俺のご先祖様って、徳川家康の槍指南番(超上級武士)だったんだけど で、お前らは?(笑)
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まさか水呑み百姓の子孫は、ν速にいないよね?(笑) 皇族、もしくは公家の血筋こそほんまもん。
武士?下克上で、何処の馬の骨か、わから
しまへん。北面にてさぶろうてはったら
よろし。 大体みんな武士とか貴族の子孫だよなw
100年前までは9割は農民だったはずなのにどこかのタイミングで絶滅して武士、貴族、地方豪族の子孫が大量増殖してしまうというミステリー
うちもばあちゃんが「うちの先祖はお姫様で城に住んでたんだよ」って聞かされたわw
悲しませたくないから「ホント?すげー!」って言っといたけどw >>323
その呪いのせいで
お前が女日照りになっているのか 日本人なら30代も遡れば全員天皇家の血を引いてそうだよね じいさんがよく三浦一族の末裔だって言ってたらしい
確かに墓の墓石古いのあったが
切腹が似合う 名前を変えられて講談や芝居に登場させられている。
どちらかというと色物扱いなのが残念 藩の金庫番。商人だったけど、参勤交代の資金を肩代わりして名字帯刀許されてた。 >>172
役所の戸籍は明治元年現在の登録まで調べられる
うちのカーチャンが父方の戸籍調べたら江戸時代末期生まれの先祖まで辿れた
それとは別に菩提寺の過去帳も写してもらって来たが
戒名と名前と没年しか判らない
うちの墓にはただの石を置いた墓石が10個位あって長年の間に侵食されてて
字がほとんど読めないのがほとんどだったが >>320
平家は連綿と繋がってそうなイメージだが源氏は野に下ってから勝手に名乗ったり家宝の刀も落ち武者から奪ったのとか怪しいイメージ
末裔の人にとってはそれが心の支えなのかな? >>335
うちの墓石もそうだわ
そして、さかのぼるほど粗末になり、一番古そうなのは、漬物石をころがしてるような状態だった
御先祖様は貧乏なさってたようです >>248
赤間神宮に安徳天皇や平家一門を祀った墓があるな 今 落ちぶれてたら笑えんやろ
父方 のうか
母方 武家 九州では ほぉ的な >>1
まさか今現代を生きてるお前は上級じゃないなんて事は無いよね?
流石に年収5000万超えてるよね? 平家の落武者ですが何か(瀬戸内界隈では多い模様・・・ マジレスすると平安末期以降、源平藤原の一族が京都で食えなくなって
どんどん地方に移住して土着化。
その地でどんどんネズミ算的に増えたので(生粋の地元農民はそれほど増えない)
明治当初日本に住んでた日本人の子孫は大概源平藤原を通じて皇室の血が入ってる。 俺の祖先は家畜の皮剥ぎや太鼓作りをやってたらしい。武士かな? >>344
うちも九州の平家の落武者だよw
落武者多すぎる 織田信長の家臣で城主だったみたいだけど、昔過ぎて眉唾よね家系図って。 >>97
俺もご先祖様の土地が愛知県の某所に山を含めて結構な広さで持ってたらしいが
爺さんの代で何があったか知らんが破産して全財産失って
爺さんが炭焼きしながら死んだと言う
トーチャンも5才の頃に別々の遠い親戚に弟と二人預けられて
20年前時点で生きていたのが義理の従兄姉達になるのだが
義理の伯父の葬式に行った時にトーチャンが拾われ者だと言われた位で
詳細は判らず→判ってた人達は既に皆死に絶えてたから うちは戦前くらいまでしか遡れんわ
過去帳とかも戦争で燃えたらしいし
墓も吹き飛んだし
三代前で分家だし >>357
戸籍は100年まで遡れるから興味があったら調べてみ。
早く調べないと閲覧期限切れるぞ。 >>357
除籍謄本を役所で取ってくれば明治時代初期までは遡れるかと。 >>1 その子孫がニートの子供部屋おじさんか…先祖が墓で泣いてるぞ。 百姓だけど、そこから考えると俺のことはかなり自慢の子孫
おまえらは? >>1
済州島からきたんでしょ?w みんなわかってるってw 平安時代に内裏で天皇の囲碁指南役として活躍していた >>1
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Let`s Beat Monkey!!━━━━o(゚∀゚o) (o゚∀゚o) (o゚∀゚)o━━━━!!!! 江戸期、紺屋をやっていたと祖父から聞いた
紺屋は藩によっては賎業とされる
恐らくは穢多の一種ではないかと ワイの代で途絶えさせてしまうこと考えると
御先祖様からわかなり呪われていると思う!
ワイもハゲたこと呪ってやるけどな♪ >>133
実家のすぐ裏の山の上に城があった
しかも平成の始め頃まで地図に載ってて○○城って書かれてた
○○はうちの苗字な
とにかくはっきり判らないうちにトーチャンもその辺の親戚(トーチャンの伯父伯母)が
死に絶えてしまって文書に残ってる物が全くなくて現実は謎のまま
昭和の頃に俺を連れて実家に行ったがその時には遠い親戚の同じ苗字の人が住んでた
某用水が出来る時にたまたま買った人うちの一人が登記してなくてご先祖様の名義のままだったとかで
相続人のトーチャンが金に困ってた時にその土地代ゲットして
喜んでたけどな わかってる範囲で田舎の百姓だわ
住居は少し移動したみたいだが >>378
末梢神経が滅びただけだよ
毛根が滅びるのと一緒だから気にするな うちのご先祖は卑弥呼の内縁の夫だったらしい
その縁か3代にひとりぐらいで尼さんが出ている >>370
期限内は絶対に廃棄されないぞ。
空襲で焼けても復元義務あったので復元されてる筈。
ちなみに閲覧期限過ぎた戸籍も実はまだ保管されてる。
以前役所の仕事で明治最初の戸籍で「特定の一家」を探す仕事したことある。
いわゆる「新平民」とか書かれていて一般には絶対に見せて貰えない奴ね。
で、その戸籍だけど明治初期とは思えないほど綺麗(字も超綺麗で達筆)。
和紙最高! 多分ちゃんと保管すれば後数百年も余裕って感じ。
それが突然明治中期になる紙質が最悪になって既にボロボロ。
西洋紙って本当に糞だわ。 >>370
除籍謄本は戸主の死亡後、80年間は保管される。
で、そこには戸主の父親の名前も書かれている。
だから今から80年前(1939年)に70歳で死んだ祖先がいるとしたら(1869年、明治2年生まれ)、
その父親(江戸時代末期生まれ)まで遡れる。 父方:源氏方の武将で水島合戦で敗れた備中乙島城主の赤澤左衛門尉
母方:関ヶ原合戦で西軍に与し改易となった因幡浦住一万石の大名垣屋氏の家臣
帰農し後に商人となり質屋を営む >>385
凄い仕事してるなw
まあでも役所によるから絶対とは言えないかと。今残ってる分はかなり安全だろうけどね。 俺の姓は松永。一応、武士だったらしい。
ちな実家は先祖代々奈良県。
土地柄とオイラ自身が人相悪いから厨房の時のアダ名はずっと裏切り弾正だった。
多分関係無いと思うけど。 >>1
先祖の血筋をひけらかして周りを卑下することは無い立場なのは確かだな
朝鮮人ではあるまいし そうだな大半は百姓だろ
そりゃ漁師とか他もいるだろうけど >>387
超名門ではないか
彼らは、どこの馬の骨かわからんやつは一族にいれないから
サラブレッドみたいなもんだぞ うちはなんか遡れば斎藤道三に行き着くらしいけど俺自身は行動力はなく頭も悪い
共通点はハゲってことだけか…… 指南役は石高的には底辺な印象
柳生は一万石の大名だが大目付だからな >>324
そうそう家老だったとか言う馬鹿も大勢いる
在日 >>402
そういうもんだよ。家系を気にするのはバカらしい。
にしても今はハゲの方が受けが良いらしいからしっかりがんばれ 一応江戸時代は武士だったが
今で言うリストラされて農業に転職したらしい
天下泰平の時代になったから 家康の剣の師は奥山休賀斎。秀忠の指南役は一刀流の小野忠明で600石、後にその子が200石加増されてるがその程度。
柳生但馬守は剣術指南兼業の惣目付、最終的に13000石で大名となった。
しかしながら但馬死去の際に十兵衛が4000石を取り上げられてる。万石に返り咲いたのは弟の宗冬の代になってから。
将軍は建前上、文武両道でなければならないから日替わりで剣や絵画、書などを習っており、家光は剣術好きで知られている。
もっともこれは下手の横好きの類であったという。家綱は心底剣術が嫌いだったとか。
ちなみに家綱までは柳生に誓紙を差し入れて正式に弟子入りしているが、綱吉以降はそれもなくなった。 名字名乗ってもいい農家
大地主だったけど戦後の農地開放で没落 >>384
うちの先祖も上杉に仕えた武士ってくらいしか伝わってないわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています