそれは。
意味が通じるのは通じるけど
間違った使い方だしね、、 >>38
武器の性能の差w
射撃距離が違うだからな
まあ大村益次郎みたいな軍師の存在も大きいけどよw >>215
黒船と言うから曖昧になるだけで
アレの騒動の本質は、
「想定外の新型兵器が来た」事だよ。
江戸城直撃可能な新型長距離砲が、
威嚇しながら近づいて来たという話
その危険に最初に気付いてたのが
若い頃の吉田松陰で
大砲をどっかで見知って冷や汗
「これが品川まで来たらどうなるか」
と日記に書いてたらしい
その後の行動は突飛な所も多々あるが
基本的にそういう危機感のため?
と思ってよさそうだ
今で言うと北朝鮮が核開発に成功して
潜水艦から長距離弾道弾発射実験とか
やり出して、やべー。みたいな? >>199
毛利というか吉川広家と毛利の重鎮だな
全く把握していない輝元もどうかしてるが >>242
輝元君はお飾りということで
問題は吉川広家だ
毛利は両川といわれる小早川と吉川のうち吉川元春が早い時期に亡くなってるんだが
これが、どうも豊臣家に良い感情持っていなかったフシがある
それが伝えられて、誰が豊臣家のために戦うかよとなった?
これは私の憶測ではありますが >>70
関ヶ原合戦のとき毛利輝元はなにをしたかったのかw
ぼんくら当主の悲劇www >>243
吉川元春
は秀吉の中国路おお返しのとき追撃しろと
言っているからなw >>199
毛利が参戦していたら
小早川秀秋の裏切りもなく西軍で参戦して
下手したら家康は討ち取られていた可能性もあるよなwww >>1
あくまで「薩摩」「長州」であって「島津」「毛利」ではないところがミソだよな
西郷大久保らの薩摩藩士と島津当主が反目しあってたのは有名だし、毛利のそうせい候に至っては名前すら知らん人も多いだろう
そして逆に土着の下士と上士との対立で語られがちな土佐が割とこの二藩より当主の意志に訴える感じなのが面白い 安倍も麻生もCIAの手先となって嬉しそうに売国に励んでいるね
これが明治維新の結末か
日本は消えてなくなる >>53
なお、水戸藩は清に滅ぼされた明国人を多数保護していて
その影響で中華思想にかぶれてしまった。
水戸徳川家が幕府より朝廷を重んじるのも、徳川光圀が北畠の流れを汲む南朝マンセーな歴史書を編纂したのも、
ラーメンの製法が伝わってたのもそのせいだ。 >>245
鳥取城の飢殺しされたのが吉川の身内だった筈だしまあ許せんだろうな 幕府は欧米から買い付けた軍艦で海軍力では薩長を圧倒してたはず
陸戦避けて、薩摩・長州に軍艦派遣して艦砲射撃すれば勝敗違ったかも >>237
坂本家は列記とした白礼郷士の血筋
勝家もちゃんとした旗本の血筋
両家とも郷士や旗本の相続権の無い子供を養子に迎えてるからな
金持ちが武家株を買ったというのは事実だが、
相続権の無い次男3男坊を迎えて新しい家を興したという感覚のほうが正しい >>245
高松城の清水宗治も
もうちょっと早く言ってよ、そしたら腹切らずに済んだのに状態ですしね
ポーズとしても、秀吉を追撃しろと言わなきゃ格好がつきません >>216
賊軍の大将で幕府も江戸も徳川宗家も放り出した人が、維新の元勲や五摂家と同格なんだから破格の扱いだよね。
まさに史上最強の日和見パワー炸裂だね。 >>1
毛利のどこが苦汁なのか
総大将なのに戦わず、利口に立ち回ったつもりが天下にアホと恥を晒しただけだろう
重臣はずっと弁当食ってたし 単純に幕府が現代日本と同じだろ 軍事力を軽視して旗本八万騎が曇散霧消してる
バカ左翼がダムや堤防整備を嫌うのとも同じ論理 >>102
ガリ勉で出世して藩閥政治をぶっ壊すべ!と息巻いたトーホグの頭でっかちどもが結局大日本帝国をぶっ壊したんだからな
笑えるわ >>12
源平合戦:
いずれにせよ勝者は平氏(北条)
関ヶ原:
伊達 徳川 上杉 宇喜多 毛利などによる戦国時代part2
幕末:
欧州列強の植民地 土佐藩に入った山ノ内がめたくたに郷士をイジメたし。
島津も治水工事のドカタをさせられて、多くの藩士が悔しさのあまりに腹を切ったと言うし。
幕府への恨みだけは確かに強いわな。 >>89
260年間の途中で山ノ内家をどっかに転封しておけばなんとかなったかもかな? >>258
滝川の子孫とか竹中半兵衛の子孫が
幕府軍の指揮をしているのが幕末w
三河以来の譜代大名や旗本御家人はヤクタタズwww 島津の武士比率おかしい気がする、あと年貢
あれって徳川にそうさせられてたわけじゃないんでしょ? >>265
上杉だって
120万石状態の武士比率で25万石だったけw
下級武士なんて百姓と変わらない状態だったwww
要は徳川が攻めて来るのではないかと怯えて
手持ちの兵隊に暇を出す勇気がないwww 上杉なら地理的にわからないでもないけど
薩摩って最辺境だから、現実的には徳川の遠征軍くるわけないよね・・・? どこだったかな、総人口八万人なのに武士とその家族が4万人
まあ半分農家みたいな下級武士が大半だろうけど 家康が豊臣に何癖つけて滅ぼしたように、幕末の徳川幕府は新政府側に無理難題言われて滅亡した。
まさに因果応報。 直接徳川軍が来る必要はない
まず九州の連中にやらせる。ダメそうなら中国四国に近畿あたりも加える
それでもってなって徳川家も本体出してくると >>272
それをいまだに会津の恨みとか言ってるのが原田伊織とかの維新否定派だよな
あの感情ばかり先走る歴史観って韓国のコリエイトされた歴史観にそっくり
白虎隊の悲劇とか言ってるけど会津藩は領民に圧政敷いてて恨まれてたらしいからなw 水戸の天狗党もやばい。
あれじゃ只の強盗団だ((((;゜Д゜))) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています