東日本の被差別部落について本が刊行される 東北で皮革業は普通の農民の仕事だった
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東日本部落解放研究所 初の東北県別部落史発掘
関東、甲信越も 5年半の成果3冊に
https://mainichi.jp/articles/20180313/dde/018/040/048000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/03/13/20180313dde001010009000p/9.jpg
東北や関東・甲信越の被差別部落史の研究成果を江戸時代中心にまとめた
『東日本の部落史』全3巻(東日本部落解放研究所編、現代書館、
3564〜4104円)が刊行された。
東日本は、西日本と比べて被差別部落が少ないとされ、
部落史研究も遅く始まった。特に第2巻は初めて、東北の部落史を県別にまとめた。
藤沢靖介・同研究所副理事長と吉田勉・同事務局長に聞いた。(中略)
1993年の「同和関係人口」で、関東は約8万3000人と全国の9・3%だけ、
東北は数字がない。ダントツの関西(37万3000人、41・8%)などと比べて圧倒的に少ない。
「この数字がイコール部落民人口ではないが、実数も関東と東北を合わせて
せいぜい1割超でしょう」と吉田さん。
人数の少なさは、部落解放運動や歴史研究の少なさにもつながってきた。
特に東北の被差別民については、従来の論集は言及がないか、
全体で1章だけといったものしかなかった。
「県別の論文を並べられるほどに、ようやく研究が進んできた」(藤沢さん)
おかげで、他の地方にない特色や、狭義の部落民に限らず、
名称もさまざまな被差別民の姿が見えてきた。
たとえば、仙台藩(宮城県)の「らい人」。皮革関連などが生業の被差別身分の一つだ。
従来は、ハンセン病患者と、彼らを集住させた管理者と思われてきた。
今回、特に17世紀後半以降の患者は在宅が基本となり、
「らい人」とハンセン病の関連が薄くなったと分かった。
弘前藩(今の青森県西部)では、「革師」と呼ばれる人々が死んだ
牛馬の皮をはぐ仕事をした。ただし、革師の仕事は弘前城下と近辺だけで、
それ以外では、普通の農民が革師の代わりに作業をした。
垣根が相対的に低かったこともうかがえる。
画期的な研究成果だが、課題もある。
「近代以降の論がどうしても弱い」(藤沢さん)。東北の論考は、ほぼ江戸時代の話だけだ。
吉田さんは「関東は近代以降も強く差別が残ったが、東北はどうか。この点も課題です」。 差別を生んだのは仏教の生死感だと思うんだ(´・ω・`) どこの部落の出かね
と日常会話で聞くレベルなんでしょ 村落より小さい単位? 関東の部落も、朝鮮戦争前後に日本に密入国して逃げてきた朝鮮人集団だ
併合時に日本語を覚えた連中が取り仕切った朝鮮人集団
部落なんてものは明治新政府発足時に無くなった。身分も無くなり、移動も自由になった
今部落を名乗っている連中は朝鮮戦争時に日本に密入国し共産党の入れ知恵で部落民を名乗り、"被差別利権"を作り出し、嘘と暴力で国に寄生してきた集団だ ちょっと前までは、「○○部落入り口」「○○部落公民館」とか普通に看板あったけどな 元々は定住しないいろんな職の人々を士農工商諸々以外にまとめてただけやろ。 >>5
江戸時代のは、地方から来た労働者が沼地や荒地に溜まって住み着いた、その連中だ 東北自体が小沢筆頭に野党の票田になってるクソチョン地域だろw 仙台城下で有名なのは
川内追廻と木ノ下と河原町だっけ? 回覧板を回す集落の単位
第7部落の○○さんみたいな
自治会と同じ意味 >>1
関西の被差別部落民が【 41.8% 】って本当か!?
こんなに居たら差別されないだろ。
少数だと差別が生まれると思うんだが。 東北に部落差別なんてねーよ
部落=村の意味で今でも普通に使われてるのが東北だぞ >>5
みたいなレス見るとどうも部落って言葉イコール被差別部落って感覚のひとがちらほらいるって感じるわ
部落って言葉自体は集落(小さい単位の家々の集まり)って感覚なのは地方だけなのかね >>13
川内追廻は違う
あれは単なる戦後の引き上げ者の集まり
>>15
全国の被差別部落関係者の41%が関西人ってことだろ 東北は地区指定→補助金って流れが一切なかったんじゃないかな
爺さんのガキの頃はどこどこはって話はあったらしいけど
利権につながる地区指定がなかったからこそ
人々がどうでもいい、って感じで忘れて今に至るって感じじゃないの
西日本とかでも、就業率、大学就学率が変わらなくなった時点で
止めとけばいいものを、それをしたくない勢力ががんばちゃっってる感じなのかな >>17
爺様世代だと村落の意味で普通に使ってるが、ちょっと下だと同和地区の意味で特に使われてるなぁ >>3
悪臭と水質汚染がある
産業化したら差別されるのが当然 そもそも住みにくい気候に代々住んでる時点で察するわ
>>17
部落は単なる集落。
元来、差別的意味は無い。
西日本では「被差別部落」を略して
部落というようになり差別用語になった。
東日本では本来の意味のまま。 仕事の分業なんだよね
魔除けの先導は部落民の仕事だしね。 >>20
実際それに近いんだよ
東北は大規模な飢饉にたびたび見舞われているし
少なくとも民衆の中では差別の源流となる資本の偏りがほぼなかった
要は全員が貧乏なんだから格差なんて作っている余裕なんてない 西日本でも集落と被差別地区の意の「部落」は混在してるよ 被差別部落の概念はハタチ過ぎてから2ちゃんで知った
それまでそういう存在があるなんて全く知らなかった >>13
木ノ下と河原町はそうだったのか(´・ω・`) 無理やり部落認定して何が目的なんだか
今更開放も何もないだろ馬鹿じゃねえの仲間作ろうとしてんじゃねえよ 朝廷に逆らって戦争で負けた東北民を全国に移住させてできたのが部落 >>27
生きるのに必死で 汚れ仕事を忌み嫌うとかなかったんだろうな 別に差別しにわざわざ東日本に出かける奴もいなかったと思うぜ。
遠くで笑ってた奴はいるだろうけどな。だって新幹線通るまで行くの
かなりキツい場所だったんだぜ。 >>28
解同やそれ系統の連中がやった「研究結果」とやらと昔から伝わっている言葉の「意味」
どっちが正しいことを伝えているかといったら自分は圧倒的に後者を信じるよ
そういう見方で考えれば西日本は解同の連中に好きにやられちゃったんだと思う 普通の部落と被差別部落が混同され過ぎな
部落ってただの村 運動会で普通に部落対抗リレーとかやってたよね(´・ω・`) 俺が日本に差別者がいることを知ったのは30歳過ぎてから
しかも2chで
>>27
江戸時代の農民なんざ日本全国どこでも貧乏だろ
関西では貧しい農村でも部落差別があったわけで
資本の格差だけが差別の原因ではない 同和の怖さがよくわからない奴らはダウンタウンが昔やってたコント
豆
を見ろ
あれが同和の恫喝のやり方な
因みに松本の兄貴は解同関係者 関東や東海は白山神社があるとこ≒被差別部落って聞いた >>41
イメージで東北=辺鄙で遠くて貧しいってのがあるから
このスレでもチラホラ茶化したレスあるけど、(実際間違ってないのだが)
そういう地域って日本中どこにでもあるわけで
なぜ未だにどうわの問題が残ってるかって
結局利権化したかどうかって話なわけなんだろうね >>13
部落と関係ないけど
河原町には昔オウムがいたぞ 未だに部落とか言ってるやつらが異常
そういった意味では東北は健全 >>17
田舎は ぶらぐ って言う
都会は ぶらく って言う ライ患者そのものとの関連が薄くなった
というのも興味深いな
多分、一旦ライ者として差別が始まると
その子孫などの血縁者に対しても代を重ねても
差別が固定化したって話だと思う
薩摩藩でも青癩(せいらい)と呼ばれる被差別集団の
存在が知られてるんだが、ライ病やその患者のことを
白癩(びゃくらい)と呼んだことからして、現役のライ患者
ではなく、治癒した者や、血縁者、その子孫なのではないかと
考えられてるらしい
ほとんど同じだな
地域によって差別観みたいなものが大きく異なるところもあるが
共通している部分もあるってことだ ひがしそのものが部落だ
ひがしから太陽はのぼるつうけど日本からしたら部落から世界が始まるって言ってるようなもんなんだ >>48
スーパーの前のとこだっけか?あと世界何とか教とか心霊研究所とかいうのもあった 要は日本の仏教はクソということか?日本で広まった仏教観に蔓延る穢れの概念が
こういう結果を生むことになったんだろ? 公家貴族や都市住民を支えるために存在した
市街の清掃や警察・刑務業務、皮革業など汚いが必要な仕事があった
田舎だと需要が少ないため職業として成立しないので全て住民自身がやる必要があり非差別階級が出来なかった
当時の都会は畿内なので関西に多くて当然な感じがする 俺の知ってる部落の概念は
昔は土地が持てなかったので都会みたいに家が密集している
今は皆、金持ちになり豪邸が多い土地も買って
田舎で新しい豪邸が多いところは、ほぼ部落
普通の人と相手にされないので結婚も近親結婚か多かった
ので、カタワが多いがそれはない事にされた
いわゆる赤子殺しだな
それと怖いのは一般庶民の家に入っての子供さらい
つまり子供さらって都会に売りに行く家業をしていた
それで怨まれ更に遠ざけられたそうだ!
勿論、部落の人と結婚でもすればその家は田舎では生活できない
当人達が都会に出れば何とか許してくれる場合もあり
それでも墓掘りはその部落の人達に頼むしかないw
何か子供心に変だとは思ったけどね >>49
つか大和の人間からしたら東北人全員部落みたいなもんなんだろどうせ 東北では集落の事を部落と呼ぶ
学校で部落差別がどうとかやってたが全く意味がわからなかった 差別抜きで史実として読んでみたい
…そういうのも差別なわけ? にしの征服対象は西の生みの親でもあるんだ
西洋人ってのはホントバカだな
いつも頭要人にやられっぱなしだ 名字に
金、安、米、村、山、川、林、森、上、下、東、西、南、北
大、中、小、島、辺、高、塚、藤、麻、岡、清、宮、水、島、
松、竹、梅、桜、柳、崎、野、部、沢、池、橋、田、井、谷、木
石、吉、本、前、福、浦、原、内、尾、遠、高、河、口、伊、一、
↑の漢字が入ってると間違いなく在日もしくはB
まめちしきな
案外近くにいると思うぞ >>41
そもそも本当にその地域に差別があったかという前提が自分には疑問だね
地域によっては何らかの職業に対する差別はあった
5ちゃん見てれば人間は差別大好きなんだからそれは事実としてあっただろうけど
それを日本全国に当てはめるのはあまりにも馬鹿馬鹿しい
そもそも部落研究とやらは「差別があった」という結論ありきのものなんだから
それを歴史的事実とするのはおこがましいにも程があると思うわ >>68
朝鮮部落と本来の部落、すなわち同和は別だぞ? 被差別集落とは言うけど畜産は国の重要な産業
恥部のように語る方がおかしい >>68
日本国民の8〜9割が在日部落認定されそうだな >>68
徳川も?w
日本の苗字をほとんどモーラしてるしw >>41
江戸時代の農民は生産力のある地域は裕福だよ
だから貨幣経済が発達した
東北は気候の問題で平等に貧乏だから
皮革産業の分業化が進まなかったんだよ 近所の幼稚園の歴史みたいなのに昔隣保館だったって書いてあるんだが別にBっぽい部分もないただのクソ田舎だよ
一応城下町だけど >>68
逆にこの漢字が入らない名字を教えてくれw とくがあわ!とくがあわ!
アンコール!に似た響きがあるな(´・ω・`)w >>54
河原町の七十七銀行の所から細い道を東へ進んで
一つ目の交差点を右に入った辺りだったと記憶している
建物の壁にオウムの看板が堂々とあがってた 胴元っていうのはたいがいがキンキキッズの堂本光なんだよ
そして実態は麻原将校と上九一色村とサリン、おいしまトンネル 農産だけでは食べていけないからマタギもあるわけで
そんな地域で穢がとかアボカドバナナスムージー >>55
起源は利根川を挟んでヤマトvsアイヌでバトルしてた頃から。
仏教よりももっと前。
互い戦争捕虜を、苦役(人間ユンボ・ダンプ)や汚れ仕事(死体処理や畜産など、伝染病リスクの高い危険業務)に従事させたのが発端。
つまり集落が町になる都市化現象によって職業的分類が始まったのが契機。
罪人の放逐や遺伝病・伝染病の隔離などは後から増えたもの。
それらを新しい血として補充し、ムラを維持した
側面もある。 >>13
自動車学校があるのはやはりそういうことか まあ公共施設がやたら多い所はね
団地とか作ると外から人が入ってくるから結果的にそういう人たちの影響力も相対的には弱まるし 国立府中インターの辺りの部落の女の子と仲良かったけど、大通りから家に続く道が無くて畦道を通らないと家に行けなかった
いつも近くの谷保神社でセックスしてた >>25
実家が香川だが、部落ったら集落だけとねー
市内にもガキの頃から近寄るなって言い含められてた地区はあるけど、地名で察しろって感じ 昔小学校が統合されて部落の子がたくさん入ってきた
部落の子は学校終わってから隣保館で学校の先生にタダで勉強教えてもらえた
他の子はお金払って塾に行かないといけなくて不公平だ
お金を払ってもいいから一緒に隣保館で先生に補習してもらえるようにして欲しいとPTAが申し入れたが断られた
診療所も兼ねててその人たちだけ隣保館でタダだった
他にもいろんな特別扱いがあったせいで誰が部落の子が分かるようになっていた
あの子達はズルいと子供たちも二つに別れて対立していた
それを差別しちゃいけませんと怒られるのはなにか違うと思っていたし
あの人たちはかわいそうだから差別をなくすため守られなければいけないと言われるのも何がかわいそうなのか分からなかった
そしてその子たちの親はものすごく気が荒くて怖い人ばかりだったので
みんな怯えていた
後によそに引っ越したけど今もあの怖さは忘れない >>13
幸町
道に迷って偶然通りかかった事があるけど、全身で不穏な空気を感じてめちゃくちゃ怖かった 部落出身者には、もう一つ大事な役目があった
それは、警察に捕まるのを覚悟で
日本に害をなす者を成敗すること 日本語と数字ってのは面白いと思うんだよ
彼岸172一つ進歩すると東173もう一つ進歩すると174伊仏 田舎者のくせに差別なんかしてるのか生意気な
特殊じゃないとこも全部含めて田舎を丸ごと差別してやりたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています