中国は城と言うと街そのものだから住民全員戦闘員だが、日本は戦闘要員だけで戦争してたの?
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>>178
江戸期のお城って
・都市の中心にある
・敷地面積もかなりなもん
ってことで
>>181が挙げてる廃城令の時に
軍の駐屯地とか学校とかに転用するケースも多かったんだよな
>>193
戦乱の後で人口減るのって実際は流民化して戸籍を離れてるだけだったりするんだよな 当時は銃弾(まだ丸かった)を合戦後に拾って回収する業者がいた
これ豆な >>197
殺す価値もなかったんじゃないのか?
辻斬りなんかは 刀の切れ味試すだけの為に百姓とか切ってたんだろ
命の価値がなかったんだと思う 大陸の争いは一般市民まで全部虐殺するから全部を囲わないとダメ
日本の中の争いは基本は農民は蚊帳の外。城主が誰になろうが関係なかった。
合戦は農民がおにぎり食べながら観戦してました。 >>201
その土地を支配した時に年貢を納めるのは農民だからだよ
大事な納税者を殺してどうする 自分とこの農民は大事だけど、よその農民、畑のことなんか知ったことじゃない >>199
というか日本の都市の大半は先に城が出来てその後に街が出来てるんだわ
城の場所決めは防備しやすい地形図で交通の要になり兵を動かし安い場所が選ばれる
東京、大阪、名古屋、仙台、広島、熊本、金沢、岐阜、姫路、小田原、等々 普段は農民、戦になると足軽として領主にくっついて参戦
大坂夏の陣には東北からはるばる駆けつけた。
平和な江戸期はずっと百姓として、土地の新田開発に勤しんだ。
戊辰戦争では先祖伝来の槍を武器に薩長と戦った。うちの先祖はそうだったと聞いている 日本も先に街があってそこを防衛しようとしたらシナみたいになったのかな
京都は秀吉が城壁で囲もうとしたし
平城京や平安京の羅城門の"羅城"とは城塀に囲まれた城塞都市を意味する語 >>210
乱妨取り、青田刈り、刈り働き、焼き働き
というれっきとした日本の戦国時代の概念だよ >>1
中国は戦乱中、人肉食ってたからな
人肉宴会の国は一味違う 日本の戦国時代は農民が石ころ投げ合って適当に逃げてただけだぞ なんだ。
中国は街そのものが住民戦闘員なら、民間人を殺した南京大虐殺は無かったってことじゃん。
単なる中国人戦闘員と、日本軍との戦い。 城郭みんな戦闘員ってスタイルは、日本だと一向一揆とか対民草の宗教戦争に近い
ああいう血みどろの絶滅戦争を数千年続けているのが大陸スタイル 日本の場合、戦で勝っても農民を奴隷にせず虐殺もしなかった
南京事件は戦闘はあったが虐殺はでっち上げだろうね >>206
領地と領民の取り合いしてるのにその戦利品殺してどうすんだよw >>187
赤っ恥過ぎて電話で反論
効いてるwww効いてるwwww効いてるwww効いてるwwww >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww >>218
大坂の陣や戊辰戦争では普通に虐殺やレイプしてたんだがw >>221
領民なんてそのまま住ませてたらいつ裏切るか分からんから
さっさとぶっ殺して売れそうな女子供はレイプした後に南蛮人へ奴隷として売り払いで換金ですわ
で空いた土地は戦で功を上げた自国の次男坊三男坊に与えて住まわせるわけよ 九州の大友氏なんかは女子どもを南蛮人に黒色火薬と引き換えに奴隷として売っていたのは有名な話。
だから当時、世界中の港に裸同然の日本人女性が奴隷として見られたそうよ。
だからポルトガルの港町にも日本人の痕跡(DNA)もあった。救われた(同化)って証でもあるが。 上級である武士は適当に下々の農民あおってりゃ農民同士が潰しあってくれる
えたひにんとか作って農民のストレスのはけ口作って下々同士が勝手に互いに潰しあってる間
武士は公家の連中と豪遊してた
そんな感じだったと思うわ
現代の状況見てると 七尾城の戦い
奴隷集め目的ヒャッハー軍の上杉謙信を恐れて畠山氏の領民は領主を頼って七尾城に逃げ込む(15000人)
↓
あまりにも多くの領民が逃げ込み過ぎて食料より先に糞尿の処理が追い付かなくなり場内の衛生状態が悪化
↓
不衛生で城内に疫病が流行
↓
ついには城主で幼君であった畠山春王丸も疫病に罹り死亡
↓
城主死亡で混乱し上杉方に内応する家臣も出て来て最後は臭くて嫌になった裏切り者が城門を開けて落城
↓
一族皆殺しに
領主は奴隷となる なるほど
日本人が城塞都市を作らなかったのって単に危機管理意識が低いからだけじゃね?
南海トラフ来ると言われてるのに自分だけは大丈夫と思って危険な地に住み続けてる異様な感覚
シナ人とかはいつでも脱出できるように身につける金目の物まとめたり海外に資産置いたり海外に親戚のネットワーク作ったりしてるけど
そういう意識全くないよね?
冷戦時代に核シェルター全く作らなかったような現実の危機を考えないようにする思考回路があるんじゃね? >>229
単に地形じゃないのかね?
平原だと防御拠点を作るなら自動的に中国や欧州みたいな城壁で囲んだ「城」になる訳だよね
でも、鎌倉が分かり易い例だけど、
山が多い地形だと、そこに向かう交通の要所を抑えれば防備はできる訳で
大規模な城壁の必要性が無い 七尾の畠山も三木の別所も、彼らなりの勝算があって籠城した
後詰めが包囲を破ってくれるか有利な条件での和睦を目論んでた
うまくいけばそうなったけど、相手が想像以上にヤバいやつらだったので悲惨なことになった
籠城してうまくいった例は長篠の奥平と河越の北条
勝算なし捨てごま上等で籠城したのが高遠の仁科と伏見の鳥居岩屋の高橋 >>232
伏見の鳥居や岩屋の高橋は
大元守るための時間稼ぎだから
高遠城とは違うと思う >>232
籠城戦自体は時間稼ぎで事態が変わるのに賭ける博打なので、
それは外れると悲惨な最後にしかならんね 大軍で兵站を維持しながら長期に包囲できるのは、チート勢力しかいないからな 鳥取城とか町人入れた結果共食い始めたくらい悲惨だったらしいが >>233
岩屋伏見が粘ったおかげで、あるじの目標は達成されたわけだからたしかに目論見どおり
勝算なし捨てごま上等と書くのは不適当だったね。おれの書き込みが間違ってた 国民徴用令で全員軍人扱いだぞ
だから東京大空襲でたくさん殺しても問題ないってのが欧米の判断 山が城壁みたいなものと考えれば中国と変わらないかも
盆地なり谷間なりが城塞都市
朝倉氏の一乗谷城とか、そんな感じでは
細い谷間なんだけど、その両端だけ守って町そのものを囲い込んでた
そう言えば、越前一向一揆で乗っ取られたんだよね
浄土真宗側も地形的に欲しかったのかも >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww やろんやろん言ってるチョン群馬がこんなとこにもいんのか >>239
日本の場合、平野の周りの山間の交通拠点に「要塞」としての城を立てれば防備は十分できる
なので、要塞=城になるのはその地形ならでは >>241
殺すぞゴキブリ朝鮮人、さっさと日本から出て行け! うちの爺さんは、マライ・シンガポールでゴム園を
やっていたけど
襲ってくる中国人達を相手に、使用人の現地イスラム達と
銃を取って戦ったそうな
ちなみに爺さんは日本人だったけど、現地に合わせて
イスラム教徒だった
(これが不気味な爺さんで、恐くて言葉交わした記憶が無い) >>244
マラヤ共産党軍だっけ
あの辺は戦後も共産党ゲリラとの闘いが長らく続いたんだよな 日本の戦はヤクザの抗争みたいなものだから
統治は朝廷の仕事で天皇を頂点にしていた
外国のは天皇が2人いて天皇同士が戦うような戦争だから規模が違うわな 中国の内戦 他民族との戦い。
日本の内戦 日本人同士の戦い。
日本は住民が虐殺される事は無い。 >>249 外国のは天皇が2人いて天皇同士が戦うような戦争
後醍醐天皇と光明天皇で争ってたやん 日本で本格的で大掛かりな城郭都市って小田原くらいでしょ。「総構え」って言うんだっけ。
ゆる〜い城郭都市ならいっぱいあるな。それこそ江戸なんてそうだし。 日本の場合は負けた側の部下を自分の部下に取り込むタイプの
トレーディング人間ゲームの側面があるので
基本的には武士以外は戦わないのでいつの間にかに非戦闘員の概念がつくられてた
西洋ではカメハメハ1世に教わるまではどうだったのだろうか >>248
畠山家祖の畠山泰国は父が新田義重に育てられた足利義純、母は北条時政の娘
初代能登守護の畠山基国は天下の三管領として上杉、伊勢、今川、吉良、武田、小笠原より格上の存在 >>175
しかし、何度見てもそこにいない秀忠のバカさ加減が強烈すぎるな。 弥生時代は環濠集落だし
古都京都や鎌倉は城塞都市だ
とは言え確かに城郭都市と言うのは
あまり無かった印象
その癖、兵農一致で国人衆を無下にはできないし
国ごと根絶やしにするような支配者が
出てこなかった不思議 >>255
俺もそれ思った
南京は城壁で囲まれた都市なんだっけか
じゃその中にいる人達は、男だろうが老人や女子供だろうがみんな戦闘員て認識で良いことになる >>31
つーか普通に侵攻地域の人間を奴隷にして売ってた
昔の大河では普通に描かれてたがもう見なくなった
今の価値観を当てはめて否定するやつ多いけどな >>113
そりゃ身につけてる物が違うから
大将首だってことは分かるだろ >>245
お前みたいなのはロックハート城でも行ってればいいと思うよ
城跡で残ってるんだから城のない県なんかないよ >>230
山がちな朝鮮半島もスウォン城とか長大な城壁作ってるから地形はそこまで関係ないんじゃないか >>264
キリスト(新)VSキリスト(旧)も狂気対決な模様 スマホゲーの日本の戦国時代ものを中国の会社が作ってるらしくて
戦国時代の城が中国様式でさらに城壁で街が囲まれた城の絵が出て来た違和感満載 >>258
ネトウヨジョークきっつwww
それ明日リアルで友達にでも話してみろよ 天守閣がほとんど残って無いのは江戸幕府が破壊命令を出して新規建造を封じたからだ
城の補修をする場合には必ず幕府の許可が必要だった 城の設計もすべて幕府が把握した
偉そうなのは徳川とその側近だけで良いし反乱がおこれば攻め落とせるようにな
あと農民が保護されるはず無いだろ
異民族として人種的殲滅が無かっただけで普通に戦火に巻き込まれて虐殺はあった
だから農民も武装して自分たちを防衛した
弁当を手に戦争見物だとか馬鹿も休み休み言え 日本は寧ろ町を防壁に使ってたからなあ。
江戸なんてその最たるものだ。 >>271
天守を持つ城ってそんなにあったの?
舘と見張り台と土塁と柵と堀があれば
充分だと思ってた。 天守って言うのは3階建程度の小さいものでも権威の象徴だから
幕府としては地方大名が権威を持つのは面白くない >>273
真田とかすべての山に城(砦)作ってたけど天守はなかったろ その理論だと南京大虐殺は虐殺にはならんな
そもそもそんな物は存在してないが >>243
池沼群馬が基地外っぷりに拍車がかかっててワロタ
お前何処にでも現れんな
流石はゴキブリカス >>89
そういうのをやめさせたのがお前らの嫌いな名君豊臣秀吉な >>7
おめぇおもしれぇなぁ(笑)ペェズリしてくれ! >>271
お前の言い分にはまるで意味がない
分類を特定しない一部の事例を全体化して、一部の事例を否定してるだけだからな
弁当持って戦争見物してた戦だってあるさ
石投げあっただけでさっさと引き上げた戦だってあるんだから
奴隷売買を明確に禁じたのは豊臣秀吉 国民皆兵制度を内外に宣伝した日本人が全員戦闘員でしょ
戦闘服着て脚絆巻いて戦闘訓練してたんだからさ >>271
戦国は乱取りされるから農民は城に逃げてたぞ
兵士要員でもあるし <丶`+´> < >>7
上級国民って、野党ネトサポの在日朝鮮人の御用達の言葉じゃねーか
日本人様には全く定着してないのに、不自然に使ってwww
てか、大阪?大阪?
おまえ、マジで大阪の在日朝鮮人かよ?マジで?マジで?ウケるわwwwwwwwww(笑) 生の方?鶴の方? (笑)wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 戦国時代の農民なんて下手な侍どもより実戦経験豊富だぞ
シナ畜ども山賊と一緒すんなよw >>278
バカチョン、悔しいのうwww悔しいのうwwww 武田信玄はガチの山賊だろ
山ばっかで食いもん無いから他国に侵略略奪殺しまくり
今でも山梨に昆虫食文化が残ってる場所あるのがその時代の名残 >>1
まず、戦国時代のイクサについて、
これは古代中国のような民族同士の戦いではない。
同じ日本人なので、その土地の文化まで破壊することはしない。むしろその土地の特産品など「新しい殿様」は欲した。
イクサをやるのはサムライの仕事だった。
農民は米を作るのが仕事でその他町人は文化の肥やしだった。
イクサで死ぬのはサムライの本望だし、負けた側の殿様は勝った側の殿様から首を切られた。殿様は一人いれば良いからね。
つまり、
イクサでの勝ち負けはサムライの世界の話であって農民は殿様が誰になろうと米を作り続け、その他町人は文化を育てた。 >>291
武田軍(だけじゃないけど)は農繁期が終わると周辺に進軍し、農繁期になると農業に戻る。
信長あたりは常備軍だけど、プロは(命が大事なので)弱いw >>292
それ俗説
史料読んでみると戦国大名は季節無関係で必要な時にいつでも合戦している
おそらく冬になると(日本海側は雪で何も出来ないから)関東にやってきて略奪するのが恒例だった
越後勢から生まれた説なんだろうけど やっぱり山や地形を防壁として使うのが主流になったから、城壁で囲む
城塞都市にはならなかっただけかも。
城壁だと城門を破城槌とかで突破されたら機能しなくなってしまう。
山の傾斜なら、尾根や峠を固めて防戦側が戦ってる限り破壊されないからな。
そう言う観点で言うと比叡山や高野山の山上都市も、日本流の城塞都市と言える。 日本の戦争なんて、農民は見物していたんだぞ。
皆殺しが基本の中国と一緒にしないで欲しい。 >>296
それをシナチョウセン人は理解出来ないそうだよw
敵国の人間から文明まですべて滅ぼしてから自分たちの都合の良い歴史で書き換えるのが戦争だと思い込んでいるからね、それで日本とアメリカがいま現在仲が良いことも不思議らしいw
ちな、農民も志願すればサムライとして戦い出世出するのも出来た。
有名なところだと豊臣秀吉。 >>1
中国は今でも国民皆兵…いや年齢制限あったか
チョンは有事=皆兵
朝鮮で戦争あったら在日朝鮮人も兵隊として扱わねばならぬ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています