意外に”いい人”だった信長 延暦寺焼き討ちも尻込みしてたが、光秀がヒャッハー状態で聞かず
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また、新説とは別に、研究の結果、人物の評価が一変しつつある例もある。
その代表は、誰あろう、日本史上最大のスーパースター・織田信長だ。
南蛮趣味の甲冑に身を包んで自ら「第六天魔王」と称し、古臭い常識を躊躇なく破壊する戦国の革命児。
長らく、そう語られてきた信長だが、近年の研究成果から垣間見える人物像は、それとはかけ離れたものだ。
「信長は、朝廷や寺社など、既存の権威に対して非常に気を遣う人だったことが分かっています。
皇居の修理や皇太子の元服費用を負担し、困窮する公家たちの借金をチャラにしたりと、常に尊重していますね。
一方、対立したといわれる寺社勢力に関しても、既得権益を守るために一揆を主導して歯向かった本願寺との戦いが
有名になっただけで、他の寺社はむしろ手厚く保護し、人心の安定に役立てています」(前同)
悪名高い比叡山延暦寺の焼き討ちにも、実は信長自身は慎重だったという。
「敵対勢力をかくまったということで火はかけましたが、よく言う抜き打ちでの皆殺しではなく、1年以上前に予告し、
威嚇程度にいくつかの建物を焼いただけ。このときは、むしろ家臣の明智光秀のほうがイケイケだったようです」(前同)
比叡山焼き討ち後、その所領の多くは“実行犯”光秀のものとなったが、光秀は延暦寺に残された領地まで横領し、
信長に「返してあげなさい」と命じられたりもしている。
「クレイジーな主君についていけず、本能寺で反旗を翻した“良識の人”として描かれることも多い光秀ですが、
実はかなりしたたかでクセのある人物だったようです。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は、
こうした最新の研究を反映しているらしく、楽しみですね」(歴史専門誌記者)
https://news.infoseek.co.jp/article/taishu_60236/?p=1 そりゃあんな卑怯な本能寺の変やった人間だからな
明智光秀がクソなのは知ってた 光秀が本当は超クズで信長殺して嘘偽りの話を後世に残しまくったのか >>8
でもすぐ秀吉に負けてるからそんな暇無かったんじゃね? そういえば公園のクマの置物が塗り討ちでパンダに転生させられてた
真ん中のやつも無理やりパンダにされてて可哀想だった
https://i.imgur.com/JfDoYdn.jpg 明智光秀はやっぱりクズだった
名誉回復のために子孫や領地だったところの住民が必死になってたが、通説以上のクズだったということ
それより名誉回復させるべきは今川義元だろ
今の歴史物だと貴族ぶってて厭味ったらしくて周辺の大名をいじめてて、それで信長にやられた間抜けってことになってるけど、
優れた軍師であったことは伝えられてない >>18
なんぼ優れた軍師でも寡兵相手に殺されるようじゃあかんわ
バショクも山登らなかったら天才だったとか言われてんだろ >>1
うそくせー なーんかうそくせー
誰史観だよ 歴史上の人物は面白おかしく脚色するのが常だしな。タイムマシンで実際会うと全然違うとかザラでしょうな >>1
「何言ってやがるですか、このボケザル人間!」 だから言ってるじゃん光秀は信長以上にマジキチなんだって そもそも延暦寺はクソだったからな。僧兵ばっかりでまともな寺じゃなかった。 日本でお馴染みの肖像画だと目鼻口が薄っぺらでチョビ髭だが、
欧州で出回ってる画だと目鼻立ちクッキリしていて髭も立派なもの >>18
だいぶ回復したほうやろ
従来の公家風の太ったおっさんからイケメンになったぞ 信長が光秀に「キンカン頭」とか言ってたのは司馬遼太郎 「従えば仏。歯向かえば鬼」
信長を理解するならこれで足りる
ただし松永久秀だけは謎 信長は他の戦国武将と比べればかなりやさしい。
ただやる時はとことんやる。 明智は発達障害くさいな
会社でも 一番面倒なポンコツは発達障害
本人は何故か有能と思っているようだが
それなら引く手数多だろうが >>25
そもそもの原因は
約定破って蟹江城騙し討ちして
蟹江の住民皆殺しにした事に対する
報復って何でいつも抜かれるんだろ 信長公記によると、美濃と近江の国境近くの山中という所(現在の関ケ原町山中)に「山中の猿」と呼ばれる体に障害のある男が、
街道沿いで乞食として暮らしていた。今で言うホームレス(不労者)である。
岐阜と京都を頻繁に行き来する織田信長は、障害者であるが為、普通の生活ができないこの乞食を、度々観て哀れに思っていたようだ。
1575年6月、上洛の途上、織田信長は山中の村民を呼び集め、木綿二十反を山中の猿に与えて「これを金に換え、
この者に小屋を建ててやれ。また、この者が飢えないように毎年麦や米を施してくれれば、自分はとても嬉しい」と村人に要請した。
要するに、障害者に対して、生活保護を行ったのだ。山中の猿本人はもとより、その場にいた人々は皆、涙したと伝わる。 明智光秀って来歴不明なのに突然出てきて信長に厚遇されるんだよな
それで謀反とかコイツなにもんだったんだろうな 信長は調べれば調べるほど優しくて性格の良い奴
部下や領民からも慕われていた
秀吉は調べれば調べるほどゲスな奴
家康は意外とエピソードが少ない
信長や秀吉に対してどんな気持ちだったのか資料もない 金柑頭なんて言われてたら謀反したくなるだろう
お前らだって頭髪のこと言われたらキレるだろ いや新宿古着屋ワタナベは自爆させるだけですから手間要らずですよダイバクショウ
信長ってよりヒロノブックスクスクスダイバクショウ >>32
信長の領地で強盗まがい繰り返してたんだっけか >>41
良くあるのが美濃出身でそこそこの家柄
なんやかんやで将軍に仕え一緒に朝倉へ
そして信長に上洛促す際に引き抜きされたって感じか
なんやかんや部分が良くわかんないんだよな つーか、信長が尊皇派ってのは戦前の歴史家の常識だったからな
皇室では当時中興の祖扱いだったらしいし
信長のイメージはゲームや時代小説にひっぱられ過ぎている >>43
お前、パヨクだろw
安倍の支持者が多いのもゲスが世間を騙してるからと思ってそうw いやいやいやいやいや
最近のノビナガあげは何なん?
荒木村重逃亡後のジェノサイドは常人じゃないで
嫁子供付き人全員斬首して城内の人間を生きたまま建物に数百人閉じ込め焼きころしやぞ 光秀がやったこと
祝賀会でみんなで頑張った慰労するところを
俺が頑張ったからだな!って自慢して信長にキレられる
余興の模擬戦でなぜか本気だして
信長に完勝
結論
頭は良いけど、適切な状況判断できない馬鹿 子孫同士、ご先祖の威光=己の美味しい思いのために戦え >>52
何故いきなりパヨク扱いするのか分からないが
きっとおまえがバイトのパヨクなんだろうな >>59
どちらかというと、実力部隊持ったバチカンかな あの裏切り者許し過ぎのノッブを見たらわかりそうなもんやろ >>62
と言うか裏切られ過ぎだろ
よく天下取れたなってくらい裏切られたよな >>1
ガチホモだし根は乙女だったろうよ
むしろホントはDQNだったのが秀吉 >>61
余計にタチが悪そうだなw
寺院が武装するなんて権力者にすればあり得んわな、やっぱ皆殺しで正解でわ。 信長はキチガイに殺されたのか。さぞ無念だったろう
ていうか身内に優しすぎたのが問題なんじゃないの 逆張りの逆張りみたいな歴史観が横行してて
何がホントなのかサッパリ分からない 信長の声ってめちゃ甲高かったんだろ?
クロちゃんみたいな声だったのかな ノッブなんかよりここ最近のボンバーマン松永に関する手の平返しなんなの 結局光秀はなんであんな真似したんだろうな
痴情のもつれ説とかあるがw 下戸なのに家臣のために酒宴を催して余興で女装して踊ったりしたんだぞ >>32
宗教隠れ蓑に武装して暴れてたんだから
オウム真理教みたいなもんなのかもな >>66
今の印象で寺社を宗教施設だと思うからノブノブ酷い!とかって思わされちゃうけど
当時の寺社は戦国大名の一種やからな
それの権威と権力の解体に手をつけたのがノブで完成させたのがヤス >>75
普通に魔が差したんだろ
「あれ?ココで信長殺したら俺が天下取れね?」って
誤算は秀吉がスーパー神懸かりタイムだった事 >>74
佐久間はかなり気にしてるし
信盛死んだらすぐに原因の一つとされた信栄の帰参すら許してる でもあの時代に強力な寺社勢力と敵対するとか他におるの? 彼(光秀)は、裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、
戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。
また、友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していた。(『日本史』ルイス・フロイス著) 延暦寺なんて僧兵テロ集団は焼かれて当然で、再建を許した秀吉がクソ そもそも発掘調査だと一部施設だけで大して焼いてないっぽいからな
江戸時代以降に比叡山が誇張した また明智子孫の世迷言かと思ったわ
呉座氏にフルボッコにされてなお立ち上がるのかと >>8
光秀がゲスいやつなら味方が少なかったのも納得 本能寺の変の後に秀吉を迎え撃つというときに他国の大名は誰も光秀に味方しなかった
信長を暴君と罵ったところで光秀の人望の無さは言い逃れできない >>51
確かにそう書かれた秀吉が家来に宛てた書状が現存するんだよな
まともな武将なら割とチョロい御屋形様だったのかな? >>65
ほんとはDQNてゆうか
むしろDQN臭しかしないのが秀吉 >>18
もともと街道一の弓取りって言われてただろ
いつの間にか家康の代名詞にすり替わってたけど 信長の寺弾圧はのさばってた寺を調整する意味で丁度良かった
信長がやりたい放題を許可してたイエズス会を止める意味で光秀は良い時期に謀反した 本能寺の変の時だって味方を完全に信頼してあんな少数で京に出てるしな >>90
うちの社長ムカつくわー
よしぶっ殺した!今日から俺が社長!
根回し?ねーよそんなもん
ってのを時代が違うといえしでかしたのが光秀 信長ほど後世でおもちゃにされた武将が他にいただろうか 本願寺とか延暦寺とかって、今で言うイスラム武装組織みたいなもんなんかな? 秀吉への嫉妬で秀吉を重用する信長に逆ギレしたのが本能寺の変 >>14
あだ名が(ハゲだから)鬼灯頭だったっけか
その点に関しては間違い無くお前らだな >>11
むしろ秀吉が吹聴して回った可能性があるよな? らん丸はガチムチのタチで信長はきしゃのネコだったんだってな へぇ、面白い
そうだよな完全クレイジーなら大名務まらんもんな 安倍=ゴミの王 麻生=ロスチャイルド家の猿
安倍は関わるもの全てをゴミ化してしまう。
安倍の取り巻きも支持層もゴミ人間だらけ。
安倍のニックネームは「ゴミの王」に決まりました。
麻生はフランスロスチャイルド家と血縁関係になっていて、
日本の水道をフランスロスチャイルド企業に売り渡し水道料金を5倍にして日本人から搾取させようとしてる売国奴。
麻生のニックーネームは「ロスチャイルド家の猿」に決まりました。 意外にというか戦国武将ではまともな方、信長の魔王イメージは武田を滅ぼし謙信も死んだ後の
敵なし状態天下統一待ったなしの最後の数年間、さすがにこの頃は浮かれてた
ただ是非もなしでキッパリ自害できるあたり本能寺から生き延びれば浮かれた気分も直って
天下人に邁進できただろうな >>90
細川親子がフル無視して
筒井順慶も逡巡したけど結局加勢しない
人望なさ過ぎぃ
というか、殺したあとの計画練って無かったからしゃーないか
パチンコ換金営業は刑事犯罪です!
警察官OBは定年退職すると
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)のパチンコ屋に天下りし
3〜5年ほど雇ってもらいます
警察の風営法検査の日程情報を漏らしたり
ヤクザから店を守る手伝いをします
そんな警察官OBは、最も卑劣な売国奴です
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)のパチンコ屋の犬です
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)のパチンコ屋の社長は
そんな警察官OBを馬鹿にします
「警察官OBは使い捨ての犬だ」なんて言います
でも警察官OBは文句が言えません
年金が出るまで、ひたすら我慢です
その分、日本人には威張り散らしています
パチンコ換金営業は刑事犯罪です
今すぐ換金営業を全面禁止すべきです!
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)に甘い「親韓政治家」は
次の選挙で「普通の人」になってもらいましょう
自分の選挙区の政治家が
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)にどんな姿勢でいるか
次の選挙のために、冷静に観察しましょう
天台座主だった足利義教も焼き打ちしてるから、幕臣だった明智光秀は前例にならっただけだろう そもそも歴史観なんてその後のフィクション小説からつくられてるものが多いからな 子供の時は信長てすげえ厳しいイメージあったけど
逆に武将の中では優しい方だったんだな >>121
長男 早死に
次男 あれ
三男〜五男 シリアナ
末弟 外道
すごいよね森家 英雄伝説はいいから、一度戦国時代の経済力一覧表みたいなの見てみたいわ。その通りの勝敗結果になってそう。 浅井が信長を裏切って朝倉についたのも一向宗テロ集団に逆らえなかったから 冷酷卑劣な印象操作をされたって倉ちゃんが言ってた
最大の戦犯は堺屋太〇、井沢〇彦って倉ちゃんが言ってた お前全然だめじゃん、7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん
秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?
できないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?それなのに何もしないで包囲してただけじゃん
しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?
あ、そうだ、水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて見込みあったんだぞ
岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三(鬼武蔵)に召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ
あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか?本当に
光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?
お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどお前よりも年取ってる権六なんかすげー頑張ってるぞ
そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ、あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に横柄な態度とるとかおかしいだろ
権六なんか跡取りの話もせずに権六頑張ってるぞ。いや、たまには負けるけどな。加賀でそういえば最近も負けたな、権六
でも権六は頑張ってるぞ、勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ、やる気なんだよやる気、お前はやる気が感じられないし
とにかく今のままじゃ話にならん
信盛よ、こうなったら大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか、3つに1つだぞ、よく考えろや >>125
女にも優しい、ただ舐めたことするやつは容赦しない >>129
イジャワ先生は冷酷非道というより
世紀末覇者的な扱いしてなかったか?
それはそれで酷いけど >>130
修造が読んでもいいくらいの人間味あふれる優しさだな。 >>8
ノブのやったことは実質宗教改革だから糞坊主が徹底的に罵ってるだけ
道半ばで倒れた斉藤道三も松永久秀も実は民衆にとっては凄く良い人 浅井長政が金箔ドクロにされたのは有名だがその母親も惨殺されたのはあまり知られてなさそう
息子の万福丸に至っては磔どころか串刺し刑で殺された
いい人説なんてのを唱える奴らは虐殺された一人一人の人間を想像することができないんだろうな >>137
信長が禁止していた略奪強姦して
年末の楽しみが年貢おさめられなかった領民処罰の松永久秀でそれはないw バラモンの家族で歴史に介入した例として
本能寺の変が描かれてたが
明智光秀が部下をけしかけながら
内心(なんでわしが主君である信長様を討たねばならんのだ)
って普通に部下してたのがなんかよかった 最近の研究だとノブノブは昔の魔王的なイメージとはうってかわって結構寛容な事が判明したんだよな。 光秀とは1時間くらい話すことができたが
思慮深いおっとりした人だった。
タレントでいうと船越英二にちかい。
信長とは会えなかったが声はしわがれていて
キンキン声だという俗説は否定したい。
ちなみに信長の正妻は公家の娘で、道三の
娘は側室のひとりだったが、道三が殺された
ので正妻にして、いくさの大義名分にしたと
光秀から聞いた。 長政はノブの身内で新時代に乗ってたのに、身内に甘いノブをあんな風に裏切りるとね
凄く気に入った弟だったから反動で金の盃にしたんだろう、串刺し云々は大して残酷ではない 髑髏で盃とか完全にプロパガンダだからな、実際そんなことそれ一回こっきりでおわり
それで信長残酷とか思ってるならほんと信長のプロパガンダにやられてるわ この最新の研究結果だってまた覆るかもしれないんだぜ?手首養生しろよ。 武田撃破後の信長は明智経由の朝廷の意向受けまくってるんだよなあ もう織田信成vsクリス・ペプラーで代理戦争したら? まあ、ノブから天下かっさらったヒデやヤスが元主君であるノブのことを良く言うはずがないからな
松平家は織田家の家臣ではないという話は置いてくれ
どう考えても、ヒデが仕組んだようにしかおもえんしな、ヤスもからんでそう
伊賀越えの話もウソくせー、なんかとってつけたようなかんじがする どうせ大河ドラマの主人公なんて
”いくさはいやじゃー平和な世の中を”のワンパターンなんだろ
西郷隆盛まで戦争を嫌がりだしてマジで草 織田信長が柴犬に転生した漫画がまあまあおもしろかった 本能寺の変で陰謀説厨房は
当時の年齢相関図すら知らないあほだろうな
光秀は当時もう60近い爺さん
ノビは51
秀吉はノビの3つ下
ヤスはさらに5つ下つまりノビから8つ下
黒田官兵衛はヤスの4つ下
つまり10代で子供を作る時代で
光秀とヤスや官兵衛は親子ほど歳の差 >>156
秀吉と家康が最終的に天下取ったから言える結果論だろ >>18
信長公記読むと今川義元が情報収集力皆無だったことが分かるから
今川義元が桶狭間に向かう前までは織田家自体内紛状態
その織田家で勢力を伸ばして織田家当主になって内紛を収めたのが織田信長で
内紛が収まった後に今川義元が清軍してきたから負けたという 大河の明智光秀役は'ハゲ'タカ綾野剛でお願いしますw 多分ノブ殺した男、羽柴秀吉
信じる、信じない、構わぬ >>152
経済商工ギルド、ヤクザ、大学、宗教権威を持った手の付けられない大名って感じだな >>160
まあ、ヤスに関してはそうだけどさ
ヒデは、天下獲りに動いたとしかおもえん
大返しの段取りのよさといい、織田家殲滅といい、織田家臣分裂させて撃破といい 5chの戦国時代板で見たんだっけな?
詳しい人によると、信長の革命児という
イメージは実像と違うそうだ >>53
ノブの皆殺しは「開城せんと皆殺しにするで」って何度も警告してる 持ち上げられたり落とされたりするのは秀吉も一緒
織田を滅ぼしたのも結局は秀吉だし >>166
タイミング良く毛利と講和出来たからだろ、やっぱり結果論
信長が少数の護衛だけで本能寺に泊まることなんて
そんな前もって分かるわけ無い >>163
長谷川博己だぞ
長谷川博己は舞台出身だからモデル俳優の綾野剛よりも上 同時代の記録を見ると、皇室や公家からみて、本当の困ったちゃんは秀吉だったんだよね。
信長は、公家の秩序には介入しなかった。
家康は、武家だけの勝手な官位秩序を創った。
秀吉は、公武合体で俺たちにも官位をよこせといった。それもたくさんwこれが一番困るw
秀吉没後、庶民はともかく、公家も武家も秀頼支持は脳筋の加藤清正ぐらいで、ほかはほとんどいなくなったのは、
秀頼が関白について、豊臣政権第二弾が始まると、
また秀吉時代のようjに秩序がぐちゃぐちゃになると頭を抱える人が、上級国民の多数だったからw 織田信長が地方主権を任せた武将って全員曲者揃い
中国羽柴秀吉:毛利攻めが下手で何度も岐阜に戻して説教した
北陸柴田勝家:かつて織田信行に仕え信長を自害寸前に追い詰めたことあり
関東滝川一益:信長とその部下から無能呼ばわりされていた(武田を交渉で崩壊させたため重く取り立てられた)
四国明智光秀:裏切り >>171
アホの信忠が死に物狂いで逃げなかったのが悪いな、残った信雄信孝はアホボンだし >>156
秀吉と家康の政権の正統性の一つが
織田信長の後継者って位置付けだったりするから
あからさまに悪くも言わない
前田利家なんて最期まで忠誠誓ったのは秀吉じゃなくて信長 >>175
いや、明智のほうがヤバいんじゃね?というのが最近の考え方。
信長は報奨回路の筋が通っていて誰の目にもわかりやすいので、本当は常識人だと思う。
ADHDではないと思うよ。 >>166
大返しの手際が良かったのは、芸術的とも言える水没した高松城を(降伏される前に)のぶさんに見せたい一心の秀吉がルートを入念に整備したからだったりする。
のぶさんにウケようと道路を広げ、馬や兵員を休ませる休息場所を一定距離に作った ←ここを逆走した >>180
つーか、信長は常識人で通ってたとは思うよ
秀吉には最後まで抵抗した北条も
本能寺前は帰順間近で全国制覇目前だったし
本能寺で統一が思いっきり延びた 延暦寺焼き討ちせず信長が負けてたら宗教国家もありえたな日本 落ち武者狩りに殺されたってのも本当かどうか
源頼朝が何者かに馬上で暗殺されたってのと同レベルの腑に落ちなさ >>157
それ俺も思ったw
なんで西郷があんなに戦争嫌いなんだよってw
現代の反戦主義を無理やり当てはめてるよな >>184
ルイスフロイスがこう書いてる
信玄が遠江と三河に来襲する前に面白いことがありました。
信玄が信長に書状をしたためた際に、自分の名を天台座主沙門信玄と署名したのです。
これに対して信長は、第六天魔王信長、つまり仏教に反対する悪魔の王と署名して返しました。
要するに信玄に対する皮肉と言うかシャレがベースw 信長公は邪教を殲滅しただけだから
真面目に信仰する日蓮宗やキリスト教の布教活動には寛大だった >>1
信長がいい人だって、笑わせるなw
信長公記読んでみろ。殺戮のオンパレード。
降伏した数百人の敵を女、子供も一緒に
家に閉じ込めて焼き殺したり、ささいな
事で手討ちにしたり酷いもんだわ。 当時の僧侶はお布施が少ないと
自ら仏罰下しに行ってたからな >>192
障害者にお金上げたり
霊感商法で金儲けしてたクズ処刑したからいい人! とか言いながら、光秀が信長に焼き芋でも食わせようと焼いてたら
あれ?なんか火が広がってね?とか思ってたら
部下が何を勘違いしたのか、そこら中に火をつけまくってて、
え?お前ら何してんの?焼き討ち?はい?どこを?
あら?延暦寺燃えてね?てか信長さま何処よ?
書物やボケた爺さんの聞いた話でしか、わからない昔の話に何故か出てこないが
昔からヒューマンエラーはあったと思う。 >>80
出雲大社周りに山城が見つからないんだよな。やはり相当権力持ってて守護や大名も近づけなかったんだろうな >>8
後の南光房天海だからな
やりたい放題ですわ >>192
一向一揆は仕方ない一面があるのよ。
一般的な農民が本願寺の呼びかけで兵となる。
劣勢になると指示に従って農民に戻る。
これの繰り返し。
地域全体皆殺しにして入れ替えるしかないし事実それでうまくいった。 >>66
弁慶だって僧兵だし
三家(公家、武家、寺家)って習わなかった? >>18
センゴクの人が書いた漫画みてだいぶイメージ変わったわ
まあ本当に馬鹿なら武田か北条と対等にやれんわな >>192
ガチの宗教狂徒は消毒するしか無いんだよ >>12
逆に延暦寺の僧兵が他の寺にやった焼き討ちの回数はゆうに50回を超えてる >>206
稚児さん云々で坊主同士が戦争して京都を灰にしたしなw >>202
切られた観内と言う茶坊主は公家の料理作法にうるさいグルメを極めた人物だった。
対するノブさんは濃い料理が好きな上、どっかと座って作法なくがっつくタイプ。
んで、片膝ついてガツガツ食ってるノブさんに説教した。 >>171
毛利が情報掴んでて秀吉に恩売って、その後の待遇よくしてもらうためにやったって説あるよね
まあ秀吉は殺せんし、結局あとで負けるってよんでても不思議じゃないよね >>189
寺社焼き討ちや坊さん皆殺しとかは信玄の方がよくやってるんだよね
駿河遠江に攻めこんだ時、特に遠江の寺社は焼かれまくりで武田軍は乱取りしまくって、武田軍の通った場所は民百姓がその後しばらく生活出来ないレベル
織田軍はその点、軍規厳正で民百姓から歓迎された上に織田領内は盗賊強盗らの出没はなく、民百姓が暮らしやすいといわれていた 信長のも典型的な「凡人が理解できない天才に下す悪評」だよ。
馬鹿は「自分と違う」という事を、それが自分より優れているからとは絶対に考えず
違う方が間違ってる・劣ってると決めつける。馬鹿だから。 >>211
小馬鹿にするようにネチネチしながら教えたのか
それともしっかり教えたのに切られたのか >>190
当時の日蓮宗は他の宗派をボロクソに攻撃してたような
んで、収まりがつかないから相手は浄土宗だったか真宗だったか
安土に呼んでディベートさせたんだっけ
日蓮宗が負けて死罪 信玄、謙信、清正辺りは寺社に過大評価してもらって高下駄を履かせてもらってるよね >>215
静岡での武田信玄の評判は今でも非常に悪いらしい >>180
なんでADHDが非常識人みたいになってんだよ
もつと勉強しろ馬鹿 >>162
信長公記で今川を肯定的に記す情報が載ってるとでも思ってるのか >>192
はるか昔の三国時代の司馬懿
「将には五つの道しかない。まずは戦う、野戦で勝てなければ籠城する、籠城出来ないなら降伏する、降伏しないなら逃げる、逃げれないなら死ね」
遼東の公孫淵征伐の時のありがたいお言葉で、降伏する時を与えたのに降伏しないなら逃げるか死ぬしかない
猶予を与えたのに一族を捨てて逃げた武将が悪いし、みせしめは信長以外にもやってるってかそれがあの時代の当たり前
他とは違い、許す時も降伏する時も与えてる信長はあの時代では寛容な方 部下の嫁さんに夫の事で泣きつかれ「おみゃー奥さん大切にせなあかんでよ」ってやんわり仲裁の手紙送ってる時点で相応の人だってのは分かる
マジキチ相手にそんな相談はしない >>220
それはわからんが、ルイスフロイスはこう書いてる。
傲慢で神をも恐れぬ人物。
名誉を重んじることこの上なし。
部下の進言を聞き入れることは滅多にない
こんな人に「食べ方が汚い」とか「そんなモノ食って」なんて意見したら言い方がどうでもタダじゃすまないw
逃げずにひれ伏したら許されたかもしれんけど。 つか浄土宗は一揆でどんどん領地を収めるという荘園以来の封建制を打ち壊していった
領土から領主が逃げたら、または一揆勢にぬっころされたら、そこを民主共和制で統治しようとした
北陸や長島、奈良、大和の一向一揆は、そうやって危うく封建制度崩壊を招くまでになった
もし一向勢が信長獲ったら、日本はフランス革命の200年前に共和国になっていたかもしれん 割りと身内とお気に入りは何やっても許す人
ただ、変なところにぶちギレ線があるから、突然斬ったりするし >>233
緒形直人の信長の
楽しそうに信長の前で笛吹いてた
田中健の佐久間信盛がすぐに追放されたのがワロタ >>234
佐久間信盛って最後餓死だったんだよな
織田家の宿老が餓死するとか哀れな最後だよな >>235
折檻状読むと
家来増やせとか
話聞きに来いとかアドバイスしてるんだけどw
全く空気読めない佐久間
息子もお茶道楽だし 本能寺ホテル観たら信長めっちゃええやつやったわ!!
あんま絡みないけど >>235
こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。
もしくは、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。
↑
下を選んだのが佐久間 しゃくれのタイムスクープハンターに頼んで信長の実態探れよめんどくせぇ >>240
ノブ「やる気がないなら帰れ!」
ノブ「 本当に帰るやつがあるか!」 >>130
確かに信盛は無能だけど
でもそれを列挙して信長に讒言した奴がいるだよな
光秀とかいう奴 >>73
三好さんの暗殺もお寺の焼き討ちも将軍の暗殺も、アイデンティティーだった爆死もしてなかったのだもの。 >>190
信長はキリスト教に寛大だったけど、キリスト教の宣教師は裏で
日本人を捕まえて奴隷にして世界中に売り飛ばしていた
それを知って激怒して涙を流し、キリスト教を禁止してバテレンを追放したのは豊臣秀吉 せめてまともな研究者に聞けよ
なんだ歴史ライターてw 足利義昭にあてた十七条の意見書などは正論ばかりなんだが
指摘がかなり細かい
上司だったらかなり細々と論理的な指摘をするタイプ 佐久間は功績以上に派閥が強すぎたともいわれるな
織田幕府開いたとしても功績のない佐久間が派閥の力で上の方に立つとバランス取れないからクビにしたって 光秀は認知症で本能寺の変を起こしてしまった説の小説を読んだことがある
おいおいおいと思ったけど ナチスのアイヒマンみたいな心理状態だっりしてな
実直だった男が残虐行為に手を染めるとか 寵愛したメンツ
秀吉(家柄こそ最底辺だが、能力がクソ優秀)
勝家(一回裏切ったけど、番頭格で部下からの信頼も厚い)
光秀(浪人だったが、鉄砲戦術などで優秀なので破格の出世をさせた。途中で嫌う)
滝田(いぶし銀の活躍)
蒲生(文武両道、その才能を愛した)
冷遇したメンツ
佐久間(家老格なのに、なんと特に理由もなく追放!光秀に衝撃走る)
林(10年以上前の裏切りを理由に切られる)
信長が、甲斐で光秀を侮辱したり、光秀から坂本を取り上げなければ天下統一してたのに… 比叡山焼き討ちで足利義教も話題になればいいのに(´・ω・`)元天台座主なのに謀略で有力僧斬首したり面白い >>255
一番ひでえなって思ったのは鬼武蔵と五徳姫だな
鬼武蔵「関所の役人斬りましたー!反省してませーん!」
信長「流石鬼武蔵!許すわ!」
五徳姫「夫が気に入りませーん」
信長「家康に斬らせるわ!」 ある程度非情は当時の大名ではデフォだしな
まあそれなりの人格備えてないと天下人までは行けんだろうな常識で考えて >>256
直接支配の官僚と直轄軍編成した
1世紀早く生まれた信長だな
義昭の時代まで曲がりなりにも室町幕府が続いたのは
義教のお陰 >>192
まるで見てきたかのように言うな、お前w >比叡山焼き討ち後、その所領の多くは“実行犯”光秀のものとなったが、光秀は延暦寺に残された領地まで横領し、
>信長に「返してあげなさい」と命じられたりもしている。
光秀を「良識の武将」に祭り上げたのは義昭縁故の連中で、実際はいきなり増税や理由のない国替えを布告して
諸大名から「馬鹿かこいつは」とそっぽを向かれてるからな 聖徳太子の生まれ変わりと言われた細川政元さんこそ一番の聖人。 足利義教、織田ノブ、斎藤道三、松永弾正、宗教改革者は悪人にされるな 真言宗の根来衆や一体の雑賀衆もやべえよな
当時の最新兵器の鉄砲を大量生産大量保有して訓練もエキスパート揃い
大名の正規軍を兵器の質と練度と火力で圧倒
ソマリアの海賊がズムウォルト級を何隻も保有してるみたいな >>274
大河の花の乱で
空飛ぶ練習してたので初めて知った政元 光秀はただ信長を殺したかっただけだからな
いくらなんでも、その後の展開が不利なのを見抜けなかったわけないし
秀吉がどこまで予測してたかどうか >>115
三成は冗談通じない堅物なだけで、豊臣家に尽くしてるだろ
義理堅い >>276
否定して悪いが、根来衆や雑賀衆は天皇シンパだったんじゃね?
宗教よりあそこらへんの奴らは天皇に従順だったような >>125
信長の側近が信長の動向を記録した信長公記にはな
信長が川沿いを家臣と共に移動してたときに川原で農民が昼寝しててな
家臣たちはお館様が通ってるのに土下座して見送らないのは無礼だと切り殺そうとしてたのを
俺は農民が外で呑気に昼寝出来るような平和な世の中にしたいんだ
うちの領地は平和ということだから良いことじゃないか放っておけと止めたと書かれてたり
信長のことを幼い頃から面倒見てきた爺やみたいな人を信長は慕っててその爺やが信長が家督を継ぐときに織田家内が揉めたときに信長の奇行を諫めるためにその爺やは
信長様は織田家を継いで栄えさせる才能があるお方なのに馬鹿みたいな真似をしてたら誰も付いてきませんよ
私が切腹するのでどうか爺やの願いを聞いて立ち振舞いを改めて立派な頭首になってください
と書き残して死んだ爺やの葬儀で
俺がうつけの真似をしてたのは考えがあってのことなのに理解してくれなかったか
立派な頭首になった姿を爺やに見てほしかった的なことを言って号泣した
その後も信長が合戦で勝ったり出世するたびに空を見上げて爺や見てるか
俺は爺やが誇れるような信長になれてるかみたいなことを言ってたそうな 誰かが泣かぬなら殺してしまえホトトギスとか言い出したから >>276
根来寺はマジで城塞、小一郎が攻め落とすまでヤバすぎて誰も手が出せなかったもんな 妹お市の方のほかに美女の妹がもうひとりいて、それを思うと信長さんもかなりイケメンだったのじゃないだろうか 滋賀すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. 宣教師がふつうに信長の悪行暴露してるだろ
癇癪起こして市民斬り殺したとか 信長とお市の方は近親相姦しててそれが理由で母親は信長のことを蛇蝎のように嫌うようになったという説があるな さらにフロイスは信長をこのように評しています。「正義感と慈悲に関係あることは喜んで実行する男である。」ちょっと性格よさそうなところが書かれていますね。これについては「信長公記」の中に心温まるエピソードがありましたので紹介します。
美濃と近江の国境近く、現在の関ヶ原町山中に「山中の猿」と呼ばれている体に障害のある男が街道沿いで乞食として暮らしていました。
当時、岐阜と京都を頻繁に行き来していた信長は、障害があるが故に普通の生活を送ることができずにいるこの男を度々見かけては哀れに思っていたようです。
1575年上洛の途中、山中村の人々を呼び集めた信長は木綿20反を「山中の猿」に与え「これを金に換えて、この者に小屋を建ててやれ。
それから、この者が飢えないように毎年麦や米を施してくれれば、自分はとても嬉しい」と村人たちに頼みました。その信長の行動に本人だけではなくその場にいた人々は皆涙を流したと伝わっています。
信長いい人……。今まで髑髏でお酒を呑ませるなんて変態!!とか思っていてごめんなさい。
それに加え、多くの文献の中には信長が庶民や武士などの身分にかかわらず交流があったことも書かれています。
元々、信長は母親が弟ばかりを溺愛したせいか尾張の大うつけと呼ばれるほどで、幼いころから奇行や奇抜な行動が多く、町の若者と遊んでいたみたいですから、身分にはこだわらない性格だったのでしょう。
こばかなフリだったという説もありますが、庶民とも分け隔てなく仲がよかったという内容の文献は多く残っています。庶民と共に踊ったり、工事の音頭を自らとったりしていたようです。意外とフレンドリーな人ですね。 >>245
きいた話によると戦場で死体をきりきざんで中国人に売ってたのが日本の女(とくに農家の女)
なにに使うのかというと粉にして薬にする (いわゆる漢方薬)言いたくないが脳〇〇は高く売れたらしいよ >>230
そらフロイスさんは異教徒の信長を悪くいうだろうよ フロイスはさらにこう記しています。「傲慢で神をも恐れぬ人物で、名誉を重んじることこの上なし。決断を内に秘め、軽々しく外に表すことがなく、戦術も巧みである。戦術を立てる際に部下の進言を聞き入れることは滅多にない」
さすが信長さま。他人の意見は聞かないそうです。あまりにも人の話を聞かな過ぎたのが原因なのか教育係の平手政秀は信長の行動を諌めるために切腹したと言われています。
ちょっと過激な説教ですね。政秀の死は息子と確執があったためとも言われていますが、とにかく政秀の死を受け信長は深く悲しみ、菩提を弔うために政秀寺を建立しました。
こんなはずじゃなかったのに…死ななくてもいいじゃない……と信長が思ったかどうかはわかりませんが、平手政秀は信長の父・信秀の時からの重臣で信長の初陣の後見役を務めたり濃姫との婚約を取りまとめたりしてくれた人物です。
信長に意見するのは命がけでということなのでしょうか?
他にも「すばらしい理解力と明晰な判断力を持ち、神仏やその偶像を軽視し、卜占など全く意に介さない。他人と語る場合は、その相手が回りくどい説明などすると、すぐに嫌な顔を見せる」とフロイスは書いています。
神をも恐れず、神仏を軽視していた信長は自分の意見と合わないものや約束や規則を破る人が嫌いだったようで、その憎悪は執拗で、とても執念深かったようです。
延暦寺も女子供問わず焼き討ちにされていますし、家督争いの際に信長の弟・信行を擁立して、信長を排斥しようとしていた者たちを20年以上もたってからその話を持ち出し、追放していたりしています。
僧たちが権力や軍事力を持ったり、女に溺れるなど宗教としての意義を忘れているとしか思えない僧侶たちの腐敗ぶりを批判しています。 >>258
信長は信康夫婦のことを心配して訪問までしてる
やっぱり甘いな >>293
フロイスは
所属してたイエズス会から
奴の報告はバイアスかかってるって言われてたぐらいだからw 信長の留守中に参詣に行った女房を激怒し
て全員処刑したと公記にあるな。オマケに
間に入ってとりなしした坊さんまで一緒にw
こんなのが上司だといつ殺されるか分からんなw 信長は周囲の人に第六天魔王とは思えないほどの気遣いと優しさを見せるときがあったようです。先にも書いた「山中の猿」の話もそうですが、秀吉の浮気に怒ったねねに対して、信長はねねの味方をして、焼きもちを焼かないようにといった内容の手紙を書いたといいます。
またルイス・フロイスがポルトガルから来たことを告げると年齢やポルトガルと日本の距離、いつ来たのかなど多くの質問をしますが、「お主の両親は心配していないのか」と聞いたり好奇心旺盛に質問する一方で、フロイスの両親を気遣う一面も見せています。
信長は楽しいことも大好きだったようで、相撲の大会を開いたり、安土城をライトアップさせて城下町の人々を楽しませたりと信長自らが主宰・参加して楽しんでいたようです。
いくつかのエピソードとフロイスが書き残したことを参考に信長の性格を探ってきましたが、部下や規則を違反するもの、自分と敵対するものに対しては確かに残忍・非道なこともたくさんやっています。私もこの記事を書くまでは信長って冷たい人な印象がありました。
しかし、その一方で庶民と分け隔てなく戯れ、城下町の人を楽しませ、国籍も問わず家臣に登用し、好奇心が旺盛でお茶目な一面も持ち合わせている……そのあまり語られることのない部分が人間・織田信長を魅力的な人物として後世に伝えているのでしょうね。 しんちょうこうきを長々と書くのはいいんだが
信長が生存してる時に英雄論を書くのは、やっぱちょっと違うと思うよ太田牛一 浅井長政とはどんな関係だったの?
詳しい人教えて! >>299
信長公記主体の
緒形直人の信長見るのが一番手っ取り早い ホントかよ、
昔の学習マンガなんかでは
焼き討ちされる延暦寺の僧侶とか、
絵だったせいもあるけど、
信長のこめかみピクピクイメージと相まって、
スゴく記憶に残ってるんだよ
1年も前に予告したのかー
爆撃ビラの米軍より優しいのかー >>75
信長の夜伽で常に近くにいたが年齢には勝てず
いつしか信長のお相手は蘭丸に
もうお前はイラン、山陰にでも行っとけ
と命令されて愕然
今夜、信長と蘭丸は本能寺でイチャイチャ
思えば思うほど嫉妬と憎しみが込み上げてくる
これほど信長様をお慕いしていたのに!
クソッタレ!こうなりゃちょうどいいわ
2人まとめて始末してくれるわ
コレ書いたらバカにされるけど
ネタじゃなく真面目に
別に普通の人間同士なんだから
こういう感情もあったろうに >>292
男は戦に駆り出されて、その年が不作、凶作、飢饉だったりすると
そうでもしないと生きていけなかったんだろうな。悲惨な時代だ・・・ >>303
万見仙千代とか
長谷川じゃないか
そっち関係は
リアルな話をすると >>300
別に詳しくはないが、単純にノブたんの妹のお市の方の結婚相手だな
浅井(あざい)は朝倉家と仲良くて、朝倉は責めないでね! といったが信長は攻めた
浅井家はぷんぷん怒って浅井朝倉共同戦線で信長と戦うが負けちゃう
お市の方はいきて救出され、浅井の三姉妹がそれからの歴史ですんげえ重要になってくる >>71
もう過去の歴史は無意味になってきたな
未来の歴史だけ研究したらいい >>234
そういえば緒形直人最近見ないよな
根津甚八パターンじゃねーよなw 浅井長政の頭蓋骨で盃を作ったとかいうキチガイエピソードはマジかな 信長は法華宗だったから比叡山焼き討ちした、というなら仏教的にはセーフだな。
洛中の法華宗(日蓮宗)なんてずーっと比叡山にボコボコにされつづけてきたからな。
高山右近が寺を焼いたとはかなり違う。高山右近は無間行き。 あと、涅槃経は仏敵と戦うことを推奨しているし、そのために武装せよ、と書いてある。
歴史的にみて「寺が武装するのはおかしい」とかいってるやつが実はおかしい。 >>312
側近だった太田牛一が公記に書いてるだろ 信長の拠点に共通するのは河川物流経済の要を押さえたところ
押さえどころを心得た商社の一面を持ってたといえる
瀬戸内の水軍に対してもそれからの発展を見越して投資していたしね
秀吉が継いだ大陸侵攻も信長の中では侵略ではなく南蛮航路を含む水利経済圏の独占を考えていたと思うんだよね
秀吉はその辺りを勘違いした 親族とか、森一族や秀吉あたりの可愛がっている部下にはとことん甘い印象。
秀勝を養子にくれと乞われた時は、秀吉の領地がそっくり戻ってくるとはいえ、
わりとガチで嬉しかったんじゃないかと想像してしまう。
夫婦喧嘩仲裁の手紙なんかにもそういうのが溢れている。 国盗り物語での 信長が光秀の頭を橋の欄干にガンガン打ちつけるシーンをぜひ映像化して欲しい >>139
同盟を結び、妹を輿入れさせて背中を預けていた奴に裏切られたんだよなあ。そら発狂するだろw 政教分離を進めたんだろ
分離させるまでに時間も掛けた 実はイケイケ部下の横暴な行為を追認してただけろ
仕方なく上層部にペコペコしてたのが信長の実像 戦国basaraの光秀はあながち間違いではないと言うこと? 信長も光秀も三成も吉良上野介もみんなみんないい人やったんやで >>322
真田丸でやってたよ。屋敷の手すり?だったけど >>327
吉良はそんないい人エピソードねえけどな……
言われるほど悪い人じゃなかったのは事実だけど >>319
I live in Tokyoを過去形にしなさい→「I live in EDO!」 >>312
浅井朝倉の髑髏杯は江戸中期に書かれた「浅井三代記」の記述なので創作臭いと言われてますね
ちなみに水戸黄門はガチの髑髏杯もってたそうです 天皇に退位を強要した極悪人みたいな言い方されるけど、天皇は信長のおかげで退位して上皇になれると喜んだって話もあるんだってね >>317
「信長公記」でははくだみのドクロを披露したとあり、杯にした記述はないんですよね
古代中国ではドクロをはくだみにするのは敵将に敬意を払う意味合いもあるそうなので、
近年のフィクションのように侮蔑する要素はなかった可能性もあります
(公記でも家臣はドン引きもせずに、めでたいめでたいとドクロの前で謡ったり踊ったりしてますし) >>334
当時の慣習として崩御による次代への引き継ぎは望ましいものでなく生前に譲位するのが良いとされていた
戦国時代の天皇が譲位しなかったのは朝廷が窮乏してそのための資金が集まらなかったから 信長は下戸で大の甘党だという
生まれた時から気が短く、癇癪持ちで、乳母の乳首を
喰いちぎったとか言うが本当だろうか >>224
書き方が悪かったかな?信長は多動っぽい記録があっても、それをもてあましてる風がまったくないじゃんw
あれ全部冷徹な計算づくの演技だよ。しかも何の意味があるのか、後付で誰でもすっきり理解できる。
彼がADHDとかあり得ない。単に合理的で賢い役者というだけ。
むしろ、例えば結城秀康のほうがよほど行動がおかしい。 色んなエピソードが残っているから信長の人物像が色々推測されているけど
死ぬ直前までずっと四面楚歌でギリギリの状況だったわけじゃん
他の戦国大名の様にそれなりの領土で満足することなく
本気で「天下布武」による平和な世を築こうとしていたのは確かだな
根底はイイ奴だったのかもね 信長や秀吉に関しての記録って徳川時代にある事無い事盛られすぎててわけわからん。 >>1
延暦寺より伊勢長島や越前における大虐殺の方がヤバい
信長が浅井長政の頭蓋骨を杯にしたのは有名だが他にも息子を串刺しにして処刑、実母は磔にして毎日指を一本ずつ切断して苦しめながら衰弱死させるという残忍な方法で信長に殺害されている 武田信長「光秀は腐った金柑頭じゃない」
BGM 世情 >>349
越前は坊主共が支配するヒャッハーな国になってたから汚物の消毒が必要だったんだよ
伊勢長島はノブは事前に何度も警告してた先制攻撃してきた兇徒化したヒャッハーに可愛がってた弟を殺されてる
ヒャッハーな兇徒は消毒するしか無いんだよ >>336
意外に顔が長くて、
肌の色が黒ければ黒人アーティストになれそう >>353
それ、第二次世界大戦末期に「日本は天皇制による軍国主義のもと全国民が戦争に参加している」という名目で都市部への空襲や広島・長崎への原爆投下による無差別殺戮を行ったアメリカの行為を正当化する主張にそっくりなんだがお前も同様の意見なの? でも部下からは慕われてなかったから何回も裏切られてて偶々光秀が成功したんじゃね >>18
ノブヤボでも逆転イベント用意されてるし、能力は優秀だし、部下もなかなかいいの揃ってるしで、
昔と比べりゃだいぶマシな評価になってきてると思う >>355
昭和の朱子学的な大義名分論と戦国の商工業金融ヤクザ宗教の既得権を
民衆に開放されたくない宗教指導者に先導されてたキチガイ兇徒を一緒にするなよ
解かってて一緒くたにしてるんだろうけどw 光秀が実は生き延びていて、天海僧正
として幕閣の黒幕として暗躍していた
とする説はどう? この説の方が本能寺の変も、弟ら親族には甘かったってのも納得行くな
イケイケな家臣がいても、信長の親族だけは流石にどうにもならなかったろうし 古株の爺様武将にお前のダメなとこ19箇条書いて送りつけるの好き >>359
戦前の日本経済を支配し政府と結びついた財閥が戦争を煽ったやら神風特攻隊は狂気の末の作戦やらとGHQや左翼がよく宣伝してきたが
両集団の思想や行動の是非はともかく根底の精神性は類似しているとしか思えないんだが >>140
松永が忠義の臣であることは確定的に明らか 光秀はロビイストや政治家の秘書みたいなもんだよ
あいつらがまともな人間に見えるか? 鳴かぬなら鳴かなくていいよホトトギス
やさしいなノブリン 髑髏の杯って……普通に考えてそれ作る手間暇考えると普通はやろうとも思わないよねw
てことは、信長はマジの異常者かそのエピソード自体がフィクションのどっちか
異常者が日本統一直前まで行くとか思えないしほぼフィクションだろうw >2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は、こうした最新の研究を反映しているらしく、楽しみですね
宣教師からも「腹黒い人物」とか思われていたんだっけ?
良い子はあきたから、ダークヒーローやってくれ 信長とか政宗は部下の話を結構聞いたり筆まめだったりするんだよな。
信長も部下の妻の愚痴とか聞いてあげてたそうで >>370
司馬遼太郎が盛った
とか言われたら信じるレベル >>349
ありゃ本願寺も駄目だろ
いい加減ドラマなんかで、本願寺側を犠牲者として描くのは止めてほしい >>312
頭蓋骨に酒は注いだけど、それを盃にして飲んだってのは嘘っていう話 秀吉を猿と呼んでいたのは隠語
猿=「忍者」の事だよ
秀吉は走る馬に追いつくほど足が速かった
信長は秀吉を「禿げネズミ」と呼んでいたので、猿より鼠に似ていた >>372
平清盛がダークヒーローやるはずだったのに、何故か海賊王の話に
なっちゃったからなww あれは本当に酷かった。 おねへの手紙見りゃキチガイの人どころか気づかいの人であることが良く解るもんな >>364
それができるのはトップだけだしな
恐らく、若手からも影で不満が噴出してるレベルだったんだろう
放置すれば内部対立起こしてしまう
本願寺征伐は包囲戦だから、それは絶対に避けなきゃならん 信長と光秀はいい奴だったと思うよ
腐りきったこの世の中を変えたいと2人は同じ志を持って意気投合した >>349
(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガクガクガクガク >>18
大名じゃなくて軍師ってトコにつっこめばいいの? 【比叡山だけでも3回の攻撃が行われている!】
1435年 足利義教の比叡山攻撃と、根本中堂自焼
1499年 細川政元の比叡山焼き討ち
1571年 織田信長の比叡山焼き討ち <ココで信長がようやく終止符
塩野七生いわく 【織田信長の最大の功績は、寺社勢力の武力介入を歴史的に根絶したこと】
信長によって日本は世界に先駆けて【政教分離】が確立した!
しかし、終止符を打った信長は、寺社勢力から酷く恨まれ、悪名を残すことになった・・・ 比叡山は2派に分かれ、対立するようになった。
993年に円仁派が円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、円珍派は比叡山を下りて三井寺に移った。
しかしそのせいで、三井寺は比叡山に50回も焼き討ちされた・・・
寺社の焼き討ちは珍しくなく、寺社が寺社を攻撃するような時代が続いた。
そんな時代に終止符を打ったのが信長。
信長の比叡山焼き討ちは、当時としては珍しいことではなく、
むしろ「為政者としての責任のある行動」と言って良い。
1595年、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、廃寺にされた。
信長と秀吉で2派とも潰している訳。
最終的には、潰すしかなかったのだろう。 上杉謙信は神を名乗っても、寺社勢力の暴走を止めなかったので叩かれなかった。
武田信玄は仏教の最高権威を勝手に名乗ったり、露骨に本願寺と政略結婚を結んでいた。
織田信長は穏健な寺社は保護し、武力介入してくる悪徳な寺社は滅ぼし、
日本において世界に先駆けて【政教分離】を確立させた。
寺社勢力の暴走を止めなかった武将は、一般受けが良いが、
どちらが偽善で、どちらが善か、は明白だろう。 信長はガチムチが好きで森欄丸も史実だとガチムチゴリラだった。森一族をみれば当たり前
そして信長には女装癖があり、女性モノの鎧を使用していた
その鎧を同じホモの上杉謙信にも献上して趣味の共有をした 戦国を実際に統一しただけじゃなく東京を創った家康を馬鹿にしまくって
桶狭間だけの一発屋で何も成し遂げられず部下に謀反されて自害した
情けないおっさんの信長を持てはやしてる連中が多いとか
世の中馬鹿ばっかりだな >>387
これを理解していると日本史で3本の指に入る偉人だと分かるんだよね >>390
織田が捏ね、豊臣が突きし天下餅、座して喰らうは徳川家康 信長は武田に裏切った年下の叔母と武田の武将を捕らえて
逆さ磔の刑にする
額に傷を付け出血させて長く苦しむようにした >>348
歴史は勝者の記録だからな
中国パターン
後の王朝が前の王朝の史書を書くという
恐ろしい >>388どないやっちゅーねん、延暦寺の坊さんは、アイツら南無阿弥陀仏か南無妙法蓮華経か知らんけどやなぁ、
黙ってワシの言う通りにしとったらエエっちゅうねん、ほんま、黙って念仏唱えとけっちゅーねん、
黙って念仏唱えるて器用な事させはんねんなぁー
やかましいっ!例えやがな、例え、そやからワシが延暦寺燃やしたんやがな、
へー、アンタが、アンタ、馬の上から命令してはっただけちゃいますのん、
もおええわ!
こんな感じに 長谷川博己が光秀だよな
夏目漱石をハイテンションにしたみたいな光秀になるのか… 確かに石山本願寺、今で言うところの草加を解体させ政教分離を成し遂げたのは
偉大な歴史的功績だな
当時イキっていた宗教団体を大人しくさせたのは、信長の功績だろ 全くサイコパスじゃないよな
言ってる奴は節穴だよ(*^^*) 信長にサイコなイメージ持つのは
泣かぬなら殺してしまえホトトギスのせいだな
伝記の一つでも読めば柔軟性があって割と話の分かる賢いおっさんだと気づく で、そのうち「光秀が実はイケイケだったという話はじつは違うようです」って事になるんでしょ? 死んだ奴をサイコパス呼ばわりする奴は
死人口なしをやってる
卑怯者
生きてる奴を名指しでサイコパスって言えない 信長本人はいい人かもしれないが、
自分を信長や龍馬になぞらえる政治家や経営者はまずクズ。 合理主義者が相手の都合や無視して行動するわけないわな
メリット無いし >>407
泣かぬなら見舞いにいこうかホトトギス
信長ならこんな感じだろ 第40回「安土のリッツパーティー」
武田氏を滅亡に追い込んだ信長は盟友・徳川家康を安土城に招く
その饗応を命じられた光秀はリッツパーティーでもてなすが、
信長はなぜルヴァンにしなかったのかと光秀を攻め立てるのだった… 実は徳川綱吉も、未来人かってくらい当時では考えられない福祉を確立してた。
世界で人や動物の福祉が普及するよりも早く当時の日本がやったのは驚異的。
文化・民度・道徳、日本人の美徳をつくったのは綱吉といってもいいくらい凄いと最近見直されてきた。 >>416
磯田はBSの番組でも
信長嫌いが
ひしひしと伝わってくる >>419
調べたらマジだった
「生類憐れみの例」は昔は天下の悪法といわれてたけど、実際は赤子や老人、動物を無闇に切り捨てたり虐待したるする輩が溢れてたから、今では普通だけど命の尊さを守る法律だったんだな、昔は無法地帯だったからなぁ >>419
徳川家の平安貴族化(パヨク化)が完了しただけだとも言える ろくに修行もせずことあるごとにバチが当たるとか言って民心惑わせる生臭坊主だらけならそりゃ成敗するしかないしな
しかも宗教バックにした精鋭部隊もってことあるごとに歯向かってくれば皆殺しにもするだろっていう 歴史って後世に残った文献から推測してるだけだもんなあ
結局、推測の域を出ない 廊下にゴミが落ちてて掃除係を手討ちにしたんだっけ。
いい人だわ〜w >>16
なぜこのスレに貼ったかわかんねえが、ワロタ >>415
それで嘘ついて鳴かずにおちょくったらぶち殺す
位なもんだな最近の信長感。信長キレてる話も普通にごもっともなの多いしな 光秀って出自不明なのがかっこいい
そこそこ年取ってから信長に仕え始めて、厚遇されてるし
歴史の謎だわ 織田信長「あざいー!(浅井)」
若山先生「やなぎざわしんごー!(柳沢慎吾)」 >>130
紙の余白が足りなくて字がどんどん小さくなってくんだよなw
書いてるうちにスイッチ入っちゃった感じ >>1
ヒトラーにしろ信長にしろ1,2個のエピソードで取り上げて実はいい人って言うやつ多いな
1ビット脳かよ イエズス会に殺されたんだ信長
その後継いだサルが朝鮮攻めして
国力下げて恨み1000年買うハメになり
奴等ヒャッハーじゃん ヒャッハー光秀じゃぁw
大河の主役にはふさわしくないだろ!w 東照神君様をもちあげないと首が危ない時代だから、相対的に信長秀吉はアホにせざるを得ない 部下に対しても親密な手紙送ってたり、人情家ってことは知られてなかったっけ
合理的で人心も理解できるとか完璧な上司に見える 鉄砲は国産化したものの、火薬の原料となる硝石は国内では採れず、中国からの輸入に頼っていた。
鉄砲玉の鉛も国内生産では間に合わず、輸入に頼ることになる。
戦国時代の鉄砲玉を分析した結果、その大半が東南アジアのメコン川流域産であることが判明。
「堺の豪商たち」の交易が、戦国武将の合戦を支えていたことを如実に物語るものである。
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/003.html
1567年、信長は「天下布武」の印を使い始め、本格的に天下統一を目指すようになった。
1568年、信長は将軍:足利義昭を奉じて上洛し、たちまち畿内を制圧。
将軍:足利義昭は、その労に報いるために、副将軍か畿内5カ国を治める管領職に就くように要請。
しかし、信長はこれを断り、海運が盛んな堺、大津、草津に代官を置く許可を取った。
信長が上洛した理由は、貿易港:堺を抑えて
硝石や鉛などの流通ルートを支配し、火器を独占する事だった。
大量の銃を湯水の如く使えるのは、世界中でも信長の軍だけだった。
大砲を積んだ鉄甲船も作っており、ぶっちぎりで世界最強だった。
武田や上杉が上洛しても天下統一はムリだった。
大内義興は、北九州・中国地方の覇権を確立し、
1508年に将軍足利義稙を擁して上洛を果たしたが2年で撤退している。
信長の戦略があったからこそ、上洛は意味があった。 >>38
発達障害じゃなくて自己愛性人格障害だろ
世の中キチガイはほぼこれ 前田利長だって自分を裏切った女にたいして蛇攻めして殺してるし、保科正之だって
妾の子を殺しそこねた奥さん(正妻)に対してかなりなことやってるしな、信長だけ残虐だとかいわんでくれ 曹操と被ってるみたいなのこじつけてるうちについたイメージなんだろうなぁ 信長はともかく盲目信者がうざいのはこのスレを見てもあきらか 明智はどんどんキャラが立つな
戦コレでもまどほむイメージなノブミツな運命の人(実際その通りだが)扱いだったし 自分の事悪魔だとか魔王だとか言ってる人で悪い人見たこと無い
・・・逆はたくさんあるけどさ >>6
天下を治めるならまず人民から慕われないとすぐに寝首掛かれるからな
人民を直にまとめるのは寺院だし縦の流れを感じてたんじゃね >>447
>前田利長だって自分を裏切った女にたいして蛇攻めして殺してるし
おいなんだよそれ蛇攻めって((((;゚Д゚))))))) 信長は三国志で言うと曹操じゃなくて袁紹だよ
家柄よく支配地域にも恵まれ優秀な人材が集まり天下を取る条件が揃っていた
信長と同じように戦争に負けたり部下に裏切られたりと失敗もするが
将としての器と魅力があった人物
袁紹が信長と違うのは、中央に曹操という世界史でもトップクラスの天才がいたという悲劇 >>454
袁紹()
織田氏とか名門でも何でも無い、雑魚中の雑魚だろうがw >>445
日本人を奴隷として白人に売りつけた金で硝石入手したんだから信長の野望とかキリシタン大名なんて普通に酷いヤツだぞ そだね
愛知にいれば
熱田神宮に信長塀を寄贈したり
津島神社を修復したり
そういうエピソード多いからなあ >>453
女を柱にしばりつけておいて
蛇をマムコに入れるんだよ
それも何匹も
そして小陰唇を縫って閉じる >>451
そもそも聖書の悪魔だって100人くらいしか被害出してないし
神は一万以上だったかな 光秀「俺には愛人なんていらねーぜヒャッハー!部下はワシの宝じゃかわいがってやるぜヒャッハー!丹波地方の民を幸せにしてやるぜ!まず治水からやヒャッハー!後世に謎を残すのおもろいと思わんか?本能寺行ったらんかいヒャッハー!」
家康「あんた‥‥うち来るか?名前変えて」
光秀「うん行く」 >>456
尾張と美濃だけで120万石程度
これだけで当時日本一の大名になれた
尾張には日本有数の港と経済力もあった
父信秀は朝廷に今で言うと6億円の援助をするほど経済力があった
その他に金をばらまいていた >>463
だから、どこが名門だんだってよw?
福井から流れたきた貧乏神主の家系だぞ
てか、家督継いだとき尾張1国すら纏められてないのに
なんで美濃まで入れるなw
無理筋過ぎるんだよw 信長は一種の潔癖症だとは思う
自分の留守中にこっそり花見に出かけた女中たちを
全員打ち首にしてるしな 信長より武田信玄のほうが何倍も悪党だからな
人事では言うこと聞かない親父追放息子殺害内政では金鉱夫に賃金払えないからと生き埋めにし外交では裏切ってばかりで勝頼時代には四面楚歌
比叡山焼き討ちとか長島一向門徒虐殺は当時としては規模が違えど大名なら誰でもこれに似たようなことはやってるし もう今年と来年は捨ててるから光秀の大河楽しみでしょうがない
不明の前半生にいろいろぶっ込めるから脚本次第で面白くなりそう >>467
上杉謙信は、攻め込む度に、人身売買やっていたし。
そのクセ、神の化身を名乗っていたカルト教祖。 >>463
守護代清洲織田家の傍系の
三奉行の一つだから
足利の血を引いてる今川とか
甲斐源氏の武田あたりと比べたら底辺 そう言えばハリウッドで弥助を主役にした映画作るって噂を聞いたがどうなったんだろ >>397
その分後世ではかませ扱いで割を食う徳川面々
「家康が最も恐れた男」はもはや数知れず。 >>468
半分青いと同じ東濃が舞台だからなあ
東濃来ているなあ それよりも信長と柴田勝家が一回りも違って、
信長と上杉検診が4ツしか違わないのにびっくりしてる
>>130
これみると、超愛されてるな柴田勝家さん 信長の人付き合い
親兄弟家族にはかなり甘い
子供には甘く期待が大きい
部下には厳しいが能力や業績に公平
雑兵には情け深い
他大名家には柔軟な態度
庶民には非常に慈悲深い
宗教にも非常に柔軟な思考を持つ
一部の仏教徒には断罪的
信長があれだけ勢力拡大したのは当然だった ほんと光秀の大河楽しみ。
くさいセリフはいいから、「あの信長の
ヤロー」「サルに先越されそうで、焦る
わい」とか
「拙者、やはり人望が無かったのじゃの
う」とか言わせたら面白い。 >>477
顔に隈取りの化粧を施し、語尾に全部「候」をつけると尚良し 平清盛もちゃんと汚名を取り去らないといけない
周囲の平一族が清盛に乗っかってヒャッハーしてたのが「驕れる平家」であって清盛本人は至って堅実だった
光秀は信長を討った後があまりにお粗末でそれだけでも見直すなんて無理な話w 信長と曹操は慣習にとらわれず人材登用したというのは実態と違ってて
急速に勢力を伸ばしたから人材不足でそうせざるを得なかったんじゃないかな >>485
一度、地元の人たちが「汚名を晴らすぞ」と色々資料を集めて研究してたら、なんか
やっぱり火のないところに煙は立たないとわかるようなものもポロポロでてきたようで、
発表のときすごい歯切れが悪かったそうな。 人間、いいとこもわるいとこもあるんだわ
ハイドリッヒ・ラングなんだわ 側近に島津豊久並みのぼっけもんがいれば光秀の囲みを破って生き延びれた >>331
吉良の赤馬という郷土玩具がある
黄金堤を築き領内を赤馬で見回った吉良上野介を讃えたもの
地元では名君扱いらしいよ >>422
政権交代してから先代を良く思ってなかったのが悪く言ってたんだよな
>>485
吉良を切りつけた奴が親族そろって基地外だったじゃん 朝廷にカネ出してるのは信長だけじゃない
足利将軍や豊臣秀吉、歴代徳川将軍もカネ出してる
それが朝廷に代わって政務を執る天下人の勤めだから >>279
三成の死後坂本城に乗り込んだら、豊臣政権の中枢で私服を肥やしてたと思いきや、余りにも質素な城だったんだよな。
大将の器では無いが役人の鏡。 >>43
家康が一番恐ろしい奴だぞ
明智光秀の黒幕だったという説があるくらい 「本能寺が変」
そのとき京都・本能寺に宿泊していた信長がそう言った。
見るとなんだか傾いているようないないような。
調査を命じられた明智光秀は、その原因がシロアリ被害によることをつきとめた。
「敵は本能寺のアリ」
光秀はそう言うとさっそく駆除に取りかかった。
当時、シロアリ駆除の薬なんて便利なものはないもんだから、
被害にあった柱を片っ端から松明であぶって
シロアリを追い出すという地道な作業を行った。
ところがそのうち柱に火がついて燃えだしてしまった。
「やべっ、信長様ぁ〜!」
本能寺は信長ごと燃えてしまった。
事情を知らない豊臣秀吉が信長様の仇と明智光秀を討ち、
天下を取るきっかけとなったのは言うまでもない。 >>16
色がおかしい
前足の黒は背中で繋がってるはず
元リスだけ合ってる 信長は最期の本能寺でも「女は苦しからず。急ぎまかり出よ」
と下女を逃してるしな
そんな悪魔みたいな人ではなかったろうな 徳川の依頼で武田を滅ぼした事に
心痛していた信長に
光秀「いやあ苦労しました」
そりゃキンカン頭ランカンガンガンやられるわ >>391
叔母も仕方なかったとはいえ
信長の息子を人質に出しちゃったから信長大激怒 >>432
柳沢慎吾の若山富三郎のエピソードネタすきだわw >>387
>>402
晩年の信長は宗教的要素が非常に多い安土城下のハ見寺で盆山という石を自分の化身として拝ませていたとか天主から見下ろす形で天皇の御殿を造ろうとしたとか
自身を神格化させ天皇や既存の宗教を超越する存在になろうとしていたとよく言われているな
政教分離というよりカトリックを弾圧しイギリス国教会を創立したイングランドのように信長や織田家を頂点とする政教一致体制を築こうとしていたのではないか >>504
部下の、それもかなーり格下の部下の嫁から
旦那の女癖の悪さの愚痴を聞かされて、それに誠心誠意返答する人だしな
現代大企業の社長なんて鼻くそにしか見えないくらい気苦労多かったんだろうねぇ 信長は乞食に対して気をつかう心使いができるわりに弟を殺す人間でもある >>513
1回目の謀反の時は
柴田勝家も弟側
謀反は2回は許す事にしてたのが信長 >>513
柴田勝家や林などに祭り上げられて打倒信長やって負けたけど許された。
ここで家臣は信長の実力に気づき恭順。
柴田勝家の扱いを見ればわだかまりがあったとは思えない。
弟は恭順したフリして再度アタック、、、、 >>513
同腹の弟なんて
最大の脅威だしな
武田信繁みたいな能力あって
兄貴の引き立て役なんてできた人はそんなにいない 余り謀反が多かったんで
信長も謀反慣れしてて
松永弾正を家康に紹介したときも
「コイツが将軍殺しだぜ」
って感じで
結局弾正謀反起こした 破天荒で部下に理不尽な暴力を振るったりするイメージは高橋英樹の演技で生まれたと聞いてびっくり
意外と最近じゃねーか 家康が朱子学導入を決めたのも
笑い話にされた将軍殺しネタがキッカケ
家康が導入した朱子学は
赤穂浪士事件で一つの頂点を迎え
浪士を助命するかの判断で
仇は成した、後は法で裁くのみ
という荻生徂徠の意見から
法治国家へと移行した これじゃあ、うちの光秀が極悪人みたいじゃないですかぁ!! >>279
オッチみたいなもんやろ
愛想が悪すぎた >>1
どうこの新説、俺凄えっしょ!
みたいな事言って欲しいのかねこの人 >>519
軍師官兵衛の江口洋介は違和感あったなー。
その狂気を酒で表してたけど、ノブさん下戸なんだよね。 信長と光秀の相手の心を読めない者同士の会話は
さぞかし秀吉をハラハラさせたんだろうな >>494
だから織田は父の信秀の時代からめちゃくちゃ金を出していたから別格なんだよ >>8
信長を苦々しく思っていたのは朝廷の連中
光秀は利用されただけと思う >>370
そんなに異常なことだとは思わないな
平和な現代とは全然価値観が違うよ
殺し合いをしてて、裏切り者への憎しみが
半端ないから髑髏の杯を作ったのかも
(本当は約束破ったのは信長だけどさ) 信長だけじゃなく各戦国大名、いろんな
個性や性格があったんだろうなぁ
残酷に見えてまとも、まともに見えて
残酷だとかそういう例は多そう >>520
松平家なんて代々当主が狂った部下に殺されてる家柄だぞ
家康の父ちゃんも爺ちゃんもそう
家康自身も三河一揆で危なかったわけで、信長の一言くらいで変わらんて 戦国武将が好きなら北朝鮮の金一族も好きになれるだろ。w 築城工事の監視中、女にちょっかい出してるやつ見つけて猛然と走り出し首はねて、
また猛然と監視場に走り戻る。
フロイスと稲川淳二ドン引き 高橋幸治信長と片岡孝夫蘭丸との会話はホモホモしていた。 >>520
だからこその朱子学導入でしょ
導入しなかったら
徳川将軍家は三代くらいで終わってたかもしれんし >>529書物でしか語られてないし、信長&光秀にしても、
意外と光秀が「信長公ならこう仰られる!」とか勝手に代弁して、後から信長が知ってドン引き >>483
お粗末じゃないよ 打つべき手は全て打ってやるべきことはちゃんとやってる
唯一残念だったのは、秀吉の天才を理解していなかった事 >>517
秀吉の弟は超有能で仲良かったな
晩年秀吉が狂ってきて仲違いしたけど 信長が東大寺の保護を約束した書状が見つかった。
1573年の書状で、東大寺を巻き込むことを禁じ、違反者には厳罰を科している。
http://blog.livedoor.jp/steere0112/archives/51441165.html
信長は穏健派の寺社を積極的に保護していたのが史実。
それどころか、キリスト教すら保護した。
しかし、武力介入してくる寺社とは戦った。 アメリカが創り上げた司馬遼太郎の司馬史観に逆らうことは
アメリカが都合よく創り上げた日本の歴史観に逆らうということ
戦後日本の歴史を歪めたアメリカに逆らうことは
アメリカが創った憲法改正同様に難しいんだよなぁ >>540
小一郎無くして秀吉の天下取りはあり得なかったと断言していいレベル
とにかく機転が効いてそれでいて決して高慢にはならず常に兄を立てて支える縁の下の力持ちに徹してた
秀吉に子供が出来ないからと羽柴家の家督争いの火種にならないよう子供を作らなかったとか >>542
景気がいい時は家康が取り上げられ
景気が悪い時は秀吉が取り上げられ
景気が上向く時は信長が取り上げるれる あと信行殺害で誤解されがちだけど信長は肉親には激甘だからね
娘の嫁ぎ先もちゃんと幸せにしてくれるか将来性はあるかよく吟味して決めてたし
馬鹿息子の信雄が伊賀侵攻で盛大にやらかした時でも叱りつける程度しかしなかったし >>550
あの時代は価値観がかなり崩壊していて
秀吉vs光秀の天王山合戦前夜になっても
どっちに大義名分があるか
マジで判らない大名がいた。
ってな事をフロイスが書き残してる >>400
フロイスの手紙に信長はいつもイライラしててキンキン声で家臣を叱りつけてたって
書かれてたらしいから横山やすしは遠く無いキャラだと思う キリスト教を認め英文の聖書を読んだ人物だよ。こんな天才が本能寺で暗殺される訳がない。どこをどう調べても光秀が信長を裏切る事など100%ない
歴史ほど嘘が多い学問はない >>551
光秀の大義名分とは?
秀吉は>>550が大義名分だろうけど ほんとかよ…
長年支持されてきた説を覆すからにはそれなりにしっかりとした根拠や資料が必要となるわけだがちゃんとあるんだろうな
素人学者の思い込みみたいなのだったらやってることチョンと変わらなくなるからな
ぼくのかんがえたさいきょうのがくせつとか混乱を呼び起こすだけだから勘弁してくれよ どれだけ賢く権威のある歴史学者が調べても調べても本能寺の本当の動機を突き詰めることが出来ないのがまたミステリアスで良い >>432
若山富三郎のモノマネをする柳沢慎吾の声で脳内再生余裕w >>554
下剋上という大義名分があり容認されてた
織田本家筋の守護代織田信友を滅ぼし
守護の斯波氏を追放、足利将軍家すら追放した信長
光秀の軍には旧足利家臣団も加わってるから
足利家に仇為す信長を打ち取ったと喧伝してた事は間違いない 信長が人気あるのは死にざまがやっぱり武将ぽく威風堂々としてたからだろうな 本能寺の変に裏なんかなくて明智光秀のアスペが引き金って事ですね 本能寺から死体が見つからなかったてのが不思議だよな光秀にしたら
絶対見逃すはずないよな寺が燃えたくらいで遺体が炭みたいになるのかね
女を逃せと言いつつ自分も女装して逃げたんじゃないのか >>558
>下剋上という大義名分があり容認されてた
なるほどなー、お前がやったんだからオレたちも良いだろ、ってところか
>光秀の軍には旧足利家臣団も加わってるから足利家に仇為す信長を打ち取ったと喧伝してた事は間違いない
うん、理屈は立つし本能寺の動機の説の一つだけど、織田方として管領上杉謙信とドンパチやってるしなにより義昭追放の時も織田から離れてないから他の大名への説得力的にはどうなんだろう? >>561
信長は結構体格良かったから
女装してもすぐバレると思う
女の平均身長が140ぐらいの時に165はあった >>561
女装してるのを見つかって首切られるのは一番の恥だからな
信忠は逃げられたけどやらなかったし、やった有楽斉は後々まで馬鹿にされてる >>394
おつやの方の逆さ磔は壮絶な最期だったらしいよね。やっぱり残忍なところはあったと思う信長 >>566
あれで東濃失ってるし敵将の妻になった事は認められないだろ
落城だったら諸将への示しはついたけど >>568
確かにそうなんだけど、自分の駒として3回も政略結婚させといて、最期は助けると嘘ついて誘い出してるし、やっぱりちょっと冷酷かなあと。
というか女城主で大河ドラマやるなら井伊直虎じゃなくておつやの方でやって欲しかった。よっぽどドラマチックだし アーチーチーアーチー燃えてるんだ廊下
家紋!
遺影〜
が出てないことに絶望した
信長のエピソードで一番好きなのに 明智光秀の長女も明智秀満と相思相愛なのに
信長の命令で荒木村重の息子に嫁がされ
のちに謀叛で説得のさい光秀と有岡城から帰り
明智秀満のもとへ再婚するんだよなあ
その明智秀満が運命的に本能寺の先鋒になる しかし天皇家にも明智光秀の娘ガラシャの血が流れてるんだから
右傾な奴は明智光秀をわるく言えんよな
天皇家の親戚やでw
おまえら驚いたか? 織田信長 → 織田信雄 → 織田高長 → 織田長頼 → 織田信武 → 織田信休 → 娘 →
柳原紀光 → 柳原均光 → 柳原隆光 → 柳原光愛 → 柳原愛子 → 大正天皇 → 昭和天皇
とはいえ信長の親戚でもあるわけで >>572
うちも桓武平氏だよ
信じてないけど
驚いたか? 織田の血を引く皇室の方々に無礼であるぞよ!!
貴殿ら皆、熱中症の刑に処す。 >>211
信長の上洛前京の都の支配者の三好家の
料理人に俺に美味い食い物を食わしたら
命は助けてやると行ったら
この料理人は最初に公家向けの薄味の最高級料理をだしたが
信長不味いと激怒w
で料理人はもう一度作る機会をくれと言って
田舎者好みの味付けの濃い料理をだしたら
信長美味いと大歓喜www >>578
引きこもりの公家と違って武士は汗かいて働いてるから味濃い奴じゃないとなあ。 >>569
あの叔母さん、東濃地域に於いて
本来自分が織田の最前線に立って
戦う立場なのに
いの一番に寝返って信長の面目丸潰れ
本来外様の筈の遠山一族が頑張って
武田に抵抗してなんとかなってる
そんな状況にしちゃった
ってのが最近の研究で判明した 熱田神宮にわざわざ寄って戦勝祈願するくらい
神事に重きを置いてるのを
焼き討ちのせいで忘れられてるよな 信長亡き後の織田家がグダグダ過ぎ
織田家なんて信長だけの一発屋
江戸期は数万石程度の小大名にまで転落する
完全に滅ぼされた豊臣家よりはマシだが >>563
淀君は170以上ある当時としては大女だったらしい >>584
長男はそこそこ堅実だったよ
信忠が生きていれば歴史は変わったかもしれないけど
一緒に死んじゃったから >>585
斉藤道三の側室が180こえの美女だったらしい >>582
信心深いからこそ神仏の名を借りて武装蜂起する奴が許せなかったのかもなー 光秀は自己I型性格だったと思われるフシがルイス・フロイスの書簡に述べられている
光秀が疱瘡(疱瘡)の痕が残る武家の嫁さんに求婚した際のこと。妻の父親が「本当に私の娘でいいんですか?
痘痕のある醜女(ブサイク)ですよ。貴方様ならいくらでもいい女と結婚できるでしょう」と返事した時の
光秀の言葉があまりに的確すぎて父親も納得したという
「痘痕は伝染病の痕だから美醜とは関係ないし、子供に残らない。あなたの娘は顔の造形が美しいから結婚したい」
幼い頃の細川ガラシャを知っているルイス・フロイスは「光秀は(嫌なやつだが)、子供たちは天使のように可愛らしかった」と述べている >>588
ノブの時は根本中堂だけだったらしいな、先代魔王(ガチホモ)と魔法使い(ガチホモ)の時は御山が全焼だったらしいが 信長が何もしなくても本能寺ゲージは勝手に上がる仕組みなのか 【比叡山だけでも3回の攻撃が行われている!】
1435年 足利義教の比叡山攻撃と、根本中堂自焼
1499年 細川政元の比叡山焼き討ち
1571年 織田信長の比叡山焼き討ち <ココで信長がようやく終止符
>>594
数百年にわたって非道を働く比叡山に対して、天皇や法王が何度も、討伐を呼びかけている。
非道を繰り返す比叡山の焼き討ちは、当時としては珍しいことではなく、
むしろ「為政者としての責任のある行動」と言って良い。 信長によって日本は世界に先駆けて【政教分離】が確立した!
しかし、終止符を打った信長は、既得権益を失った寺社勢力から酷く恨まれ、悪名を残すことになった・・・ 『信長の忍び』の光秀は、ツッコミ担当だが空気の読めない場面もある人物に描かれているな。
最近は信長の発言を深読みし過ぎて不穏な空気が流れているらしいが。 天下とった後の秀吉
大名(家康含む)に乞食や能を躍らせてゲラゲラ笑う頭の飛んだ一面を持つ
かと思えば中国を侵略する可能性があるキリスト勢力に警戒心を持ち
国内の宣教師たちを追放する一面を持つ 秀吉はボケちゃったのかキャパオーバーしたのか
キレキレだったころは日本史上一二を争う才人だったのにな 小一郎が死んでから豊臣はボロボロだからなぁ、半分は小一郎の功績かと >>585
当時としては要らないだろ今でも大女だわ >>584
織田有楽みたいに家光が名門好きで
有楽町に屋敷構えてたんだが
因みに今川氏真は杉並区今川に屋敷もってた >威嚇程度にいくつかの建物を焼いただけ。
そうなの? >>192
アホか
信長は合理的で寛大な性格だと判明してるぞ
秀吉の妻寧々に宛てた手紙も有名だし
裏切者の部下も処分はしないで2〜3度は許してる 延暦寺の腐敗に一番絶望したのは光秀だからやっちゃったのかね
延暦寺以外の近江の自社は乱後復興に支援してるんだよね
信長は信長で宗教の価値と役割をかなり客観的に考えていて、政治に絡んでこない自社はむしろ大切にしているし >>226
そのときに1万人ぐらいの京観やってなかったっけ そりゃ比叡山は僧兵まで持ち出した当時オーム真理教みたいなもんだからな
女は抱くわ酒飲むわ、因縁つけりゃ呪咀だの天罰だの言いだす連中だし現場で実態見りゃ光秀の行動も理解できる。 比叡山は源平合戦の時から平氏の敵だから、
桓武平氏末裔を自称する織田にとっては因縁の敵なので、焼亡させたと言うのは穿ち過ぎか 延暦寺の地層から炭化した材木がほとんど出てこないし人骨も出てこないから本当に大規模な焼き討ちあったのか?って以前から言われてたな >>192
お前の言ってるような性格なら松永久秀は最初の謀反で粛清されてるわな 天海僧正(天台宗僧侶)が明智光秀と言う珍説が事実だとしたら、
自分が焼いた比叡山(天台宗本山)の高僧に成り代わった光秀は奇特な人だ >>616
入れ替わることを折り込み済みで焼き討ちしたんじゃね
焼いてしまえばそいつが本物か入れ替わりか判別する証拠がなくなるからな >>130を見れば大体の人柄はわかる。
とにかく「一方通行」のお人なんだな、と。 目まぐるしく状況が変わる戦国の世で5年も猶予やってるのに信長は一方通行ニダってユトリニートは凄まじいな >>16
スレと全く関係ねぇし、明らかにパンダじゃねえしww 誰か信濃町に焼き討ち掛けろよ
歴史に名の残る英雄になれる >>7
せっかく長年苦労して手に入れた領地も城も取り上げられたんだから頭にくる気持ちもわかってやれ。 佐久間は明智に讒訴されてたんだろ
それがバレたから佐久間の息子は追放された後にまた帰参を許されて信忠の部下になった
明智が謀反起こした理由もその辺りだろう 信長が能力主義つっても中途入社でどこの馬の骨ともわからん奴はやっぱ扱いよくなかったね >>596
平家も奈良の寺院群に火つけて丸焼けにさせてるしな >>629
当時は、寺社が高利貸しをやっていて、滞納すると僧兵が家を襲って、家族をさらって売り飛ばした。
強い寺社が、弱い寺社などを襲って富を奪ったので、
当時の為政者は、比叡山攻撃を何度も行っている。
それを非難するのは、歴史を知らないやつ。 ネットの時代なのに光秀の書状一覧とか信長の書状一覧とか全て出典も明らかにしてまとめたサイトとか無いのかね
一言一句読んでみたいわ
公家の日記から宣教師の記録、天皇方の記録
寺社の記録全てまとめたら新しい見え方がでてきそうだし 最低最悪だな、金柑ハゲ
やっぱ禿げは性根が汚く卑しいわ
ハゲは人間が腐りきっている >>40
こういうやさしいエピソードがあるかと思えば
信長の留守中に安土城下の桑実寺で勝手に羽根を伸ばして遊んでた侍女たちを斬殺したり
感情の揺れ幅の大きい人だったんだろうかね 仕事サボったら厳罰、頑張った人には(失敗しても)その努力は認めるタイプだったんでね? >>634
その事件で女中を匿って殺された(とされる)住職の墓が実在するんだが、普通に老衰で亡くなってる。つまり、殺されてない。
これは「成敗した」と言う表現を「殺した」と解釈した間違い。
女中と、彼女達を匿った住職に何らかの罰を与えたのは確かだが殺害には至らず、住職もそのまま勤めていたと言う事。 光秀の性格がそんなになっちゃったのはハゲのせいかも知れない
ハゲを馬鹿にされ続けて、心の中にとんでもないものを溜め込んでいたのかも知れない
ハゲが悪いのか人間が悪いのか.... >>636
「罰を与えた」とあるだけで命を奪ったとは限らないんだよな
普通に解雇したってくらいだろう >>637
ネタに突っ込むのも野暮かもだが
当時は月代を剃ったり抜いたりするのが当然な時代だから
ハゲはそんな気にしてたとは思えんな
ネズミ扱いが悪かったのならわかる
信長はなんかネーミングセンスが変だよな
トップとしては困った癖だ >>1
昔の歴史漫画で見た描写だと、
光秀「比叡山は伝教大師以来の根本道場。比叡山攻めはお止め下さい。」
信長「うるさい!そちはあれを寺と思っているのか?
あれは城よ、城を攻めて何が悪い!」
て流れだったのに、何で逆になってるんだ >>640
一般の認識はそっちの方だよね
それに対する反論が>>1の記事なのだろう 「魔王」というのは、民衆や家臣に対してひどいこと、残酷なことをするという意味ではありません。
「魔王」というのは、「仏教の敵」という意味です。仏様(釈迦)を誘惑して道を誤らせようとしたのが「悪魔」で、その親玉が「魔王」です。これが正しい意味です。
ご承知のとおり仏教勢力というのは、旧支配者層の中核であり、
信長が改革者として「新しい世の中」を作ろうとする場合、どうしても対立しなければならない勢力です。
既得権を奪われそうな旧勢力は、信長を「仏教を迫害するやつだ」として「あいつは魔王だ」と悪口を浴びせかけます。
ところが、信長は信念を持って改革をやってますから、「仏教の敵、おおいに結構!」とばかりに、自ら「第六天魔王」と名乗ります。
「天魔」ないし「魔王」は、最初は旧勢力からの悪口だったのに、信長本人が「魔王,上等!」とばかりに、自分で名乗っているのです。
明智光秀は、本能寺の変 を起こしたとき、信長を「魔王」と呼んだかも知れません。それは「私の愛する古き良き日本を、これ以上壊してくれるな」という意味です。
光秀は、旧勢力側の立場から叛乱を起こしたのであって、信長から酷い仕打ちをされたから仕返しした、ということではないのです。
「オレは魔王だ」というのはすなわち「改革者だ」という意味なんです。「残虐なことをするぞ」という意味ではありません。
第六天魔王ってのは人間の慾望を叶える神様で日本各地に第六天神社ってのも存在する >>646
信玄からの書状の「天台座主沙門:信玄」、に対して
「じゃー、俺は第六天魔王の信長だ」と茶化した。
仏教の最高権威を自分勝手に名乗る【武田信玄】や、
毘沙門天を自称する【上杉謙信】は、所詮は田舎者。 猿山のボス猿でしかない。
信長は、信仰心はなかったが、善良な寺社を保護した。
他の武将のように、特定の宗教を押し付ける事もなかった。 >>647
武田信玄は信長と敵対するにあたり、信長が1571年に天台宗の総本山である延暦寺を焼き打ちしたことを理由に挙げました。
このことを強調するため、「天台座主沙門信玄」と署名した手紙を信長に送ります。
天台座主は延暦寺の長であることを示す称号で、沙門は仏教徒であることを意味する言葉です。
しかし、実際には信玄は天台座主ではありませんので、これが事実なら、嘘をついたことになります。
信長はこれに対し、売り言葉に買い言葉といった調子で、「第六天魔王」と署名した、と言われています
しかし、このことを記した資料はひとつしかなく、キリスト教の宣教師であるルイス・フロイスの報告書にのみ見受けられます。
(『耶蘇やそ会士日本通信』1573年4月20日付けの書簡)
しかし、印象的な話なのに、他の資料には記録がないことから、信憑性には疑わしいところがあります。
信長がそこまではっきりと仏教への敵対心を露わにしたならば、仏教関係者が驚いて、なんらかの形で記録していなければおかしいのですが、それが存在していないということは、事実ではない可能性が高いです。
フロイスは布教の障害となっていた、日本中に浸透している仏教を強く敵視しており、このために信長と仏教勢力の軋轢を、過大に記載する傾向にありました。
それゆえ、この文章もそのような、歪められた記述のひとつだったと考えられます 自分の本拠地に近くて僧侶の知己も多い延暦寺を光秀が攻撃したいわけないだろ。
浅井・朝倉の補給基地になってた延暦寺は信長にはどうしても許せなかったんだ。 >>559
業を背負ってるし、去り際がきよきよしい 当時の日本は混乱しており、
勝手に宗教の最高指導者を名乗ったり、神を名乗ったりするのは抵抗がなかった。
だから、子供っぽいオフザケをわざわざ記録しなかった。
しかし、フロイスから見れば、領主が法王を名乗るようなもので、異常な状態だった。
だからこそ、記録し報告した。 >>648
叡山焼かれて、信玄が保護してるから
甲府に叡山(仮)を造った感じで、名誉座主みたいなもんやろう >>654
仏敵と呼んでた信長が自ら第六天魔王と呼称したなら寺側が書き残さない訳ないじゃん
あの国みたいに言いふらかしてそれを口実に叩きまくってるわ 歴史なんて後生でナンボでも改竄されてるしな
当時生きてた人達だって正確な事は把握してなかったんじゃない
デマや流言当たり前だし 信長と秀吉はゲームソロデビューしてるけど徳川さんは人気無いの? 徳川って夏の陣冬の陣関ヶ原しかねえもん
ゲーム化出来ないことは無いだろうが難しいわな 信長最期の死にざまというか散り際見ると
荒木 村重の行動が本当に許せなかったんだろうなというのが分かるなw >>659
快男児信長、人誑し秀吉と並べると陰険過ぎる
野戦の天才とか言われながら、実は局地戦で少し勝っただけで大した戦績無い
攻城戦は負けっぱなし
信玄にも勝頼にも負けっぱなし
長篠・姉ヶ崎は信長の戦略勝ち、小牧長久手は秀吉の戦略に全部持ってかれた
関ヶ原では碌に戦って無い西軍に大苦戦
冬の陣では何一つ勝てず完敗
爽やかさが無いんだな >>612
女は犯すわ暴力振るうわ、因縁つけりゃ人権だのレイシストだの言いだす連中だし現場で実態見りゃ光秀の行動も理解できる。
現代にも通じるものがあるなw 順番的には冬の陣夏の陣だわな
どうでもいいか
徳川はなんでそんなに信長秀吉に評価されてたのかよく分からないところがある
徳川の世が長く続いたので徳川によって家康神格化と信長秀吉ディスが行われてるし
家康は信長や秀吉と同格ではないだろうと思う >>634
曲がったことは大嫌いだったんだろ、焼津の半次のような ,滋賀.すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>665
城建築中に女にちょっかい出してた奴を切り殺した伝説もあるしな >>664
いわれたことはどんな無茶振りでも確実に遂行したからだろ。
織田同盟時代の明らかに格上の北条武田相手に一人で凌ぎ続けたり、
豊臣時代は領土全部譲って関東に移りつつ、各大名間や大名と豊臣の取次ぎしたり。
しかもその間は一切の文句は言わない。
ちょっと自分でその立場ならできるかどうか考えてみたら、組んで相当頼れる相手であったことは想像できる。
実際無能だったならまずその2名に首チョンされてるだろし、その後もどの大名も支持しようとしなかったろう。 >>668
信長、秀吉、家康
どの社長に仕えたい?
やっぱ家康がええわ。
信長、秀吉では心身とも持ちましぇん。 どれだけ神格化しても焼き味噌事件が平成の世まで語り継がれてるから
徳川さんも大変だよね まだ戦国時代の殺伐とした雰囲気が抜けきれておらず道徳や倫理などあって無いような時代に、なんと徳川綱吉は世界初の動物愛護法を作り、人や動物の福祉を整え、現代の日本人の美徳・道徳心のもとをつくった名君だったと近年再評価されている。
当時の江戸は捨て子や捨て老人、辻斬りが非常に多く、その劣悪な治安を正すために出されたのが「生類憐みの令」であった。
この法令では捨て子の保護を第一に謳っており、捨て子だけではなく他の生き物も大切しなさいと至極真っ当なことが書かれており、その結果、日本人は命を慈しみ、憐れむ感情を持つに至った。
綱吉の政治を境に江戸から辻斬りは急激に減り、「みだりに命を奪うことは大罪である」という意識が武士から庶民にまで浸透するきっかけになっていった。
「生類憐れみの法」とは犬だけではなく無益な殺生を禁じ捨て子や老人に優しい法律だったのだ。 >>606
桶狭間の時はどうして深夜の2時に城を飛び出したの? >>667
緒形直人の信長の
ルイスフロイスとの出会いの場面で
首スパッと飛ばすのが描かれてる >>672
神様がウ○コ漏らすってなあ
そう思うと東照大権現様も有り難みがちょっと… 人の一生はウンコたれの汚名を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず よくネット調査で理想の上司が織田信長とかあって、
お前らあんなクッソ厳しくて冷酷な上司の下でやっていける自信あんの?
ナルシストなの?意識高い系なの?って思ってたけど、
このスレの内容が事実なら結構アリかなと思えてきた。 嫁さん見ただけで切り殺される可能性があるキチ上司より信長さんの方がはるかにホワイト会社 >>683
上杉謙信なんて、勝手に神を名乗るし、後継者を作らないで後継者争いが起こるし、
毎年、趣味のように他国を侵略して、住民をを捉えて人身売買して帰っていく・・・・
武田信玄なんて、経済オンチで、重税掛けるし。 >>130
司馬さんのエッセイで読んだんだけど、信長って怠惰や私利私欲は嫌うけど
一生懸命トライして失敗した人には寛容だったらしいね
ちょいうろ覚えだけど、丹羽長秀がどこかの城攻めで大損害出して帰国
切腹を覚悟してたら信長から茶室に呼び出し
「末期の茶を立ててくれようってことか」と出向いたら、信長がニコニコして図面広げて
「お前どうやって攻めたんだ?・・・ふむふむ、俺はこうやったほうがいいと思うんだよ」
とひとしきり指図したあと、「ま、次はしっかりやれ」と返されて拍子抜けしたって話があったそうな 長男と公家連中でドンチャン騒ぎの宴会を開いて、いい気持で寝ていたら
早朝に桔梗の旗印に囲まれてるんだもんな・・
死んでも死にきれないわ〜 >>599
嘘チョンの嘘八百
庶民なりきり遊びは秀吉自身が一番張り切ってやってるし
キリシタン追放は日本人奴隷を海外に売りさばいてた事実を知り激怒したため >>673
にしては綱吉が死んだとみるや即刻廃止されたんだよな
だいたい頬に止まった蚊をつぶしただけで遠島とか死罪とか、やりすぎ、潔癖すぎ、A型人間 >>686
趣味じゃなくて公共事業だよ、極貧農兵が捕らえた人を
売りさばくための人身売買市を設置してやってた
後継者については養子で二人作ったが、どっちが優先されるのか決めてないのが問題だったな >>687
司馬遼w
>>690
御側用人制度により一気に将軍に権力集中したせいで距離感が掴めない役人による過度の忖度が先鋭化したのかな〜と考えてるんだけどどう思う? >>589
怪しいとかのレベルじゃない
とっくに嘘だってバレてる >>690
蚊を潰したってのは後世のデマだよ。
20年ちょいの間に全国で13人の極刑が発生してる。
極刑の例だと、無宿人2人が腕試しと称して多数の犬を日常的に試し切りにしており、そのウチの2匹の飼い主から訴えられた。
(家先に繋いであった愛犬の胴を切られた)
遠島例だと、犬食を組織的にやっていたリーダーが遠島、食ってた仲間はお叱りのみ。
大八車で轢き殺した例もお叱りのみ。
鷹狩り用の犬肉を育てていた業者はお叱りと営業停止。 >>690
廃止された理由は簡単で、犬食が普通だったし、遊びで犬殺したいし、上級武士は鷹狩りしたいし、この鷹のエサは犬肉だったため。 >>693
ちなみに>687は小説の中の話じゃないよ
どこかの講演での書き起こしだったと記憶してるから
創作じゃない >>690
それと子捨て。
生類の中で最も保護すべきは人間、って考えがベースにある。
避妊ない世界だしね。 >>633
それ以上ハゲを貶すのはこの俺が許さない ゲームの世界でも信長は悪の化身みたいに描かれがちだなw 生類憐れみの令なんてマトモに守ってたのは、
幕府領、旗本領、せいぜい譜代大名領で薩摩藩などの外様大名領でマトモに守ってたとは思えない 信長の部下は普通にこなしてれば殺されることはないよ
別に取り立てて戦果を立てなくても真面目に一所懸命やってればね
佐久間だって信長に頭下げて今度こそ武勲をたてて見せます!って誓えば許してもらえたろうに
本当に遁走する奴がいるかよ
信長もびっくりだよ >>690
近年、徳川綱吉は犬公方のバカ殿ではなく本当は名君だったと教科書でも再評価されている。
戦国の世が終わった江戸時代、戦いの場をなくした武士たちはたむろし、「切り捨て御免」と人を切り、犬を切って食べたりという行為が横行するようになっていた。
人々は命を軽視し、暴力で物事を解決するという傾向が当時の江戸の町には行き渡り、それらが目に余るような状況だった。
また当時の社会は、犬を飼っても簡単に捨てる人も多く野犬が増えて人々が襲われることもあった。
そのような風潮を見かねた綱吉は、銃などの武器を登録制にし、国家として暴力に対して徹底的な管理をし、命を軽く扱う社会を変えて平和に共存する社会を作ろうと試みた、それが「生類憐みの令」だった。 この法律を簡単に紹介すると、「忠孝に励み、兄弟、親戚が仲良く暮らし、召使まで憐れみなさい」というものだ。
これにより、当時多かった捨て子も規制され、また野犬問題も犬などの動物の登録をさせて、人々の生活を守るとともに動物愛護の精神も根付かせた。
現代の日本人が外国に比べ治安が良いことや平和を好む国民性などは、この綱吉が基礎を築いたとも言われている。
綱吉の死後、多くの法律は破棄されたが、動物愛護の法律やお年寄りを敬う法律などはそのまま引き継がれ、現代に至るまで日本人の心の中には、その綱吉の精神が脈々と生き続けている。
後に綱吉に謁見したドイツ人ケンベルの手記によると「綱吉は卓越した主君である。彼の元で全国民が完全に調和して生活している。生活習慣や芸術・道徳の面で、あらゆる国の人々を凌駕している」と書かれている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています