帝国海軍って結局ハワイ海戦とマレー沖海戦の2発屋だったよな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
真珠湾攻撃によって火ぶたが切られた太平洋戦争。その2日後の1941年12月10日、かつて世界の海を席巻した英国海軍の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと圧倒的な攻撃力を誇った巡洋戦艦レパルスが、日本の航空部隊のみによって撃沈された。
これは、これは世界の戦争史上初のことであり、その後、海戦の様相は一変することになった。
この海戦に、一式陸上攻撃機の操縦士として参加し、その後の不利な戦況を奇跡的に生き延びて、戦後、戦没者の慰霊に尽くした男は、最後にどんな言葉を遺したのか。
日露戦争で日本とロシアの艦隊が戦った日本海海戦、あるいは、第一次世界大戦でイギリスとドイツの艦隊が戦ったユトランド(ジュットランド)沖海戦に見るように、
厚い装甲をまとい、大口径の砲を搭載した戦艦が海戦の帰趨を決するという「大艦巨砲主義」が、世界のいわば常識だった。
戦艦はまた「主力艦」とも呼ばれ、飛行機がそれを沈めるなどということは(ヨーロッパでは、停泊中の戦艦に対する小規模な実例はあったが)、一部の航空関係者以外、ほとんど誰も信じていなかった。
それは、将棋にたとえれば、歩で玉をとるようなものと考えられていたのである。
ところが、そんな常識が、開戦劈頭(へきとう)、いきなり覆される。
いまから77年前の昭和16(1941)年12月8日、日本海軍機動部隊は、350機の飛行機隊をもってハワイ・真珠湾を奇襲、わずか2時間たらずの攻撃で米太平洋艦隊を壊滅させた。
その2日後の12月10日には、マレー半島沖で、84機の海軍陸上攻撃機部隊が、イギリス東洋艦隊の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レバルス」、2隻の主力艦を撃沈。
これは、航行中の戦艦を航空攻撃で沈めるという、世界史上初の出来事だった。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58881
マレー沖海戦 大本営海軍部発表
https://youtu.be/vVDvVCeCO1s シミュシティ
シュミシティ
コミュニケーション
コミニュケーション ないないノモンハンのあのソ連側の砲兵布陣で日本側に最初から勝ち目なんか無かった
ソ連側の損害の大きさは日本軍陣地を攻め落とした攻略側の不利と、
日本側の稚拙な指揮によって撤退が出来ずにいたずらに陣地を死守させられて
全員死亡まで戦わせられ無駄に双方に無駄な被害を広げた結果だ >>51
時系列考えろよ
それ以降日本は戦艦作ってたか?
戦艦に固執したのはアメリカやで >>186
ミッドウエー海戦には戦艦部隊は戦地航海手当が欲しくて
後からのこのこついてっただけ
というのは公然の秘密なんだが インド洋の海戦では、後のミッドウエイ海戦と似たような状況が生じた。
しかし、英軍の爆撃機の性能、搭乗員の技量が米海軍のそれより格段に劣っていたので
大事には至らなかった。
それを戦訓としていたら、ミッドウエイ海戦の展開も違ったものになっていたかもしれませんが、
おごりにおごった南雲艦隊はそんなことはしなかった。 ミッドウェー島の基地航空隊と米機動部隊の両方を相手にするという冷静に考えれば無茶な作戦で案の定負けた
いささか負け過ぎた感もあるが、ダメコンのなってない日本空母は一歩間違えれば真珠湾や珊瑚海でやらかす可能性もあったわけで、その帳尻とも言える
猛攻に耐えに耐えまくったヨークタウンの乗組員や意地を見せた飛龍航空隊を始め、前線で命がけで頑張った兵士の皆さんには頭が下がる >>191
哨戒がダメダメ過ぎたからな
潜水艦による哨戒線はすり抜けられるは
哨戒機はてんで違う座標を報告するわ >>185
その発言って言う人によって戦える期間が違うから
ウィキペディア見てみたら、二回言ったみたいだね
(いずれも近衛文麿に言ったもの)
1940年の発言
「是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる
然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ
三国条約が出来たのは致方ないが、
かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」
1941年の発言
前年9月の会見と同様内容を答申しつつ、
戦争になった場合は山本自らが飛行機や潜水艦に乗って
1年から1年半は存分に暴れてみせると述べた >>34
ミッドウェーのあとも結構一進一退してると思うけどなぁ
珊瑚海海戦→ミッドウェー海戦→南太平洋海戦だっけ >>194
南太平洋海戦の前に第二次ソロモン沖海戦。
船団護衛中の龍驤が沈没しエンタープライズが中破。 >>173
そのころからレーダー使ってるのか・・・・ >>196
チャーチルが、インド洋から太平洋西半分まで
日本の勢力に入ったと絶望した時がそれだっけ? ミッドウェイは単純に戦力差で勝ち目なかったんだよ
米艦隊を先に見つけようが、島飛行場を先に攻撃しようがどちらかに手を出せばどちらかに刺される
運良く米艦隊が島飛行場から遠くに離れていれば辛うじて成功するかも?という程度だった
だから必死で米艦隊を探したけど厚い雲が低く垂れこめていて発見が遅れに遅れた
結果はどっちも刺せずにもたついてやられたけど >>79
米軍の雷撃隊が零戦を低空に集めたのは作戦?偶然? >>99
被害の規模だけで言えば、独ソ戦はドイツの勝ちだな ていうかどこで講和にもちこむつもりだったんだろう。
まさか米本土上陸なんかは考えていないだろうし。
ドイツが英ソ倒すの待ちとか? 永野修身「いくさはやってみなけりゃわからない」
だったそうですよ
競馬の予想屋よりひどい >>200
それまで敵の攻撃隊をほぼ完璧に迎撃してたので米空母発見が早かったら勝てたと思うぞ >>206
偶然と言われてる
本来なら同時攻撃だった >>208
やっぱミッドウェイ攻略じゃない?
南方は何とか抑えてたし、ミッドウェイを抑えれば交渉のテーブルにアメリカも出てきたかも知れない。 >>213
無いだろ
41年末にはナチスが劣勢に転じてるので講和の芽はない 海軍は割合まともだけど
共産主義者が牛耳ってた陸軍はなあ
マリアナ沖で負けたら勝負ありだったのだから
さっさと負けを認めて潔く責任取れば良かった
東絛はじめ誰も責任を取らないのが日本人の姑息で卑怯な大和魂 >>215
陸軍の敗戦意識が薄いからな
負けてるのは海軍だけ
陸軍は負けてない
大陸には300万の主力が丸々残ってる
阿南曰く「海軍はいい、だが我々陸軍はまだ一大決戦をしておらん!!」
だもん 正直ミッドウェイをとられてもアメリカは痛くもかゆくもないだろう
ハワイ本島を完全占領しても交渉材料になったかどうか
むしろアメリカ人の闘争本能に本気で火を付けたかもな
二次大戦ですら片手間の戦争だったからな アメリカ人の3割は戦争中だと知らなかったみたいだし >>216
陸軍はラバウルで引き込もってた今村が状況分析からみて一番まとも
陸軍は一大決戦して無いとか言ってもな
インパールとかロクな事して無い ロシアが悪い、大国なのに日露戦争で負けて、ノモンハンでは短期戦で終わらせた 阿南「米内を斬れ!!(俺は腹切るのに、あいつはいけしゃあしゃあと)」 >>218
そういうのは南方の小部隊の負け
陸軍主力は大陸で全然負けてねーよ
と言いたかったんだろね >>216
フィリピン決戦こそ日米の大軍同士の一大決戦天王山だったはずだが他の激戦の島嶼戦と比べてあんまりな大惨敗のため
思い出したくないらしい
動員兵力53万死者43万 悲惨極まる その死者43万
米軍の戦史によるとほとんどは餓死だったとか
日本軍に殺されたようなもの 真珠湾後
住民「西海岸に日本軍来るらしいで」
海軍「どうしろっていうのよさ・・・」 >>224
大岡昇平の野火だな
死体の焼けた腕をみてうまそうだと凝視するシーン >>224
フィリピンの大惨敗は海軍と参謀本部の合作と言っていい
台湾沖航空戦の虚報を信じた参謀本部が現地軍の反対を押し切りルソンでの決戦からレイテに急転換
それでも第1遊撃部隊がレイテ湾に突入していればまだ陸軍も戦えただろうがこれも失敗ししかも失敗を現地陸軍に報告もまともになかったらしくひたすら馬鹿を見たのは山下方面軍司令官以下の現地軍だった
海軍はこの辺が酷すぎる >>227
しかもマニラで市街戦をやらかして多くのフィリピン人を巻き込んだ >>200
雲が厚かったて明日にはでけんかったんか❓ >>229
海軍の誤報でレイテで10万人を無駄死にすることなく
当初の計画通り、マニラを無防備都市にして
十分な物資と現地人の協力を取り付けて山間部でゲリラ戦してたらどうなってたんだろうな
マレーの虎は少なくとも無能では無いので
負けるだろうが歴史は変わってただろう >>232
フィリピン人の日本人に対する国民感情がずいぶん変わってたろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています