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■日本人の美的センスの無さ

一般大衆レベルで、つくづく日本人は美的センスがない。

2020東京五輪の所謂パクリエンブレムだが、どう考えても最高に格好良かった。誰かも言っていたが、モジュール化できるエンブレムという発想は私にとって革命的だった。
ところが一般的には大変不評だった。改めて選考したときのその他3案や、その前に出回っていた扇型のヤツは、凡庸すぎて目眩がしたものだが、無視しがたい程度に好評だった。

セブンイレブンのコーヒーのヤツ、なんの問題もない。
非常に格好良いとは言わないが、マイナス評価するポイントが見あたらない。
レギュラー、ラージ、ホット、コールドくらい分かれ。中学校で習うだろ。
この程度も分からないような人が、コーヒーが碾きたてかどうかにこだわるなんて、意味がわからない。
馬鹿は馬鹿なりに缶コーヒーで満足しなさい。
況や、デザイン云々するでない。馬鹿なんだから。

その原因のひとつに、文字がある。
例えばアルファベットなら30字弱しかなく、デザイン性を高めやすい。
事実、長い歴史をもつ様々なフォントがあり、用途によって適切な効果を発揮する。
しかし、漢字はその点ダメだ。格好良くしようと思ってもキリがない。成功例もあるが、アルファベットには敵わない。

このことを痛感するのが、商店の看板や施設の案内表示だ。
主に漢字で書かれた日本のそれは、致命的にダサい。海外のアルファベットのそれは、おおむね素敵だ。
これは単に西洋コンプレックスなのではない。日本語には漢字があり、格好良くデザインするには数が多すぎ、格好良くするコストが高くなり、格好良くしたほうが良いという動機の低下や、格好良いモノを見る機会の少なさからくる美的センス育成の機会の逸失につながるのだ。

日本人はどこで美的センス(のなさ)を身につけるかというと、アニメやマンガ、ゲームなのだろう。クルマを見ているとそう感じる。日本のクルマ(の失敗例)は、だいたいアニメのロボットに似ている。
大人が数百万出して買うような美的レベルに達していない。達していないはずなのに、みんな嬉々として買う。

デザインが全てではない。私は日本が好きだ。

でも、一般大衆レベルで、日本人は美的センスがない。